第6話

 ヘリコプターが車を追いかけるため再び方向転換をする。が、プロペラの一本がはじけ飛び、バランスを崩して回転しながら炎とともに道路の上を転がった。


「……生きてる?」


 バックミラーから姿を消した沙参にむかって、オニキスが恐る恐る声をかける。


「……あぁ」


 沙参が座席の下から這い出てくる。スピネルのあまりの行動に沙参は右手で額を押さえた。


「どうすればヘリコプターの動いているプロペラを撃ち落せるのだ?」


「下手な鉄砲でも数撃てば当たるってね。本当は始めの三発で落とすつもりだったんだけど、ダメね。少し訓練をサボると、すぐ腕が落ちるから」


「いや、いい腕だ」


 沙参が疲れた様子で賛辞を贈る。その言葉に、スピネルはライフル銃を分解していた手を止めて振り返った。


「本当?」


 スピネルのキョトンとした表情に、沙参が大きく頷く。


「ああ。少なくとも私はそう思うぞ」


 沙参の飾らない言葉に、スピネルは全身の力の抜けた柔らかな笑顔を見せた。


「ありがとう」


 そう言うと、スピネルは分解していたライフル銃をバイオリンケースに収めた。そして振り返ると沙参にバイオリンケースを渡してバッグの山を指差した。


「その黒いリュックを取って」


「姉さん?」


 スピネルの行動にオニキスが疑問の目を向ける。だが、スピネルはオニキスを気にすることなく沙参から黒いリュックを受け取った。


「姉さん、囮ならオレが……」


 オニキスの言葉を遮るように、スピネルが黒いリュックをオニキスの膝に置いた。


「復活した教皇っていう昔話、覚えてる?」


「覚えてるけど……オレより姉さんが連れて行ったほうが安全だ」


 珍しく自分の意見を曲げないオニキスに、スピネルは質の悪い笑みだが、妖艶とも言える危険な美しさのある笑みを浮かべた。


「怖いんでしょ?」


 オニキスは少し考えた後、素直に頷いて笑った。


「敵の正体も分からないし、どこから襲われるかも分からない。怖くないと言えばウソになるね」


 その返事にスピネルは満足そうに微笑んだ。


「そういう正直なところ、好きよ。でも本当に怖いと思っているのは、そんなことじゃないでしょ」


 そう言うと、スピネルは細い人差し指でオニキスの胸に触れた。


「戦ってきなさい」


 オニキスが黙る。そして数秒後に顔を真っ赤にしてハンドルを握っていた手を急に動かした。


「危ない!」


 スピネルがすぐにハンドルを戻すが車は大きく揺れた。後部座席では沙参が再び座席の下に落ちている。


 顔を真っ赤にしたまま固まっているオニキスにスピネルは苦笑いをした。


「図体は大きくなっても、心はまだまだ子どもね」


 言葉の出ない口をパクパクと動かすオニキスを無視して、スピネルは後部座席の下を覗き込んだ。


「そういう訳だから、オニキスと一緒に行って」


「どういう訳なのか、私はまったく分からないのだが?」


 睨むような視線とともに沙参が再び座席の下から這い出てくる。


「こちらの都合、ってところかしら。あ、そこ右に曲がって」


 スピネルの指示通りに車が動く。大通りから一変、レンガ造りのアパートに囲まれた狭い裏路地を走る。


「止めて」


 スピネルの言葉にもオニキスは車を止めない。


「囮はオレがする」


 意見を変えないオキニスにスピネルが無理やりブレーキを踏んだ。突然の急停車に沙参が座席の下に落ちないように両手で体を支える。


「行きなさい!」


 スピネルが蹴り出すようにオニキスを車から追い出した。沙参も促されるまま車から降りる。


「道はオニキスが知ってるから」


 それだけ言うとスピネルは細い裏路地を急発進した。


 沙参が走り去る車を呆然と見送っていると、オニキスがため息を吐きながら着ているコートを脱いだ。


「ここから歩いて行くよ。悪いけど、カツラを被って」


 そう言いながら沙参にコートを渡す。


「まだ寒いからね。それ着てて」


 沙参は言われるままカツラを被ってコートを着る。

 コートは思ったより大きく、スッポリと全身をおおうと両手も隠した。左手にはしっかりとたれ耳うさぎのぬいぐるみが抱かれている。


「正直に目立つ服だから隠せと言ったらどうだ?」


 沙参の嫌味をオニキスは素直に肯定した。


「そうとも言うかな。行くよ」


 会話する二人の上空をヘリコプターが飛んでいる。オニキスはヘリコプターの死角となっている道を走り出した。


 ショップの並ぶ大通りは観光客や地元の人で賑わっている。ぶつかりそうになるのを辛うじて避けながら沙参が呟いた。


「……祭りでもあるのか?」


「ないよ。この辺はいつも人が多いんだ」


 そう言ってオニキスが歩いていく。沙参は一生懸命追いかけるが、人の波にのまれてどんどん距離が開いていく。その結果、オニキスが振り返ったときには、沙参は後方でかろうじて頭が見える位置にいた。


