第175話 最終話 千のスキルを持つ男
突如現れたクララと吉岡に護衛たちは浮足立った。
だがこれは偶然でも何でもない。
パレード港で支度を整えたクララたちはすぐに追跡をはじめ、三日前にはユリアーナ一行を捕捉して気づかれないように後をつけてきていたのだ。
「アキトの目論見通りになったな」
「ええ。先輩がラジープさんに会って記憶が戻れば自力で帰ってこられますからね。僕たちとしては先輩を探すより聖女を見張っていた方が良いと判断しました」
公太を確保できた二人の会話はのんびりとしたものだが、聖女の護衛たちの方は一気に緊張に包まれた。
「お逃げくださいませ。ここは我々が時間を稼ぎます」
ラーラの悲壮な申し出に対してユリアーナは静かな笑顔を向けた。
「いいのです。それよりもお前たちは下がっていなさい」
護衛を後方に下がらせてグローセルの聖女は一歩前へと進み出た。
ただ一人、カリーナだけがその後ろに付き従う。
「こんにちはアンスバッハ男爵」
挨拶をして、ユリアーナはクララのつま先から頭のてっぺんまでをつぶさに眺めた。
おそらく自分とクララとの差を見極めていたのだろう。
「日野春公太は私の夫となる男だ、今後は二度と手出しはしないでもらおう。その約束ができないというのならば私にも考えがある……」
激情を抑え込むかのようにクララの言葉は静かだった。
また、それに対峙するユリアーナも心乱れた様子はない。
どちらもその内心は狂おしいまでに揺れ動いているのだが。
「たった今、コウタさんにはふられてしまいました。私は女としてクララ・アンスバッハの足元にも及ばないそうです。コウタさんに明言されました」
公太の思いを知り刹那に頬を赤らめたクララだったが、強烈な冷気が辺りを包むと同時に普段通りの冷静な態度が戻っていた。
氷冷魔法で感情を抑え込むのは、もはやクララのお家芸になっている。
そして勝者が敗者にかける言葉などないように、クララがユリアーナに言うべきこともなくなっていた。
二人はしばらく見つめ合ったまま動かなかった。
やがてユリアーナの方が目をそらし、ゆっくりとクララの脇を通り過ぎていった。
吉岡がその背中に声をかける。
「このまま去るつもりですか? クララ様に謝罪をしたらどうなのですか!」
ユリアーナは振り返らないまま答えた。
たった今溢れた涙をクララ・アンスバッハに見られることだけは何としても避けたかったのだ。
「アンスバッハ男爵に謝罪? 死んで償えとでもおっしゃいますか?」
「貴方は……」
「好きにされたらいいでしょう。私は負けを認めますわ。どうぞ後ろからこの身を貫いてくださいな」
その場にとどまってクララの剣を待つような素振りをみせたユリアーナだったが、クララがやらないことは分かっていた。
クララ・アンスバッハともあろうものが無抵抗な人間を、しかも後ろから攻撃などできるはずがない。
「見え透いたことを……」
吉岡は侮蔑するように呟いた。
「ええ。アンスバッハ男爵の矜持がそんなことは許さないでしょうからね」
だが、クララは表情を変えずに告げる。
「必要があると認めれば私は躊躇わない。だが、貴方を切ることはしない。そんなことをすれば公太が悲しむから」
ユリアーナの肩がピクリと震えた。
「そう……思いますか?」
「あれはそういう男だ。貴方も知っているだろう?」
ユリアーナはやはり何も答えなかった。
「ほかに御用がなければお暇いたしますわ。もう二度とお会いすることもないでしょう。ごめんあそばせ」
ユリアーナはすたすたと森の道を歩き出す。
カリーナだけが振り返ってクララと吉岡へ丁寧に頭を下げた。
続けて護衛の一団があたふたとその後を追って立ち去った。
♢
俺は久しぶりに挟間の小部屋にいた。
あの瞬間、俺の足元で魔法陣が光っていたから、おそらくクララ様によって送還されたのだろう。
きっと俺を守るために送ってしまったんだな。
ここにいてもやることはないから再召喚に備えて召喚元となる自分のアパートで待機することにした。
見慣れたアパートで俺は鼻から思いっきり匂いを嗅いだ。
表現するのは難しいのだけど日本の匂いがした。
久しく忘れていた嗅覚の情報だ。
吉岡が初めてこの部屋に来たときに「昭和の匂いがする」と言っていたが、今日はやけにそれが懐かしく感じる。
昭和どころかもう平成もおわっているんだよな……。
それにしても酷い目にあったと思う。
俺のことはともかくクララ様にはすごく心配をかけてしまったはずだ。
どうやって謝ったものだろうかねぇ……。
すぐに再召喚されると思っていたのだが、5分経過しても召喚される気配はない。
ひょっとして戦闘になっているのか?
