9-②:『驚くべき神の恵み』~西暦2115年8月31日~

「風が気持ちいいな」

「うん…」


 セシルは、眼下に広がるツンディアナの街を見ながら草原に腰を下ろしていた。


 ちらり横を見れば、レスター・ラングシェリンが口元に微笑みを浮かべながら、自分と同じく街を見下している。


「ここ、俺の父上のお気に入りの場所だったんだ。昔よく、母と俺をここへ連れてきて、家族皆でこの景色を眺めていたんだ」

 父上、とはトーン・ラングシェリンのことだろう。


「そう言えば、セシルさん、俺の父上に会ったことがあるんだよね。…君をマンジュリカから救出したという事は昔に聞いた事はあったんだけど、君が実は女性だって事までは聞かされなかったな…。いや、きっとあの父上のことだ。あえて黙っていたんだろうね」

 ふふっと優しく笑いかけるレスターに、トーンの面影がかさなり、セシルは暖かい心地になる。しかし、ふっと、自分はこの男に攫われた身の上であることを思いだし、セシルは慌てて目をそらす。


 実はこの時、続いてレスターはセシルが男性として生きていた理由を聞きたいと思っていたのだが、セシルの様子にあまり一度に踏み込むと警戒されてしまうだろうとやめた。

「…あそこに見えるだろうけれど、あの塔はツンディアナで一番高い塔なんだ。あそこは…」

 レスターは差し障りのない話をしてあげようと、景色の中に見えるものを説明した。セシルも別に興味はないけれど他にすることもないので、それを聞いて視線を説明してくれるものに巡らせていた。


「……」

 しかし、やがて説明できるものが一通り終わってしまって、沈黙が二人の間に降りる。



 セシルは当初居心地が悪くて、何か自分も話したほうがいいのかなとそわそわしていたが、結局話せるようなことは何もなく、仕方ないのであきらめてぼうっと街を見下していた。レスターも同様だ。

 しかし、そのうち二人はそうした沈黙にも慣れ、うってかわって無言で並んでいるだけのこの現状に居心地の良さを感じ始めていた。

 髪を優しくかきあげる風。隣に座る者の柔らかな息遣い。そして、暖かな気配がそばにある安堵感。すべてが心地よく…どこか懐かしい。まるで、昔から二人でこうやっていたような。セシルはふっと口を開く。




「○○○、○○○…○○○○」

「…?」


 ふいに歌声がした。レスターが驚いて横を見ると、セシルが街を見ながら口ずさんでいる。何かの歌のようだった。

 セシルから発せられたとは思えない、綺麗な高い声だった。もしかしたら、彼女は長年男として生きてきたから今の声の出し方になってしまっていて、女性としての声はもう少し高いのかもしれない。


「…」

 何語かはわからないので、どのような意味の歌かはわからない。しかし、とても綺麗な歌だった。だから、レスターは目を閉じると、じっと耳を澄ませて聞いていた。


 ふわっとした優しい気持ち、どこかへ帰りたくなるような懐かしい気持ち。そして何だか、寂しく悲しい気持ちが心に湧いてくる不思議な歌。

「ん…?」

 ふと、歌詞の意味が分かるような気がして、レスターは目を開けた。



 しかし、目の前には、先程までのツンディアナの街はなかった。

 変わりに見知らぬ男が目の前にいた。

「……?!」

 レスターは思わず立ち上がろうとし、しかし出来ないことに気づいた。


『……』

 男は無表情でじっとレスターを見る。いいや、実際には目線は合っておらず、見えていないようだった。

『…馬鹿野郎』

 男はぽつりと言った。レスターは自分が言われたのかと思うが、

『俺の馬鹿野郎…なんで、何で俺はあの時見捨てた…。上官の言う事なんか無視して助けに飛びだせばよかったんだ。そして、俺があの時死ねばよかったんだよ…』


 ふと体が浮いた気がした次の瞬間には、レスターは男の脇に立ってその背を叩こうとしていた。しかし、何故か手は男の体を素通りし、触れられない。ふと見れば、自分が先程まで座っていた場所は誰かの墓らしく、十字の形をした白く真新しい墓標がたっていた。あたりにも同じ真新しい墓標が、延々と縦横に列をなして並んでいる。


『西暦2115年8月31日没 ジュリアン・アークライトここに眠る』

 先程の墓の下に埋まっているらしき人物の名前が、墓標に書かれてある。しかし、レスターは、何故かこの墓標の下には何も埋まっていないことを知っている。他の墓標の下も、ほとんどがこの墓と同様であることを。


 ふと、鐘の音が鳴る。教会の鐘。それに混じって聖歌隊の声が聞こえる。その歌は近頃絶えず、教会から響いているものだとレスターは何故か分かった。

『何が驚くべき神の恵みアメイジンググレイスだ。お前は、誰も、救ってないじゃないか』




「…!」

 その瞬間、レスターは急に夢から覚めた心地がして、目を見開いた。

 目の前にはいつも通りの、ツンディアナの街。


「…?」


―白昼夢か?


