第25話

 ステラは自分を囲んだ兵を前に深呼吸をすると、地面に向かって古文魔法を書き綴った。ステラを中心に火柱が上がり、慌てて逃げ回る兵士を追うように走る。


 ステラは次の古文魔法を書くために右手を挙げようとしたが、力が入らなかった。それどころか全身の力が抜けていく。周囲を見ると、兵士に混じって術師が力を封じる魔法陣を展開していた。このままだと、力を全て吸い取られて殺されてしまう。


「まだ……まだ、ダメ。動いて!」


 左手で右手を支えながら古文魔法を書き綴っていく。だが力は弱く、思うように魔法が展開出来ない。


「まだ死ねない。私は…………」


 ステラの脳裏に疲れきった表情をした人々が浮かんだ。悲しみに沈み、生きることに絶望を抱きながらも、隠れるように、ひっそりと暗い森で暮らす。そんな故郷の人々をもう一度、太陽の光の下、平和で安全に暮らせる国を。あの人が理想としている国を造る。


「それに、私はまだ…………」


 絶望的な状況にも黒い瞳は輝きを失わない。まっすぐに兵士を見据える。


『……シャ……ジン……』


「なに?」


 人々の叫び声や怒鳴り声が聞こえるのに、それとは関係なく頭に直接響く声。


『シャジン……』


 意志とは関係なく聞こえてくる声に、周囲の兵士の姿が歪んだ。


『……起きて…………』


「私は……起きてる……まだ、戦える……」


 だが自分の意思とは反対に足の力が抜け、両膝が地面についた。右手を支えている左手にも力が入らない。

 ぼやける視界の中で剣を構えた兵士が恐る恐る近づいてくる。


「……まだ、あの人に伝えてない…………」


 ステラが最後の力で指先から流れ落ちる血で地面に古文魔法を書き綴っていく。


「……私は、まだ死ねない!」


 古文魔法を書き終わると同時に地面から水晶が突き出し、ステラの全身を包んだ。


 薄れていく意識の中で、再び声が響く。


『シャジン……しっかりして……』


 ……私はこの声を知っている。


 ステラと同化していた沙参の意識が覚醒を始める。


『シャジン!』


 私はこの言葉の意味を知っている。そう、私は…………


「沙参!」


 はっきりと聞こえた声に黒い瞳が開く。


「沙参、しっかりして!」


 声に促されるように前を見る。そこには巨大な水晶に左手を飲み込まれた自分の姿があった。


「なんだ?!」


 驚きとともに反射的に手を引っ込める。すると、簡単に左手は水晶から抜けた。


「よかった……」


 隣でため息を吐く少年を見て、黒い瞳の動きが止まる。まるで知らない人を見るかのような沙参の視線に青い瞳が丸くなる。


「どうしたの?」


「ちょっと、待て」


 沙参は左手を額にあてて俯いた。先ほどの記憶が強烈で意識がまだ現実に戻っていない。自分を取り戻すのに要した時間は約十秒。


 十秒後、沙参は顔を上げてオキニスを見た。


「現状はどうなっている?」


 階下から派手な銃声や爆音が聞こえてくる。オニキスは早口で状況を説明した。


「姉さんと鴉さんが囮になって、一階で戦闘中なんだ。今のうちに早く逃げるよ」


 オニキスが沙参に手を伸ばすが動く様子はない。ジッと水晶を見つめている。


「沙参?」


 怪訝そうにオニキスが沙参の顔を覗き込む。沙参は視界に入ってきた青い瞳を見て、黒い瞳を閉じた。


「人を好きになるとは、どういうことだろうな?」


「な、何?どうして?」


 顔を真っ赤にして慌てるオニキスに対し、瞳を閉じている沙参は冷静に語った。


「私は人を好きになったことがない。恋愛感情というものを知らない」


 沙参は静かに左手で水晶に触れた。触れた指先から力が吸い取られていく。


 何故、このような姿になってまで生きたいのか。いつ封印が解けるのか、いや、封印が解けるという保障さえない。そんな終わりの見えない生(せい)ほど退屈で恐ろしいものはない。 


 そのことを沙参はよく知っている。だが、そんな生をあえて選んだのは何故か?


 そこまで考えて、沙参は黒い瞳を開いて苦笑いを浮かべた。


「いくら考えても私には理解できないのだろう。だが……だが、助けたいと思った。いいか?」


 突然の言葉にオニキスはまったく話の内容が見えなかったが、沙参と同じように苦笑いを浮かべて頷いた。


「わかった。もう少し時間稼ぎをするから、終わったら一階のホールに来て」


 その言葉に沙参は呆れたように笑った。


「どうせなら、全滅させとけ」


「そうしたいんだけどね。姉さんが手こずる程の相手だ。簡単にはいかないよ」


 そう言ってオニキスがドアを開ける。銃声が激しく響き、なにか巨大な物が崩れ落ちる音がした。床が微かに揺れるのを感じながら、沙参は思い出したように言った。


「銀に近い白髪の男がいたら、そいつだけは絶対に殺すな」


 沙参の言葉に、オニキスは振り返って笑った。


「悪いけど、誰も殺さないよ。死ぬ姿はもう見たくないから」


 最後の方はほとんど聞こえない声で言いながらオニキスがドアを閉めた。


「死……か」


 封じていたはずの感情が少しだけ顔を覗かせる。何人もの人の死を見送り、慣れたと思っていた。いや、実際は思い込んでいただけだった。


 だが沙参はそれを否定するように軽く首を振ると、床に落ちていたたれ耳うさぎのぬいぐるみを左手に抱えて、右手に持っている懐刀で大理石の床に魔方陣を書き始めた。

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