第8話 大きな影と月
「結局、あの子が何だったのか分かんないままだし……」
ふと、前方から視線を感じた気がして、顔をあげれば、階段の踊り場の窓から、一人の男子高生がこっちを見ている。
じい、と見られた視線に、何かが見透かされているような気がして、思わず立ち止まれば、彼はふいと何事も無かったように窓際から姿を消した。
「あれは……確か……」
小中学校と同じ学校だったが、不思議と同じクラスなったことは無かった。
席も近く、何度か話しかけてみようかと思ったりもしたが、大体いつもそのタイミングで他の奴に声をかけられ、気がつくと彼は姿を消していた。
何故だかは分からないのだが、ここ最近、妙に
高校の入学式の時に、彼を見かけて以来、ずっとそう思っている。
「特に話したことも無いんだけどなぁ」
彼が同級生と話しているのを見聞きしたのも、ほんの数回だったはずだ。
それなのに、何でこんなに気になるのだろうか。
彼が立っていたであろう踊り場を見て首を傾げた時、リィン、と小さな鈴の音が聞こえ、バッと辺りを見まわすものの、変わったものも、何も無い。
気のせいか。
そう思い歩きだした時、ふと、校舎に黒く大きな染みが出来ているのが見える。
「……染みじゃないな……影か?」
よく見てみれば、染み、ではない。
少しずつ形の変化があるから影だろう。
そうは思ったが、……何だこれ、と屋上を見上げても、空を見上げても、校舎を覆うほど大きなものは見当たらない。
あと数歩、足を進めれば影を踏める。何故か、そんな気がして、歩きだした時、「ダメよ」と静かな、けれどハッキリとした声が背中にかかり、身体が止まる。
聞き覚えが、ある。
くるり、と振り返った先に、俺を見ている人物は、誰も、居ない。
「……あの声……」
小さく呟き立ち尽くした俺の横を、数人の生徒たちが通り過ぎた時、どこからか流れてきたほんの少し甘い花の香りがふわりと鼻先を霞めた。
「なぁ。
「……また?」
「頼むよぉぉ! 今日、絶対当てられる気がするんだよお!」
「この前も同じこと言ってなかったか……?」
「……言ったかも! でも、お願いっ!」
パン!と手を合わせて頼み込んでくるのは、前の席のクラスメイト、
小中学校は別だった鎌井とは、駅前の塾で顔見知りになり、今ではすっかり友人で、座席も前後、と何かと縁があるらしい。
「ったく。で、どこが分かんないの」
「ここなんだけどさ……!」
教科書を開いた鎌井の指が、不明点を指し示す。
「それは、ここがこうなるから」と自分のノートに書きながら数式を紐解いていれば、ふと、鎌井が、「んんん?」と首が折れそうなくらいに首を傾げる。
「え、まさかここも分からないとか言わないよな」
鎌井の様子に思わずそう問いかければ、「そこじゃないし!」と鎌井が首を戻しながら答える。
「いやさ、何か、毎回思うんだけどさあ?」
「うん?」
「
んんん、と眉間に皺をよせながら言う鎌井に、「気のせいじゃん?」と声をかけた時、ふと、鎌井越しに、こちらを向いていた
驚いた顔、をしている。
表情に大きな変化をあまり見たことのない桂岐が、目を見開き、パチリ、と瞬きをする。
珍しい。そう思った瞬間、ぐらり、と視界が揺らぐほどの目眩が襲ってくる。
「……っ」
座っているのに、倒れそうになった身体で机にしがみついた手が、誰かに握られた気がした。
(今の、は……)
目眩が襲ってきた瞬間、
何だ、今のは。
そう思うのと同時に、眩しい光を正面から受け、思わず腕で目を隠すものの、閃光のような明るさは一瞬だったようで、まぶた越しの明るさはそこまで感じられず、恐る恐る目を開ける。
「……なんで、月?」
眼前に迫るのは、いつも見上げるものよりも一回り以上大きな満月で、存在を主張するように、銀色に光輝いている。
「教室にいた、はずじゃ……」
きょろ、と周囲を見回しても、足元に草原が広がるだけで特に目印になるようなものも見つからない。
「微妙に光ってる」
両手のひらや、腕、足元を見れば、どうやら自分は、ほんの少しだけ光を帯びているらしい。
あの人の記憶、じゃないのか。
「けど、彼処でも無さそうだし。何処だ、ここ。そもそも、何でこの月はこんなに」
どうしてここまで大きいのか。
目の前の満月へと視線を動かした時、さっきまで誰も居なかったこの場所に、前方の月光の中に、一つのシルエットを見つける。
四足で歩き、尻尾が、長い。
耳が、少し立っているようにも見える。
妖狐か、とも思ったけれど、あれは狐のシルエットじゃない。
「何だ、あれ」
ポツリ、と俺が呟いたのと同時に、そのシルエットの持ち主が、スク、と立ち上がる。
「あれは、狼……?! っていうか……!」
マジかよ、と思わぬ正体に驚き、その場に固まる。
狼が、こっちをむいたのだ。
明らかに、目が合った。
「……逃げなきゃ、マズイんじゃ……」
狼からの視線が他にうつることなく、ひたすら自分に注がれているということが肌でジリジリと感じるほどにわかり、思わず後ずさる。
狼と戦う術なんて持ち合わせてないし!と一歩ずつゆっくりと後ろにさがりながら考えていれば、狼が急に俺から視線を外した。
「うああああああああああ!」
ビリビリビリビリ、と空気が震えるような大声が狼が放つ。
「なっ、なにが」
突然の大声に思わず身構えた瞬間、狼のシルエットが変わる。
「……人……?!」
四足ではない、明らかに、二本足で立っている。
つきでていた鼻もみるみるうちに無くなっていく。
「あれって……人狼……?」
力の安定していない人狼は、満月の最中に意図せずに狼から人に戻ることがあるのだ、と。
―― けれど、
「……めっちゃ危険、なんじゃなかったっけか……!!!」
獲物を狩るような鋭い眼光に、背中を舐めつけられたような錯覚に陥り、ぞわりと寒気が背中に走る。
「……お、まえ」
「……っ?!」
寒気にぶる、と身体を震わせたと同時に、低く掠れた声が辺りに響く。
あの、声は。
「……
いや、まさか。
でも、あの声は、桂岐の声だ。
何故だが分からないが、そう思った。
「なんで、桂岐が? いや、その前に、桂岐、さっき」
狼じゃなかったか。
何となく、それは口に出してはいけない気がして思わず口を噤めば、彼の瞳の光が少し薄くなった。
「なんで」
誰に聞くでもないこの疑問符の答えなんて、スグに出るわけがなく、ぐるぐると頭の中を回りだした疑問符を振り払うように、軽く頭を振った。
「
「……
「どした?」
ノートから顔をあげた
「っておい、真備、顔、真っ青!」
「へ?」
ピタ、と頬に当てられた鎌井の手が、温かい。
ふ、と教室にある時計を見ても、時間としては、一分も進んでいない。
「な……」
「真備?」
心配そうな表情で俺を見る鎌井に、大丈夫、と伝えようと口を開いた時、「
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