第15話ちょっと吠えてもいいですか?

意識が鮮明になる前に、真っ先に手足の感覚が頭に伝わってきた。

靴じゃない! 靴じゃなかった! 靴じゃなかったよ!


これまで生きてきた中で、これほど手足の感覚に感謝したことは無かった。

この喜びはもう叫ばずにはいられない。


「あおーん!」

ん? あおん?


んん?

んんー!?


「わぉん!」

なんだこれ? この手には見覚えがある。いや、これは前足というやつだ。


なんだこれ? ひょっとして? ひょっとする?


混乱する頭の中に、なぜか聞き覚えのある声と臭いが入り乱れてやってきた。目の前の暗がりからゆっくりと、そいつが姿を現した。


「わう! わふ! わぅぅぅぉ?」

言葉としては、何を言ってるかさっぱりわからない。


でも、尻尾の動き、漂ってくるかすかな臭いの変化、声の出し方で何となくわかってきた。

さっきのは、『よう! 兄弟! なにしてんだ?』って言っていた。


目の前にいるのは、骨と皮のみすぼらしい犬。

毛並みもぼさぼさ、首輪もない。いわゆる野良犬の類だろう。

そんなのに、兄弟と言われた……。


っていうか、犬の言葉がわかる!? これは、犬の気持ちがわかるどころの騒ぎじゃない。


水たまりに顔を近づけて、覗き見たその顔は、目の前の犬と全く同じ毛並みの犬だった。


「わぉーん! ううぅぅおぉぉ!」

ちくしょう! 今回は野良犬かよ! なんでこう、人間じゃない・・・・・・ものにさせたがる?

いや、靴よりはましだよ? 靴よりはさ……。


「わふ! うぅーうぉーん?」

えー何々? 『兄弟! いまさら何言ってんだ?』ってか?

まあ、それもそうか……。この犬にとっては、僕は元からこうだった。


「わふ! うううわんわん!」

とりあえず、冗談だということにしておこう。まずは状況整理をしなくてはならない。のっけから焦ってしまったけど、もうこの物語は進んでいるんだ。


これはマッチ売りの少女の物語だ。

そこはちゃんと覚えておこう。でないと忘れそうになる。


野良犬の僕は、マッチ売りの少女とは全く接点がない存在だ。


いや……。靴を銜えて逃げてたっけ……。

ほんの少しだけ、かかわりがあった。でも、他の話なら登場さえしない微妙な存在だったな。


とりあえず、現状認識だ。

今は朝ということがわかる。


問題は、今日が何日なのかだ。


マッチ売りの少女が、マッチを売るのが大晦日。

そして、その日にそのまま亡くなってしまう。

それまでに、マッチ売りの少女にマッチを売らせないとダメだ。


そして、もう一つ把握しておかなければならない事。それは、葛西が何になっているかだ……。


これは、二人同時介入設定ペアダイブ


どちらかだけでは評価にならない。僕の方を進めるだけでなく、葛西のストーリーもハッピーエンドにしなければならない。

すなわち、協調性が試されている。ただ、相手の立場が分からないから厄介だ。

今回は殺伐としてないけど、敵か味方かわからない状態の物語だってある。


いわゆる、Win-Winな関係を模索しなければならないというのが、二人同時介入設定ペアダイブの隠された趣旨だと言うのは知っている。


でも、葛西は一体何になったんだろう?


女神ちゃんは、葛西が行動指標に迷ってたと言っていた。それは、迷う人物だったってことだ。

そして、おやっさんは葛西が女だと言っていた。


女だとすると、順当に行くとマッチ売りの少女だ。

そして浮浪児、そして幸せな家庭の少女のいずれかだろう。


でも、その三人で行動指標を迷うか?


マッチ売りの少女なら、迷うはずがない。

ハッピーエンドに向けて、ただひたすらに進めばいい。


とにかく、売る。それ以外に行動設定する必要がない。僕が何になったとしても、それを目指せばいいだけだ。


売れば、少なくとも家に帰れる。

家に帰れれば、年を越せる。

それでこの物語は完了だろう。


だとすると、行動指標を迷うわけがない。

この物語では、迷うことなく進める唯一の人物。それが、主人公であるマッチ売りの少女だ。

目標設定と行動が、そのまま物語の進むべき方向を向いている。


まあ、強いて言うなら……。

二人同時介入設定ペアダイブであることを考えると、自分から行動するか、僕の行動にすべてを任せるかだろうな……。


いや、いや。それはない。絶対にない……。

そんなことをしても、葛西には何のメリットもない。

何もしないと言うのは、葛西のランク低下になりかねない。

もし、そんなことしたなら、絶対説教してやろう。


葛西はマッチ売りの少女ではない。とりあえずそれは確定だ。


なら、いったいなんだ?


女神ちゃんは、葛西が迷ってたと言っていた。それはたぶんヒントだろう。

そう信じたい……。


あと、考えれるのは、浮浪児か……。


浮浪児が靴を取らなかったら、少なくともマッチ売りの少女は裸足のまま歩き続けることは無かったのだろう。


マッチ売りの少女が、マッチを売れなかった原因の一つ。

それは、みすぼらしさだ。それが少しはましになる。


だったら、行動指標は極めて単純だ。


取らずに返す。


ただそれだけでいい。迷う必要なんてないじゃないか。

『ハンカチ落ちてましたよ』の要領で、お近づきになればいい。

取るかとらないかで迷うのなら、取らなければいいだけだ。


だから、浮浪児でもないな……。


残りは、幸せな家庭の少女か……。


これは接点がなさ過ぎて、行動指標が立てにくい。

でも、マッチ売りの少女を確実に幸せにできる手段を持っている。


マッチを買う事が出来る。もしくは、親におねだりすればいい。どのようにおねだりすると効果的かという設定で、『イージーモード』にあったという話しは聞いたことがある。あれはたしか、小学生のころだ。


この、『ハードモード』でランクAの葛西がそこになるとは考えにくい。


何だ? いったい葛西は何になった?


よく思い出せ。何かヒントがあるはずだ。


そう言えば、おやっさんは女の子とは言わなかった……。


ランクAの葛西が、『ハードモード』で人である可能性は低い。

犬は僕がなっている。ていうか、犬はオスだったんだ。

となると、性別に関係するような人以外の物……。


女神ちゃんの説明の中で出てきた物……。


…………!?


靴だ!


女物の靴だ! 葛西が『ハードモード』で演じるのは、女物の靴に違いない!

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