10-⑱:失恋は、焼きトウモロコシの味
「それから、オレの目が覚めたのは1週間後だった。母親はとうに荼毘に付されていた。…それから、トーン達から色々と事情を説明されて、自身が今までマンジュリカに騙されていたことも知った。だけど、母親を死んだことについては、辛くも悲しくもなかった。殺したことも、不思議なぐらい何とも思わなかった。…精神操作魔法ってのは、基本的には感情を少しいじるだけのもの。だから、精神操作されても行動自体は自分の意思でやっているんだから、お母さんが自分を虐待していたのはお母さん自身の意思だったんだって、精神操作されたことのある自分が何よりもわかっていたから」
セシルは思いだす。目覚めたセシルをライナは抱きしめ、「悪いのは君じゃない、僕だ」と何度も繰り返し言った。
だが、ライナは最後まで知らなかった。自分がエレナと愛し合うように仕向けられたなんて。セサルとトーンの2人もそのことはライナに知らせなかった。セシルも言えるわけがなかった。決して父親に気を利かせた訳ではなく、セシルは自身の存在に対するショックで、何が何だかよくわからなくなっていたからだ。
「…それからしばらくの間、オレとお父さんはトーンの王都屋敷の方でお世話になった。その間セサルとトーンの2人は、オレたちのこれからのために、色々と走り回ってくれていた。…セサルとトーンは、公に公表する情報を偽ってくれた。オレとカイゼルとアメリーは、マンジュリカに魔法の希少性から人体実験用の研究材料として、囚われていたのを救出したと。そして、今までの政府機関や街の破壊・虐殺は、マンジュリカの他の手下たちがやったことで、彼らは皆成敗したと」
そして、セサルは無断で長らく家を空けて行方をくらましていたことを、マンジュリカをたまたま見かけたのを追跡して拠点を見つけたためだとし、トーンと共闘したのはたまたまの偶然として、自国に事後報告した。
リトミナの国王はセサルの独断行動に、しかも結果的に宿敵のラングシェリン家と共闘したという報告を聞いて、かなりキレていたらしい。王の取り巻きたちもみな揃えて、眉をしかめていたと言う。ただ、結果的に、マンジュリカという憂慮が解消したために、誰も文句を言えなかった。
「…そして、オレ達は落ち着いてから、リトミナに行くことになった。カイゼルやアメリーはサーベルンの城の方で保護されてて…あいつらも事実を知って憔悴していたよ。……オレはセサルの養子になることになった…オレの父親と母親はスティアの災害に巻き込まれて死亡したことにして。オレが母親を殺したなんて知られればオレは子供とはいえただでは済まされないし、父親は父親で生きていたら王家のやつらに罰せられるだろうから、そうなったんだ」
**********
「セシル」
「…トーン、いつの間に」
トーンの王都屋敷のベランダで、ぼうっと空を見ていたセシル。驚いたかのように振り向いたセシルに、トーンはふふっと笑った。
「もう体は大丈夫?」
「すっかり良くなったよ。もうあれから3ヵ月もたつんだもん」
セシルはトーンに体を見せるように、腕を広げる。
「そっか。…それにしてもその服、良く似合っているね。私の息子のお下がりなんだ。昔に私が気に入って街で買った物なんだけれど、残念ながら息子が着ていた時は着られていたという感じですぐに箪笥の肥やしになってしまってね。だけど、君ならよく似合っているよ」
凝った刺繍で彩られた服を着たセシルに、トーンは目を細める。だが、トーンは、ふと真面目な顔になる。
「やっぱり、女の子の格好はできない?」
「…うん」
セシルはうつむく。
「着ようとしただけで吐きそうになる。怖いお母さんのこと思い出す。気持ち悪いおじさんたちのことも…。…だから、無理」
トーンは「そうか」と寂しそうに頷く。
「なら、早速セサルにそう言っておくよ。あの男、黙って国を出て来たらしいから、そろそろ国に連絡しないと本気でヤバいって焦っていたからね。…彼なら本国に連絡してくれるだろう。エレナの
「…大丈夫かな。だって、あっちの王様、オレたちのことを追っていたなら、オレが女の子だってわかっているんじゃ」
「追っていただけで、実際に捕まえてはいないんだ。君を男だって偽ったところで、相手には君を女の子だと証明できるだけの情報は無いはずだ。だから、相手の勘違いや見間違いとでも、追っ手を欺くために女装をさせられていたとでも、いくらでも言えるさ」
