第9話 金色の瞳 

「か、つらぎ」


 呼ばれた声に視線をあげ、目の合った彼の名前を呼ぼうにも、声が掠れて上手く出ない。


「保健室に行ったほうがいい」


 俺を見て少し目を細めた桂岐かつらぎの声はひやりと冷たい。


「そうだよ、真備まきび。保健室行こ」

「……ああ」


 鎌井かまい桂岐かつらぎ。二人の言葉に席を立ち上がるものの、立っているのに後ろに引き倒されるような感覚に襲われふらつきそうになる。とす、と誰かに背を支えられるものの、それが誰の手なのかを気にする余裕すらなく、ふらつく頭のまま教室をあとにした。



「……おい賀茂かも

「……な、に」


 ふらふらと廊下を歩いていると、ふいに横から桂岐かつらぎが俺の名前を呼ぶ。

 その声に横を見れば、どうやら桂岐が俺を支えてくれているらしく、そのまま彼を見やれば、桂岐の瞳が金色に光っている。


「きれーだな」


 その瞳、と呟いた俺を見て、桂岐が一瞬、泣きそうな表情を浮かべる。


「どっか、痛い?」

「……おまえ、は」


 変わらないんだな、と小さく聞こえた声に、「桂岐?」と彼の名前を呼べば、桂岐の身体がぴく、と微かに動く。


「どうした?」


 どこか、わからないけど、何処かが痛そうに見えた桂岐に伸ばした手は拒否されることなく、そのまま桂岐に届きそうだった時、「坊っちゃん!」と慌てた声と足音が前方から響く。


「……坊っちゃん……?」


 バタバタバタ、と足音を響かせて駆け寄ってきた、片目に包帯を巻いた同じ制服を着た男子高生が少し息をあげながら俺たちの前に立つ。


「大丈夫でやんすか!!」


 突然現れた男子高生に驚き、瞬きをすれば、確かに俺たちと同じ格好はしているものの、彼はどう見ても、人、ではない。


一つ目ひとつめ、何、してんの」


 彼は、れっきとした妖怪、一つ目ひとつめ。一つ目小僧とも呼ばれるが、我が家では一つ目と呼ばれ、少しおっちょこちょいな彼は皆に親しまれている。が、話はそこではない。

 なんで一つ目がここにいて、その上、制服まで着ているのか。

 桂岐に伸ばした手の行き場がなくなるほどに驚きながら一つ目を見やれば、「ち、違うでやんす!」と包帯を巻いた男子高生一つ目が目に見えてわたわたと慌てながら口を開く。


「お、お、お、おいらの名前は一つ目じゃないでやんす!」

「バレバレだ」

「……へ?」

「な?! ってあんた、むぐぅ!!」


 俺の問いかけに慌てて答えた一つ目に、ツッコミを入れたのは俺、ではなく隣に立つ桂岐かつらぎで、その様子に思わず桂岐を見やるものの、桂岐はそんなことは気にすることなく、一つ目の口を容赦なく押さえている。


