閑話④:セシルとレスターの場合

「…」

 その夜。セシルは何とか寝ようと目を閉じていた。しかし、眠れない。

 背後からはレスターが、セシルの体を抱き寄せている。



―何も考えるな


 だけど、そう思えば思うほど、気になる。というのは、レスターが時折、手で体をまさぐってくるのが原因だ。恥ずかしいし、くすぐったくてたまったものじゃない。その度にどきっとして身じろぎしてしまう。


 しかも、レスターは寝てしまった後も、無意識にだろうが、体を触ってくるのだ。挙句の果てに寝てしまった後の方がたちが悪く、ぎゅうぎゅうと抱きついてきて、セシルは苦しくてたまらない。叩き起こすわけにもいかず、結局セシルは朝まで眠れない羽目になってしまう。



「…眠れないの?」

 ふと、レスターが話しかけてくる。


「…お前のせいだろ」

 セシルは目を開けると、レスターを見て膨れた。すると、レスターは気にした風なく、ぐいとセシルの体を引き寄せ、軽くキスをする。


「もう秋だし、寝苦しいこともないはずなんだけど…」

「ごまかすな!お前が抱きついてくるから寝られないんだよ。毎日毎日!たまには自分の部屋で寝ろ!」


 セシルは明らかにとぼけているレスターの額をぺしぺしと叩く。最近常にセシルは目の下にクマを飼っていた。毎晩かかさず、自分の部屋に通ってくるレスター。最初の頃は廊下で使用人とすれ違うたび、「あの悪魔、怪しげな術を使って旦那様を誑かしているに違いない」と聞こえよがしに噂されていた。しかし、今や寝不足で虚ろな目をしているセシルは、憐れむかのような視線ばかり送られていた。毛嫌いされるのも堪えたが、憐れまれるのも中々身に堪える。


「いい加減、慣れてくれたらいいじゃないか」

「慣れるとかどうかの問題か!…自分は気持ちよさそうに寝やがって!オレは抱き枕じゃねえ!」


 セシルは血走った寝不足眼で、レスターを睨む。すると、レスターはとぼけ顔をやめて、すまなさそうな顔になった。


「ごめんね、ちょっと不安でさ」

「何がさ」

「うん…」


 レスターは言いづらそうな顔をする。セシルがはっきり言えと目に力を込めると、仕方なく続ける。


「朝起きたら、君が砂になっているんじゃないかって。だから、怖くて、君に触れていないと眠れないんだ」

「……」


 セシルは何も言えず、黙った。レスターの不安な気持ちが、よく理解できたからだ。だけど、セシルは、数秒後には「はっ」と笑い飛ばした。


「もうお前を置いて死なねえよ。お前を置いて死んだら、お前が大変なことになるってよく分かったからな。しょうがないから絶対に死なないでおいてやる。安心しろ」

「だけど…」


 レスターはセシルを抱き寄せる。そして、深い口づけをする。唇をやっと話すと、レスターは愛おしそうにセシルの頬を撫でつつ言う。


「…怖いんだ。もしかしたらあの少年がかけてくれた魔法の効果には期限があって、いつか朝起きたら君が砂に戻っているんじゃないかって」

「…確かにそうかもしれないけど…別にその男、何もそういったことは言っていなかったんだろ?」

「うん…」


 レスターは少年との会話を思い出しながら頷く。しかし、だからといって安心はできない。言っていなかっただけということも考えられるから。


「とにかく、もし砂になったらその時はその時だ。オレが何とかしてやる」

 セシルは任せろ!とレスターに胸を叩いて見せる。


―何とかしてやるって、死んだら何もできないんじゃ…


 しかし、レスターはそのたくましさに思わず頷いてしまう。彼女が言うと、何だか任せておいて良い気になってしまうから、不思議だ。


「…そうだね。君に任せるよ」

 レスターは苦笑しつつ言う。とは言えやっぱり不安だから、しばらくは抱きしめながら寝るのをやめられそうにはない。だから、彼女には慣れてもらうしかない…

「馬鹿!信用しろ!」

「うぎゃっ!」

 と、セシルにそうはっきりと伝えれば、レスターはべちんと思いっきり額を叩かれた。



「そう言えば…」

 レスターはさすさすと額をさすりながら、ふと思い出す。


「…あの、体が砂になった現象は一体何かわかるかい?」


 普通、人間が死ぬ時に砂になる事などあり得ない。確かに人間は死んだら土に帰るが、あんな風に透き通った砂になることは無いはず。きっと、原因は彼女が直前に起こした『王家の最悪の事態』だと思う。リトミナ王家の人間なら、自身が扱う魔法のことに関して何か知っているかもしれない。


