第4話 異変

 誰もがうらやむ至高の一時――後輩の美少女を連れて車通りの少ない路地を 普段のルートで歩いていれば自宅へとっくに着いていてもおかしくない時間であるが、遠回りかつ、話しながら歩けばそれなりに時間が掛かってしまうのは致し方がない事であろう。

 しかし、それについては意外にも立花颯汰は苦痛を感じていなかった。


 最初こそあまり興味が惹かれない話題を出されていた為、早々に帰りたいと考えていた。――枝島冬華が誰かに告白された(複数人)とか他の子の彼氏自慢じまんが云々という愚痴を聞かされてもどうしようもないので受け答えもただ合わせるだけのものであった。しかし枝島冬華のお喋りはまさに怒涛どとうの勢いで続いたのである。

 日常の他愛のない話……衣服や化粧品、髪は染めないけれどカラーコンタクトにして担任教師に怒られた女生徒の話。

 アルバイト先でやった失敗談や教師の変な噂と話が転々としていくさ中、聞き手の少年は感心していた。


 ――よくここまで次々と話し続けられるなぁ……


 二転三転どころではなく、次々と絶え間なく変化させていったのだが、いつの間にか話題が何故か、「ヤバい」だけで会話が成立するクラスのギャルたち、「キモい」だけで会話が成り立つクラスの自称超S・B・S|(スーパー・ビューティフル・セクシー)系ギャルたち、「エモい」だけで(省略)、新言語を生み出す「バイブスアゲアゲ↑↑(テンションとかノリが上がってきた様子)」の今時の女子高生JK語についてとなっていた。


 もはや異界か外宇宙レベルに変質してしまった独自の文化と生態系を持った、というには少しだけ過言であるギャルという特異な生き物。


 とりまイミフで理解が追いつかず、マジありえんてぃーな言語に驚きつつも颯汰はいつの間にか話を聞き入っていた。何せ立花颯汰のクラスでも独自言語を多用する全体的にゆるい女生徒はいるものの、接点がないうえに自身からは会話を試みた事がなかった。


「ちょっと言語という壁が――」


ふと隣にずっと立ち並んでいる住宅地のブロックべいに視線を移しながら言葉を続けようとしたが後輩にぴしゃりと返される。


「同じ日本人ですよ。一応」


「改めて聞けば雰囲気で何となく伝わりそうではあるけど、かえって意味が伝わりづらいって何……独自言語?」


「えぇ本当、慣れるまで小一時間掛かりましたよ……」


それで使いこなせるまで至るのだから彼女もまたJK族なのだろう、と脳内で意味不明な分類カテゴライズをしていた。


「まぁ、とりあえ……、とりま、ギャルたちってちょっと独自の生態系で育った子たちだから話しかけづらいんだよな。常にグループで行動しているし」


 ――なんで言い直したんだろう、と枝島冬華が疑問の声を出そうと思ったがそれ以上に気になる点があったのでそちらを優先させる。


「先輩? 思えば先輩が他人へ声を掛ける事なんてあるんです?」


「言葉に物凄いとげと悪意を感じるのだが気のせいですかね?」


「ハッ――、いつの間にか先輩の趣味が変わった……!?」


足を止めて、急に青ざめる後輩に颯汰は怪訝けげんそうな顔をする。


「枝島さん?」


「そんな……てっきり…………」


ぶつぶつと勝手に一人の世界へ入って行った後輩を眺めていた颯汰であるが、五秒弱経ってからそっとしておいた方がいいなと断じて、静かに先行し始めた。このまま自然に別れるならばそれでいいと思ってだ。しかし、そのおよそ二秒後に、


「先輩! ダメです! 現実のギャルは創作フィクションのそれとは違います!! あわい夢を期待して痛い目を見る前に、帰ってきてください!!」


「なかなかドギツイ毒を吐いてくれるなぁ! おい!」


いきなり走って後輩は先輩の肩を掴んで訴えかける。

 この広い空の下で、何万分の一の割合くらいの極少数でいるかも知れないじゃないか、と思ったがそれを口にするとまた会話がこじれてしまうのでやめたのは賢明な判断だろう。

 もう片方の片にまで手を伸ばし、背後から思い切りガタガタと前後に揺らしてくる後輩に制止を促す。


「落ち着け! 何か誤解してるようだがそういうのじゃない! 言葉のあやだ! それにただクラスが一緒なら色々話し掛けなきゃいけない機会が嫌でも来るだろう!? 委員会とか提出物関連でさ!」


