第27話

 目的にしていた右腕が消え、黒い瞳が丸くなる。


「姉さん!」


 鴉の右腕を持ったオニキスがスピネルの隣で膝をついた。オニキスの顔を見てスピネルが複雑な表情で息を吐く。


「沙参ちゃんは?いたの?」


「無事だよ。今、始祖の封印を解いてる。もう少し時間稼ぎをしてほしいって」


 その言葉に流石のスピネルも乾いた笑みを浮かべた。


「……結構、きつい状況よ」


「見ればわかる」


 右腕を失った鴉は体のバランスが取りにくいため、レグルスの攻撃を防ぐだけで精一杯だ。とても時間稼ぎをする余裕などない。


 だがオニキスはキッパリと言った。


「けど、約束した」


「はっきり言って、今のままじゃ勝てないわよ。と、いうか殺されるわ」


 スピネルのストレートな言葉にもオニキスは動じない。


「わかってる。でも、時間稼ぎは出来る」


 そのまま立ち上がろうとするオニキスをスピネルは大きなため息を吐きながら止めた。


「そういうところが、イヤというほど似てるのよね」


 意味が分からず首を傾げるオニキスに、スピネルは少しだけ微笑んだ。


「自分が傷つくことを、なんとも思わないところが父親そっくりだって言ってるの。少しは周りの人の気持ちを考えて欲しいわ」


 そう言ってスピネルはナイフを取り出すと、自分の左の掌をスッパリと切ってオニキスに近づけた。


「飲みなさい」


 オニキスは血の溢れ出す手を見たまま動かない。


「時間稼ぎしたいんでしょ?今のままだと無理よ」


 スピネルの諭すような言葉にもオニキスは無言で血を見つめている。


「大丈夫、ちゃんと止めるから。約束、守るんでしょ?」


「……止まらなかったら逃げて」


 そう言うと、オニキスはそっとスピネルの手のひらに溜まった血を飲んだ。


「鴉!」


 スピネルの声に鴉が振り返ると、風が吹きぬけた。

 レグルスと鴉の間にオニキスが立っている。オニキスの刺すような鋭い殺気に自然と鴉とレグルスの動きが止まる。


「……オニキス?」


 鴉の疑うような声に、オニキスは一瞬だけ鴉を見るとつまらなそうに視線をレグルスにむけた。


 手負いに興味はない。


 そう言っているような態度だ。そしてオニキスはレグルスを見ると、獰猛な肉食獣のように笑いながら唇についたスピネルの血を舐めた。


 レグルスもオニキスの普通ではない雰囲気に一歩下がる。だが、オニキスはその一瞬の隙に距離を縮めるとレグルスの肩に噛みついた。


 予想外の攻撃にレグルスが慌てて剣を振り下ろす。オニキスはレグルスの肩の肉を食い千切りながら離れた。


「くっ!」


 レグルスが右肩を左手で押さえながらオニキスと距離をとる。オニキスは口から肉の塊を床に吐き出すと、普段は決して見せることのない笑みを浮かべて姿を消した。


 オニキスの動きにレグルスが正面に剣を突き出す。そこに剣からひとすじの血が流れ、頬に赤い線をつけたオニキスが現れた。そのまま剣を横に動かすが、オニキスは素早く下がりレグルスの間合いから離れた。


