第185話 ハルトしゃまとリタたん
目が合うとリタさんは大股でこちらに近づいてきた。
心なしか顔が赤い。
「お疲れさまでした、アンスバッハ様。お迎えにあがりました」
「ユージェニーさん達はどうされましたか?」
「リッツ&カールホテルに部屋を確保できましたので、そちらでお待ちです」
リタさんはそれを報せるためにここで待っていてくれたのか。
彼女も不眠不休で疲れているだろうに悪いことをしてしまった。
「ありがとうリタさん。でも、アンスバッハ様というのはちょっと堅苦しいですね。リタさんもユージェニーさんみたいにラインハルトと呼んでください。もしよかったらハルトと呼んでくださると嬉しいですね。屋敷ではそう呼ばれていますから」
リタさんが目を丸くしている。
ちょっと馴れ馴れしすぎたかな?
僕としては同じ苦境を乗り越えてきた仲間として、特別なつながりを感じているのだけど。
「ハ、ハル、ハルトしゃま」
しゃま?
「い、言いにくかったら無理にとは……」
「いえっ! ハルトしゃまと呼ばせていただきます!」
声が大きくて恥ずかしいです。
ちゃんと言えてないし……。
まあ、会話をしている内に落ち着いてくれるだろう。
そう願う、心から……。
「ここからホテルまでどれくらいかかりますか?」
「徒歩で20分くらいです。どこまでもお供しますよ」
いや、ホテルまでだし……。
そんな話をしていたら通りの向こうから辻馬車がやってきた。
ちょうどいいタイミングだ。
「歩いても行けますが、馬車に乗っていきましょう」
僕は大きく手を振って馬車を止めた。
幌の日よけがついた辻馬車で、二人掛けのベンチが三列並んでいた。
まずは僕が乗り込んでリタさんが乗るために手を差し伸べたら、リタさんに不思議そうな顔をされてしまった。
これはいつもの癖でやってしまったことだ。
ご婦人に対しては、これで礼儀にかなっているけど、騎士に対しては失礼だったかもしれない。
「すみません、レディーに手を貸すことを当たり前と育てられました。騎士殿に対しては無礼だったかもしれませんね」
「と、とんでもない!」
いうが早いか光の速さで手を掴まれた。
思わず「いたっ!」と声をあげそうになったけど、そこは必死に耐えた。
リタさんの握力がすごくて涙がでそうです。
快癒羊を呼び出したかったけど、これも頑張って堪えた。
「どうぞ」
リタさんにベンチを勧め、僕も隣に座った。
「どちらまで?」
「この世の果てまでも!」
体を寄せながらリタさんが訳の分からないことを言う。
今日のリタさんは一体どうしたというのだろう。
旅の間は有能で生真面目な騎士の印象しか受けなかったけど、さっきから言動がおかしなことばかりだ。
ひょっとして僕を笑わせようとしてくれているのか?
きっとそうだ!
僕が不安がっていると思って、さっきからわざと道化てくれているんだな。
これが傭兵流のジョークなのだろう。
「リタさんは面白い方ですね。行先はリッツ&カールホテルへ頼むよ」
感謝を込めてほほ笑んだら、そのままこちらを見つめて動かなくなってしまった。
「あの? リタさん?」
「ハルトしゃま……」
真面目そうな顔のまま、そんな言い間違えでさらに僕を笑わそうとしてくる。
表情と言動のギャップが激しくて笑いを吹き出してしまったよ。
「あはははっ、やだなぁリタさん! 本当に面白いんだから。お腹が痛くなっちゃいますよ。でも、リタさんのおかげで元気が出てきました。これは何かお礼をしないといけませんね」
後でお酒でもご馳走しようかな?
それとも甘いものの方が喜ばれるかな?
あ、リタさんは騎士だからアンスバッハ家で取り扱っているナイフなんかも喜んでくれるかもしれない。
でも、リタさんはまったく予想外のことを言ってきた。
「それなら、ハルトしゃま……一度でいいから私のことをお姉さんと呼んで……いただけませんか?」
お姉さん?
リタさんは弟が欲しいのかな?
ひょっとして!?
