第28話 フィアとライラ

 俺はライラの後ろから、彼女の顔を覗き込む。

 ライラがフィアを抱きしめた状態で体を何度も揺すっているにも関わらず、フィアは長いまつげを震わせることもなく目を閉じたままだ。

 これは完全に気を失っているな……。


「ライラ」


 俺はライラの肩にそっと手をやると、彼女は顔だけを俺へ向けてそのままフルフルと首を振る。


「すまん、ライラ。彼女へ触れてもいいかな?」

「はい……」


 かすれた声で俺へ了承の意を示したライラは、俺がフィアへ触れられるように体の位置を少しだけズラした。


「ありがとう」


 ライラの真横で膝立ちになると、フィアの手を取り脈を確認する。

 ドクンドクンと血液が流れる脈動が感じられたので、ほっと息をつく。とりあえず最悪の状態にはなっていないようだな。

 次につぶさに胸をじっと見つめ……呼吸の様子を確かめた。

 呼吸は人間基準ならやや早い。脈はたぶん正常。

 

「良介さん……」

「ライラ、彼女の額に触れてもいいかな?」

「はい」


 フィアの額に手をやると……熱い!

 インフルエンザにかかった時くらいの高温といっても差しさわりないほどに。

 なんとなくだけど、症状の予想がついてきたぞ。

 

「ライラ、彼女のわきや太ももの付け根とか汗のかきやすいところを触ってみてくれないか」

「は、はい」

「ま、待って。後ろを向くから」

「良介さん、こんな時までこだわるのですね……」


 いや、こだわるだろ! 俺は医者じゃないから、「医療行為」ですと全身をくまなく触診するなんてことを平然と行うことなんてできん。

 それに、冷静に判断できる自信もないからな。

 なんてぶつくさと心の中で呟きながら背を向け待っていると、ライラから声がかかる。

 

「汗はかいていないように思います」

「そうか。おそらくだけど、ライラの時と同じ『熱中症』だと思う」

「何でしょう、それは……」

「説明は後だ。急いで拠点につれかえってココナツジュースを飲ませよう。他の指示は戻りながら説明するよ」

「分かりました!」


 ライラにフィアを抱えてもらって、ポチに騎乗したが……三人いけるのか?

 

「ポチ?」

「わんわん」


 全く問題ないという風に元気よく吠えたポチは、三人を乗せたままその場で軽くジャンプするほどの軽快さを見せる。

 す、すげえな、ポチ!

 俺たち三人を乗せて猪を口に咥えたポチは、俺たちを振り落とさないように速度を落としながら走り始めたのだった。

 

 ◆◆◆

 

 戻った俺たちはまずフィアを家のリビングに横たわらせる。

 

「ライラ、保管していたヤシの実を」

「はい!」

「彼女がココナツジュースを飲め無さそうな時は、口移しで飲ませてやってくれ」

「分かりました。うまくできるか……良介さんなら……」

「あ、うん。出来ない時は言ってくれないか。俺は他のことをするから」


 俺はくるりと踵を返すと、そそくさとタオルを持って家の外に出ていく。

 ライラにするのならともかく……彼女がいるのに初めて会ったフィアになんて……無理無理だー。

 家から出ると、駆け足で小川に向かいタオルを水に浸してから軽く絞り家に戻る。

 

「ライラ、このタオルを彼女の身体に被せてやってくれ」

「分かりました」

「俺は猪を解体してくるから、困ったことがあればすぐに呼んでくれ」


 たぶんこれで大丈夫だと思う。ライラの時はタオルさえ無かったからなあ……今回はココナッツジュースもあるし以前よりマシなはずだ。

 

 外に出て猪の解体作業を始めたんだけど、猪は重たい……動かねえ。こいつは一人じゃ厳しいな……。

 仕方ないので、巨大化したポチに猪の頭をくわえてもらうことにする。彼に首をあげてもらうとちょうどいい高さになったから、解体作業を進めることができたのだった。


「ふう、こんなもんかな……」


 全身血まみれ、脂まみれになりながらもようやく猪の解体を終えた俺。

 あらかじめ着替えは持ってきていたから、先日作った洗い場で素っ裸になるとポチと遊びながら体を洗う。

 

「ポチ―、やったなー」

「わんわん」


 気温は高く、裸のままでも問題ない……というか水に触れると心地よいくらいだったんで、「遊んでモード」のポチのこともあって夢中で彼と水の掛け合いっこをしていた。

 その時――

 

「良介さん、フィアの目が覚めました!」

「ん? おお、それは良かった!」


 あ、ポチと遊んでいたら倒れているフィアのことがすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。

 俺は心の中でライラとフィアに謝罪するが、ライラの顔が真っ赤になっているじゃないか。ん? んん?

