第24話 鈴の音の彼女

 小さい頃、たくさんの神様も妖かしもいて、それが人なのか、どうなのか、分からない時期がずっとあって。


 人だと思っていた相手が実はヒトじゃなかった、なんてこともしょっちゅうだったっけ。

 それでも、変なものに手を引かれて、行ってはいけないところに連れて行かれずに済んだのは、ぬえ白澤はくたくがいつも傍にいてくれたから。


 「そっちは、だめですよ。真備まきびさま」


 そう言って、引き止めてくれた存在が居たからだ。



「……君」


 声をかけた俺に、太地たいちの背に隠れるヒトの肩が揺れる。

 リン、と小さく響いた鈴の音に、「やっぱり」と呟けば、彼女が恐る恐るこっちを見た。


「あの夜、境内に居た……よな?」


 確信に近い問いかけをすれば、彼女が太地の背後から少しだけ身体を動かす。

 こくん、と首を縦に動かした彼女の髪につけている鈴が、小さな音をこぼす。


「……あの……真備さま……」

「……俺の名前、知ってるの?」

「はい。あの、その……」


 俺の名前を呼んだあと、彼女の視線が地面と俺とを行き来する。

 なんだろう。

 初めて会った気がしないというか。

 あ、いや。確かに初めてじゃないんだけど……なんというか……よく知っているような気がするというか。

 ええと、と口ごもる彼女を見ながら首をかしげていれば、「鈴彦姫」と鵺が彼女に向かって声をかけている。


「……鵺さま……」

「坊っちゃんに触れてみたらいいんじゃないですか?」

「ふ、触れ?!」

「え? は?」

「大丈夫ですって、消えてなくなったりなんてしませんから」

「いや待って、何で? 俺にさわる? はい?」


 意味が分からない。

 なんで唐突にそんな話に。


 突然よく分からないことを言い出した鵺を、ぐりんっ、と首を動かしながら見上げれば、「大丈夫です、って」と鵺は笑う。


「誰も怪我なんてしませんって」

「いや、そうじゃなくて、いや、誰かが痛いのも嫌だけどさあ?!」


 ねえ何言ってんの?! と詰め寄るものの、「はいはい、話はあとで」と鵺の両手が俺の頭をぐい、と掴む。


「真備さま」

「え、あ、はい?!」


 思っていた以上に声が近くに感じて、びく、と肩が動くものの、鵺に頭を固定されていて動くに動けずにいて。


「……お久しぶりでございます」

「……えっと……?」


 にこり、と可愛いらしい笑顔を浮かべた彼女が、俺のすぐ目の前に立つ。


「手に、触れてもよろしいですか?」

「え、あ、はい」


 おず、と様子を伺うように言った彼女の視線に、思わず頷けば、彼女の指先が流れるように俺の手に触れる。


 小さな手に、細い指先。

 ひやりとして、冷たい。

 そう思った瞬間に、『真備さま』と幼い頃に、よく聞こえていたヒトの声を思い出す。

 その感覚に、指先からパッと彼女へと視線を戻せば、その瞳に見覚えがある。


 そうだ。彼女は。


「……すず」

「っ!!」


 きゅ、と彼女の指先を握りながら名前を呼べば、彼女の瞳の色が、変わっていく。


「……真備さま、いま、名を」

「……ごめん。ずっと、何でかな。ずっと、忘れてた」


 何でか、分からない。

 ずっと、ずっと忘れていた。あの頃は、毎日のように、姿を、声を聞いていたはずなのに。


「……ごめん、すず」


 ぎゅっと彼女の小さな手を握れば、オレンジと黄色のグラデーションになった瞳が、「いいえ」と泣きそうな顔をしながら笑う。


「なあ真備」

「……太地?」

「話の続き、お前んちでしない?」

「俺んち?」

「そ」

「別にいいけど……っていうか太地、おまえ、何でそんな」

「……真備」

「な」


 なに、と言葉を続けようと口を開いていたものの、見たことのない太地の表情に、言葉がつまる。


 なあ太地。

 なんでそんな顔してるんだよ。


 なあ、なんで、

 そんな今にも泣きだしそうな顔をしてるんだよ。


