第7章:急転

7-①:人類に恋は不必要。

『いいか、良く聞け。こういう話をどこかで聞いたことがある。人類は進化の過程で理性なんてものを得て、野性性を失ってしまった。そして、顔や家柄や給料なんてものを物差しに生殖相手を選ぶようになり、簡単には子孫を残す事ができなくなった。そんな種族維持に関わる危機を本能的に察した肉体の神秘か、恋なんてものが生まれた。適齢期の人間の理性を消しとばすために。そしてこの話では、恋は一過性の精神疾患と結論付けられている。そして、結婚して後で後悔するなんて言うのは、恋が終わった瞬間人間は理性を取り戻すからだと。俺はこの話を中々面白いと思っている。そして、至極妥当な理論だとも。だから、理性の動物である人間には本来恋など不要。それでも種族維持に貢献したいというのなら、適当な女に種を付ければいいだけの「……嫌な夢」


 レスターは起きるなり、げんなりとした。


 話の内容もそうだがどこぞの研究者のような単調な声に、聞いているのも嫌になったレスターは相手の言葉から逃げよう逃げようと思っている間に、目が覚めた。


「しかも、言われた内容をしっかり覚えているという…」

 近頃、縁談縁談縁談ばかりの話続きで、頭が疲れておかしくなっているのかもしれない。

 しかも、セシルを誘拐しろなんて無茶な案件まで抱えてしまったのだ。ただ単に誘拐するだけならまだしも、あの翌日国王が希望したのはとんでもない誘拐の方法だった。


「もう一眠りしよう…」

 そうして、レスターは現実逃避をしたかった。それに、まだ朝早いし。レスターは布団をかぶりなおすと、もう一度寝ようと目を閉じ「レスタあああ!!」

 ロイの叫び声と同時に、どっぱーんという勢いで部屋のドアが開く。


「うるさい…何事だ…」

 さわやかな休日の朝が台無しだ。大方、ノルンに追われているから匿ってくれとか言う話だろうと、レスターは体を起こす。

「ノルンに殺される!匿ってくれ!」

 やっぱり。と思った時には、ロイはレスターの布団の中にもぐりこんでいた。


「お前…」

 レスターは布団の中で、ロイに足に抱きつかれる。呆れてがしがしと頭をかいていると、ノルンがノックもせずに入ってきた。

「ロイ、隠れてないで出てきなさい!」

「ひいい!!!」

「お前ら…」

 喧嘩するならよそでしろ。主を巻き込まないという気配りは、どうやらこいつらの頭の中にはないらしい。


 レスターは威厳がないからこうなるのかなと、自分のふがいなさを思う。ここは、ガツンと…言ってもノルンに口で負けるからやめとこう。

「…さあ!出てきなさい!言い訳は後で聞きます」

「いやあああ!殺されるうう!レスタ――!」

「お願いだから離してくれ…」

 ノルンに布団から引きずり出されるロイは、引きだされまいとレスターの腰に抱きついていた。レスターは力なく言いつつも、関わりたくないので、ベッドわきをつかむレスターの手の力は本気を出している。


「そうやって主に迷惑かけて、従者としての意識はあるんですか? !」

 それを言うなら、ノルンよ。お前にもその心意気はあるのだろうか?と思いつつも、レスターは声に出せない。

「こうなったら、もう!」

 その声と共に、急に体が軽くなる。同時にロイとノルンが目の前から消える。一拍おいて、階下でロイの悲鳴が上がった。

「……俺を巻き込むな…」

 はあとレスターはため息をついた。





 もう少し寝たかったのに、寝る気分もなくなったレスターは着替えを済ませ部屋を出た。朝食までには時間があるし、ちょっと気分転換に外へ散歩にでも行こうと思う。悲鳴で騒がしい部屋の前に差し掛かった時、廊下の反対の端の方を歩いていると。


「あら、レスター。今日は早いのね」

「……母上」

 振り返れば、レスターの母が少し意外という顔をしていた。母はこれまた同じく散歩にでも出ようとしていたのか、上着を羽織っていた。


「…あなたも、ノルンたちの声に起こされたの?」

「…まあ」

 ということは、あの騒ぎで母は起こされたのだろう。レスターの方は、本当は珍妙な夢で起こされたのだが説明するにも訳が分からない夢なので、話を合わせておいた方が楽だしと頷いた。


「ここのところ、皆忙しそうだから心配していたけれど。あの子たちは元気そうでなによりだわ」

 母は2人がいるだろう部屋の扉を見つめ、安心したようにほほ笑んでいるが、あれを微笑ましく思うのはどうだろうと思う。


「いだい!いだいいだいいだいぃぃぃぃ!!!」

「こら、待て!」

 と思う間もなく、ノルンにほうきで殴られているロイが扉をバアンと開けた。

「助けて、レスタあああ!」

 ロイがレスターに泣きつく。しかし、ノルンは無情にもロイの頭をわしづかみ、

「は…?!なんで俺まで?!」

 レスターごと部屋の中に転送させ、扉を閉めた。




 レスター達が国王から命じられた任務はこうだ。

―マンジュリカの仕業に見せかけて、セシルを誘拐してほしい


 当然、マンジュリカにも、誰が誘拐したか気づかれずに実行しなければならない。

 しかも、国王はそんなややこしい手段をとる理由は教えてくれない。王命でなければこちらから願い下げだ。


 ノルンは、マンジュリカが実際に襲撃してきた際に、隙を見つけてセシルを誘拐すれば楽だという案を出している。レスターは反対した。だって、それはへたすればマンジュリカにこちらの存在が知られる可能性がある。それに、なりすましの誘拐なら『セシルをいただいたわbyマンジュリカ』とでも手紙を残して攫えば簡単に済む話だと思うからである。