 訳の分からない光景に、そうに違いないとレスターは思う。近頃忙しかったから疲れていたのだろう。レスターは頭を覚まそうと首をふる。セシルはそんなレスターに全く気付かず、隣で歌い続けている。


「セシルさん、その歌、なんという歌?」

 何だかこれ以上この歌を聞きたくない気分になったレスターは、やめさせるべくセシルに問いかける。すると、セシルは困ったように、う~んと首をかしげた。


「…わかんない。なんだか歌いたくなったから歌っただけで、何の歌だっけ…」

 セシルは思い出そうと自身の記憶をたどり、しかしその歌の題名を思い出せない。

 そういえば、つい思い浮かぶままに歌ったけれど、どこの国の言葉か全く覚えがない。ジュリエ語でもないし。さらに言えば、習った記憶もなかった。だけど知っている以上、チビの時にどこかで聴いたのだろうとセシルは思う。

「…え~と、確か葬式で良く歌われる歌だった気がする」

 数少ない記憶を絞り出し、セシルは言う。


 お葬式。レスターはそれを聞いた時、あの歌が流れていた夢があながち間違っていなかったことに、何となく不気味に思った。


―だけど夢は夢だし、偶然だろう


 レスターは無理やり気分を切り替えようと思い、時計を取り出した。ふたを開け時間を確認する。

「あっ…」

「ん?」

 セシルが小さく声をあげた。視線を追えば、レスターの時計を見ている。


「その時計…」

 レスターはそう言えば、と思う。

「これ、君が持っていてくれたんだね。ありがとう。もうとっくに捨てられたと思っていたんだ。大切なものだったから本当によかったよ」

 レスターは心の底からセシルにお礼を言った。すると、セシルはばつが悪そうに目をそらす。レスターは不思議に思う。


「そうか、よかったな」

 実はネコババしようとしていたなんてとても言えない雰囲気。

「もしかして誰かの形見とかか?」

 セシルはごまかしに話を振る。


「ううん、形見じゃないけど…同じようなものかな。…君も知っているだろうけれど、イルマからプレゼントされたものなんだ。」

 イルマから?セシルは驚いたようにレスターを見た。レスターは時計のふたを開けたり閉めたりしながら寂しげに続ける。

「実は、俺と彼女とは恋仲だったんだ…。けれど、結局、政治がらみでエレスカに輿入れして…、3年前の戦の時に殺されてしまったんだ」

「……」


 そう言えば、3年前サーベルンとその属国エレスカで戦が起きた。その戦はエレスカが反乱を起こしたことから始まった。大国サーベルンと、大陸に性急に支配を広げつつあったエレスカの戦いは、大規模なものになることが予測された。しかし、サーベルンから輿入れした末の王女が人質にされており、実際にはエレスカ優位の膠着状態となった。

 だが、半年後、その王女がとうに殺されていたことを知ったサーベルンは、エレスカの王都を包囲して攻撃し、完全に滅ぼした。その際に単身城に乗り込み、落としたとして噂になっていたのは、


―ラングシェリン家の次期当主


 セシルは思い出すなり、改めて驚きに目の前の男を見た。当時の次期当主ということは目の前のこいつになる。


―こんなに真面目で大人しそうな男が…?


 王族や貴族は、女子供問わず皆殺しにしたと聞いている。そういえば、それを聞いた当時は、野蛮な息子が出来ちまって、トーンは大変だろうなあと思っていた。とにかく、それを成し遂げた男のイメージと目の前の男が同一人物に思えず、セシルはレスターをまじまじと見てしまう。

 それに、イルマが商人の娘とばかり思っていたから考えたこともなかったが、考えてみればあの時殺されたのは国王の末娘でイルマ王女だったのだ。



「彼女が輿入れする前に、これを手渡されたんだ。四つ葉のクローバーって幸せの象徴だろう?幸せになってって…」

 この時、レスターは思い出していた。あっけからんとした笑顔を張り付けて、これを渡してきた別れの日の彼女を。本当は今にも泣きだしそうなのをこらえているのは、レスターにはすぐに分かった。しかし、当時のレスターにはどうすることもできなかった。だから、恋は叶わずとも、生きていればまた会えるとレスターも自身の心を押し殺してそれを受け取ったのだ。それが生きている彼女を見る、最後の日になるとも知らず。



「…もう彼女はこの世にいないけれど、この時計さえあればいつもそばで見てくれているような気がして」

 慈しむかのように時計を撫でるレスター。

「……そうか…よかったよ」

 そんなに思い入れのある物だったなんて。セシルは本当に捨てなくて良かったと思う。

「イルマのことも、お悔やみ申し上げるよ。何というか…王女とは思えない元気な人だったよな…」



 セシルは5年前を思い出す。彼女のことはよく覚えていた。両親をかばって海賊を相手に戦っていた彼女。たまたまその直前マストの檣楼に上っていたセシルはそこから、魔法も使えないくせによくやるなあと感心してぼさっと眺めていた。そうこうしているうちにその人―イルマの背中に銃が向けられているのに気付いて、セシルは慌てて魔法を使い海賊を全滅させたのだが。


