第4話 誘拐未遂
仕事の邪魔にならない程度に綺羅からちょっかいを受けながらアクセリナは仕事をこなしていた。
そのことで学んだことは、とにかく逃走費用を集めること。相手は莫大な資金があるので、どう逃げても追いつかれてしまう。
ならば追いつかれる前に逃げて、逃げて、逃げ切って相手に諦めさせるしかないと考えた。
アクセリナは仕事で石油産出国に来ていた。
この地域は宗教上の理由から、あまりモデルの仕事はないのだが、最近は国外からの話題集めや、宣伝のためにファッションショーなども開かれるようになっていた。
肌を出さない独特の衣装でのファッションショーを無事に終えたアクセリナは他のモデル仲間とともに主催者が催した打ち上げパーティーに出席していた。
「あいつの姿はなさそうね」
アクセリナが会場を見回して綺羅の姿がないことにほっと一息ついていると声をかけられた。
「今日はお疲れ様でした。素晴らしいステージでしたよ」
そう言って言葉をかけてきたのは今回のファッションショーの主催者だった。
年齢は三十歳前後ぐらいで若いが、その若さゆえに斬新なイベントを行い世界的に注目されている人物だ。
褐色の肌が白い民族衣装に映え、黒い瞳が自信で輝いているが、表情は穏やかでモデル仲間でも密かに狙っている人がいるぐらいの男前だ。
「ありがとうございます……バイアトさん」
ステージで見せる笑顔でアクセリナが返事をすると、名前を呼ばれた主催者が嬉しそうに微笑んだ。
「名前を憶えていて下さったとは光栄です」
「当然のことです」
優雅に微笑むアクセリナにバイアトがシャンパンの入ったグラスを渡した。
「どうぞ」
「ここの宗教ではお酒は禁止だったと思うのですが?」
アクセリナの指摘にバイアトが軽く笑う。
「私たちは口にしません。ですが、あなたがたは宗教が違います。私たちの思想を押し付けるようなことはしませんから。どうぞ、お飲み下さい」
他のモデルやスタッフはドレスでお酒を普通に飲んでいるが、アクセリナはこの地の宗教に合わせて肌を隠したドレスを着ていた。髪もなるべく隠している。
相手に勧められたためアクセリナは失礼にならない程度に少しだけシャンパンに口をつけて微笑み返した。
「私たちに気を使って頂き、ありがとうございます」
「いえ、あなたこそ私たちの宗教のことを考えてくれている。素晴らしいことです」
「当然のことです」
アクセリナは異国の地で仕事をする時は事前にその地の宗教や習慣を調べるようにしている。そして、その文化に合わせることで無用のトラブルを避けているのだ。
バイアトは頷きながらアクセリナに笑いかけた。
「やはり、あなたは素晴らしい」
賛辞の言葉をかけられることに慣れているアクセリナはバイアトの話し方に何か違和感を覚えた。アクセリナを褒めているものの、どこか残念そうな雰囲気があるのだ。
アクセリナが疑問に感じていると突然、眩暈に襲われた。グラスをテーブルに置いて、手で額を支える。
「ご気分が悪いのですか?」
心配するバイアトにアクセリナは軽く微笑んだ。
「大丈夫ですので……」
「そうは言っても顔色が良くありませんよ」
主催者はパーティーの給仕をしていた女性スタッフを呼んだ。
「気分が悪いようだからゲストルームで休ませるように」
宗教上むやみに異性の体に触れることが出来ないため、バイアトは呼んだ女性スタッフにアクセリナを任せた。
立っていられない眩暈にアクセリナは女性スタッフに支えられて、どうにか立っていられる状況だった。
「お言葉に甘えて、少し休ませてもらいます」
アクセリナは女性スタッフに案内されるままゲストルームへ移動して、そのままベッドに横になった。
いつの間にか寝ていたアクセリナは人の気配を感じて重い瞼を開けた。すると、そこにはバイアトが一枚の用紙を持って立っていた。
