Regalia of DESIRE ~転生魔王大戦~
桐嶋 湊
第1話 異界の伝説
復讐は意味がないとヒトはよく言う。
何も生まないから、虚しいから、そこに費やすだけ無駄である。前を向いて生きるべきだ、などと耳障りの良い綺麗事を並べて。
確かに、何も生まないかもしれない。
終われば胸に残るのは虚無感だろう。
過去に縛られても、時間は戻せない。
欠けたカケラは二度と戻らない。
零れ落ちた物は二度と掬えない。
それは揺るがない事実であろう。
だが中には、そういった生き方しか選べない者――復讐を成し遂げなければ新たに前へ進めない者がいる事を忘れてはならない……。
およそ五百年前、とある国が一夜に焦土と化した。
城壁は焼け、石畳は燃え、国が滅びた。
――その炎の根源にあるものは深い
救おうとしたはずの世界からの裏切り――。
否、最愛の妻の死がきっかけで、彼は“魔王”へ堕ちてしまったのだ。
全てを憎悪する
広場は一人の怨恨で赤々と、燃え上がった。
彼がいた断頭台から紅い炎が立ち昇る。
執行者が肉を捨て去り、骨も焦げて朽ちていく。
崩れた断頭台の残骸の中――黒い灰にも似た塊に向かって、教会の聖騎士たちが剣身が分厚く、装飾が施された剣を次々と突き刺していく。
刺さった感触は、確かにあった。
死刑執行前は間違いなく生身であったはずだ。
纏う紅黒い甲冑姿。その奥の肉の感触――。
刃はボロボロと脆く炭化した装甲を貫いていた。
だが、“魔王”に凶刃が届くことはない。
騎士たちが高温に驚き、剣から手を離す。
灼熱が柄に伝わり咄嗟に手を離したのだが、切っ先から真っ黒に炭となって崩れていくのが見えた。
そこへ、ゆっくりと立ち上がった“魔王”。
兜の奥で、全てを
“魔王”は大きく左右へと両手を広げる。
すると、手のひらを中心として紅い魔方陣が展開され、そこから爆炎が噴き出したのであった。
意思があるように踊りだす炎に呑まれ、人々は死に絶える。“彼女”の死を嗤う者、自身の処刑を愉しむ者を、容赦なく殺していく。
これは、報いだ――。
床に突き刺すように右拳を埋め、持ち上げると何かが出現する。立ち昇る火炎――その中から一振りの剣が現れたのだ。
魔王の力か、あるいは持ち主の感情にあわせてか――星の輝きを宿した剣が変異する。
ヒトの身の丈を優に超える巨剣を、軽々しく肩に乗せ、災厄が
悪魔と叫び、襲ってくるかつての同胞たちを、次々と切り裂いて
鎧ごと断ち切られ、鉄は紅く色付く。逃げ惑う者も容赦なく、その感情を乗せた刃に伏せられる。
都はあっという間に紅に染まる。
酸鼻たる地獄と化した広場。
焦げた骸が辺り一面に転がる。
そこに、貴族も奴隷も、人種も関係ない。
あるのは“死”だけであった。
“魔王”は哂う。
その足で踏みしめる石畳が焼けこげる。
目指すは、教会。求めるは大主教の首。
殺せ。殺せ。殺せ――。
昂る感情が抑え込んでいた力を振るう。
目抜き通りを邁進し、立ち塞がる敵を一振りで両断していく。もう誰にも止められない。
放たれる矢の雨をも大剣を振り回して防がれ、聖盾を並べ
瞬きをする間に一人、また一人と倒れていく。
街は、怒声と悲鳴が飛び交って燃える。
風よりも速く、計算尽くされた綺麗な都市部を縫うように紅い光が死を運ぶ。
魔王は壁を走り、窓から狙撃を行う敵を切り殺し一気に屋根まで飛び乗った。着地と同時に走り出し、教会目掛けて駆ける。邪魔するものは業火に沈む。
聖騎士たちを炎で薙ぎ払い、閉ざされた教会の門を蹴破られる。魔王にかんぬきなど意味を持たない。
涙ぐみ何かを叫ぶ初老の男。
小奇麗な白い服に派手過ぎない金の線と刺繍――目的の男が首から下げた十字架に触れる。
魔王はその男の胸倉を掴み、持ち上げた。
命乞いをしようが関係ない。
失ったモノはもう取り戻せないのだから。
悪魔が嗤う。
熱が大主教の喉を潰し、
