第6話 決着
あれから綺羅は一切、アクセリナの前に現れることはなかった。
今までのしつこさが嘘のような状況にアクセリナはホッとしながらも何か物足りなさを感じていた。
「静かすぎて落ち着かないだけよね」
アクセリナはスケジュール帳を眺めながらため息を吐いた。
「こんなに簡単に諦めるなら、初めに言っておけばよかった」
そうすれば、こんなに悩むことも苦しむこともなかった。
そう考えながらアクセリナがスケジュール帳を閉じると携帯電話が鳴った。相手は女性マネージャーだ。
いつも通りに出ると歓喜に近い叫び声が響いた。
「何があったのよ?」
アクセリナが電話を耳から少し離して話す。
内容はアクセリナがイメージモデルをしている飲料水の広告の試写会に大統領が出席するということだった。
「は?なんで大統領が出てくるのよ?」
アクセリナの疑問を無視して女性マネージャーは興奮したまま話を進めてい
く。
「はい、はい。宣伝のチャンスだから大人しくしとけって言うのね。言われなくても、仕事はいつも通り完璧にするわよ」
そう言うとアクセリナは電話を切った。
「まったく。わざわざ電話で教えてこなくていいのに」
飲料水の試写会は明日だ。
アクセリナは一足先に会場近くのホテルに来て下見をしていたのだが、周囲を見て納得したように頷いた。
「どうりで警備が厳重になっていると思ったわ」
警察官の姿をよく見かける上に何故か軍人らしき人の姿まであったので不思議に思っていたのだが、これで理由が分かった。
「まったく。警備が大変なんだから、こんな試写会にわざわざ顔を出さなくてもいいのに」
そうぼやくアクセリナだが、この事態を引き起こした原因が自分にあるとは、この時は微塵も考えていなかった。
翌日。
アクセリナは飲料水のイメージカラーである水色の服を身につけて試写会に現れた。大統領がわざわざ出席するということもあってマスコミの数がいつもより多い。
大量のフラッシュを浴びながらアクセリナはステージの真ん中で大統領に飲料水を手渡した。
大統領が相手だろうが余裕の笑顔で飲料水のアピールをする。
そこに大統領から小声で話しかけられた。
「後で話がある」
アクセリナは笑顔のまま瞳で疑問をぶつけたが、その返事はなかった。
仕方がないので試写会が終わったあと、アクセリナは大統領の側近に案内されるまま会場内にある一室に通された。
「失礼します」
アクセリナが部屋に入ると立派なソファーに腰掛けていた大統領が立ち上がって出迎えた。
「よく来てくれた。さあ、かけたまえ」
「はい」
アクセリナが勧められるままソファーに座ると大統領は一輪の青いバラとメッセージカードを取り出した。
「これを君に渡すように頼まれてな」
そのバラを見てアクセリナは両手で顔を覆った。
大統領の前で失礼な行動だということは分かっていたが、せずにはいられなかった。むしろ床に突っ伏したかったのだが、それはどうにか堪えたのだから、これぐらいは許してほしい。
「まさか、それを渡すために、この試写会に出席されたのですか?」
アクセリナの問いに大統領は良い笑顔で頷いた。
「そうだよ。あんなにお願いされたのでは、私も断れないからね」
政界にも多大な影響力を持つアクディル財閥となれば御曹司であっても、お願いという名の脅迫だろう。断れるわけがない。
穴があったら入りたい。いや、スコップがあったらコンクリートの床だろうが、ここに自分で穴を掘って隠れたい、そして、そのまま生き埋めにして欲しい、とそこまで現実逃避していたアクセリナに大統領がトドメを刺した。
「そのメッセージカードに書かれている場所まで君を連れてきてほしいと頼まれたんだ」
最悪!なんてお願いを……いや、なんて脅迫を大統領にしたのよ!?
心の中で悶絶するアクセリナに大統領が爽やかな笑顔を向ける。
「さあ、行こうか。大統領専用機での移動になるけど、良いかい?」
良いわけあるか!
