戦場の胡蝶蘭
@aoihurukawa
戦場の胡蝶蘭
俺は平和主義者だ。こんなご時世だからこそ、俺は平和主義者を貫いている。
今の世界情勢ははっきり言って最悪だ。ユーラシアとアフリカにおける二つの大きな戦争。科学技術の発展の行き詰まりは戦争における決定打を欠き、どの戦線でも泥沼の消耗戦に陥っている。
前線に直結する地方都市、重京には荒んだ空気が漂っている。後方に送られた死んだ目をした兵士。強姦魔の軍人、ふんぞり返る憲兵に、女薬酒なんでもござれの商売人。
俺はそんな人々でごった返す街路を歩いて行く。あいにく自分にはケツ持ちのマフィアも、自分を囲い込んでくれる軍組織もない。第一、俺は権限とか地位で威張り散らすのには向いていない。そんな自分のことを俺は自分をわきまえていると自賛する。
路地に入ったところにある、小さなバーに俺は足を踏み入れる。カウンター席が8席ほどしか無い小さなバーが、俺と今回の客との会合場所だった。待合の時間まで少しある。俺は時間を潰すためにバーテンにジントニックを注文し、暫し待つ。
待ち人はすぐにやってきた。いかにも軍人らしい丸刈りに実戦で鍛え上げた筋肉質の肉体を持った白人の大男。それにこの町では目立たない、くたびれた軍服。地位を主張するタイプではないが、実戦経験を積んでいる男を過小評価するのは馬鹿のすることだ。俺が軽く会釈すると男は俺の隣りに座った。白人男が青島ビールを注文。
「お前が李か?」
「そうだ。あんたが今回の依頼人だな?」
「ああ、米国軍人のデニスだ。よろしく」
白人男――デニスは右手を差し出してくる。米国人はとかく握手したがる。それは良い、文化の形は国それぞれだ。問題は右手で友好的に握手しながら腹の底で武器を隠し持っている場合だ。俺は嫌々右手を差し出し、握手を交わす。
「じゃあ、早速だが仕事の話に入ろう」
デニスは気を良くしたらしく腕を組んだ。
「運んでほしい荷物がある。輸送先は葵丁国際空港。明日中に運んでほしい」
「随分急な話だ。俺が了承しなかったらどうするつもりだったんだ?」
「あんたならどんなに急な仕事でも金さえ積めば受けると聞いてた」
俺は鼻で笑った。軍人に安く見られるとろくなことにならない。
「重量は?」
「1.5トン。あんたの使っているヘリなら十分運べるはずだ。それに――少し面倒な荷物がある」
白人男が眉間に皺を寄せた。嫌な予感だ。俺はその先を促した。
「孤児を一人、一緒に運んでほしい。細かいことは俺も知らない。見た目ではロシア人らしいが、情報は俺の上司からも聞いてない」
「……それはヘリで運ぶ必要があるほどの、重要なガキなのか?」
「それは私にもわからない。この仕事も、私があなたとのパイプがあるから依頼人をやっているだけでこの仕事はもっと上の者が出した仕事だ」
俺は舌打ちした。仕事にガキが絡むとろくなことにならない。
「もしそのガキが俺の仕事の邪魔になるようなら縛り上げて荷台に転がしておく。それでも良いなら受けよう」
「あなたにその権限はない。前金をもうあなたの会社に振り込んである。拒否権はないし、あなたの上司にはもう認可を受けている」
「どうだかな」
俺はジントニックを呷った。俺が文句を言えば、別のパイロットに仕事が流れるだけだ。そこまで余裕のない会社ではない。俺の代わりなんていくらでもいる。
俺は空になったグラスをテーブルに叩きつけた。勘定をバーテンに促す。
「荷物の受取場所は?」
「朱貝国際空港だ。国連軍の基地が併設されてる。あんたのヘリもそこにあると聞いてる」
俺は黙って頷いた。俺の――正確には会社のヘリも場所を間借りして朱貝国際空港に駐機してある。どうやら俺が知らないだけで仕事の話は軍と会社の間で進んでいたようだった。
「頼んだぞ、明日10時に空港で、もし誰かに捕まったらデニス・ハワードの名前を出してくれ」