それでも疑ってくる者がいるなら、その時はその時だとトーンは笑う。
「じゃあ、君はこれから男の子として生きていくんだよ。応援しているから」
「うん」
セシルはトーンの目を神妙に見て、こくんと頷く。それにふと、トーンは少し不安に思う。今は簡単に頷けることだろうが、将来的にはこれが酷な決断になっているかもしれないと。
「…」
今の最善はこれしかないのだから、仕方がないとトーンは内心で無理やり頷く。女の子としつつ、男の格好をさせておくのも良い。だが、ただでさえ駆け落ちの子供で、しかも孤児という注目されるべき対称なのに、異装の少女となれば貴族社会の輩は何を言うかわからない。それに、セサルとしても、セシルは男の子としておく方がいいと言っていた。今の国王にはセシルと年の近い王子がおり、セシルは生まれからして王妃は無理だとしても、将来的に側室にされる可能性が高いからだ。セサルはできるだけ、セシルを自由に生かしてやりたいと願っていた。
「…トーン、もうすぐお別れだね」
「…そうだね」
セシルは寂しそうに、トーンを見る。
セシルはこの3ヵ月でトーンに懐いていた。母親は自分が殺してしまいもういない。父親との関係は以前のこともあって微妙。そして、セサルはセシルを元気づけようとしているが、セシルは母親―セサルにとっての妹―を殺した負い目もあってか、関わり方がぎこちない。
セシルにとって、心の許せる関係者と言えば、ある意味部外者であり、そして命の恩人でもあるトーンしかいなかった。
そしてまた、トーンも憔悴しているセシルを放っておくことができず、事件処理の合間に何かと面倒を見ては、話を聞いてあげたり励ましたりしていた。その甲斐あって、セシルは最初の頃よりも表情が明るくなっていた。
「…これ、お守り」
トーンはセシルの右手を取ると、ポケットから出したものを握らせる。
「…?」
それは、魔術文字の刻まれた、金色の指輪だった。サイズ的には男物であった。
「いざという時、君が吸収した魔力を消滅させられる魔法道具を作った。君の魔法と触れて爆発をしないように最小限の接触で君の体内に入りこみ、体内に吸収された魔力を消す物だ。もしも今後、あの時みたいに魔法が暴走したり、やむを得ず許容量以上の魔力を吸収しなければならない時に、これを使いなさい」
トーンは発動のための詠唱をセシルに教える。セシルは何度も繰り返しつぶやいて、覚える。
「その時は吸収魔法を使っている最中で難しいだろうけれど、この道具を発動させる魔力は吸収魔法を帯びない純粋な魔力にしてほしい。そうしないと、爆発するからね…」
「うん」
「…今まで君たちの倒し方ばかり考えて来たけれど、守るために考えたのはこれが初めてだよ」
トーンは自嘲めいて笑った。お家が宿敵同士だという事情をよく知らないセシルは、不思議そうに首をかしげる。それにトーンは「なんでもないよ」とほほ笑み返すと、ベランダの手すりにもたれて空を見上げた。セシルは指輪を嬉しそうに眺めると、大事に胸のポケットにしまった。
「なあ、トーン」
「ん?」
セシルの不安そうな声に、トーンは振り返る。
「オレ、向うに行ったらうまくやれるかな」
セシルはうつむく。その不安な心地がよくわかって、トーンはぽんとセシルの頭に手を置く。
「大丈夫。まずはセサルの人付き合いをよく見ればいい。あいつの真似さえしていれば、友達なんてすぐにできるさ」
人が良すぎてちょっと心配なところもあるが、まああれでも今までうまくやってきているのだし、取っ掛かりの手本としては大丈夫だろうとトーンは思う。
「わかった」
するとセシルは真剣に頷いてくれたので、こちらとしては自身の言っていることは本当に正しいのだろうかと、急に自信がなくなり心配になる。だけどトーンは、正しい事など人や時によって変わるし、今はそれでいいのだという明るい投げやりな気分になる。あいつに当てられた影響らしいと、トーンはまた自嘲した。
「…なあ、トーン」
「ん?」
セシルはもじもじと手を揉みはじめる。何だろうかと、トーンは首をかしげる。
「ありがとう!オレを助けてくれて。後、色々と話を聞いてくれて」
勢いを付けて言ったせいか、セシルの声は少し裏返っている。
「…どういたしまして」
ちょっと素直じゃない子なんだなと、トーンは可笑しく思う。それと同時に、寂しく思う。
