3-⑧:一件落着、ですか…?

 静まり返る会場。もう化け物はいない。セシルは魔法を収束させるなり、がくんと崩れ落ちた。

「セシルさん!」

 レスターは慌てて抱える。しかし、右腕がだらりと変な方向を向いた。どうやら、あの不思議な魔法の効果がきれたようだ。思い出したようにごぼりと血を吐いたのに、他の怪我も戻ってしまっていることに気づく。


「誰か、お医者さんは…」

「セシルさまあああ!」

「セシルちゃああん!」


 その叫び声に振り返れば、先程街で見かけたセシルの侍女らしき女性とアメリアだった。

「お兄さん!お願いその子、座席の間に隠して!」

「は…隠す?」

「応急処置しますのでご協力お願いします!」

「ああ…」

 応急処置って隠すものだっけ、とレスターは首をかしげるが、アメリアとサアラの剣幕に押され、言われるがままにセシルを座席の隙間の床に寝かせた。石床に直に寝かせることを少し申し訳なく思う。


「サアラ隠して!」

「オッケーですわ」


 ショールやら上着やらを前後の座席の間に渡らせてかぶせ、自分たちはその中に入ってごそごそとし始める。


―そういえば治癒魔法は人に見られるとややこしいから、隠しているって話だったっけ


 治癒魔法とは魅力的な物だ。難しい病気や怪我を直せる神様のような人間が存在しているというだけで、皆が救済を求めに来て大変なことになる。それに、アメリアはその能力のせいで過去に辛い目に遭っていた。

 レスターはその情報を思い出し納得するが、ただその隠し方は怪しまれるんじゃない?と思う。実際、遠巻きに見ていた観客たちがなんだなんだとこっちを見ている。


「終わったわ!」

「ご協力ありがとうございます!」

 早いもので、サアラが目隠しを取り払いつつ、セシルに肩を貸して立ち上がった。

 セシルは顔色が優れないものの、目を開けている。レスターは少しホッとする。


「アメリアさん!」

 後ろで続いて立ち上がろうとしたアメリアが、ふらりとよろけた。

「すいません、この人少し見ていてください!」

「あ、ああ」

 サアラはセシルをレスターの胸に押し付けると、アメリアをあわてて支えに行った。そういえば、治癒魔法は自分の魔力を大きく削るものだから、重症な患者を直そうとすると行使者の命に関わると情報に合ったな。


「…なあ、オレもう立てるから…」

「…?」

 レスターがふと見れば、腕の中でセシルが真っ赤な顔になっていた。熱でもあるのだろうかと心配したレスターの目線から逃れるように、セシルは目をそらすともぞもぞとレスターの腕から抜けようと動き始めた。そういえば、図らずも抱きしめている形になっている。


「ははは、ごめん…。」

 そういえば誤解される構図かもしれない。レスターはちょっと危うく思った。さっさと座席に寝かせてしまおうと、ひょいとセシルを抱き上げる。セシルはやめろと身をよじったが、添え木された右腕がレスターの肩に当たり、痛みにうめいた。そして、結局あきらめたのか、セシルは目をそらしてじっとした。


「だからあ、私は大丈夫よ!早くカイゼル見つけるの!」

「だからあ、私が探しに行くって言ってんじゃない。寝てなさい!」

 座席に寝かされたアメリアが起き上がろうとするのを、必死になってセシルの侍女が止めている。ぎゃあぎゃあ言い合う二人を、レスターは仲がいいんだなと少し微笑ましく思いつつ、レスターもセシルを座席に寝かせた。


「あんがと…色々と助けてくれて」

 その時、目をさまよわせ、しかし思い切ったのかレスターの方を見てセシルが言う。ちょっと素直じゃない子なんだなと、レスターは可笑しく思う。

「どういたしまして。こちらこそ化け物を倒してくれて助かったよ、ありがとう」

 すると、セシルは、くすぐったそうに笑った。こういうところが素直なのは、子供っぽくて可愛い。しかし、何か急に不安になったような顔をして、セシルは左手を顔の前にかざした。手のひらを物惜しげに見つめる。