どこの国の軍隊にも、何十年も戦争を続けるだけの体力は無い。それは世界の超大国のアメリカもそうだし、21世紀以降急速に勢力を拡大させた中国や、かつての超大国のロシアでもそうだ。戦争の長期化に応じて、その力を伸ばしたのは世界各国で生まれた戦争代行業者だ。
戦前からあったPMO――傭兵会社に加え、兵站輸送を主体とした軍隊に雇われる輸送会社。野戦病院を運営する医療法人。基地建設などの土木作業を請け負う建築会社。
俺が所属しているのは、朱貝特殊物流有限公司という輸送会社だ。無論、普通の会社ではない。戦争で儲けるためのカナダのベンチャー企業が脱税目的で設立した会社で、何人ものパイロットに運転手を抱え、貨物トラックから輸送ヘリ、輸送機まで保有している。
運ぶのは「オモテ」の仕事として兵站輸送の代行。「ウラ」の仕事は、荷物が何を入っているかは知らない。おそらく、前線勤務で壊れた兵士を一時的に正常に戻すための覚醒剤や、化学兵器あたりだと俺個人では考えている。
俺はトヨタのSUVを運転し、朱貝国際空港の駐車場に乗り入れた。大概の警備員は会社の社員証を見せれば黙って入れてくれる。戦争に加担する会社の社員証は、軍服と同じくらいの権力がある。俺達の仕事がなければ、軍隊は占領先でやっていけないからだ。
会社の保有する格納庫に向かうと、俺のヘリコプターにもう荷物の搬入が始まっていた。それを眺める髪を赤く染めたロック・シンガーのような女。――いや、ロックシンガーにしては筋肉がつきすぎだろうか。髪が短かったら、ほとんど男だ。
「……ミス・ガリソン。おはようございます」
「……李、おはよう。今日の仕事内容は把握しているわね?」
「はい。葵丁国際空港に、ヘリで荷物を運べば良い。それだけですね」
「そうよ。あと、特別な荷物として、孤児が一人……年頃の女の子だけど、手を付けたりしたら殺されるわよ」
リサ・ガリソン――係長が楽しそうに笑った。戦場には珍しい、性格のいい上司だ。とは言えこんな会社にいる以上、ろくな経歴ではないのだろうが、底意地の悪くない上司を持てたことは素直に幸運だと思っている。
「そんなことしませんよ、ヘリを操縦しながらなんて出来るわけない」
「知ってるわよ、あんたのことは信頼してるわ。いっつも気難しい顔して職人みたいだけど、契約通り動く、良い社員よ」
「……ありがとうございます」
俺はそう言ってヘリに近づいていった。ロシア製、Mi-17多目的ヘリコプター。中古機体をカンボジアから購入した、列記とした軍用ヘリコプターだ。民間型も売られているが、朱貝特別物流では軍用型にこだわった。カタログスペックでは民間型がまさることがあっても、信頼性や動作の確実性では軍用型にまさるものはない。軍用の迷彩の塗装の上から、朱貝物流の水色の塗装がされている。
操縦席に乗り込み、機器をチェックしていく。会社の整備士がチェックしているはずだが、最終確認をするには自分だ。万が一機体の故障があっても、それは最終的に自分の責任だ。
機器の確認を終えたところで、一度ヘリを降りた。振り返ってみると、デニスの言っていた1.5トンの荷物は木箱に詰め込まれて、貨物室にすべて運び込まれていた。その貨物に埋もれるように、一人の人影があった。
その少女は、中国人の俺の目から見ても――かなり美しいと分かった。つやつやとした金髪に、透き通るような白い肌。大量の木箱に囲まれながら不安げな青い瞳で、きょろきょろとあたりを見渡している。
「……係長。あれが例の孤児ですか?」
「そうよ。かなりの上玉でしょう?」
「……係長、奴隷商人みたいですよ」
「結果的には似たようなものよ。ここから送られる子供なんて普通の子供の訳がないでしょう?良くて娼婦、悪くて奴隷よ。ただ、中国人じゃなくてヨーロッパ系ってことは高級娼婦の可能性が高いでしょうね」
