第177話 さらば少年の日々

 カッテンストロクトを西へ進み、ザクセンス王国を南北に貫く主要街道であるラインガ街道へと到達した。

バイクの二人乗りは疲れるものだ。

そろそろお尻が痛くなってきているけど北部最大の都市ブレーマンまではもう少しだった。


 ブレーマンにはアンスバッハ家の別邸があるのだけど、そこには寄らずにブレーマン伯爵の館を訪問した。

領主のブレーマン伯爵は王都にいらっしゃるので不在だったけど、ご子息はご在宅で僕らを歓迎してくださった。

ご子息はベルッカ子爵とおっしゃる。


「よくいらしたラインハルト殿。フィーネも待ちわびていたぞ」


 フィーネさんはご子息とは古くからの顔見知りで、館への出入りも自由とされている。

二人は身分を超えたバイク仲間なのだそうだ。

エッバベルク ― ブレーマン ― バッムス間の道路は大陸で一番整備されているので、バイクを所有する貴族たちが揃ってツーリングを楽しむ姿がよく見かけられる。

フィーネさんはそんなツーリングチームであるクレージー・エンジェルスのマスコット的存在だった。

身分は高くないけど人気のコラムリストであり、ザクセンスきっての食通ということで貴族たちも好んでフィーネさんとの交流を楽しんでいる。

ベルッカ子爵は僕たちを応接室へ通してくれてお茶やサンドイッチ、ケーキなどを振舞ってくれた。


「頼まれていた社外マフラーをお持ちしましたよ。それからエンジンオイルも」

「おお!! ついに来たかっ!」


 子爵はフィーネさんから渡された段ボール箱を子どもがオモチャをもらったみたいに、はしゃぎながら開けていた。

そしてバイクに取り付けるマフラーという部品に頬ずりをする。

普段は品のいい紳士なのだが……。


「いいのぉ。思っていたよりもずっといいっ!」

「エンジンの熱で焼けるとさらにいい色に変化していきますよ」

「そうか、そうか。ヒノハル殿には丁重にお礼をお伝えしてくれ」


 今から10年以上も前に父上が1000万マルケスという大金でこの世界で初となるオートバイクを売りつけたのがこの人だったそうだ。

そこから始まり通算で5台のバイクを子爵には販売している。

子爵一番のお気に入りトライアンフ・ボンネビルは一億マルケス以上で売り付けたとか……。

他にもガソリンというバイクの燃料やオイル、部品などを定期的に高値で提供しているようだ。

これらの商品はアミダ商会という会社で販売していたのだが現在はもうやっていない。

父上も吉岡のおじさんも経営からは手を引き、今では僅かな商品を異世界から仕入れるだけになっている。

それさえも年々規模を小さくしていると父上は言っていた。

お金は充分蓄えたからもうやりたくないそうだ。

今はかつてのお得意さんだけを相手に、個人的に便宜をはかるくらいになっているらしい。

それでもかなり儲かっているようだけどね。


 父上は取扱説明書をザクセンス語に翻訳していた。

子爵がそれを熱心に眺めている間にフィーネさんは次々とサンドイッチを平らげていく。


「ハルト様、こちらの小エビのサンドイッチが美味しいですよ。うん、カモ肉のハムも美味しい……」


 僕にサンドイッチを勧めながら3種類もあるケーキも全部試していた。

ラズベリーのジャムが挟んであるのは二個も食べている。

あの小さな体のどこに入っていくのかは永遠の謎だ。

あんなに食べるのにどうして小さいままなのだろう?


 その日はブレーマンに一泊して、翌日は朝からバッムスへ向かった。


「ラインハルト様! お久しぶりです」


 代官のレオさんが町の入り口で出迎えてくれた。

ここ数年でバッムスも随分と発展したと思う。

宿屋は2軒に増えたし、酒場や雑貨屋なんかもできた。

ここはラインガ街道から外れていたのだけど、道はずっと整備されている。

たとえ遠回りになってもバッムスを通る道の方がずっと広く、馬車にも負担がかからないということでこちらの道を使う旅人が増えたのだ。

バイパス効果というものらしい。

今では王都への定期馬車便もバッムスを経由する。


「学院の馬車は正午に出発します。昼食を用意させていますので代官所でお召し上がりください」


 ここからはバイクではなく馬車での旅となる。

学院に入学するための地方貴族の子弟たちが乗り合い馬車でラインガ街道を南下するのだ。

ここは最北の地に近いから乗るのはまだ僕一人らしいけど、これから続々と学友になる者たちが乗り込んでくると聞いている。

そしてフィーネさんのお守りもここまでだ。

母上と父上がいない間にエッバベルクを取り仕切るフィーネさんがいつまでも留守をするわけにはいかなかった。


「ハルト君、本当に大丈夫?」

「いつまでも子ども扱いしないでください」

「三年前まで一緒にお風呂に入っていたのに?」

「うっ……」


 それを言われると辛い。

フィーネさんにはお風呂どころかオムツまで替えてもらっていたのだ。

赤ん坊の時はお尻に青い斑点があったと、つい最近まで笑われていたくらいだ。

蒙古斑(もうこはん)というのは父上の民族に現れる固有の特徴らしい。

母方のギリール人にもザクセンス民族にもそんな特徴はなかった。


「フィーネ、それを言われたら男は立つ瀬がないよ。まあ、良家の子弟というものは乳母やには弱いものでございますな」


 乳母は第二の母親だ。

なかなか逆らえるものではない。

流石にフィーネさんに母乳はもらっていないけど……小さい頃はオッパイを吸わせてもらっていたもんなぁ……。

ああ、死ぬほど恥ずかしい!