漂う虚無感。
それは刹那の安寧であった。
一人殺す度に、灼けた心が一瞬だけ鎮まる。
だけど壊したガラスの器から飛び出すのは油。
浴びる度に再燃……いやもっと燃え
怒りは尽きず、殺意は
一瞬の快楽のために敵を殺し、すぐに憎悪が肉体を支配する。この連鎖は終わらない。
全てを殺し尽くすまでは――。
叫びと劫火が、教会を中心として木霊する。
すると、教会があった土地は白いドーム状の光に包まれる――爆ぜたのだ。
爆風が燃え盛る街の炎を揺らし、駆け巡る。
一瞬の静寂は民に安堵を与えたが、都中にさらなる異変が起き始めた。
大地から噴出する火柱は
彼の慟哭に呼応して、炎の激しさは増していく。
数刻もしない内に、全ては炎に呑まれた。
闇夜にも関わらず、ごうごうと燃える炎が地の果てまで照らしたという。その炎の明かりに照らされ、人々の目に映ったのは逃げ場がないという現実と絶望であろう。国を守るための騎士はもういない。何も知らない民はただ逃げ惑うしかない。救いの手が差し伸べられることはなかった。
国を、世界を救う筈の勇者は処刑されたのだ。
救うべき国に、世界に――。
彼の最愛の妻が望んだ平和な世界は、種族の
手と手を取り合って、お互いが理解し合う。それができないのだから、その
……彼がそこまで考えて国を滅ぼしたかはわからない。ただ、荒れ狂う生きた災害は国を傷つけるどころか滅亡まで追い込んだのは事実である。
国の中心にいる器の小さい差別主義者と、欲深な小心者たちは、骨まで黒く焼け焦げては塵も残らず消え去った。
降りかかる災いから奇跡的に生き延びた民は、お互いが手を取り合って生きる道を選んだ。
……選ぶしかなかったという方が妥当であるが。
たった一夜にして国が焼け落ちた。その衝撃は世界を駆け巡る。だが、強大な力を持つ“他の魔王”たちは歯牙にも掛けない様子でいた。
ある者は無知であるゆえに――。
ある者は有能であるゆえに――。
ある者は知っているからこそ――。
異世界から転生してきた彼ら“魔王”にとって、他人の国なぞどうでも良かったのだ。
強いて言えば、敵対するこの世界の守護者たる勇者一人と人間が大勢滅びた事に、少しだけ喜ばしいと思う程度であった。
国を焼いた炎は三日三晩、勢いは衰えず燃え続けたという。
しかし、四日目に振り出した雨とともに静かに息を引き取るように消えて、彼は深い眠りについた。
――その身は次元の彼方、那由多の星の海へと沈んだという。
それが幾つもある彼の“魔王”の伝承の一つ。
それが真実かどうかは定かではない。
だけど、その鼓動はまだ、止まない。
殺せ。殺せ。殺せ――。
殺せ。殺せ。殺せ――。
鳴り止まない。
殺せ。殺せ。殺せ――。
狂気が万象を死色を染めんとする。
殺せ。殺せ。殺せ――。
黙れ。
殺せ。殺せ。殺せ――。
うるさい。だまれ。だまれ。
殺せ。殺せ。殺せ――。
やめろ。やめろ。やめろ!
暗闇の中、血に濡れたような紅い鎧を身に纏う騎士が静かに面を上げる。カツンカツンと鉄靴を鳴らし、無明の世界を進む。
真っすぐと、『こちら』を見据えて。
何十、何百もの人を斬り殺し、あまつさえ石材で造られた都を燃やし尽くした――殺人鬼なんて言葉では生温い。大量虐殺者が近づいてくる。
顔を包む兜のせいで表情が読み取れない。
いや、その鎧事、めきめきと音を立てて形を変えていくではないか。両手足も大きくなり、指先は鋭い悪魔の爪を思わせる。背中のマントは翼に転じた。
兜の口の部分が大きく開くと牙が露出し、目は赤く妖しく光り始め、獲物を捉えて細める。
逃げ出そうにもその瞳を見た時からか、恐れのせいか何らかの魔力か身体の自由が利かない。
カツン、カツンと一歩一歩踏みしめて近づく音。
目的が、わからない。
でも離れないといけない、と心が叫んでいる。
殺される。
状況的に、そう知覚するしかなかった。
嫌だ。嫌だ……!