「余計なことを話したら潰す」

「ヒッ?!」


 ギロ、と一つ目を睨みながら低い声で言った桂岐に一つ目は短い悲鳴をあげて少し低い背をピンッと伸ばした。


「今はとにかく保健室だ。行くぞ」

「え、あ、う、ん?!」


 一つ目から手を離し、俺を見た桂岐の言葉に頷きながら答えると同時に、妙な浮遊感を感じた次の瞬間、俺の視界が大きく変わる。


「ちょ、待って、俺歩け、」

「五月蝿い、そんなこと言っていたらいつまでも辿り着かない」

「いや、大丈夫! 大丈夫だから!」


 俺が必死になって声をあげるのも無理もない。

 何故なら俺は今、横抱きにされ持ち上げられている。

 桂岐に、俺が。

 男子高生が男子高生に、しかも同じ年に。


「マジで歩け、る……ッ」

「黙って運ばれろ」

「坊っちゃん、そんな顔色なんですから、無理しちゃあダメです」


 必死に声をあげたものの、未だ取れない強い目眩に声をつまらせた俺をキレイさっぱり無視して余裕の表情で歩き出した桂岐と、そんな俺を見て心配そうな表情をする一つ目。

 誰かに見られたら、などと心配もしたのだが、保健室にたどり着くまでに幸いなことに誰ともすれ違うことは無かった。



「遅い」

「……チッ」

「……ぬえ……?」

「鵺殿!」


 保健室の扉をあいた瞬間、ひやりとした空気とほんの少しの甘い香りが鼻先を掠める。

 まだ重たい頭のまま、瞼をあければ、ぴと、と慣れた感覚が頬にあたる。


「……なんでここに」

「なんで、って坊っちゃんが倒れたと聞いたからに決まっているでしょう」

「誰か、」


 ら、と聞こうとした言葉に、鵺は、ちらり、と視線だけをとても心配そうな表情を浮かべる男子高生一つ目ひとつめに向ける。

 一つ目か、と気にかけてくれて嬉しいような、そもそもここにいたことすら知らなかったことに対しての複雑な心境とか、なんだかぐるぐると色んなことが頭の中を回っていく。


「とりあえず坊っちゃんをベッドへ」

「言われなくても」

「……おや?」


 保健室に入るよう促した鵺の言葉に、桂岐かつらぎは俺を抱えたまま、奥の簡易ベッドのほうへとスタスタと歩いていく。

 何となく、鵺と桂岐の間に、何か壁のようなものを感じたような気もしたが今はそんなことを気にかける余裕なんてものは俺にはなくて、ゆっくりとベッドに下ろされた俺は、気を失うかのように、そのまま眠りへとついた。



 ぴちゃん、ぴちゃん、と水の音が聞こえる。

 あたり一面の足元は水が覆っていて、大小様々な波紋を作り出してはいるものの、水面が波打つ様は見受けられない。

 時折、ふわりと香っては消えゆく花の匂いに、どこか懐かしさを感じて周囲を振り返るものの、今いる場所は、どこまでも続きそうな真っ白な風景と足元の水以外には何も見あたらない。


 ここが何処なのか。

 この匂いが何処からくるものなのか。

 少しの間、考えてはみるものの、特に思い浮かばずに、とりあえず歩いてみるか、と歩を進めると前方から微かな歌声が聞こえてくる。


 懐かしい、と。

 何故かふと、その声を聞いて思った俺は気づけば夢中で前へ前へと走った。

 息があがりそうになり、走る速度を緩めた時、ふわり、とさきほどと同じ匂いが香る。


「この匂い、何処かで……っていうか、花、じゃない……のか?」


 花の匂いかと思ったが、違う気がする。

 花よりももっと瑞々しくて、もっと甘い。

 覚えのある匂いだが、それが何なのか、さっぱり思い出せない。


「……ほんと、そういう鈍いところも相変わらずなのね」

「うっわ?! びっ……くりした」


 ふいに、前方に現れた人の影と、聞こえた声に思わず肩を揺らせば、人影はくすくすと可笑しそうに笑い声をこぼす。


「って誰だ?!」


 反射的に身構えれば、「そんなところも相変わらずね」と前方の人影はどうやら女性のようで、彼女は呆れたような、けれど何処か嬉しそうな声を出す。


「……どこかで、会ったこと……」

「どうかしらね?」


 そう問いかけた俺に答えた声に、胸の中がざわつく。

 忘れてはいけない。

 思い出さねばいけない。


 そんな焦燥感のかられ、「あの!!」と彼女に声をかければ、「教えてなんか、あげないわ」とほんの少し拗ねたような声が返ってくる。


「それは……」


 どういう意味なのか、そう続けようとした言葉は、ぶわりと強く吹いた風に、彼女が姿を消したのせいで、続くことは、なかった。










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