バイアトはアクセリナが目を開けたことに気が付いて優しい微笑みのまま話しかけてきた。
「横になったままでいいですよ。少し私の話を聞いて下さい」
アクセリナは半分寝ているような状態で茫然とバイアトを見上げた。お香を焚いているのか独特の匂いが漂っている。
「あなたはとても魅力的な女性です。ですが、その魅力ゆえに世界中の男性があなたに惑わされる。そのために今も、あなたはしつこく追われているそうではないですか。そこで提案です。私たちの宗教に改宗されて私と結婚されてはいかがでしょう?私ならあなたを守ることが出来ます」
そう言ってバイアトが持っていた用紙とペンをアクセリナの前に挿し出す。
「それは、その契約書です。ここにサインをすればいいだけです。悪い話ではないと思うのですが」
アクセリナは寝ぼけた状態のまま用紙を手に取った。
ここの宗教では結婚は契約であり、書類に書かれた内容にお互い同意をしてサインをすることで結婚が成立する。もちろん離婚も自由であり、その時の慰謝料などが書かれているのだ。
アクセリナは書かれている内容を読んで軽く笑って手放した。
「魅力的な内容だけど、サインは出来ないわ」
予想外の発言にバイアトの視線がきつくなる。
「何故ですか?このままでは、あなたは逃げ切れない。私なら、あなたを守りきれます。いや、誰の目にも触れることなく、あなたを私だけのものに……」
そこまで行ってバイアトは口を押えた。
「それが、あなたの本心?このお香には本心を話すようになる作用があるみたいね」
そう言ってアクセリナは軽くお香の匂いを嗅いだ。
「私は自由に生きたいの。誰かに守られるのではなく、自分で道を作りたいの。それを手伝ってくれるのなら歓迎するけど、ガチガチに固めて守るだけって言うなら、お断りよ。それにね」
アクセリナが妖艶な微笑みをバイアトに向けた。
「今の生活も結構、楽しいの。彼を見ていると面白くて飽きないのよ」
「そんな……」
バイアトが言葉を失っていると、勢いよくドアが開いて怒鳴り声とともに綺羅が飛び込んできた。
「アクセリナ!無事か!?」
スーツ姿だが走ってきたのだろう。綺羅が肩で息をしながらベッドの上にいるアクセリナに向かって突進していく。
猪突猛進していく綺羅をバイアトが慌てて止める。
「突然、失礼でしょう!それ以上、彼女に近づかないで下さい」
バイアトを綺羅が翡翠の瞳で睨む。
「睡眠薬で眠らして、こんなところに連れ込むような奴が何を言うか!」
綺羅の言葉をバイアトが鼻で笑う。
「何を。どこにそんな証拠が?」
余裕の表情をしているバイアトに綺羅は一冊のファイルを投げつけた。
「アクセリナが飲んだシャンパンの成分を解析したら睡眠薬反応があった。そのシャンパンはお前が直接渡したっていう証言も取れている。他にも証拠は揃えた」
「なっ!?」
普通ではありえないほどの短時間で揃えられた検査結果や証拠が書かれたファイルを見てバイアトが硬直する。
「確か、お前たちの宗教では婚前での異性との接触は禁止だったよな?それを、こんなことをして連れ込んだなんて知られたら大騒ぎになるな」
アクセリナの無事を確認した綺羅が余裕の表情でバイアトを見る。
バイアトはきつく噛み締めながら綺羅を睨んだ。
「あなたがいけないのでしょう!あなたが彼女を無理やり追いかけまわすから!いや、あなただけではない。他の男たちも彼女の本当の美を理解せずに見ている!そんな視線を向けられるだけで彼女は汚れてしまう。私は彼女を守りたいのだ!」
叫ぶバイアトに対してアクセリナはポツリと呟いた。
「……どうでもいい」
「は?」
「え?」
バイアトと綺羅が間抜けな声を出してアクセリナを見る。するとアクセリナは欠伸をしながら白銀の瞳を二人に向けた。
「私は眠たいの」
そう言うとアクセリナが持っていた用紙が燃えて灰になって消えた。