「…」

 その手のひらに握られていたものをレスターは思い出す。あれは、レスターが良く知っている魔法を含んだものだった。だから、いつ誰からもらったのかということはすぐに想像がついた。だけど、


―そんなに大事にしていたんだな


 切なげに手のひらを開いたり閉じたりしているセシルを、詳しい経緯や思いは知らないものの、レスターは何とも言えない気持ちで見る。やがて、セシルは、腕をあきらめたかのようにぱたんと落とす。


「…なあ」

「ん?」

 セシルがレスターを見上げる。

「お前の名前は?」

「俺の名前?」

 セシルの乞うような目線にレスターが少し逡巡して、しかし嘘を答えようとした時だった。

 生暖かい風が吹いた。背筋がゾワリとしたのにレスターが振り返ったのと、セシルがガバリと起き上ったのは同時だった。



『久しぶりね、セレスティン』

「…マンジュリカ…!」

 先程化け物がいなくなった場所に、黒いローブを着た女が立っていた。艶の帯びた長い黒髪の、妖しい美しさを持った女だった。しかし、彼女が肩にぼろぼろの大男を担いでいることを見れば、誰もが彼女を普通ではないと思うだろう。

「お前…カイゼルに何をした!」

『別に。せっかく迎えにきてあげたのに、駄々をこねたからちょっと眠ってもらっただけよ』

 ちょっと?レスターは担がれているカイゼルを見るが、血だらけである。


「カイゼル…カイゼル!」

 その声にレスターが後ろを見れば、アメリアがガタガタ震えながらも健気にカイゼルの名を呼んでいた。しかし、カイゼルは何も反応しない。


『客席にぶつけて気絶させる予定だったのに、この子ったら、魔法で速度を落して着地するんですもの。早くセレスたちも迎えにきてあげたかったんだけど、手間取っちゃったわ』

 客席にぶつかったら気絶どころではない。そういえば、さっき逃げている最中に光ったのは、カイゼルを捕らえるためにこいつが放った魔法だったのかもしれない。


 レスターは聖母のように優しげに笑ってはいるが、物を扱うようにごとりとカイゼルを床に落としたその女の、得体の知れなさに寒気がした。


「誰も迎えなんて頼んでないぜ。オレも、カイゼルも」

 セシルは唸るように声を出す。

『あらやだわ~、迎えに来るのが遅くなっちゃったから剥れてるの?ホントはもっと早く迎えにこれたんだけどね、厄介なペット飼っちゃって「いつまで母親面してんだ、キチガイ!」

 セシルは吠えた。セシルが後ろから飛びだす気配がしたその刹那、レスターは咄嗟に止めなければと思った。なぜなら、めったに表舞台に立たないマンジュリカがこうして自ら現れ、セシルをわかりやすく煽っている。きっとそれには何か目的があって、さらにセシルは挑発にいともあっさりと乗ると踏んでいる。何より、いくら怪我をしているとはいえあのセシルを相手に、余裕の笑みを崩さないのが証拠に思えた。


『「……!』」


 レスターは、セシルが脇をすり抜けるが早いか、その襟をつかんで後ろに投げた。軽い体はあっさりとひっくり返る。驚愕したのはマンジュリカも同じだった。思ったとおり、きっとセシルを捕らえるためだったのだろう、ローブを脱ぎ捨て、ばさりとセシルが来るはずだった空間に投げたのだ。

「…がっ!」

 どうせ通りすがりの正義漢と思って、眼中にもなかったのだろう。たたらを踏んだマンジュリカにレスターはすかさず短剣を抜き、その首にふるった。


『ち…油断したわ。余計なゴミがいたのね』

 生首になってもしゃべる女。飛んでいく首などお構いなしに、マンジュリカはレスターに向かって手を突き出した。レスターはすかさず魔力をぶつけ、胴体をぶっとばした。あっけないぐらいにぱちんとはじけて消える。まるで生身の人間ではないかのように、何かきらきらとしたものをまき散らしながら散った。

『こんなぐらいで私がやられるとでも?』

 落ちたマンジュリカの首がぺらぺらとしゃべる。まさか、こいつもカーターと同じく、不死身の化け物か?レスターが思わず後ずさった時。


パアン!


