第24話

 ざわざわと人の話し声が聞こえる。刺すように冷たい物に包まれているのに、全身が焼けるように熱い。目を開けようとするのだが、瞼を動かせない。それどころか全身、指一本さえ動かせない。


 そこに嗄(か)れた低い声が周囲の声を掻き消すように響いた。


「これでは顔が見えないではないか。この布を取れ」


 その言葉に慌てた声が次々と上がる。


「いけません。こいつは敵国の軍を一人で壊滅させた魔女です」


「そのようなことをしては危険です」


 周囲の声を面白がるように、嗄れた低い声が笑いながら命令する。


「ほう。それは是非、顔を見たいな。取れ」


 最後の言葉は反論を許さないという、絶対的圧力を含んでいた。その言葉に周囲が静かになる。少しして目の前をおおっていた布がゆっくりと外され、淡い光が目に入ってきた。


 眼前には赤い絨毯。その先の王座にこげ茶色の髪に茶色の瞳をした三十代前半の男が座っている。顔の輪郭は四角く、ごつい。鷲鼻(わしばな)に糸のように細い瞳をした顔は美形とは程遠い。  


 ステラは両膝を床につけて座らされていた。全身には力を封じるための呪布が包帯のように巻かれている。ステラの一族を捕まえるために、術師(じゅつし)と呼ばれる魔法研究家が作り出した道具だ。


 まっすぐ黒い瞳を向けるステラに、横から怒鳴り声が響いた。


「王の御前であるぞ!頭を下げろ!」


 ステラが怒鳴った中年の男へ瞳だけを向ける。その黒い瞳と視線が合っただけで男は怯えた表情で一歩下がった。


 その様子に、王が嗄れた低い声で笑いながら頬杖をつく。


「魔女と聞いていたが、美しいではないか。名はなんという?」


 その質問にステラは口を動かすが、声は出なかった。喉にまで巻かれた呪布が声を奪っている。それどころか呪布は全身の動きを奪い、力を吸い取っている。


 王は口を閉ざしたステラに好奇の視線を向けて近づいてきた。


「王、それ以上近づいてはなりません」


 周囲の家臣達の言葉を無視して王はステラの前で足を止めた。手を伸ばせば届く距離だ。


「魔女。私に忠誠を誓い、妻となれ。そうすれば命は助けるぞ」


 その言葉に今までとは比較にならない悲鳴に近い声が上がる。


「王?!」


「お考え直しを!」


「お戯(たわむ)れがすぎます!」


 家臣達の言葉を面白そうに聞き流しながら王はステラの返事を待った。


 ステラが声の出ない口をゆっくりと動かす。その言葉を読み取った王の表情が一気に険しくなり、乾いた音が響いた。


「貴様まで|弟(レグルス)を選ぶというのか!」


 頬を殴られたステラはその勢いで床に倒れた。顔を真っ赤にした王が鋭い眼光でステラを見下ろしている。


 そこに湿った風が痛みで痺れる頬に触れた。

 ステラは視線だけを動かして風が吹いてきた方を見た。そこにはバルコニーがあり、その先には人々で埋め尽くされた広大な広場がある。その広場を見たとたんステラの黒い瞳が大きくなった。


 広大な広場の中央。一本の柱に一人の人間が括りつけられている。その周囲には槍を持った兵士達がいつでも突き刺せる姿勢で構えている。


 王がステラの白髪を掴み、無理やり顔を上げて広場に向けた。


「これからレグルスの公開処刑だ。よく見とけ」


 柱に括りつけられている人の顔はよく見えないが、太陽の光に輝く銀髪がレグルスであることを証明している。


 私はどうなってもいい。レグルス様だけは!


 白髪を掴まれたままステラが一所懸命、声の出ない口を動かして王に訴える。だが、王はそんなステラの表情を楽しそうに眺めながら手を挙げた。


 槍を構えていた兵士達が一斉に動く。四方から槍がレグルスの体に突き刺さり、ぐったりと頭を垂れる。


 ……ダメ!レグルス様をここで失ってはいけない。


 ステラがきつく自分の唇を噛んだ。口の端から血が流れ落ち、白い呪布を赤く染める。その瞬間、ステラの全身が炎に包まれた。


「なっ!」


 王が慌ててステラから手を離す。全身に巻かれていた呪布が焼け落ち、自由になったステラがバルコニーに向かって走り出した。


「術師を呼べ!早くしろ!」


 家臣達が騒いでいる間にも、ステラは右手で古文魔法を書き綴っていく。そして書き終えると同時にバルコニーから広場に向かって飛び降りた。


 ステラの全身を青白い光が包み、翼が生えたように空を飛んでいく。その姿を広場に集まった人々が呆然と眺めている。


 レグルスに槍を突き刺した兵士達も呆然とその姿を眺めていたが、徐々に近づいてくるステラに慌てて剣を構える。だが、ステラの黒い瞳と視線が合った瞬間、兵士達は業火に包まれ、原型を残さずに燃え尽きた。


 ステラが全身に槍が突き刺さっているレグルスに手を伸ばす。そして、宙に浮かんだままレグルスの胸に古文魔法を綴った。


「お許し下さい」


 そう言って、そっと口付けをした。


 私のわがままで、あなたの運命を変えることを。


 唇が離れると同時に、ステラの頬に一粒の涙が流れ落ちた。


 レグルスに突き刺さっていた槍と、括りつけられていた柱が一瞬で燃え尽きる。崩れ落ちてくるレグルスの体をステラが支えながら地面にゆっくりと舞い降りた。


 突然の出来事に困惑する人々の中から聞き覚えのある声が響いた。


「ステラ様!レグルス様!」


 人々をかきわけながら平民の姿に変装をしたレグルスの兵士達が駆け寄ってくる。兵士達は膝をついてステラの腕の中にいるレグルスの顔を覗き込んだ。


「レグルス様!」


 真っ青な顔のレグルスに兵士達が俯く。全身を槍で突き刺されたのだから生きているはずがない。


 主(あるじ)を失った悲しみに落ち込んでいる兵士達に、ステラは予想外の言葉をかけた。


「すぐに手当てをすれば助かります。体を温めて栄養のあるものを飲ませて下さい」


「え?」


 半信半疑の兵士達を残してステラが立ち上がる。


「ステラ様、どちらへ?」


「私が足止めをします。あなた方は先にレグルス様と逃げて下さい」


 そう言ってステラが歩き出した先には、全身を鎧で固めた王の兵がこちらに向かってきていた。


「ステラ様も一緒に逃げましょう!」


 慌てる兵士達にステラはにっこりと微笑んだ。


「すぐに追いつきます。ですから、先にレグルス様を安全なところへ」


 意志の強い黒い瞳に兵士達は頷くことしか出来なかった。そのまま兵士達がレグルスを担いで走り出す。その後ろ姿を見送り、ステラは周囲を見渡した。武装した兵の出現に、広場に集まっていた人々が散り散りに逃げている。そこにバルコニーから嗄れた低い声が響いた。


「魔女を殺せ!」


 命令に従ってステラを囲んだ兵が一斉に抜刀して構えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る