8-⑩:母という名の生物は

「ああ、ややこしいことになってしまいましたよ…」


 暑い日差しが、真上に来るころ。ラングシェリン家の屋敷の執務室。

 別荘からレスターと共に転送で帰ってきたノルンは、テーブルの椅子に座るなり前髪をかきあげ、そのまま頭を抱え込んだ。


「お帰り…何となく察したけど」

 留守番をしていたロイは、ノルンの悩みの元がユリナだろうと聞かずともわかった。彼がここまで感情をあらわにするのは、大抵ユリナが絡むときだからである。


「なんで、あんたたち、あっさり見つかるんですか?いいや、なんであの時にかぎって、礼拝堂に乗り込んできたんでしょう…?いつもなら祈りの邪魔などしないのに」

「母親の勘だってさ。その時にかぎって、オレらが良からぬことを隠れてしているような気がしたんだと」


 ロイは母親という生物は恐ろしいと、腕を抱いてさする。レスターはノルンの隣に椅子を引いて座りつつ、その恐ろしさに心の中で同意する。


「レスター。お前は知らないだろうけど、あの後誤解を解くの大変だったんだぞ。『恥知らず!あんたたちを殺して私も自害する!』って。騒ぎを聞きつけた侍女たちが、礼拝堂の中に入って来ないようにするのも大変だったんだから!丁度ノルンが帰ってきてくれなかったら、どうなってたことか」

「ありがとう、すまなかった…」


 レスターは包帯のされた額をさすりながら言う。あの後2時間ほど気絶していたからその騒ぎのことは全く知らないが、とても大変だったんだろうなと思う。



「これからどうする?母上は帰してやれとばかり」

 レスターはノルンに聞く。後、偽名を使ったことを彼女から聞いて知ったのか、騙したことを謝れと言っている。何度も責められ怒られ、レスターはほとほと参っていた。


「どうするもこうするも、王自らの命令ですのにそんなこと無理でしょう。ああ…言うのを忘れていましたが、さっき会う算段がついたので、明日陛下の元へ連れて行きます。連れて行ってしまえば、奥様もあきらめがつくでしょう」


 それに、とノルンは付け加える。


「あんな話を聞けば、なおさら帰せるわけないでしょう?」

 会合の場でリトミナ国王が発言した言葉。リトミナ王家の血の弱体化。セシルの分不相応な縁談は、その対策の一環だったのだろう。


「リトミナ王家の血が弱体化していたとは、全く気付きませんでした。現リトミナ国王をはじめとして、近年は直系の王族の者は戦の場に出たことがありませんでしたが、それは兄弟姉妹が早世して継承者が他にいないためだと思っていました。…実態がそういうことなら、リトミナの国力を弱まらせるチャンスを逃すようなことはできない。絶対に帰してはなりません」


 セシルばかり追っていたから、気づくどころか知ろうともしていなかった事実。思いもかけない拾い物をした形だ。


「このこともセシルが女性だったことも陛下にも伝えましたし…元々の誘拐の理由はまだ話してもらえてはいませんが、おそらく今回の誘拐にはそれ以上の価値ができたでしょうね。きっと今頃は、リトミナへの今後の対応や、セシルの有効活用を考えておられるでしょう。」

「有効活用…って、やっぱりさっき言っていた」

 レスターはノルンの言わんところを理解しつつも、再度確認せずにはいられなかった。


「そうです。おそらく、身元を偽らせて、王子の妾にでもされるんじゃないでしょうか。性格はあれですが、子供だけを産ませるなら問題ありませんし。幸い顔がいいので、抱くだけが目的なら断る男はいないと思います」


 やはりそうか。レスターは、子供を産まされるだけという、家畜のように扱われる運命のセシルを思い、ちくりと良心が痛むのを感じた。自身がこんな任務をしなければ、きっと今頃は自由でいられたのだろうに。


「あの王子にそんなこと、できるのか?」


 ロイは「なあ?」と、視線でレスターに同意を求める。「確かに」とレスターは頷きつつ、思う。レスターより5歳年上でこの国の次期国王である王子は、正義漢で曲がったことが大嫌いな男だ。「生涯愛すべき者はただ一人!妾などつくる男はカスだ!」と公言し、結婚するのは運命の相手だけだとその相手探しに徹しているし(ちなみに、そのせいで婚期が遅れているのだが)、レスターはかすかな希望が湧くのを感じたが、


「まあ、国のためと言うのなら納得されるんじゃありませんか?断られても、適当な身分の男の妾にして、先でその子を王宮に入れればいいだけの話ですし」

 やはり家畜の運命からは逃れられないのか。再びレスターの心が痛む。


「そういえば、お前ら帰ってきて大丈夫なのか?今別荘にいるの、奥様とあいつだけだろ?」

 ロイは、テーブルに置いてある氷入れから氷をコップにとりわけ、水を注いでいく。ユリナはあんたたちに任せたらろくなことにならないと、別荘でのセシルの世話を頑として譲らない。しかも、セシルの気に障るから、帰れと言う始末。


「逃亡の方は大丈夫だと思うけど、万一奥様に危害でも加えられたらどうするんだよ?あそこも台所に包丁とか、色々と武器になるものがあるし。それにもし自殺とかされたら…」


 あの部屋は窓が壊されてしまったので、別の部屋に仕掛けを施して閉じ込めようとしたのだが、母がやめるようにうるさく言うのでそれは諦めた。だが、彼女のチョーカーに反応するようにしてある逃亡防止の仕掛けが、別荘の敷地を取り囲むようにしてあるから逃亡に関しては大丈夫だ。


 しかし、ロイの言うとおり、別荘の敷地内には包丁やハサミなど凶器になるものは多々ある。あの性格で自殺はないと思う。ただ、凶器で母を傷つけたり、凶器を持って母を人質に取り、外へ逃がすように迫られる可能性があった。だが、


「…珍妙な事ですが、奥様…あの短時間で化け物を手懐けてしまったようです…」

「マジかよ…」

 ロイは驚きつつ、レスターとノルンの前に冷えた水のコップを置く。


 ノルンの言う通りで、セシルは母上と共に大人しく朝食を食べた後、庭や敷地内の林の散策に付き合わされている。手枷足枷をしていないにもかかわらず、今のところ逃げ出そうとも、危害をくわえようともしていないみたいだった。まあ、大人しく見せかけて、油断をさせるつもりなのかもしれないが。


「まあ、あの子は今は魔法使えないし、母上はそれなりに魔法も武術もできるし、大丈夫と思うけど」

 レスターはコップに口を付ける。冷たい水が、頭にキンと来て気持ち良かった。


 一息をつくと、ふとレスターは時間を確認しようと思いたつ。ポケットに手を入れそれを探り当てると、うれしい気持ちが甦り口元が緩んでしまう。懐中時計で時間を確認しているレスターを、ロイは横目で見つつ、わからないよう小さく息をつく。


「…」

―せっかく、きっかけになるかと思ったのに


 時計を無くしたことでレスターが前を向けるきっかけになると思ったのだが、結局戻ってきてしまった。本人にとっては幸せなのだろうが、ロイは複雑な思いを抱く。


 そんなロイの気持ちなどつゆ知らず、レスターは時計を愛おしそうに見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る