何故、浮気うわき釈明しゃくめいしているような空気になっているのだ、と誰かにうったえたい衝動に駆られるが颯汰はそれをぐっと飲み込んだ。

 訴えが通じたのか後輩は止まる。


「そうですかね? 私のクラスで、嫌われているのかある男子からは一切話し掛けられませんよ?」


「……意外だな、それを話す事自体もそうだけど」


あまり深刻そうな顔色でもなく言葉も明るいままではあるが、なかなかの闇が垣間かいま見える。


「去年、告白してきた子なんですけど――」


「――気まずいだけだそれは」


「む……。それでもいくら何でも引きずりすぎではありませんか?」


私からは話し掛けますけど、と続けた枝島冬華に、颯汰はやめて差し上げろと注意をする。


「男のハートはプレパラートのカバーガラスよりもろいんだよ」


「それ理科室に置いてある顕微鏡に使うものじゃないですか……大体一辺一センチの正方形で、厚さ一ミリも満たない薄さの」


スライドガラスとカバーガラスで観察対象を挟めたものをプレパラートと呼ぶ。

 カバーガラスは非常に脆くて割れやすいものだ。


「理科の授業で使われる度に、誰かが調節ねじの操作を誤ってしまい対物レンズさんに押し潰されて粉々にされる……。男のメンタルそれくらい繊細せんさいなんだ」


顕微鏡ほんたいは無駄に重くて頑丈そうなのに! それ心が弱いどころではないです……! あ、でも断りましたけどその時は、全然ショックを受けた様子は――」


「――甘い。気にしていない様な強がりをしてしまうのも男なんだ」


「えぇ……。何ですかそれ? 男って、すっごく! 面倒くさいですねぇ……」


「そんなもんだよ。男女で考えも感性も違うんだから――」


しばらく、このような他愛のない会話を続けながら道なりに歩いていたが、それも終わりを告げる。

 およそ二メートル、十字路の手前で立花颯汰は歩みを止める。それに合わせて後輩女子も静止した。

 十字路を右に曲がり、細くなった道を道なりに進み、古びた郵便局の路地を通れば立花颯汰の自宅へ帰る際に使う道に合流できる。


「あ、俺の家は右だけど枝島は直進か?」


直進はマンションが立ち並ぶ住宅団地が広がっている。中にはかなり古い建物もあるが、基本的に改築や新造したものばかりのものが立ち並んでいる。新しいマンションはセキュリティも万全でオートロックなどは標準装備しているうえに外観も洒落しゃれていてセンスも良い。しかし街自体に魅力は薄いくせに家賃が少し高い。従って余程の金持ちか田舎に変な憧れを抱いた変わり者くらいしか入居していないはずである。

 ちなみに左の道は町の墓所とまで呼ばれている旧市街地である。枝島冬華後輩は中学時代に引っ越してきた隠れお嬢様(主に明るさと気安さから忘れがちになるが薬品会社のご令嬢)なので、そこに用事があるとは思えない。まず第一に、旧市街に住んで通うという発想に至らないほど、あそこは無法地帯と化していると言ってもいい。

 街の中心で行われた新都心計画によって生み出されたビルが立ち並ぶ一方、取り残された町の残滓ざんしたる旧市街地は寂れ、かつては栄えた場所が見る影もなく、並んだ商店は年中シャッターが閉じる有様となっていた。

 商店の景気と治安の悪化により住民が次々と去っていった為、旧市街地では素行の宜しくない若者や大人が集まるには格好の場所となってしまった。

 颯汰も幼い頃こそは旧市街地方面やその奥にある自然公園、旧い洋館の前などに訪れた事はあったものの、治安が悪化の一途を辿ってからは訪れた事はない。


「あ……はい。私の家の方角はそうですよー? 今度着ます? 休み中に遊んじゃいます?」


立ち止まっては何故か少し伏せ気味だった枝島冬華は顔を上げて普段通りの明るい笑顔で答えた。別れをしむ、自分の気持ちを悟られないようにしていたのだろうか。


生憎あいにく、これでも多忙の身なんだ。お受験も控えているからな」


「それを言われると弱っちゃいますね……うちの高校、腐っても進学校ですから」


さっき気まぐれで歩いていたと言ったのを枝島冬華は忘れてはいなかったので少しだけムッとしながらもそう応えた。

 実際のところ、颯汰は将来とか高校卒業後のビジョンがはっきりとていなかった。やりたい事も曖昧であり、自身の才覚が何なのか分からない。好きなものを仕事にできるほどのスキルも、それが本当に好きだと言い切れる自信も持ってはいなかった。

