10②-④:爪を隠すのは馬鹿。
「…なんだよこいつらああ!」
セシルは教会へ向かう道を逆走していた。その後ろからは大量の虚ろな目をした祭りの観客たちが、セシルに向かって手を突き出している。
まるでゾンビだ。噛まれたら感染する。いやそうじゃなくて、この原因は絶対に…
「セレスティン、お久しぶりね」
「…」
セシルは甘ったるい声に、こわごわ振り返る。その刹那、操られていた人間たちが立ち止まり、人間の群れがぱかっと別れた。オレはモーゼじゃない。モーゼは…
「あら、どうしたのそんなに驚いた顔をして」
「お前、カーターの母親…?」
その女は、カーターの母親の姿をしていた。声もそうである。だか、口調はよく覚えのあるマンジュリカのものだった。
「見た目はそうよ、セレス。だけど私はマンジュリカ。この女の体をベースに『器』を作って、入っているの」
「『器』…」
前にも効いた事のある気がした。しかし、セシルはそれを思い出すよりも先に、マンジュリカの肩に担がれている男の髪の毛に目が行く。長く赤い髪が、重力に従いまっすぐ下に流れている。セシルはまさかと目を見開いた。
「レスター…?」
「そうよ。さっきそこの教会で捕まえたのよ」
セシルは足元が崩れるかのような衝撃を受けた。
―嘘だろ…そんな
「てめえ!」
セシルは飛びかかろうとした。しかし、そうしようとしてはっと気づく。
オレは剣を持っていない。
それどころか、魔法も使えない。
どうすることもできない。
―そんな…
「さあ、可愛いセレスティン。私の元へ帰ってらっしゃい」
マンジュリカが微笑み、差し伸べるかのように手を出した。その両脇では、マンジュリカの傀儡となった人間たちが、虚ろな目でじっとオレを見ていた。オレの返答次第では、どうなる事か威圧しながら。
「…セシル!」
背後から聞こえた声に、セシルははっと振り返る。刹那、セシルの両脇を、マンジュリカめがけて緑色の光の粒子が走る。
「ロイ!あれ、ノルンもどうして…」
「後で説明するから!」
ロイはセシルの腕を引き、自身の背に隠す。マンジュリカは炎を放ち、ノルンが放った粒子を焼き払った。
―えっ…?
このことに、ロイ以外の、セシルとノルンの2人は驚愕した。
―今、マンジュリカは魔法道具を使ったか…?
「ちっ、こいつらがこっちに来たってことは、あいつしくじったわね」
マンジュリカは、忌々しそうにロイとノルンを睨む。
「…顔は違えど、マンジュリカですね。どうやって赤の他人になりすましているかは知りませんが、とにかくその男を我々に返してください」
ノルンは疑問はさておき、まずは主の解放を欲求することが先決だと剣を構える。
「ふん、あいつに勝ったぐらいで調子に乗って貰っちゃ困るわね」
マンジュリカは剣を振る。すると、一斉に操られた人間たちがセシル達に向かってきた。
「一般人を傷つけたらあんたたちはどうなるかし、ら?!」
ノルンは無表情で人間たちを、転送魔法でどこかへ転送していく。
「山に捨てて、後で拾いますから問題ないですね」
「ぐ…っ」
全ての傀儡がその場からいなくなったのに、マンジュリカは忌々しげに唇を噛む。
「さあ、この場で殺されるか、レスターを返すか、さっさと決めてください」
ノルンはマンジュリカに言い放つ。マンジュリカはうつむいたまま、ぐぐと拳を握りしめていたが、やがて「はっ」と開き直るかの如く笑って顔を上げた。
「私が殺される?やれるもんならやってみなさいな」
ロイが、マンジュリカの両足めがけて鎌鼬を放つ。しかし、マンジュリカは回避する動作すら見せない。両足が切断されて、マンジュリカの体が前のめりになって崩れ落ちていく。
しかし、マンジュリカはにやあっと怪しい笑いをこぼした。その刹那、切断された足が靴を残し、水色に輝く粉になって舞い散る。その粉は瞬く間に足の切断面に集まる。そして、すみれ色の光を放つと、そこには元通り足が生えていた。
「…な!」
セシルたちは驚愕する。
「私はもう昔の私じゃないわよ」
マンジュリカはお返しと言わんばかりに、鎌鼬を放った。ロイは慌てて、同じ鎌鼬で迎撃する。
「あいつ、ホントにマンジュリカか?」
ロイの後ろでセシルは信じられないと言う。
「だけど、あなたに対する態度挙動言動を見るにマンジュリカでしょう…」
ノルンはマンジュリカが放った炎の攻撃を転送し、マンジュリカの背後からお見舞いした。
しかし、焼け焦げた背中はすぐに再生する。ノルンは舌打ちをすると目の前に魔方陣を出現させ、それに剣を突き立てた。それと同時に、マンジュリカは、背後から現れた刃先に胸を貫かれる。しかし、マンジュリカは血すら流さなかった。
「お前ら、何言ってんだよ!あれがマンジュリカとかそうじゃないとか」
必死にマンジュリカが放つ攻撃を防ぎながらロイが叫ぶ。同じくマンジュリカの攻撃を防ぎつつ、ノルンは答える。
「血の魔法を扱う者は普通、魔法道具などを使わない限り、それ以外の魔法など使えないんです」
「そう言えば…」
ロイはマンジュリカを見る。炎や風などを手から放っている。魔法道具等使っている様子はみじんもない。
「あいつがセシルみたいに例外っていう可能性は…」