もうこの子とこうして会うことは無いだろう。もしも今度会うとことがあるとすれば、戦場で敵同士としてだ。今はこの子は自身のことを好きでいてくれているが、今度出会う頃には家同士の事情を理解しているだろう。こんな風に笑顔を向けてくれることは、きっともう二度とない。
「…」
「…えっ?!トーン…?」
セシルの戸惑った声がするが構うまい。トーンはセシルを抱きしめてわしゃわしゃと頭を撫でた。
―これが最後なのだから
この髪の毛を堪能したい。実は初めて会った時から、無類の子供好きのトーンの庇護欲を、さらにかき立てるものがセシルの容姿―特に髪―であった。
かああと顔を赤くするセシルに気づかず、トーンは心ゆくまでそうしていた。
**********
「…父親はリトミナに来てからは、養父の知り合いのいる、遠くの町で隠れて暮らしていたんだけど、すぐに病気になって死んじまった」
セサルに度々促されて、当時の自分付の侍女―サアラの母親で叔母でもあるグレタと共に、度々会いに言っていた。しかし、いつもセシルは何を話してよいかわからず、優しく近況を聞いてくる父親にそっけなく返事するばかりだった。
やがて1年後、父親は今までの心労もあってか病気になり、そのまま回復することなく死んでしまった。今際の際、父親は最期の最期までセシルの手を握り、詫びながら死んでいった。
「死んでも悲しくなかった。それどころか、ああやっといなくなってくれたって思った。最低だよな…」
セシルの胸に棘のように引っかかり続けていた、自身を忘れ、突き放した父の姿。あれが仕方なかったこととはいえ、納得できない自分がずっと心の中にいた。だからセシルは、父の存在がこの世から消えて、やっと解放された気がした。いつかは父との関係を修復しなければいけないという脅迫観念から、自由になれた。
そして、父がいた時は、父との関係の修復のために、無理やり死んだ母のことを愛そうとしていた。しかし、死んだことで、それももう必要なくなった。
更に、自身にとって忌まわしい期間の記憶を思い出させる一片が、この世から完全になくなったことに、安堵の心地すら覚えた。マンジュリカの手先として自身が犯した罪。自分一人の生涯をかけても、ぬぐいきれない罪。マンジュリカ事件の当事者であり、被害者の一人である父がいる限り、セシルはその罪と向き合わざるを得なかったからである。父が死んでくれたことで、セシルはその罪から目を背けることができた。
しかし、同時にそんな自分に、深い罪悪感も感じた。年月が記憶と罪の意識を薄れさせてくれても、その罪悪感だけは未だしっかりと、セシルの胸の奥底にあり続けている。
――君は何も悪くない
トーンがセシルの話を聞いてくれる度に優しくかけてくれた言葉。セシルはその言葉と、指輪のお守りだけを心の支えにここまで生きてきた。
「お前、そう言えば女の服ダメだって言ってたけど、この間まで普通に女の服着ていたよな。今日も着せられているけど、平気みたいだし」
ロイはこれ以上聞きたくなくて、もっと暗くなりそうな話題から、せめてましな方に話を逸らそうとした。セシルの顔がどんどん虚ろになっていたことも、心配だったからである。
「…ああ、そうだな。こっちに連れてこられて久しぶりに女の服を着せられた時は、年月が経ったこともあってか、何ともなかったよ。…今まで必死に男になろうとしていた意味は何だったのかって、ちょっと馬鹿馬鹿しくなったな。気づかないうちに、トラウマを忘れるぐらい年月が経っていたんだなって、なんだか空しい心地もしたし…。ただ、ノルンに襲われた時に、少し昔の記憶が甦って…それで、しばらく自分の人生ってなんだろうって、考えてばかりいたんだ」
セシルは寂しそうに笑った。
「しばらく女の服を着たくなかったのは、そんな状態で女の服を着たらまた吐きそうな気がしたから。結局何ともなかったけど」
セシルはそう言いながら、着ている服の首元を持って見せる。
「お前、あの時色々心配してくれて、励ましてくれたよな…ありがとう。けど、本当は、オレ、お前が…オレ以外によく似た不幸を持つ人間がいたことに安心して、元気になったひどい女だ」
セシルは自嘲気味に笑った。
「だから、オレみたいな女なんてやめておけ」
セシルは「はは」とロイに軽く笑って見せた。しかし、それは乾いた笑いだった。
「…」
ロイは何も言わず、その無理やりな笑顔をじっと見ていた。そして、