 勉強をする事、進学する事で見えてくるモノと選択肢が増えるのは事実であるが、そうは言われても目標がないまま勉学にいそしむほど、立花颯汰は出来た人間ではなかった。

 将来の展望よりも今はもっと気がかりな事柄があるのも要因の一つだろうが、それは本人は自覚していないし、それを理由に集中できないと知ればが悲しむのは間違いない。

 自分から嘘を吐いておいて、少なからず感じ始めた罪悪感から颯汰は無意識に頭を掻いた。どう言葉を掛ければ良いのか考えあぐねていた時、


「ってあぁ!! もうこんな時間じゃないですか!? 早く帰って夕飯の支度しないと~……! すいません! それじゃあ、先輩!」


ふと枝島冬華は自身のポケットからスマートフォンを取り出して現在時刻を確かめる。そして慌てて話したてると、名残惜しさを押し潰しながら後ろを――颯汰の方を向いたまま片手で買い物袋を持ち残りの手を振って小走りで進み出した。

 買い物袋の中に卵でも入っているのだろう。急ぎ気味ではあるが足取りは慎重であった。


「また今度会いましょうね~」


颯汰はそれに応えて軽く手を振った。すると後輩は笑顔のまま振り返っては加速する。颯汰は少し呆れ交じりであるが、込み上げた笑いで鼻を鳴らした。

 

 生暖かい風が頬を撫で、草木を揺らす。

 直後に、颯汰に圧し掛かるような重い気配を感じてはその瞳に映る光景に目を見張った。


 眼前の後輩は既に背を向いて小走りしていた。十字路の前――その距離はもう五十センチも満たない。

 常人が見れば何もない、車が一台だけは通れるくらいの狭い路地。

 だが――、立花颯汰の目には異なって映る。

 目の前の十字路の横一直線に黒いもや瘴気しょうきゆららめいている。

 紛れもない、先ほど道を変える前に見たものと同じだが量と規模きぼが大いにことなる。魂が警告する。このまま進めば最悪の事態になると。

 混乱するより先に身体は動き出していた。制止するように避けびながら、颯汰は手荷物を投げ捨て、コンクリートを蹴っていた。


 まるで時がゆっくりと進むような感覚――。早く。間に合え。走れ。走れ。あせりがつのる。衝動だけが、身体を突き動かしていた。

 右手を伸ばす。届け。届け。

 異常に気付いた少女は左を向く。左から飛び出してくる――制限速度を遥かに超過して突き進む自動車が視界に収まった。窓ガラスの角度から表情は見えないが、男であると脳で理解する前に悲鳴が周囲に木霊した。

 速度は落ちない。無理もない。ブロック塀のせいで反応が遅れたのだ。そもそも狭い路地を超スピードで駆け抜けるのが正気の沙汰ではない。十字路に設置してあるカーブミラーを確認していないのも問題だ。それを責めても現実は変えられない。

 間に合え。

 間に合え。

 枝島冬華まで、あと、数歩。

 

「――!?」


 あと数センチ、後輩の衣服に触れれば、そのまま引き寄せれば間に合う。だが、さらに異様な情景に、立花颯汰の目が奪われる。

 

 右手が、欠けていた。

 肉が欠けていた。

 骨が欠けていた。

 指先が一部ない。

 黒ずんでいる。

 感覚もない。

 何か別の場所にはする。

 ただ、その代わりにあるものが生じる――青白い炎だった。

 

 指先から侵食するように黒ずんいく肌を追うように炎が包み出す。青い光が視界をめ尽くす。理解不能な現象に声を出したはずなのに何も聞こえない。

 世界は音を無くしていた。

 右手から飲まれ、ついに全身を包んだ。


 ――ダメだ、手を伸ばさないと! 届け、届け!!

 

 それでも、前に進もうとした。

 救わなければ。

 救わなければ。“自分が救われない”。

 身体の自由だけではなく、魂の自由さえ奪われていく感覚に対する恐怖よりも、目の前の命を救えない後悔の方を立花颯汰は恐れていた。

 懸命に叫ぼうと、抗おうとした。だが、意識は急速にが闇の底へ引きずり込まれていく。

 何かに捕まれているような感覚が走り、身体の中から生じたそれが下へと引っ張っていく。


「…………――――」


大切な人の姿を幻視する。病室で眠る大切な人の姿。救えなかった大切な存在を。

 焼き尽されて何も残らなくなった眼窩がんかには映る筈がないものであった。

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