 後ろで乾いた破裂音が響き、レスターは危うく剣を落しそうになった。思わず振り向けば、セシルが鉄の小さな筒をマンジュリカに向けていた。マンジュリカを見れば、額には不思議な武器の攻撃を受けたのか、小さな穴が開いている。


「ありがとう、お前のおかげで目をそらせた。もう大丈夫だ」

 いや、首だけでも生きているのだから、脳天を打ち抜いたぐらいで大丈夫なわけないだろう。しかし、マンジュリカの輪郭がゆらゆらとぼやけはじめた。

『…火薬銃ごときで…魔法の制御ができない?…あんた、何したの?!』

 悔しげに叫ぶ女。それをセシルは冷めた目で見下している。よくはわからないが、セシルの先程の攻撃で不死身ではなくなったらしい。

「知らね。自分で考えれば?」

『…後少しだったのに…!』

 女は悔しげに言う。だが、その一瞬後、悔しげな表情は嘘のように搔き消え、満足げに怪しくほほ笑んだ。セシル達は何かと身構えた。

『でもまあ、程ほどの成果ね』

 女ははかなく砂のように崩れて消えていく。後には、首だけの陶器製の人形、そして金属の弾が残った。どうやら魔法道具を使った分身の類の、偽物だったらしい。


「終わったのか…?」

 あまりものあっけなさに、レスターはまだ警戒が解けない。何しろ、相手はあのマンジュリカだったのだ。それに先程の言葉の意味も分からない。


 セシルは念を入れ、残った人形を過重力で粉々に破壊し、女の残したローブを燃やす。

「…っ」

 ローブはセシルの魔法にあてられるなり、内側にびっしりと発光する魔術文字が現れた。そして、燃えるどころか、セシルの起こした業火の中で、晴天の日のお洗濯物宜しく心地よさげにはためいている。

「…何かは知らねえが、これがあいつの切り札だったってわけだな」

 セシルはにがにがしい顔をして、魔法を収束させた。セシルは今更ありありと、隣にいる男のおかげで助かったことを実感した。

「…ありがとう、お兄さん。あの時止めてくれて…」

「…本当、よかったよ」

 レスターは心の底からそう思う。セシルは恐る恐るそれをつまみあげると布袋を取り出し、その中に入れ口を縛った。込められた魔術式の分析と対策を練るためにだろう。


「カイゼル!」

「アメリアさん!」

 マンジュリカの由来のものが目の前からすべて消えたことで安心したのか、アメリアが叫んでカイゼルに駆け寄ろうとし、しかし足がおぼつかずこけそうになったのを慌ててサアラが支えた。

「ちょっと下がっててお兄さん」

 言われるがままに後ろへ下がると、セシルはかかとをとんと地面に付けた。すると、ドーム状の氷が4人を包んで生まれる。不透明な氷のため、はっきり中が見えない。

「へ…?」

 しばらくすると消えた。目の前に元通り現れる4人。


「…?」

 訳が分からないまま突っ立っていたレスターに、「まあちょっとね」とセシルは笑いながら歯切れ悪く言った。レスターは頭をひねる。しかし、ふと気づく。

 カイゼルの、怪我をしていたはずの体には上着やらを被せて隠しているつもりだろうが、顔色が良い。治癒されたのだと理解する。おそらくアメリアは限界なのでセシルだろう。今は化け物がいなくなったことで、倒した自分たちに人々の目が集まっている。人目を避けたかったから目隠しをしたのだろうと思う。


「セシル様!」

「大丈夫だって、ちょっと疲れただけ」

 もう力を使い果たし過ぎたのか、セシルは近くの座席に仰向けに寝転んだ。太陽がまぶしいのか、左腕で目を隠す。レスターが心配に思い、脱いだ上着を掛けてあげたとき、セシルはちらりと腕から目をのぞかせた。