フィーネさんだって断ってくれればいいのに……あの人サバサバしているから……。

やっぱりフィーネさんには逆らえないのだ。

だからこそ母上やフィーネさんから離れて一人になれることには意義があると思う。


 食事を終えてお茶を飲んでいたらエッボさんが呼びに来てくれた。


「若ぁ、そろそろ馬車が出発するそうですよ。護衛の騎士たちの準備も出来ております」


 馬車には学院がつけた騎士四人が護衛につく。

騎士にはそれぞれ二人の従者がいるので総勢12人の護衛だ。

ラインガ街道は比較的治安が良いので、これだけいれば十分だろう。

それに馬車に乗るのは僕を含めて貴族の子弟ばかりだ。

中には魔法を使える子どももいる。

アンスバッハ家の長子である僕も氷冷魔法が得意だ。

これは母上の形質を受け継いだ。

ただ、僕には父上から受け継いだスキルというものが一つある。

父上はそれこそ数え切れないほどのスキルを持っているそうだけど、僕が受け継いでいるのは今のところ一つだけだ。

それは……。


「若ぁ、皆さんをお待たせするのは失礼ですから急ぎましょう」

「今行きます!」


 カップの底に残ったお茶を飲み干して席を立った。

時計の販売で財を成したアンスバッハ家の息子が時間に遅れるわけにはいかない。


「ハルト君、出発前にトイレに行かないと」

「わかってます!」


ほんとにフィーネさんは……。

いつまでも僕を子供扱いして、細々と指示をだすフィーネさんにちょっとだけイライラしてしまった。


「フィーネ、それくらいにしておけ。ラインハルト様はいつまでも子どもではないのだぞ」

「だって……」

「レオさんの言うとおりだよ。フィーネさんは口喧しすぎ」


 しょんぼりとするフィーネさんを見ていたら胸が痛んだけど、これくらいはっきり言わないとわかってもらえないもんね。


 馬車のところへいくと護衛隊のラル隊長が僕たちを待っていた。


「本日より王都まで皆様の護衛を務めるルンバ・ラルと申します。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく。アンスバッハ家長子、ラインハルト・アンスバッハです」

「お噂はかねがね。なにせ「氷の淑女」と「大天使の眷属」との間に生まれたご子息ですからな」


 ……本当にそんな話になっているんだ。

思わずため息が出そうになった。

みんながそういう目で僕を見るのかな?

母上はともかく、父上については誤解もいいところだと思う。

僕も父上の噂は耳にしていたので本人に確かめたけど、「俺なんてせいぜいがセラフェイム様の下働きだよ」と言っていた。

眷属だなんてとんでもないデタラメだそうだ。

他にも「千のスキルを持つ男」だなんて呼ばれているけど、あれも過ぎた誇張らしい。

父上のスキルはせいぜい400個くらいだそうだ。

それでも増え続けているようなので20年後には千くらいにはなるだろうと言っていた。

だけどそんなにあったら自分のスキルだって覚えていられないんじゃないかな? 

じっさい父上は使わないスキルを失念してしまうので、たまに日記帳を読み直して確認しているくらいだった。


「それじゃあみんな行ってくるよ。母上たちが留守の間、領地のことは頼んだよ」


 挨拶を済ませて馬車に乗り込もうとしたら、フィーネさんが前に出てきた。

さっきは「口喧しい」なんて言っちゃったからどうにも気まずい。

最後に謝っておこう。


「……フィーネさん、さっきはごめんなさい」


 謝ったらフィーネさんに抱きつかれた。


「フィーネさん……?」

「これで最後……、これで最後だから……」


 嗅ぎ慣れたフィーネさんの髪の匂いがする。

いつも僕を優しい心と一緒に包んでくれていた匂いだ。


「今度会うときは、ハルト君はずっと大人になっているんだろうなぁ……。私も次からはラインハルト様って呼ぶよ……」


 優しく頭を撫でながらフィーネさんは名残を惜しむように呟いていた。

たぶん、これがフィーネさんに抱きつける最後の瞬間なのだろう。

僕はこの別れを越えて大人になっていかなければならない。

涙が出そうになったけどなんとか堪えることができた。


「行ってくるよフィーネさん……。僕、きちんと学んで立派な大人になってくるから」

「うん。そうだね。待っている」


 沿道の水仙は色濃く、スモモの花が青空を背景に鮮やかに咲いていたけど、僕の心は晴れない。

目を開けていれば涙がこぼれそうで瞑るのだが、目を閉じれば花畑に佇むフィーネさんの姿がまぶたの裏に浮かぶ。

いくつになっても無邪気な笑顔、優しい眼差し、可憐な姿。

彼女の操るバイクの後ろに跨って幾つの野山を越えたことだろう。


「フィーネさん今日はどこへ行くの?」

「どうしましょうかねぇ。お弁当はたっぷりあるから一日中遊べますよ」


 僕の乳母やでお子守役。

ナイフと弓矢の扱い方も教えてくれた。

そして返せないほどの愛情を注いでくれた人。


(さよなら、フィーネさん)


 もうすぐ僕が生まれて13回目の春が来る。

旅立つにはちょうどいい時期に来ているのだろう。

花咲き乱れる風の強い日だった。

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