閑話③:セシルとノルンの場合

「セシル」

「ふぇっ!?」

 ベランダで一人空を見上げていたセシルは、突然話しかけられ、驚いて後ろを振り向く。


「あれ、お前か。ノックもせずに」

 ノルンが後ろで、じっとセシルを見ていた。魔法を使って入ってきたのだろう。セシルはふうとため息をついた。レスターから前に、勝手に部屋に入ってくるノルンにほとほと困っていることを聞いていたが、実際困るなと思う。もし着替えでもしている時だったらどうするのだ。


「なに黄昏ているのですか、らしくもない。あなたはへらへら~としている方がお似合いですよ」

「へらへら~って…そこまでへらへらしてないと思うけど。とにかく、オレだってたまには黄昏たくなる時があるよ」

 ノルンは存外素直に「ふうん」と頷くと、セシルの隣で手すりに肘をついた。


「…何を考えていたんですか?」

「……」


 この男にこんな話題を振られる程、オレたちは仲が良かっただろうか。と思いつつも、せっかく話しかけてくれているのだから、セシルは無視するのもと思い、口を開く。


「色々、な。国に残してきたやつの事とか、さ」

 セシルはそう言いながら、空を見る。桃色がかってきた秋の空では、カラスが帰り支度を始めていた。


―兄上はどうしているだろう。団長やカイゼルも。それにサアラはどうなったのだろう


 分からない。だけど、きっと自分のことをとても心配しているだろう。もしかしたら何とかして自分を取り戻そうとしているかもしれない。


―だけど、それでも

 セシルは目を閉じた。


―ごめん、皆と一緒にいた時より、今の方が幸せなんだ


 だから、きっと皆が自分を迎えに来たとしても、自分は帰らないだろう。こんな薄情者な自分のことを彼らは知らない。そして、そんな彼らは今頃何も知らず、必死な心地で自分を心配しているだろう。

 心配に値する人間ではないのに。セシルは、とても申し訳ない気持ちになる。



「…すみません、結果的に、あなたを生涯リトミナから隔絶することになってしまって。だけど、これしか方法は無かったんです」


 セシルは驚いてノルンを見る。セシルはどうせ、またらしくないと言って小馬鹿にするんだろうと思っていた。


「いや、謝らなくてもいいけど。オレがここにいたいからいてるだけで。ってか、お前が謝るなんて、明日世界が滅ぶんじゃ…」

「失礼ですね。私だって自分が悪いと思った時ぐらい、きちんと謝りますよ」

 ノルンはふうとため息をつくと、空に視線をやる。


「すみませんね。最初の頃はつらく当たって。ずっと謝りたかったんですよ。……私は旦那様のために、この家と国、そしてレスターを何が何でも守ると自身に誓っていましたから。不穏因子の可能性があるあなたに、気を許すわけにはいかなかったんです」

「…もういいって。お前もトーンに助けられたってレスターから聞いたけど、トーンによっぽど恩を感じているんだな。その気持ち、わかるよ」


 セシルは苦笑しながら、ノルンを見る。ノルンもまた、ロイからセシルの過去について聞いていたので、微笑み返す。


「…聞いていると思いますが、昔、とある貴族に母と共に囲われていましてね。その貴族に、諜報に暗殺と散々こき使われていたんですよ。ある時母が任務に行って、そのまま帰ってこなかった。暗殺に失敗して、捕らえられて拷問を受けていると聞きました。私は、その貴族に必死になって母を助けるように頼んだんです。当然ですが、相手にされませんでした。それどころか、母親が口を割る前に殺してこいと告げられた。私の魔法を使えば救出できるかもしれないのに、殺してこいと。…あの男は、役立たずはいらないから、母親は責任もってお前が処理してこいと言いました」


 ノルンはつらそうな顔をごまかすかのように、セシルに苦笑してみせた。


「…泣きながら殺しましたよ。母は、私が母の元へ来た理由を全部お見通しだったんでしょうね。話しかけるなり、殺してくれって頼んできましたから。…それにひどい拷問をされていて、目も手も足もなかった。もう連れて帰っても、役立たずとしてあの男に殺されるだろうことはわかっていました。母を連れて逃げるにしても、行くあてなどありませんでした。それに、その男の元以外で生きていくすべなど、生まれた時から囲われて生きてきた私たちは知りませんでしたから」