「お前が首を切ってくれたおかげで気づけたよ、アイツが人型だって。普通、生身の人間なら死ぬからな」

 セシルは「良かったよ人型で」と小さくつぶやく。本人には会いたくもないと言った風だった。


 人型とは髪の毛などの体の一部を組み込むことで、本人の分身を作ることのできる人形の形をした魔法道具である。ただ、本人に比べて魔力などの力が劣る。髪の毛一本なら、分身は脆弱な魔法しか使えないし知能も失う。結局、腕一本ぐらい組み込まねば使い物にならないので、実用性はなくほとんど出回ってはいない。


「あ…あれ拾うの忘れた」

 セシルは少し体を起こすと、先程の人形を破壊した場所を見た。レスターはさっきの弾のことだろうとすぐに分かったので、さっと拾いあげに行く。


「…ん?」

 弾の傍に細かな水色の砂が落ちていたが、ガラスか何かの破片だろうとレスターはさして気にせず弾を拾い上げる。傍で火を使われたせいか、弾はまだ少し暖かい。弾の表面には細かな魔術文字がびっしりと刻んであった。

「これなんだい?…ただの金属の塊なのに、撃ちこまれただけであの女消えちゃったし。しかもあの武器はなんなんだい?銃に似てるけれど、少し大きいし太いし…なんか『かやくじゅう』とかあの女は言っていたけれど」

 興味深そうなレスターに、なんてことは無いようにセシルは答える。

「これはウイルス。で、あれは銃っちゃあ銃なんだけれど、ちょっと違う銃」

「ういるす?」

 聞いた事のない言葉にレスターは首をかしげる。セシルはつい研究への熱意から説明しようとして、カイゼルを座席に寝かせていたサアラに睨まれているのに気付き口を紡ぐ。


 いけねえ、オレが魔法武器を考案しているのは極秘だった。火薬銃は今のところ国王に振られているからまあバレても問題はないし、それでなくとも今回は先にカーターの件で人前で使わざるを得なかったからとやかくは言われないだろう。だけど、弾の方は火薬銃を国王に認めさせるために、追随的につくった魔法武器だ。それをうっかり、一般ピープルに拾わせてしまった自分、なんて迂闊な。


「まあ、そういう名前の魔法武器。それで、銃はそれを発射する専用の『カヤクジュウ』って名前の銃」

 セシルはなんてことは無い風を装い、しかしさっさと銃をしまいつつ言う。「そんなものあったかなあ」と頭をかしげている男に、超マイナーだけどあるんだよとごまかしておく。


 実はウイルスとは、相手の魔術式を妨害する魔術式を刻んだ銃弾だ。相手の体内や魔法道具の中に打ち込むことで、魔法の挙動異常を引き起こすもの。使用する際に自身の魔力はいらず、相手の体や魔法道具の魔力を身に受けることで、自動的に発動する物である。

 魔術式を刻むのに手間がかかるために(長ったらしい術式をすべて銃弾に書き切らなければならないので、2.3ミリ程度の字を彫らなければならず目が痛い)、今のところ一発しか作っていないのを、3代目の小型化した銃につめていた。ただ、なんで『ウイルス』という名前にしたのかは自分でも特に理由はなく、何となく合いそうな言葉の響きとして思いついただけで、由来は特にない。


『本当は、カーターに使いたかったんだけど』

 魔法で肉体を増強されているなら、体にかけられた魔術式をくるわせればもとに戻せる可能性が少なからずあった。だが、試しに撃った2代目銃の銃撃は皮を通さなかった。カイゼルに遅くしてもらった際に、目や口を狙えるか試したが、結局体内に入れ込むことは不可能だと判断し、やむを得ず始末することにした。化け物になったとはいえ一応は公爵家の息子なのだから、殺すよりは元に戻して生け捕りにした方が、後々余計な厄介ごとが生まれないと思っていたからである。


 まあ、公爵家とはいえ―それに、ただマンジュリカに操られていただけだったとしても、あれだけ派手に暴れていりゃあ、元に戻せても極刑は免れなかっただろう。だから、きっとオレがカーターに手を下したこと自体は、責めを負うことは無いと思う。ただ、あのカーターの母親マザコンのババアの恨みを買うことは必須なので、しばらく夜道に気を付けようと思う。


 ふうと、息をついて男の方を見ると、彼はいつの間にか背中を向けて、客席の方をきょろきょろと落ち着きなくみていた。

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