どんどん音が近づくに連れ、心臓の鼓動が強く早くなる。耳障りなほどに、高鳴る。
目を閉じて逃げる事も出来ない。
情景が網膜に焼き付いているのではなく、不思議と瞼が下りない。
いやだ。死にたく、ない。
悪魔は同じ言葉を繰り返しながら、近づく。
本能が根源的恐怖に気づき、心を追い詰める。
そして、その紅い殺戮王だけが視界に収まった瞬間――、感情が決壊する。
「うわあぁぁあああああああああッ!?」
「どっひゃああ!?」
自身の悲鳴の後、中年の情けない悲鳴が続いた。
何事かと急いで状況を理解しようと努める前に、「くすくす」と小さな笑いが周りから起き、
「ハハハ、あっはははは!」
堪え切れずにあっという間に爆笑の渦の中にいた。
悲鳴を上げて立ち上がった男が、周囲を見渡す。
そこは、教室――自分が通う高等学校のクラスルームであった。黒板には英語の板書。顔を下ろしてノートに書かれている文字は金釘流とも呼べるくらいに徐々に崩れ出し、睡魔に負けた事を物語っている。
情けない悲鳴を上げた中年の教師は、打ち付けた腰を摩りながら立ち上がる。
「先生の授業、つまらなかったかネ?」
ズレた眼鏡を掛け直しながら、睡魔に負けた生徒に手に持ったチョークで
「いえ、あの……。すいません」
まだ、嘲る大笑いが教室中を埋め尽くしている。
咄嗟に取った教科書で恥ずかしさに紅潮した頬を隠しながら、腰を下ろして自身の席に着く。
今の謝罪は迷惑をかけた事などについてなのだが、どうやら質問に対する答えだと教師は受け止めてしまったらしく、白髪交じりのこめかみをひくつかせながら、懸命に怒りを抑えた声音で言う。
「よろしい。立花クン。夏休み、君の提出する課題は少しばかり増えるが、よろしいネ?」
「うっ、…………はい」
真ん中の座席で
「いいですかネ! もうすぐ夏休みに入りますが、今から受験勉強に勤しむ生徒もいます! きちんと真面目に授業を受け、――」
未だ笑いが起こっている教室に一喝を入れる教師。
立花颯汰の耳にはその言葉が入っては流れていく。
――……最悪だ
心内で呟く。
課題が増えるという罰も勿論、嫌であるが、それ以上に普段やらない居眠りをして、それも悪い意味で目立った事が何よりも嫌なのであった。
――何だったんだあの夢…………あれ? どんな夢だったかな……?
追憶に耽ようとするも、何かとてつもなく怖い目にあった事は確かであるが、その内容が思い出せない。悲鳴を上げるほどだ。相当怖かったのだろうとは理解できたが同時に、
――情けない悲鳴を全員に聞かれたわけか……
さらに気が落ちてしまった。
奇異の視線が刺さって痛い中、そっと視線を正面の黒板の右斜め上に設置された時計を見やる。
授業が終わるまであと十分もない。
――終わったと同時に
悪態を押し隠し、後悔だけは目と眉に表しながら、せっせと板書をノートに書き写す作業を始める。
だいぶ遅れているどころか、途中部分が既に消されているため、余分にぺースを開けてから書き写し始める。どうにか後できちんと本日の授業内容を全部書き写したノート調達してなければ、提出時にまた何か余計な課題をやらされるに違いないと気分が重くなる。
正直、板書を写しただけのノートに一体何の意味があるのだろうか
授業の終わりを告げる録音されたチャイムの音が鳴り始める前に終えるだろうか。
――復讐も、こんな写し書きもなんも意味がない……。? ふく、しゅう? 復習? 予習復習は大事だ……ん?
突如頭に浮かぶキーワードに疑問符を浮かべた直後、教師の鋭い眼光に当てられ大慌てで作業に戻る。ゾクリとしたのは視線のせいか、それとも何か夢であったのか颯汰自身わからない。
ただやはり何も考えず、本質を忘れて盲目的に囚われての行動では意味などないのではないかという思い、あるいは叛逆の意志がムクムクと湧き立つ。
――やっぱ、何の意味もないよ。こんな事も
嘆息を吐いて睨まれながらも必死にペンを走らせた。
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