「絶対にない。8年前にトーンに追い詰められた時も、あんなことはなかった」
ロイの問いにセシルは即答する。そして、セシルはふと思い出す。武闘会の時、カイゼルがマンジュリカに雷で撃たれて気絶させられたことを。今まで気づく事すらなかったが、人型に魔法道具を持たせていたのなら、あのローブと同様にその場に残るはずだ。持っていなかったということは、あいつ自ら雷の魔法を扱ったということになる。セシルに会う前に、落したり捨てたりしていた可能性もあるが、この場を見る限りマンジュリカ自ら魔法を使ったとしか思えない。
「ふん、こうなったら一気に片を付けるしかないわね。もったいないけど、ちょっとずつもらってたんじゃ埒が明かないわ」
マンジュリカは片手を突き上げた。すると、上空に武闘会の時と同じように白い球体が集まりだす。きっと、麻薬中毒者たちから奪った魔力だ。3人は後ずさる。
「…ぐ!」
しかし、マンジュリカは急にうめいてその場に崩れ落ちた。集まり始めていた魔力の球体は、空気に胡散する。何が起こったのかわからないながらも、ロイとノルンはチャンスと、魔法を撃った。鎌鼬と緑の光がマンジュリカに達しようとした時、
「「「…っ!!?」」」
青白い光が走った。ロイ達の魔法が胡散する。
「「「吸収魔法?!」」」
3人は驚愕した。何故、それをマンジュリカが扱えるのか。
「ふふふ、危なかったわ。あいつが言っていた通り、『器』ってそれほど持たないのね。あいつが作った『焼き物』よりはましだけれど。ただ、あのバカ息子の母親でも、一応は元伯爵令嬢だからもっともつと期待していたのに。今度はもっと魔力がある奴を捕まえなきゃね」
「何を言っているんだ…?」
セシルたち3人は訳の分からない状況と、得体のしれない相手を前に、思わずじりじりと後退を始めていた。
「あなたたちに色々と教えてあげたくなったのよ。爪を隠す能ある鷹は馬鹿だってことよ。自分のすごさはちゃんと言わなきゃ、他の人は理解してくれないじゃない」
マンジュリカは立ち上がる。すると、右足が、ぼろっと取れた。
「だけど、時間切れのようね。後はこいつに任せるかしら」
マンジュリカは片足で器用に立ちながら、開いた手を担いでいるレスターのうなじにやろうとした。
「やめろ!」
ノルンが叫んで、魔方陣をマンジュリカの足元に展開させる。しかし、発動する前に、マンジュリカは跳躍する。着地点に何とか張ろうとするものの、マンジュリカの回避の方が早い。
「何と言ったってこの男、面白いのよ。セシルに気があるのに、それを否定ばっかしてるんだもの。挙句の果てに…」
マンジュリカはそこから先はお楽しみと言うように、ぷぷっと笑った。そして、レスターのうなじに手をやる。ぱしゅんと桃色の光が走った。マンジュリカはあらかじめかけておいた魔法が発動したのを確認すると、レスターを地面に落とす。そしてその脇に煤のついた剣を放り落とした。
「レスター!」
セシルは絶望の叫びをあげて、駆けだした。ロイは慌てて羽交い絞めにして止めるが、セシルは泣きそうな顔でレスターの名を叫び続ける。
「あら、セレス。もしかしてあんたもこの男に気が合ったの?」
マンジュリカは意外そうな顔をしてみせた。しかし一瞬後には、さらに余興が面白くなる予感に、怪しい笑みを深くする。
「このやろう!」
ロイはマンジュリカに炎の斬撃を放つ。しかし、マンジュリカはそれを避けつつ、片足でひょいひょいと跳躍して建物の上へと移動した。重力魔法を使っている動きに、ロイは忌々しげに舌打ちをする。
「じゃあ、私はこれで帰るわね」
そう言うと、マンジュリカはうふふとセシルに笑いかける。
「私の所へ帰る気になったら、いつでも言ってね。その男を通して見ているから、そいつに言えばすぐに迎えに来てあげるわ、セレス」
そして、マンジュリカは大きく跳躍した。建物の向こう側へと消える。
「待て!」
「待ちなさい、ロイ!考えもなしに深追いすれば、追い詰められた敵は何をするかわかりません!セシルも!」
ノルンは、マンジュリカを追おうとするロイと、レスターに駆け寄ろうとするセシルの首根っこをつかんで止める。ロイは大人しく言う事を聞いてくれたものの、セシルは狂ったかのように暴れ、レスターの元に行こうとする。ノルンは、セシルを羽交い絞めにした。
「離せ!レスター!レスター!」
セシルは何度も悲痛な声でレスターの名を呼ぶ。ノルンは自身が悪いことをしているような気になるが、レスターがどうなったのかわからない以上、近づくことを許せるわけがない。
ノルンはレスターの様子を見る。幸い、今はまだ気を失ったままのようだ。対処するなら今の内しか。
「私が様子を見てきます。ロイ、セシルを頼みます」
「嫌だ!オレが行く!離せよお!」
ロイに代わってもらおうとノルンが力を緩めれば、セシルはその隙に逃れようと暴れる。どうしたものかと、ノルンが思った時、
「…セシル?」
「「…!」」
ノルンとロイは、その声にぎくりと顔を上げる。恐る恐る見れば、レスターが地面に肘をつき、虚ろな目でこちらを見ていた。
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