 オニキスが慌てて沙参のところまで戻る。


「大丈夫?」


 あまりの人の多さに沙参は疲れた表情でオニキスの手を掴んだ。


「離すなよ」


「……」


「どうした?」


 沙参が顔を真っ赤にしたまま何も言わないオニキスの顔を覗き込む。


「な、なんでもない。行くよ」


 オニキスは沙参と手を繋いだまま歩き出す。

 そこに遠くから銃声と車の急ブレーキの音、そして何かが爆発する音が響いて黒煙が空に立ち上った。沙参の脳裏に先ほど別れたスピネルが浮かぶ。


 嫌な予感がする。


 隣に視線を移すと、オニキスが黒い煙に青い瞳を向けたまま立ち尽くしていた。沙参がそっとオニキスの手を離す。


「すまない。私のことはいいからスピネルのところに行け」


 オニキスが驚いて沙参を見ると黒い瞳が伏せられていた。


「いや……」


 オニキスが何か言おうとした時、一本の手が沙参の肩に伸びてきた。


「危ない!」


 オニキスが慌てて反射的に沙参の手を掴み、引き寄せる。沙参の肩を掴み損ねた手がカツラを掴んだ。


「どうした?」


 手の存在に気付いていない沙参の頭からカツラが落ちていく。沙参が慌ててカツラを取り戻そうとするが、すでにカツラは人ごみの中に消えていた。


 粉雪のような白い髪が衆人の前でサラリと風になびく。あまりに見事な白髪に周囲の人から驚きとため息が漏れた。


「……しかたない」


 人々の注目が集まる中、オニキスは黒いリュックから煙草のような細い棒を取り出すと、さり気ない動作で人ごみの中に放り込んだ。


 バチバチという音とともに盛大に白煙が上がる。今まで沙参に集まっていた視線が突然現れた白煙に移り、騒ぎに発展していく。

 その隙にオニキスは沙参の手を掴んで走り出した。


 青い瞳の先には高い城壁に囲まれ、壁に数々の彫刻が彫られた壮大な神殿がある。この神殿こそ教皇の住まいにして、世界の三分の一の人間が一生に一度は巡礼をしたいと願う聖域、ヤヌス神殿だ。


 目的の建物を目の前にオニキスは足を止めた。


 入り口で衛兵が参拝客や観光客の持ち物と服装の検査をしている。武器を持っている者、肌を露出した服装の者は神殿の中に入れないためだ。

 だが、安定した治安のため武器を携帯している者はおらず、冬のため肌を露出した服を着ている者もいない。皆、和やかに衛兵に挨拶をして神殿の中に入って行く。


 オニキスは周囲を見渡すと、風見鶏のついた鐘塔台に向かって走り出した。


「何故、神殿に入らない?」


 沙参の質問に答える前に衛兵の一人が追いかけてきた。


「止まれ!」


 銃を取り出した衛兵にオニキスはリュックの中から赤いボールを投げた。赤いボールは衛兵に当たる前に弾けて中の液体が雨のように降り注ぐ。


「ウワァッ!」


 液体を全身に被った衛兵が両目を押さえて苦しんでいる。


「ハバネロエキスの詰まった激辛タバスコです。しばらくは痛いと思いますが、人体に害はありませんから」


 オニキスは痛みで聞こえていない衛兵に説明をする。そこに複数の足音が聞こえてきた。


「こっち」


 オニキスが沙参の手を掴んで走り出す。狭い裏路地を走りながら、幼い頃スピネルが聞かせてくれた昔話を思い出していた。


『昔、この国が他国と戦争をしていた時の話よ。その頃、この国は他国に占領されて教皇は神殿に篭城(ろうじょう)していたことがあったの。他国は姿を表さない教皇に苛立って、神殿に火をつけたわ。神殿は一昼夜燃え続けて、国民は教皇が死んだと哀しんだの。朝になって、ようやく神殿の火が収まった頃、鐘塔台の鐘が鳴り響いたのよ。人々が鐘塔台を見ると、死んだはずの教皇が朝日を背に立っていたの。意気消沈していた人々は教皇の復活を喜び、そのまま戦争に勝利しました。めでたし、めでたしってね。でも、その話には裏話があるの……』


 もし、それが昔話ではなく本当の話なら…………


 オニキスは沙参の手を握ったまま、迷路のように複雑に入り組んだ細い道を走った。姿は見えないが、後方からずっと足音が聞こえてくる。


 二人は風見鶏のついた鐘塔台の前で足を止めた。


「どうした?」


 沙参が周囲を警戒する中、オニキスはリュックから細い針金のようなピンを取り出すと鐘塔台の鍵を開けた。


「この鐘塔台の一番奥の部屋に地下室に下りる階段があるから。その階段を下りて地下道を行けば神殿の内部、教皇の部屋に出る……と思う」


「思う?なんだ、その曖昧な言い方は?」


 沙参がおもいっきり疑いの眼差しでオニキスを見る。話している間にも足音が迫ってきている。


「とにかく。オレはここで足止めするから早く行って」


 オニキスは鐘塔台の中に押し込むように沙参の背中を押した。


「なっ……」


 何か言ようとしている沙参を黙らせるように鐘塔台のドアを閉めて鍵をかける。


「さてと」


 オニキスはリュックを足元に置くとゆっくりと振り返った。


「少し、オレと遊んでもらうよ」


 その視線の先には銃を構えた衛兵や兵士、一般人など様々な職業の男達がいる。そんな共通点のない男達が唯一共通していることは、全員が金色の瞳をしていることだった。

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