心の中で思わず突っ込むアクセリナを無視して大統領が立ち上がる。
「お待ち下さい」
アクセリナも立ち上がって歩き出そうとする大統領を止めた。
分刻みでスケジュールが決められている大統領に、これ以上貴重な時間を使わせるわけにはいかない。しかも移動となると警備だけでも多額の金が必要となる。
「自分で行きます。だから、これ以上、貴重な税金を使わないで下さい」
アクセリナの訴えに大統領が残念そうに肩をすくめた。
「そうかい。君のような美人をエスコートできると喜んでいたのだが、残念だ。では、これをあげよう」
大統領が懐から航空チケットを出してアクセリナに渡した。
そこに時間を気にしていた側近が大統領に声をかけた。
「では、私は次の予定があるので失礼するよ。良い旅を」
「あ、はい。ありがとうございます」
大統領はアクセリナと軽く握手をすると側近やSPをひきつれて部屋から出て行った。
アクセリナは誰もいなくなると腰が抜けたようにソファーに突っ伏した。
「……絶対、復讐してやる!」
アクセリナの手の中で航空チケットが音を立てて握りつぶされた。
渡された航空チケットの座席はファーストクラスだったので移動は快適だった。
ただ、アクセリナの心境は荒れていた。どんな乱気流より荒れており、その雰囲気に周囲の人間は自然と道を開け、アクセリナが歩く先はモーセの十戒の有名なワンシーンのようになっていた。
機内ではファーストクラスの接客に慣れているCAでも緊張で手が震えそうになり、陰ではアクセリナの接客の押し付け合いがされていたほどだった。
周囲に多大な脅威を振りまきながらアクセリナは指定された場所に到着した。そこはオーストラリアにある荒野で巨大な穴と土を掘る機材が点在していた。
「さて、どこにいるのかしら。あのバカは!」
怒りで震える手を押さえながらアクセリナは怯える地元民を捕まえて綺羅の聞き込みをした。
そうして得た情報を頼りにアクセリナは採掘場に来ていた。
アクセリナはそこで作業していた四十代ぐらいの男性に声をかけた。土木作業を仕事にしているだけあって筋肉がついた逞しい体をしている。
自分の二倍の体格をした男性にアクセリナは臆することなく綺羅の特徴を説明して所在を訊ねると、男性は穴の中を指して言った。
「その兄ちゃんなら、この下で採掘しているぞ。機械で掘ったほうが効率がいいぞって言っても、手で掘る、の一点張りで、ずっとつるはしで掘り続けているけど」
「案内して」
否定を許さないアクセリナの迫力に男性は顔をひきつらせながらカクカクと頷いた。
「じゃ、じゃあ事務所で手続きをしてくれ」
ここは観光客が採掘体験を出来る場所でも有名であり、手続きさえすれば決められた採掘場ならば入ることが出来るのだ。
アクセリナはすぐにでも綺羅がいる場所に行きたかったが、ここでトラブルを起こして行けなくなるのも困るので大人しく従った。
必要な書類にサインをして採掘場に入る時の注意事項を聞いたアクセリナはヘルメットを被って男性の案内で巨大な穴の中へと入っていった。
エレベーターで縦穴の最深部に着くと、暗い横穴が数本あった。その中の一本に入って、しばらく歩くと案内していた男性が叫んだ。
「おーい、兄ちゃん!客だぞー」
穴のせいで声が反響して耳に響く。思わず耳を塞いだアクセリナに聞き覚えがある声が聞こえた。
「おー、わざわざ連れてきてくれたのか?ありがとう」
その声が耳に入ると同時にアクセリナが駆け出していた。そして人影が目に入ると持っていたカバンで殴りつけた。
「なんてことしてくれたのよ!」
「うお!」
アクセリナのカバンが綺羅の顔面にクリーンヒットして、反動で綺羅の体が宙に浮く。そこにアクセリナはすかさず蹴りを入れた。
「ぐはぁ!」
硬い岩盤に背中を強打した綺羅が痛みで地面を転がり悶絶する。
だがアクセリナは氷のように冷えた白銀の瞳で見下ろしていた。
「死ぬ覚悟は出来ているかしら?」
アクセリナの目が完全に座っている。
一方の綺羅は答えるどころではないらしく、ひたすら地面の上を左右に転がっている。
そして二人から数歩後ろに下がった所で、ここまで案内した男性が突然始まった修羅場にどう対処したらいいのか分からず、逞しい体とは不似合なほどオロオロしていた。