「鴉!」


 その声に鴉は我に返ると、急いでスピネルの元に駆け寄った。


「大丈夫か?」


「大丈夫じゃないけど、これで少しは時間が稼げるわ」


 そう言いながらスピネルが転がっていた右腕を鴉に渡す。


 鴉は斬られた右腕を持つと、血の止まった傷口につけた。


「くっつきそう?」


「ああ。それより、どういうことか説明してほしいのだが?あれは本当にオニキスか?」


 鴉の質問に、スピネルはすでに傷の塞がった左手の手のひらを見せた。


「私の血を飲ましたの。私達一族が同族の血を飲むと一時的に能力が上がるのよ」


「それは知っている。だが何故、性格が変わっている?」


 スピネルは当然のように言った。


「理性を失くしてるもの。普通はそんなことないんだけどね。やっぱり、一族以外の血が入っているからかしら?」


「……どうやって、止める?血の効果がなくなるのを待つのか?」


「そんな時間ないわ。効果がなくなる前に決着はつくもの。そうしたら次の標的(ターゲット)は私達よ。そうなる前に麻酔銃を使うわ」


 そう言いながらスピネルは内ポケットからケースに入った赤い銃弾を取り出した。


「効くのか?」


「……前は効いたわ」


 二人の視線の先では、肩を食い千切られて動きの鈍くなったレグルスに対して、オニキスが自分のペースに持ち込んで素手で攻撃をしている。

 その攻撃は肩に噛み付いた時のような野生的なものではなく、芸術とも言えるような無駄のない美しい動きで攻撃を繰り出している。


 同族の血を飲むと能力は上がるが、それは身体能力を上昇させるだけで、その力を生かせるかは本人の腕次第だ。理性を失くしているとはいえ、いや、理性を失くしているからこそ、普段は理性で抑えているオニキスの本当の姿が現れたのだ。

 あらゆる武術を習得し、各国の軍隊を渡り歩いたスピネルから全てを教え込まれたオニキスの姿が。


 そのことを理解している鴉は表情には出さなかったが、どこか悔しそうに言った。


「さすが君の子だ。血を飲んでいるとはいえ、あの動きは見事だ」


「オニキスは武術でも剣術でも動きを一度見ただけで、正確に同じ動きをすることが出来るのよ。天武の才っていうやつ?私の教えた技は一年足らずで完全に覚えたもの。それに……」


 スピネルは体を起こして鴉を見ながら平然と言った。


「あなたの血をひいてるんだから、当然でしょ」


 その言葉に、鴉のつきかけていた右腕がぼとりと落ちる。鴉がそのまま顔だけをスピネルの方に動かした。


「すまない。今、なんて言った?」


 鴉の行動に、スピネルは少し驚いた表情をした。


「気付いてなかったの?オニキスはあなたの子どもよ。お母様も目がそっくりって言ったじゃない。ほら、腕がつかなくなるわよ」


 スピネルは落ちた右腕を固まったまま動かない左手に持たせる。再び鴉は右腕を傷口につけながら、もう一度聞いた。


「……本当か?」


 スピネルがケースから取り出した赤い銃弾を装填していく。


「こんな時にウソ言って、どうする…………」


 スピネルが戦っている二人を見て言葉を止めた。鴉も同じように視線を動かす。そしてレグルスの瞳を見て動きを止めた。


 激しい戦いの中でレグルスの瞳を黒くしていたコンタクトレンズが外れ、隠されていた銀色の瞳が現れている。


「まさか、同じ?」


 スピネルが鴉のサングラスに手を伸ばす。少しずれたサングラスから現れた銀色の瞳は、静かに同じ色の瞳を持つレグルスを見ていた。


「そうみたいだな」


 モン・トンプ島にいる黒髪、黒瞳の一族の血を普通の人間が飲むと、瞳が金色になり血の持ち主の思うように操れるようになる。


 一方で沙参と同じ白髪、黒瞳の一族の血を普通の人間が飲むと瞳は銀色になる。だが、沙参が教皇や勝郎の母に血を飲ましたように、ただ血を飲ますだけでは相手を殺すだけなのだ。そのため血を飲んでも生きるには〝契約〟をしなければならない。

 その結果、血を飲んだ人間は血の持ち主に操られることなく、人間以上の能力と寿命を手に入れることができる。そして、血の持ち主である主(あるじ)を自ら守ることを選んだ者が〝式(しき)〟と呼ばれる式神になる。


「じゃあ、レグルスも式ってこと?」


「だが主(あるじ)達の式は俺しかいない。沙参は式を持っていない」


「と、いうことは……」


 鴉はスピネルを見て頷いた。

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