僕は不幸なことを想像してしまった。
もしかしたら、リタさんは弟さんを亡くされた過去を持つのかもしれない。
そうでなくても、故郷に可愛がっている弟を残してきているのかもしれないな。
だったら、僕としても慰めて差し上げたい。
気恥ずかしくはあるけど、姉と呼ぶことだって躊躇わないぞ。
「姉上、いろいろとお気遣いくださってありがとうございました。ハルトはご恩を忘れません」
心を込めて、リタさんの手を取って感謝の気持ちを述べてみた。
あれ?
リタさんの動きが止まったぞ。
あまりに様子が変だったので声をかけようとしたのだけど、その時、馬車の車輪が道の石を噛んで大きく縦に揺れる。
「リタたん」
「リタ……たん……」
いたた……、血は出ていないようだけど舌の先を噛んでしまったよ。
おかげで「リタさん」と言おうとしたのに「リタたん」になっちゃった。
でも考えてみたらこれも面白いな。
「“ハルトしゃま”と“リタたん”だなんて不思議な呼び名ですよね。二人して間違えるなんて面白いや。まるで秘密の呼び名ができてしまったみたいですよね」
「二人だけの秘密……」
なぜかリタさんは泣き出しそうな笑顔になっていた。
「ハルト様……一生分のおかずをありがとうございます」
おかず?
お腹がすいているの?
「この思い出だけで、いつ戦場に散ろうとも悔いはございません」
「ええ!? そんな……」
死を口にするなんて軽々にすることではないと両親に強く言われていたせいか、そんなことを言ってはダメだと思った。
だから、親しみと厳しさを込めて僕はリタさんに言った。
「リタたん、死んじゃだめですよ」
「っ! 死にましぇん……」
ひょっとしてリタさんは訛りがあるのかな?
「私は死にましぇん!」
高らかに宣言したところで馬車が止まった。
「リッツ&カールホテルに到着です」
「……」
馬車の中が空気の抜けたエールのような雰囲気になっていた。
リッツ&カールホテルは木の柱と漆喰の壁で出来た三階建ての大きな建物で、地方領主の館から前庭を取り払ってしまったような印象を受けた。
王都のホテルよりも洗練はされていないけど、田舎ならではの素朴な温かみを感じた。
案内されたスイートルームは、さすがにゴージャスで寝室と居間の他にお風呂までついていた。
「お待ちしておりましたわ」
ユージェニーさんはお風呂をすませてゆったりとした部屋着に着替えていた。
少し胸元が開いていて目のやり場に困ってしまう。
「素敵なお部屋ですね」
「ええ、今夜は最高の思い出を作りたいですから」
「思い出?」
「いえ、何でもありません。それよりもラインハルトさんもお風呂に入りませんか?」
長い旅をしてきたので、それはありがたい申し出だった。
「ぜひ入りたいです」
「お風呂は寝室の奥にありますよ」
この部屋のお風呂?
「あの、私の部屋にはお風呂はついていないのですか?」
僕の質問にユージェニーさんの笑顔がほころぶ。
「あら、ここはラインハルトさんの部屋ですよ」
そうだったのか!
てっきりユージェニーさんの部屋だと思っていた。
「でしたら、ユージェニーさんのお部屋はどこですか?」
「私の部屋もここですよ。スイートは一つしか開いていませんでしたの」
「そんな!」
俺の驚きをユージェニーさんは不思議そうな顔で見ていた。
「旅の間は大部屋で一緒に寝た晩もありましたよ」
「それはそうですが……。ということは今晩も五人でこの部屋に寝るのですか?」
「いえ。カリーナはこの部屋に付属した使用人用の部屋に寝ます。リタとエレーヌは別の部屋を用意しました」
ということは寝室をユージェニーさんと使うのか?
「お嫌でしたか?」
「そんなことはありません!」
僕は思わず叫んでいた。ユージェニーさんと一緒にいられるなんて夢みたいに嬉しいことだ。
だけど、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
ユージェニーさんにしてみれば年下の僕なんて恋愛対象になんかならないだろうし、ひょっとしたらできの悪い弟のように思っているのかもしれない。
「さあ、お風呂にはいってさっぱりしてきてくださいな。その後はお食事にしましょうね」
「わかりました。使わせてもらいます」
カリーナさんに案内されて、奥にあるお風呂へと行った。
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