 ノルンは空に視線を戻すと、その空に向けて右手をかざした。セシルも自然とその手を見る。


「…だけど、母をこの手にかけた瞬間、何だか急に馬鹿馬鹿しくなったんです。ただ人に使われる道具としての人生。いつかは自分も母と同じようになるだろう。なのに、どうしてやつらに仕え続けるのか。…だから、私はそのままその男の元には戻らなかった。だけど、道具としての役割を放棄したところで、私は別の生き方など知らなかった。だから、ただ歩き続けた。…今どこを歩いているとも知らず、ただ目の前に道があるから歩き続けた。何日そうして歩いていたか知りません。何度か誰かにぶつかって殴られた気もしますが、また立ち上がって歩くしかなかった。そのうち意識が遠のいて、そのまま倒れました。その時、やっと心底ほっとしたんです。ああこれで死ねるって」


「……」

 セシルは驚きつつも、黙って聞いていた。実はレスターからは、ノルンはツンディアナで行き倒れになっている所をトーンに拾われたとしか聞いていなかったからだ。きっと、ノルンの許可を得ずして話すわけにはいかないと、レスターはぼやかして言ったのだろう。



「気がついた時、私はこの家のベッドで寝かされていました。ベッドわきには旦那様がいて、ずっと私の目が覚めるまで私の手を握ってくれていたようでした。旦那様は何から何まで手ずから、私の世話をなさってくださいました。…だけど、私は旦那様のその優しさを信じることができなかった。前の男もそうだったから。飴と鞭を使い分けて道具を使っていたことを、私は身を持って知っていたから。…だから、体が治って、旦那様にこの家にずっといていいと言われた時、私はすぐに出て行こうとしました。きっとこの男も優しい顔と態度で私を騙している。そして、私を道具にするつもりに違いないと思ったから」


「……」


「だけど、旦那様はそんな私の事をお見通しだった。だから、丁度逃げるところだった私の前に、レスターとイルマを連れてきた。そして、言われたんです。『君はこの家から逃がさない。なぜなら、君は私に拾われた恩義があるからだ』と」


 その時、慌てて魔法を使って逃げようとしたノルン。しかし、トーンに無効化されて防がれた。転送魔法の使い手があることがばれてしまった上、魔法の封印まで施され、ノルンは絶望した。ああ、これからはこの貴族に飼い殺しにされるのだと。しかし、そんなノルンに対して、トーンはこう続けた。


「旦那様は私に言いました。『私に拾われた恩を返すため、毎日この子たちと遊んでくれ。それがお前の役目だ』と」


 セシルは、トーンらしいな、と思った。そして、さすがトーンだ、とも。


「…それからは毎日が大変でした。毎日、真面目過ぎてどんくさいレスターの世話というか、尻を叩かないといけませんでしたから。あの頃のレスターったら、シャツ一枚着るのに、ボタンを一個一個口で数えながら着るんですよ…セシル、知らなかったでしょう?それに、急いでいる時でも地面の踏んだ小石の数を数えながら歩くんで、私はいつも引きずって歩いていましたよ。…さらに、変態三昧のイルマにはいたずらされ放題。セクハラならまだしも、何か変だなあとズボンのポケットをまさぐったら大量に団子虫が入っていて、仰天しましたし。…毎日が無茶苦茶でした。泣きたくなる度に奥様に慰められて。…でも楽しかった。いつの間にか、私はこの役目が気に入っていました。そして、レスター達といるこの場所が、自分の居場所になっていました」


 ノルンは思い出しながら、おかしそうに笑う。セシルは初めて見るその笑顔を、物珍しそうにじっと見るが、ノルンは自身の話に夢中で気づかない。


「それからしばらくして、突然旦那様は私の封印の魔法を解いてくれました。その時に言われたんです。『お前は自由だ。もう十分恩を返してくれた。この家を出て行ってもいい』と。だけど、私は嫌だった。この居場所を失いたくなかったから。だから、懇願したんです。ここに置かせてくださいと」


 すると、トーンは『自由になりたいのだろう?』と聞いてきた。当時のノルンにとって、自由というものは具体的にはわからなかった。だけど、この場所にいる以上に良いものではない事だけはわかっていた。だから言った。