「ああ、あれはな…。『王家の最悪の事態』ってのは、自身の周囲の魔力を根こそぎ吸うものなんだけど、その際に土とか木とかも吸い込まれるだろ?そういった有形の物質ってのは魔力を吸収された後に凝縮されて、水色の固体になって行使者の体にくっついていくんだ。行使者の体の中心部には、魔力だけがたまるようになってるから。今回は末期まで進んでたみたいだったし、たぶんその体の中心部の魔力が、自身の体を構成する物質からも魔力を奪い始めて、体の物質も凝縮されて固体化したんじゃないかな。そう言えば、行使中に体にひびが入るのもずっと謎だったけど、たぶん自分の体が固体化しかけているのが原因かな…。それで、本当だったらその後、魔力が体から放出―爆発するはずだったんだけど、それをレスターが消したから、オレの体はがらんとうの素焼き人形みたいになったんじゃね?」


 セシルはなんと言う事無いように、説明をする。


「…よくわかるね、そんなこと」


 意外とよく解明されていた事実に、レスターは驚く。そんな事、実際に発動させて研究したとしか思えない。歴代のリトミナ王家の誰かが、あんな危険なことをやったのだろうか。


「ああ、なんか初代王妃が死んでから、魔法の安全使用のために代々色々と研究していたらしいよ。ぎりぎり死なない程度に、魔法を極限まで発動させたりして。まあ、失敗して死んだ本末転倒なやつもいるにはいるけど」


 そう言ってから、セシルは「そう言えば、オレが一回死んだことで、研究の一歩が進んだんじゃ」と嬉々とした。目がキラキラとしている。研究狂の目だ。


「やめてくれ、嬉しそうにしないで」

 レスターは咄嗟にセシルの胸に抱きつく。「なんだ急に」と戸惑うセシルに、レスターは「馬鹿なことを考えないでくれ」と懇願する。そうしないと、もしかしたら魔法の解明のためとか言って、自身の体を使って何か無茶をやらかすような気がしたから。


「…なんだよ、もう。やる訳ねえし。変な心配するなよ…」

 セシルは、めんどくさそうに言いながらもレスターを抱きしめ返すと、なでなでとレスターの頭を撫でる。なんだかそれが心地よくて、ずっとやって欲しくて、レスターは催促するかのようにセシルの胸に顔を擦り付ける。



「……」


 セシルに頭を撫でられながら、ふとレスターは思う。もしあの時、陛下に武闘会に行くように命じられていなかったら、きっとセシルはあの場で死んでいたか、マンジュリカのものになっていたのだろう。


 そして誘拐の任務を任されていなかったら、今頃は戦支度の真っ最中で、きっとリトミナ王家の者―セシルへの対抗策を淡々と練っていた頃だったのだろう。そうして戦の場で、国のためにセシルを殺す未来が待っていたのかもしれない。しかも、その未来の自分はきっと、セシルを殺すことが嫌だなんて思うことすらない。


―運命って…怖くて、面白いな…


「…ん?レスター?」

 急に抱きしめる力を強めたレスターに、セシルは「どうしたの?」と不思議そうに首をかしげる。


―もしかしたら、こんな風に彼女を愛おしく思うことも、なかったかもしれないなんて


 自分が進む道を一歩間違えただけで、こんな幸せを見ることもなく失うことになるなんて、レスターはつくづく恐ろしさを感じる。だけど、彼女と出会えたこともまた運命だ。気まぐれな運命に、レスターは恐ろしさを通り越して面白さを感じてしまう。



「セシル、俺、今とても幸せだ」

 セシルの胸に顔をうずめ、その暖かさを感じながらレスターは言う。


「…急になんだよ…」

 セシルは顔を赤くして目をそらしたが、手だけはちゃんとレスターの頭を優しくなで続けている。


「もっとぎゅっとして」

 レスターは催促するように、両手でセシルの背中をきゅっとつかむ。


「こんな甘えんぼな男に惚れた覚えはないんだがな…」

 といいつつも、セシルはぎゅっとレスターを抱きしめる。


―ふふ、とても幸せ…

 レスターはセシルの香りで鼻腔を埋めつつ、幸せをかみしめた。

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