 しかし、ノルンはマンジュリカのように自らの力を誇示したがる者が、こそこそとセシルを誘拐する方がおかしいと思われると主張した。そして、ノルンはこの案に従った方が、マンジュリカがやったという偽の証拠の偽造などに力を入れる必要がなくて仕事が早いと言った。確かに、化け物をつくって火薬とやらで爆発事件を起こして、その隙にセシルを攫えば、明らかに奴の責任にはできるだろうが、そんな代物作れない。つまり、漁夫の利のような事をした方が楽なのだ。


 とはいえ、証拠偽造などはしなくて楽だが、いつ起こるかわからないマンジュリカの襲撃を待つために何かとセシルを見張らなければならないので、結局手間がかかる。―まあ、普段はレスターが直接行って見張っている訳ではなく、ノルンが見張っているのだが。


 だけど、マンジュリカが最も出現する可能性のあるセシルの任務中には、誰かが実際に見張らなくてはならなくて。そんないきさつから、ロイは昨日、リザントで任務中のセシルを追跡していた。マンジュリカが動くときを待つために。

 そして、レスターは、その翌日の朝っぱらから喧嘩しているということは、ロイは何かにしくじったに違いないと思う。



 実際、ノルンが怒っている理由はもう一つあるのだが、一番大きなものはロイがしくじったことであった。

 セシルの任務当日、ロイは噂で聞いていたよりも静かだし大丈夫そうと、森に先回りするつもりで入ってしまい、そして魔物に囲まれあわや殺されそうになって命からがら逃げてきた。その際魔法痕を森に大量に残してきた。ロイはよくいる火と風の魔法の使い手だから、魔法痕を残したところでリトミナ政府関係者やマンジュリカから目をつけられる訳でもない。だが、その夜、ロイは今日はもう何も起こらないだろうと張り込みを解いて宿で寝ていたのだ。その結果、その間に何かセシルの身に事件が起こったらしいが、それに関してよくわからないという事態+セシルをこんなにも早く攫えるチャンスを逃した。


「どうせあなたのことですから、きゃあきゃあと目立ちながら魔物を倒していたんでしょう。セシル達が来る前に森から出られたからよかったものの、もし鉢合わせしていたらどうするつもりだったんですか?!」

「仕方なかったんだよ!ノルンだって、あんなの見たらちびるって! 数が半端ない上に、よっぽど腹好かせてんだぞ!オレが倒すなり、仲間の死体に群がっていくんだぜ?!」

「そんなの知りませんよ!ちびらないように頑張ればいい話じゃないですか!」



 レスターは、これまでの2人の会話を傍で聞いていて、ある程度話の筋が理解できた。そして今、話が逸れていることも良くわかる。だが、訂正するだけの勇気はないし、構いたくはない。何で俺までこの場にいるのだろうかと思いつつ、レスターは部屋の隅でちぢごまって立っていた。


 ホウキで殴られ続けるロイを哀れに思うが、ノルンが怒っている理由も確かだとレスターは思う。

 こんなややこしい任務を、さっさと終わらせられるチャンスを逃してしまったのだから。代理を通しての昼夜問わずの監視にノルンは、「さっさと終わらせたい、絶対にさっさと終わらせる」とぶつぶつと、クマを飼った狂気の顔でつぶやいていた(レスターは交代制にすれば良いと言ったのだが、変なところで責任感のあるノルンは頑として頷かなかった)。今回ロイに現地でのセシルの監視を任せることで、ノルンはやっと睡眠をとれていた。しかし、ノルンが久方ぶりの睡眠から目覚めて見れば、今回のロイの失敗。ついにノルンの頭の中の糸が、ぶつりと切れてしまったのだろう。



「まあまあ、ノルン。ロイも反省しているんだし、今日のところはこのくらいで」

 レスターは血だらけになっているロイの様子に、さすがにそろそろ止めないとまずいと思った時、部屋のドアを開けてさすがに心配したらしい母が止めに入った。


「……」

 ノルンは不貞腐れたように、そっぽを向く。

「ノルン…ロイが何かの任務で失敗したのは理解しましたが、怒っても何も解決できませんよ。大切なのは、その失敗をこれからどう活かすかでしょう?」

「……分かりました」

 落ち着いた、しかし意思の感じられるレスターの母の声に、ノルンは反省したかのように、母に向き直る。


 俺が言ってもきっと止めなかったであろう。俺に対する本来あるべき姿を向けられる母を、レスターはうらやましく思う。

 ノルンはホウキをうなだれるロイの頭の上にぽいと捨てる。コンと痛そうな音が鳴った。

「今度からは失敗しないでくださいね」

 ノルンはいつもの調子に戻った声で、痛みで頭を抱えるロイに言う。


 やっと喧嘩が終わった。ほっと胸をなでおろすレスターの隣で、母がノルンににこりと笑う。

「2人とも仲良くね。私たちは少し散歩に行きますから」

 え、いつの間に一緒に行くことに。だけど、この場に居続けるのもなんだか嫌だし、とレスターは思い頷いておく。

「そうですか、いってらっしゃいませ」

 これまたノルンが素直に言ってくれたので、レスターは母の偉大さを改めて痛感したのであった。

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