「自由になんてなりたくない。皆と一緒にいたいと。言う事は何でも聞くから、この家に置かせてほしいと」


 ノルンはその時初めて、自身の希望というものを知った。自身が主体性を持って、自身のあり方を望むということを。


「旦那様は満足げに頷いてくれました。そして、私は新たな役目を与えられ―正式にレスターの従者となりました。…それから何年か後に『どうして恩を返せなんて、柄にもないことを言ったんですか?』と旦那様に聞いたことがあったんですが、旦那様は『頑固なお前は、私の話すら聞いてくれないだろうから。ああ言って、私たちが安全であることを身を持って教えてからでないと、信用すらしてくれないだろう?』と照れて頭をかいていましたよ」


 ノルンは、ふふと思い出し笑いをした。だから、セシルは思わず言ってしまう。


「お前、案外笑うんだな」


 この男の無機質な表情ばかりを見てきたセシルにとって、そのことはとても驚きだった。すると、ノルンはわざとらしく、むっとして見せた。


「…警戒するべき相手には隙など見せませんよ。あなたはもう、警戒する必要が無いということです。後、レスター達に甘い顔をすると、レスターはすぐにどんくさくなりますし、ロイはだらけるから厳しい顔をしているだけです。彼らは家と国のために、しっかりとしてもらわないといけないですからね」


「そこまで信用してもらってありがたいけど、もしかしたらオレ、裏切るかもよ~~」


 セシルは悪い笑みを作ってみせる。しかし、ノルンは小さく吹いただけだった。セシルは「なんだよ」とつまらなさそうに、手すりの鉄柵を小さく蹴った。ノルンは、そんなセシルを面白い心地で見て、そしてふうと息をつくと、また視線を空に戻した。


「…私がレスターに仕えるようになって数か月した頃でしょうか…私がレスターと一緒に城に行ったある日、うっかりあの男に出くわしてしまったんです。私を飼っていたあの男に。そして、私がこの家に居ることを知られてしまったんです。…その男はさっそく、私を取り戻しに来ました。旦那様に、『金はいくらでも払う。その子を返してくれ』と言ったんです。…だから、旦那様は、私が転送魔法の使い手であることを公表することにしました。公表といっても些細なものですけれど。転送魔法を使える可愛い男の子を拾ったのだと、行くところどころに私を連れて行っては触れまわしたんです。顔の知れた転送魔法の使い手なんて要りませんからね、あの男はあっさりと私を取り返すことを諦めてくれましたよ。かわりに、旦那様もろとも私を、口封じのために殺しに来ましたがね。旦那様が返り討ちにしたので、その男は捕らわれて家はおとりつぶしになりましたよ。ざまあみろです」


 ノルンは小気味良さげな笑みを口元に浮かべる。そして、セシルを向くと、ふっと笑いかけた。


「……旦那様は私の命を救ってくれたことはもちろん、私にまっとうな生き方まで与えてくれた。だから、私は心の中で勝手に、旦那様に忠誠を誓っているんです。旦那様の大切なレスターを、この家を、この国を、命を懸けて何が何でも守ると。…旦那様を目の前にして誓ったら、あの方は止めてくれって言うでしょうから、実際に言ったことはありませんけれど」


 ノルンは苦笑する。セシルも「その通りだな」と思って、つられて笑う。トーンは、救った子供の幸せを何よりも願ってくれる奴だったから。



「少し話が長くなりましたね」

 ノルンは赤くなり始めた空を見る。


「とにかく今日言いたかったのは、あなたのことを何も知らず、今までつらく当たってすみませんということです。…ですが、これからはあなたにもびしばしといきますよ。暫定とはいえ、あなたは公爵夫人ですから。レスターと共に、しっかりとこの家を守ってもらわなければなりません。もう甘くなどしませんから、覚悟してください。あなたが本気で頑張ってくだされば、たまには甘くしてあげますがね」


 挑発的に見るノルンに、セシルは苦笑する。


「はいはい。よろしく頼むよ」

 セシルはノルンに右手を出す。ノルンはその手を握り軽く振る。


「…こうなるなんて思いもよらなかったな、お前とは一生気が合わないと思っていたのに」

「同感ですよ」


 2人は軽く笑いあうと手を離した。そして、再び手すりにもたれかかると、夕焼けの空を並んで眺めた。

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