 

「どうしたの? ライラ。何かまずいことが起きたのかな?」


 フィアの目が覚めたはいいけど、様子がおかしいのか?

 

「い、いえ。良介さん……裸ですので……」

「あ、ああ! ちょ、ちょっと後ろを向いててくれるかな。すぐに服を着るから」


 そうだった。裸だったのを忘れてしまっていたよ。

 これ下手したらセクハラだよな……俺の貧弱な体を見せたとか……いや、これは事故だ。俺がワザとライラへ変なもんを見せたわけじゃあない。

 

「ライラ、すぐあの娘のところへ行こう」

「はい!」


 俺はライラと共に家に戻る。

 

「は、は、ははは、じじめ、ま」


 家に戻ると、まだ起きたばかりでぼーっとしているフィアがペタンと座っていたんだけど……俺の顔を見るなりビクッとコウモリの翼が緊張し呂律が回らない感じで言葉を紡いだ。

 あ、そうか……すっかり忘れてたんだけど、悪魔族と人間の関係性はこんなんだった。

 

「フィア、良介さんは賢者様だとさっき言ったじゃないですか! だから、恐れることはないんですよ」

「お、おねえちゃん……で、でもおお」


 フィアは手を太ももで挟み

 モジモジした様子で涙目になっている。

 

「ライラ、仕方ないさ。フィア、俺は良介。体が癒えるまでここにいるといいよ。何もしないから安心してくれ」

「は、はいいい」


 フィアは委縮してしまってまともに受けごたえもできないようだ。

 どうしたものかな……と思いつつも今日に限ってアリの駆除へ行かないといけないから時間に限りがある……。全く、イベントごとって重なるもんだよな……。

 

「ライラ、猪の解体に思いのほか時間がかかっちゃってまだお昼の準備ができていないんだ」

「私がやりますよ。良介さん」

「悪いんだけど、頼むよライラ。俺はそろそろアリを見に行かないと」


 話を続けようとしたところ、俺の声は悲鳴に遮られてしまう。


「アリ!」


 声の主はフィアだった。彼女は血の気が引いて、ガタガタと体が震えだしていた。

 耐え切れなくなったのか、彼女はそのままフッと意識を失い倒れ伏してしまった。そんな彼女をライラが慌てて抱き留めて、大きく息を吐く。

 

「大丈夫かな? フィアは」

「『人間』、『アリ』とフィアにとって恐怖の対象が続いたので、気を失ってしまったんだと思います」

「なるほど。このまま行くのは後ろ髪が引かれる思いだけど……」

「良介さんはアリをお願いします! アレは放置してはいけない物です!」


 拳を握りしめて力説するライラへ俺は頷きを返し、「行ってくる」と片手をあげ部屋の扉に手をかけたのだった。

 

 ◆◆◆

 

 ポチの騎乗してウォルターを肩に乗せ例のアリの巣穴の様子を確認しに行くと……既に二体のアリが巣穴のあったところをウロウロしていた。

 うわあ、実物は話で聞いた以上に不気味だ……メタリックブルーの体色が太陽の光に反射してギラギラと輝き、巨大な目はシルバーで赤く明減を繰り返している。

 なんかアリというより、SFに出てくる虫型の作業ロボットみたいなイメージが近い。

 

「ウォルター、付近にアリがいないか見てくれるかな?」

「あいわかった」


 了承したウォルターは黒い翼をはためかせて、空へと飛びあがる。

 弧を描きながら木より遥かに高いところを飛翔するカラスの姿を眺めながら、太陽の位置を見やる。ん、あと二時間くらいで日が落ちそうかな。

 早めに来たのは、ブロックを組み替えたいのとあわよくばアリに対していくつか検証したいことがあったからなんだ。

 

 すぐにウォルターが戻ってきて周囲にアリの姿が無いと報告を受ける。

 よっし、じゃあ一丁試してみますか。俺はポチの首元を撫でると彼は「くうん」と一声鳴いて俺の指示を待つのだった。

 

 手近かな樹木をブロック化しつつ、ポチをアリ方へ向かわせる。

 ゆっくりと、そう、ゆっくりとだ。アリは自ら襲ってくることは無いと聞いているが、刺激すると逆上する可能性は高いとみている。

 焦る必要はない、万が一の時は即座にブロックで潰せるようアリに焦点を当てているからな!

 

 よっし、射程距離に入った。ここだ!

 俺はブロックを操作し寄り添うように巣穴を周回しているアリ二匹をブロックで囲い込む。

 

 さてと、実験の始まりだ!

 

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