「逃げ回らずに、初めからこうしていれば良かったのよね」
フフフ……と魔女のような不気味な笑いを浮かべてアクセリナが綺羅に近寄る。
そこに綺羅が右手を上げて待ったをかけた。
「ま、待って。起きるから」
綺羅は呼吸を整えながら立ち上がると、ポケットから石を取り出した。
「指輪をプレゼントしたかったんだけど、買うっていうのもなんか違う気がし
て。自分で作りたかったんだけど、オレは指輪を作れるほど器用でもないから、指輪につける石を自分で見つけようと思って採掘していたんだ」
綺羅の突拍子のない発言にアクセリナは毒気を抜かれて石を見た。
「……で、それが採掘した石?」
「そう」
後方から見ていた男性が、綺羅が持っている石を見て叫んだ。
「兄ちゃん!それ、いつ見つけたんだ?そんなに大きな原石は滅多に出ないぞ!」
驚く男性に綺羅が平然と説明をする。
「こことは反対側の穴だよ。最初の頃に見つけたんだけど、これより大きいのが出ないかと思ってこっちの穴を探していたんだ。結局、出なかったけど」
「向こうの穴だな!」
男性は無線で何かを叫びながら走り去った。
アクセリナは原石と言われて綺羅が持っている石をもう一度よく見た。土がついて汚れているが所々から宝石のような輝きが見える。
アクセリナは胸の前で腕を組んで綺羅を睨んだ。
「で、その石をどうするの?」
綺羅は片膝を地面につけるとアクセリナに原石を捧げるように差し出した。
「オレはアクセリナと生きられないなら死んでいるのと同じなんだ。オレのせいで寿命が短くなるなら、そのぶん充実した人生にするよ。アクセリナの願いは全部叶える。だから、オレの我がままを一つだけ聞いてほしい」
「一緒に生きろって言うの?」
「そう」
アクセリナはため息を吐きながら首を軽く横に振った。
「まったく。どうして私の寿命が短くなるのか、とか詳しい話は一切聞かずに……というか、疑いもせずに、その結論?どういう思考回路をしているの?」
「アクセリナがそう言うなら、オレにとってそれが事実で全てだから」
疑うことなくまっすぐ見つめてくる翡翠の瞳。そして今までに見せたことが無い真剣な表情。
アクセリナは困ったように笑いながら頷いた。
「わかったわ。私の負けよ」
「じゃあ、受け取ってくれるんだね!?」
満面の笑顔で喜ぶ綺羅にアクセリナは原石を指さした。
「でも、これじゃあ指輪じゃなくて、石がプレゼントみたいよ」
アクセリナの指摘に綺羅がハッと原石を見た。
「しまった!えっと……それじゃあ……やり直し!指輪が出来たら、もう一度やるから、その時に受け取って」
「嫌よ」
アクセリナの即答に綺羅が半泣き状態になる。
「なんで!?」
男前の顔立ちでプルプルと瞳に涙をためている綺羅からアクセリナは顔を逸らした。
今は怒りで我を忘れていたが、思い出すと綺羅はかなり恥ずかしいことを言っていた。それを、もう一度やるなんて、恥ずかしすぎて拷問レベルだ。しかも今度は指輪だというのだから、それはもう極刑と言ってもいいだろう。
アクセリナは顔を逸らしたまま断言した。
「……とにかく、もう一度なんて絶対嫌よ!」
「なんで?理由を教えてよ」
縋り付いてくる綺羅をアクセリナは足で払いのけた。
「とにかく、嫌なものは嫌なの」
ツカツカと歩き出したアクセリナの後ろを綺羅が慌てて追いかける。
「じゃあ、どうしたら受け取ってくれるの?」
「自分で考えなさい!」
この時、アクセリナは恥ずかしさのあまりにこう言ったが、この言葉をあとで死ぬほど後悔することとなる。
数日後。
アクセリナは暗闇の中で幻想的にライトアップされた世界遺産の宮殿をバックに一流オーケストラが演奏をしている前に綺羅と立っていた。
そこで綺羅は指輪を取り出してアクセリナの指にはめた。普通の人であれば、この絶景とシチュエーションに見劣りしてしまうが、美男、美女である二人にはピッタリだった。
何事かと遠巻きに見ていた観光客も、この見事な光景に拍手喝采だ。
だが、その時のアクセリナは顔を真っ赤にして憤死しそうなほどの羞恥心を味わっていた。
そして、その夜。
半死半生の状態でホテルから吊るされた綺羅の姿があったという。
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