「…?!」
セシルがはっとした時には、ロイに抱き寄せられていた。
「ロイ?!」
「…そんなことを聞かされて、ほっとく男ってのは最低なやつだ」
「ちょ…」
セシルの戸惑った声が聞こえるが、ロイは構わず抱きしめる。
「…お前このまま、オレの嫁さんにならねえ?」
ロイはセシルの頭に手をやり、顔を自分の方に向けさせる。セシルは信じられないと目を見開いていた。
「お前…聞いてただろ?オレ、親を殺してんだぞ。しかもオレ、大量虐殺の女だぞ。何人殺したかなんて覚えてないほどの」
「そんなの関係ねえ。それに、親殺しまでは知らなかったけど、虐殺に関しては知ってた」
今回のマンジュリカ事件に関わるにあたって、ロイ達は8年前の情報を、国王から口頭と書類で得ていた。
その情報にあったのは、マンジュリカから保護された子供たちが、本当はマンジュリカの手先として自発的に事件を起こしていた事。そして、彼らはマンジュリカに人生を目茶苦茶にされて、手下となるように仕向けられていたという事であった。
そして、セシルに関しては、マンジュリカのせいで、父親は記憶を無くして家族を捨て、それで気が狂った母親がセシルを虐待していたという事であった。
さらに、セシルの母はスティアの災害に巻き込まれて死亡、それをきっかけにセシルが浮浪児になったということになっていた。父親は、エレスカで一人暮らしていたところを、保護したことになっている。
トーンとセサル・フィランツィル=リートンの共闘に関しては、公の情報に残っている通り、偶然の一致としていた。そして、セシルが実は女の子と言う情報は、当然得ていない。
だが、ロイは、一般市民の虐殺に関しては、セシルがやっていたという事は知ってはいた。
「それを知ってたって…オレが、その罪から目を背けて逃げようとばっか思っている最低の女だって知らねえだろ」
「ああ、知らなかったよ。けど、実際はこんなにか弱い女の子だと、オレは知っている」
確かに、セシルと実際に会う前は、彼女の経歴をみて常々恐ろしいと思っていた。だが、本当の事情を聞いた今、ロイはセシルを放っておけなかった。
「これからはオレが幸せにしてやる。オレ、頭は悪いし、魔法もほどほどだけど。だけど、オレはオレの全身全霊をかけて、お前を全力で守る」
「…」
セシルはおろおろと視線を泳がせる。ロイは、返事をじっと待つ。
「…オレ、その、あの」
しどろもどろになっているセシル。ロイは男らしく根気よく待つつもりだったが、実際に彼女を目の前にすると我慢できそうになかった。
「…!」
セシルの体を抱き寄せて、ちゅっと軽く触れあわせるだけの口づけをする。
「…っ!」
全力でセシルが、ロイの腕から飛びのいた。半泣きになって、あわあわと口を押えている。
「あ、あ、ろろろ、ロイさん、あの、その、えーっと、ですね」
セシルは混乱が過ぎたのか、自分でも何が何だかわからず、ぽろぽろと涙を流し始める。
「あ、あ、あの」
セシルは混乱しつつも、ロイにキスされたことが、何だかもうレスターに対して顔向けできない出来事のように思えた。そして、それがどうしてだか怖くて手で唇をぬぐう。
「……」
―やはりレスターのことが好きなのか
セシルは、レスターが好きかどうかは、よくわからないと言っていた。自身を救い励ましてくれたトーンに似ているから、傍にいると安心するだけだと。だが、それが恋心に変わっていることに、自分では気づいていないのだろう。
ロイはそんなセシルを見つめ、ふっとうつむいた。そして、笑顔を作った顔を上げる。
「ごめんな、ちょっと急ぎ過ぎた。」
ロイはあっけからんとした声で言う。
「今のプロポーズの返事は、いつでもいいから。慌てずゆっくり考えてほしい。いつまでも待っているから。あ、オレがお爺ちゃんになる前には出してほしいけど」
「…うん」
返事に猶予ができたことで少し落ち着いたのか、セシルは顔をあげてちょっとだけ笑った。「ごめん、急に泣いて」と謝るセシルの肩を、ロイは元気づけるように叩く。
「さ、しんみりした話は終わりにして、腹ごしらえの続きだ。今度はトウモロコシ食べよう」
「うん」
セシルは涙をぬぐいながら、にこりと笑った。ロイはなんだか寂しい心地が沸くのを、ごまかすかのようにトウモロコシにかぶりついた。
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