 そして、その後着いた港でセシルが港町の自警団の人たちに海賊を突きだしていると、彼女たちが病人らしい母親を抱えたまま行くあてもなさそうにうろうろとしていた。だから、セシルは気になって声をかけたのだ。

 そして彼女たちから話を聞いたセシルは、サーベルンから病人を診てもらいに来たが行くあてがないという計画性のない情けない一行にあきれた。しかし、セシルは話を聞いてしまった以上見るからに死にそうな病人を見捨てられず、宿の世話をして養父ちちの知り合いの医者を呼んでやったのだ。


 イルマと商人だというその父親(その時は国王とは知らなかった)は、泣いて喜んでいた。そしてその後、イルマは母親の看病の傍ら、何かとセシルがいる宿に遊びに来てくれた。

 しかし、養父上ちちうえの知り合いを呼んだことでやっぱり家出がばれてしまい、セシルがヘルシナータに着いてから丁度一週間後、宿の部屋のドアがノックされた。セシルがイルマだと思って開けると、カンカンになった養父ちちがおり、そのまま引きずられてリトミナに帰ったのだ。



「…やっぱり、君もそう思う?」

 何かをこらえたような言葉に振り向くと、レスターが口に手を当ててくっくと笑いをこぼしていた。


「あの人、全然王女らしくなかっただろう?……そう言えば、君あの時11歳だったんだよね。大丈夫だった?イルマが君に変な事をしていなければいいけれど」

「……」


 セシルは真顔になった。セシルが自身の言葉の意味を理解できたことに、レスターはやっぱりと思い、憐れむような視線をセシルに送る。

「…すまない。実を言うと、俺もロイとノルンも、10年ほど前までは被害者だったんだ…」

「…あいつ、やっぱり幼児性愛者なのか?」


 セシルはぞぞぞーっと思い出す。イルマは宿に遊びに来ては、セシルを過剰に可愛がった。逃げるセシルをひき捕まえて抱きしめ、嫌がるセシルを押さえつけて撫でまくり、ほっぺをぷにぷに、耳たぶはむはむ、そして極め付きは唇にキス。その後は街に遊びに連れて行ってくれるのだが、堪能して満足してくれるまでその地獄は終わらない。


「…違う。そうとしか思えないだろうけれど、あれには訳があって。誤解しないでやってほしい、ただ単に子供が好きなだけなんだ…。イルマは人の心が読めたって聞いただろう?城で汚い大人の心ばかり見てるから、素直な子供を見るとついつい可愛がってやりたくなるという…」

「あれがただ単に子供好きなだけって言えるか…?それに、お前も被害者だったって言ってるけど、…ええと、あいつあの時17で生きてたら22で…お前は今ハタチってきいてるから、2歳しか離れてないんだろ?なのに、あんなことされてたって…」

「…」

 レスターは何も言えない。


「こんなことは言いたくはないけど、お前の彼女はただの変態だったってことか…?」

「うう…」

 レスターは彼女の名誉を考えて否定してやりたいと思うが、否定できない。レスターは顔をしかめ、頭が痛いとでもいう風に額に手をやった。


「…とにかく、彼女が無礼を働いていたようですまない。代わりに謝るよ…」

「謝られてもオレの奪われた唇は帰ってこないけどな。…まあいいけどさ、何だかお前もそれで苦労してそうだし」

 セシルはしかたないなあとため息をつき、後頭部をかく。


「でも、お前は、あんな変態彼女のどこに惚れたんだよ?普通、そんな女に惚れないと思うんだけど」

 セシルは、不思議そうに首を傾げながら、レスターを見る。するとレスターは、ふっと小さく笑って、空を見た。

「…なんというかな。小さい頃からずっと一緒に居たから、そのまま一生一緒に居るのが当たり前だと思うようになっていた部分もあったけれど………彼女、いつも後先考えずに思うがままに動くから、とてもほうっておけなくてさ。実は繊細で怖がりなくせに、強がりだし…俺が傍にいてやらないとどうなっちゃうんだろうって。だから、ずっと一生、傍にいて支えてやりたいなって…」

 そう言いつつ、ほわんと人を思う微笑みを浮かべているレスター。



「…そう言えば、恋って何を以って、恋って言うんだろう?恋をしているっていう基準は、何なんだろう…?」


 レスターのそんな表情を見ていて、ふと込み上がってきた疑問。前にも考えたことがあるが、結局はっきりとした結論はでなかった。その疑問を、セシルは誰に問うともなく呟いた。

 しかし、イルマとの思い出に夢中なレスターは、セシルのその言葉に気づかず、なれ初めやら惚気話やらを始める。セシルは特にやる事もないので、その話に耳を傾けることにしたが…



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『アメイジング・グレイス(和訳で『すばらしき恩寵』とか『驚くべき神の恵み』)』は綺麗な歌だけど、お葬式の歌ですもんね。


この物語をよく表してくれる、ぴったりで引用したい部分があったけれど、J○○○○Cが飛んでくるから、止めました…。

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