「……」
「何はともあれ、深入りしないことね。あなたの仕事は?」
「ヘリの操縦。荷物を運ぶこと」
「そういうことよ、わかってるじゃない。どうせあの1.5トンの荷物っていうのもろくなものじゃない。首を突っ込むとやけどするわよ」
俺は貨物室の後部ランプの両開きのドアが叩きつけるように閉じられた。俺が軽く係長に頭を下げると、係長は手を振った。
「行ってきなさい、くれぐれも余計なことはしないように」
「……」
俺はヘリの操縦は人民解放軍で習った。訓練部隊にいたときから平均的な成績を収め、そこそこの成績で部隊に配属された。
特筆すべき特徴無し。それで今までやってきた。きっとこれからもそうだろう。
俺は飛行中の計器類を確認しながらそんなことを考えた。今までの自分の地位に不満を感じたことはない。
自分には何もない、わけではない。だが他人より優れているわけでもない。特段劣っているわけでもない。
それで良い。それが等身大の自分だ。英雄になろうとした奴は、訓練用のZ-9ヘリコプターと一緒にミンチになって死んだ。直前まで無線で冗談を飛ばしていた男が、あっけなく死んだ。得意げに故郷の嫁と子供の話をしていた男が、あっけなく死んだ。
「……あの」
背後のキャビンから、小さな声がした。ヘリのエンジン音に負けそうな小さな声だった。ロシア語に似た訛のある英語だった。
「……なんだ」
女に興味が無いわけではない。それでも手を付けていい女といけない女の区別くらいは付いている。深入りするつもりもなかった。
「あ……話しかけてお邪魔じゃなかったですか」
「構わん。だが俺が目的地に着いて殺されるような機密は話してくれるなよ」
そう言うと、少女は暫し黙った。何の考えなしにべらべら喋るような頭の悪い少女では無いらしい。少しして、少女はまた口を開いた。
「あの、あなたはどこ出身ですか?」
「……この国の農村だ。免州の田舎だ」
「……そうなんですか……私はモルドバのキシナウというところから来ました」
モルドバ、聞いたことがあった。東ヨーロッパの貧しい発展から取り残された国家。外見だけを買われた人身売買の被害者といったところか。
「……」
それっきり、少女は黙ってしまった。万が一にも自分が余計なことを言って、俺が殺されないか心配しているのかもしれない。
俺としては、他人の性奴隷と関係を持つなんて危ないことはしないほうがいい。それは分かっていた。
それでも、なんとなく、少女の話し方には引っかかりがあった。自分のことを知ろうとしてほしい、気にしてほしい、救ってほしいというような希望が滲んでいるように感じられた。
「あの、あなたは……どうしてヘリのパイロットになったんですか?」
話し方を聞いて、この少女は本当に自分に興味があるわけではないな、と感じた。自分が話す口実を作るために、相手に話させようとしている。
「……たまたま適性試験に受かった。俺の希望じゃない。たまたま俺の軍区で航空部隊の増強が行われていた。そのとき俺が訓練生だった。ただの偶然だ」
話しながら、不思議な気持ちになった。俺は自分の身の上を話すなんてことはなかった。今の仕事も、ヘリのパイロットと言う資格だけを買われて雇われた。純粋に自分のことを他人に話すなんてことは殆どなかった。
「……それからしばらく経って、戦争が激化して――俺のいた免州が政治的な駆け引きで負けて解散させられた。その時のゴタゴタに乗じて、逃げた。名簿なんてあってないようなものだから、俺の記録はあっても探すやつはいないだろうな。死んだと思われて、それで終わりだ」
「そうだったんですか……」
それだけ言って、少女は黙った。自分のことを話すべきか、迷っているような口ぶりだった。少し経って、少女が口を開いた。
「私は……モルドバに住んでいました。あなたはモルドバについて知っていますか?」