その光景に二人が目を丸くしていると、アクセリナが目の前に転がっていたペンを手に取った。するとペンが熱せられたようにクニャリと曲がった。
「ひぃ!」
バイアトが悲鳴とともに一歩下がる。
そこにアクセリナが不機嫌そうに曲がったペンをバイアトに投げつけた。
「これぐらいのことで情けないわね」
そう言うとアクセリナは再びベッドに寝転んだ。
その姿に綺羅が慌てて声をかける。
「アクセリナ、寝るなら自分のホテルに帰ってから寝てよ」
「……眠いの」
「運んであげるから。ほら、手を出して」
綺羅の言葉にアクセリナが怠そうに体を起こして手を伸ばす。
「ん」
普段からは考えられないほど素直なアクセリナを綺羅は苦笑しながら軽々と抱き上げた。
そこにバイアトが吠える。
「彼女に触るな!」
頭を揺さぶるような大声に、アクセリナが人差し指で軽く宙を弾きながら言った。
「うるさい」
すると突然、バイアトの服の一部から小さな火が上がった。
「なんだ!?」
慌ててバイアトが火を消す様子を眺めながらアクセリナは欠伸をした。
「今度うるさかったら全身を燃やすから」
今までの怪奇現象の原因がアクセリナだと悟ったバイアトは思わず叫んでいた。
「あ、悪魔!悪魔だ!」
その発言に綺羅がバイアトを睨む。
「今あったことを誰かに話したら、あの情報を公表するからな。あとアクセリナに対する批判をしても同じだぞ」
そこにアクセリナが眠たそうに半分だけ開けた瞳をバイアトに向けた。
「悪魔の呪いが怖かったら変なことはしないことね。私の呪いはよく効くわよ。なんたって悪魔なんですから」
そう言いながらアクセリナは面白そうに笑った。
だがバイアトから見れば、それは魅惑的な悪魔の妖艶な微笑みでしかなく、言葉に迫力と恐怖を増加させただけだった。
茫然としているバイアトの横をアクセリナを抱えた綺羅が悠然と歩いて部屋から出て行く。
ウトウトとしているアクセリナに綺羅が声をかけた。
「寝ていていいよ」
「……よく私があそこにいるって分かったわね」
「嫌な予感っていうのかな?なんか感じたんだ」
「本能は弱いくせに、そういう勘はいいのね」
アクセリナの小さな呟きに綺羅が首を傾げる。
「ちょっと声が小さすぎて聞こえないんだけど」
「独り言よ、気にしないで。それより、あれを見てなんとも思わなかったわけ?」
あれ、とは先ほどアクセリナが用紙を燃やしたり、ペンを曲げたり、火を出したりしたことだ。綺羅は軽く頷きながら足を止めずに話した。
「ちょっと驚いたけど、世界にはいろんな人がいるからね。電球を食べられる人がいるんだし、火が出せる人がいても不思議じゃないよ」
電球を食べる人と同じ扱いにしてほしくはなかったが、眠気の方が強いアクセリナは軽く笑って流した。
「世の中の人が全員、あなたみたいに単純なら楽なのに」
「そう?それより、あいつに何かされなかった?」
心配そうに顔を覗きこんでくる綺羅にアクセリナは欠伸をした。
「宗教の教えで結婚相手以外の異性に触れることは禁じられているから触られてもいないはずよ。そもそも、ここの宗教は女性を守る部分が強いの。今はそれが抑圧的に見られているところもあるけど。そう考えると、誰かさんのほうが私に触っているわね」
アクセリナの言葉に綺羅が困ったような顔をする。
「だって、今回のは不可抗力でしょ?でも、他の人にアクセリナを触られたくないし……やっぱりオレが運ぶ」
勝手に自己完結した綺羅にアクセリナは呆れたように笑って目を閉じた。
「寝るから、後はよろしく」
アクセリナはいつもより自分が素直になっていることに気が付いていた。体を支える綺羅の腕に安堵し、全てを任せてもいいと思ってしまっている。
「全ては、あのお香のせいよ……」
そう自分に言い聞かせてアクセリナは眠りについた。
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