 そんな疑問も、問いかけたい衝動も、「じゃあ、時間も惜しいですし」と聞こえた鵺の声と風に、一時停止をせざるを得なかった。



「さて、と」

「……離せ」

「いや待って。なんで、この短時間に増えてるんだよ」

「え? いちおう必要かと思いまして。一応」

「おいぬえ、貴様」

「なんです?」

「……ええと……?」

「貴方たちも懲りないですねぇ」


 太地たいちとすず、それから俺と行きに使ったバイク共々、鵺の術で俺の家まで一瞬で帰宅をしたものの。

 ひとまず飲み物を貰ってくるから、と少しの間、席をはずして戻ってくれば、なぜだか部屋を出るついさっきまで居なかった桂岐かつらぎが、そこには居て。


 そして、何故だか桂岐と鵺が、むちゃくちゃ険悪な雰囲気を全力で醸し出している。

 その様子に、思わず入り口で立ち止まれば、一緒に来ていた白澤はくたくが呆れた声をこぼした。


「えっと……桂岐、いらっしゃい?」

「……ちっ」

「おや、そこの駄目犬。躾けてあげますから表に行きましょうか?」


 見るからに苛ついた表情をしている桂岐に、とりあえず挨拶をするものの、見事なまでの予想通りに、思い切り舌打ちをされる。

 そんな彼に、苦笑いを浮かべていれば、何故だか鵺がニコニコと笑いながら桂岐に声をかける。


「は? オレは犬じゃない。あんなのと一緒にするな」

「あんなの? おやおや、その『あんなの』にしょっちゅう負けていた貴方が言える台詞では無いでしょう?」

「いつの話をしているんだ貴様」

「ほんのちょっと前の、貴方がこーんな小さくて、貴方が今と違って、むっちゃくっちゃに可愛らしかった頃の話ですね」

「……軽く百年以上前の話だろうが」

「千年も経っていないのならば、ちょっと前の話でしょうに」


 一見するととても仲の悪い二人のやり取りに、思わず苦笑いを浮かべていれば、「二人は放っておいておやつにしましょうか、真備まきび様」と白澤が俺の背を軽くおす。


「え、いいの、あの二人。めちゃくちゃ仲悪そうだけど」


 白澤と、口喧嘩をしている二人を交互に見やれば、「いつものことです」と白澤はなれた様子で彼らを放置して部屋の中へと歩いていく。


 そんな二人を横目に見ながら、「なるほど」と呟いて白澤のあとを追いかければ、目があった太地が困ったように笑う。


「ごめん、お待たせ」

「いいよ。大丈夫」


 よいしょ、と腰をおろせば、太地がふう、と小さく息を吐く。


「なんだろうな。柄にもなく緊張してるわオレ」


 初月ういづきの前足をふにふにと触りながらそう言った太地に、「たぶん俺も」と告げれば、「まぢかー」と太地の間延びした声が返ってくる。


 太地の緊張が伝わってきたのか、俺自身もそうだったのかは分からないけど、俺と目があった太地が苦笑いを浮かべた。


「それにしても……やっぱり変な感じだな」

「……変?」


 変な感じってなんだ?

 太地の言った意味をつかみかねて、首をかしげる。


「どっちもオレの知ってる真備なのに、どっちも其処にいるのがさ」

「ああ、なる……ほど」


 俺を見たあと、視線は変わらないまま、違う者を視ている太地の視線に、俺はたぶん困った顔をしていたのだろう。


 そんな俺の手に、少しだけひやりとした感触があたる。


「白澤?」

「真備様は、真備様ですよ」


 それは、記憶の中にある懐かしい声のひとつ。


 「また、ヘンっていわれた」

 

 みえないものを見る度に、境い目が分からない度に周りに変だと言われ泣いていた俺を、いつも温かく迎えてくれたヒトの一人。


「だなっ」


 白澤の言葉に、にかっ、といつもの笑顔で太地は頷く。


 ふと、視線を感じて振り向いてみれば、鵺とともに戻ってきた桂岐が、やけに不機嫌そうな表情を浮かべていた。







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