「いや」
俺は首を横に振った。事実、自分にはヨーロッパの貧しい国というイメージしかなかった。俺がそういうと、少女は少しだけ明るくなった口調で喋り始めた。
「モルドバはすごく貧しくて、国全体が田舎みたいな国です。重京みたいな繁華街は全然なくて、畑ばっかりの国で。あんまり治安の良くない首都をみんな嫌って、郊外の農家が多くって。私も農家の出身でした」
楽しそうに話す少女だ、と思った。嫌味ではなく、率直な感想だった。
「私の家族も、すごく優しくて、裕福ではなったけど、すごく幸せでした」
裕福ではなかった、か。
「それで……その……」
少女は口を噤んだ。つまり、売られたのだろう。話したくないのは、自分で気持ちの整理が着いていないか、認めたくないか。おそらくは後者だろう。自分を売った家族を優しいだなんて言う時点で、この少女の中の世界の狭さが窺い知れる。
「無理に話さなくても良い」
言ってから自分でびっくりした。こんな女に優しくしたところで何のメリットもないのに、と自分でも思った。
「……いなくなった人ほど、美しく見える。死んだ人間ほど、優しかったと思える」
半分は少女に、半分は自分に言い聞かせるような言葉だった。いなくなった人間は、多かれ少なかれ他人の中で美化される。よほど嫌われていない限り、印象に残る人間のイメージは美化される。それが家族や親戚ならなおさらだ。
「あんたが優しかったと思っても、本当にそうだったかなんてわかりはしない。あんたを売った家族が、本当に優しかったなんて思うか?」
「……」
ここでこの少女を泣かせても何の意味もない。そんなことは分かっていた。それでも、言わずにはいられなかった。
「俺だって死ねば弔辞で褒められる。思い出なんてそんなものだ」
「……」
「あんたも故郷の親に、いい娘だと思われてると良いな」
少女が黙ったあと葵丁国際空港に到着するまではあっという間だった。デニス・ハワードの名前を出すと、「オモテ」の荷物を受け取るはずの空港事務所の職員が引っ込み、空港の端にある小さな格納庫に誘導された。
俺は誘導されるままにMi17をタキシングさせ、格納庫に入れた。明らかに目の荒んだ兵士がこちらを睨むように見やっていた。
俺はできるだけそちらを見ないようにしながら、ドアのロックを外した。デニス・ハワードの知り合いだという男が、俺に一度だけ確認に来ると、連れてきた労働者らしい男たちに指示を出して1.5キロ分の木箱を運ばせた。木箱はそのまま二トントラックに詰め込まれていった。
少女だけは別だった。飢えた獣のような目をした兵士たちの視線を受けながら、一台だけ停まっていた日本製の四駆に連れられて乗り込んでいった。
「……おい」
振り返るとデニスの知り合いだと言っていた男が睨んでいた。俺は平静を保ったまま聞き返す。
「なんだ」
「あの女に余計なことはしてないだろうな」
「何もしてないさ。本当にな」
俺はあの少女に何かをしてやることができたかもしれない。
葵丁から朱貝国際空港に向かって操縦しているMi17のコックピットの計器類を眺めながらそんなことを考えた。
奴隷になるしかなかったあの少女に、人生に支えになるようなことを言ってやることができたかもしれない。
だが、いくら考えて見たところで、所詮「かも知れない」に過ぎない。
"Should have" にも "Could have" にも意味はない。全てができたかもしれないし、何もできなかったかもしれない。
操縦席から振り返ってキャビンを眺めた。荷物を下ろして空になったキャビンは、俺一人には広すぎる空間だった。
視線を戻した。コックピットを赤く染める、夕焼けだった。
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