まさかクララ様がユリアーナにやられることはないと思う。
むしろあいつらが殺されてしまうのではないかとユリアーナたちが少しだけ心配になった。
クララ様のことだからそんなことはしないというのは分かっているんだけど、下半身を氷漬けにするくらいはしそうだよね。
自分の大事なところが縮み上がるような感覚がして、ユリアーナの護衛たちにもわずかに同情の念が湧いた。
急に俺のお腹がキュ~っとなった。
そういえば病気にかかっていたせいでここ数日ろくな物を食べていない。
お腹が減るのも無理はないというものだ。
なにか食べるものはないかと空間収納の中を見てガックリときてしまう。
そういえば収納の中身は形見分けのつもりで、すべてテントの中に置いてきてしまったのだ。
ここにあるのはクララ様にあげる予定の婚約指輪だけだ。
本来なら二人で旅行に出かけて、最初の晩に渡そうと計画していたんだったな。
きっとロマンチックが止まらなくなって最高の夜になるはずだったのに、ユリアーナに誘拐されちゃったんだよね。
こうなったら前回を上回るプランを立てなくてはならないな。
俺は手にした婚約指輪を柔らかいクロスで磨きながら召喚を待った。
日本にいた時間は10分くらいだったが随分と長く感じた。
とにかく早くクララ様に会いたかった。
だが、いざ挟間の小部屋についてみるといろいろと後悔が湧き上がる。
どうせならシャワーを浴びればよかったとか、服を着替えればよかったとか、そんな感じだ。
少しでも身綺麗にして再会を喜びたいもん。
ずっと続いたジャングルと闘病生活で俺の姿はかなりひどい。
ここで過ごしている分にはクララ様の時間は止まっているので、せいぜい身繕いをしてから行くことにしよう。
「水作成」でタオルを湿らせて全身を拭いた。
挟間の小部屋にタオルを置きっぱなしにした過去の俺を褒めてやりたいよ。
「結構汚い……」
白いタオルが真っ黒になっていた。
抱きしめた瞬間に臭いとか思われたらたまらないもんね。
オッサンは身だしなみに気をつけなきゃ。
他にもスーツが置きっぱなしになっているから着替えていこうかな。
ジャングルでスーツってTPOを思いっきり無視しちゃっているけど臭いよりはいいよね?
高級店で買い物をするとき用の一番上等のスーツと靴を履いて、かなり迷ったけどネクタイもしめて、汚れた服は空間収納に押し込んだ。
青い扉に向かおうとしてスキルカードのことを思いだす。
早くクララ様に会いたいけどこれを引くくらいはいいだろう。
スキル名 魔法のポケット
ポケットに手を入れれば必ずビスケットが一枚見つかります。
たたいても二枚にはなりません。ビスケットが割れるだけです。
また微妙なスキルが……。
ビスケットじゃなくて銀貨ならよかったのに。
試しにポケットに手を入れると指先にビスケットの感触を確認できた。
引き出してみれば昔ながらの丸いシンプルなビスケットだった。
ちょうどお腹が空いていたので食べてみたら、素朴な味わいで結構うまい。
でもこれってスキルのレベルが上がったらどうなるんだろう?
チョコレートビスケットとかバターサブレとかに進化するのかな?
それなりに夢があるので楽しみではある。
スキルで作り出した水を飲んで深呼吸をしてからドアノブに手をかけた。
目の前にいる涙をためたクララ様を見て、俺の頭の中は真っ白になってしまった。
こちらに来る前に挟間の小部屋で着替えながら謝罪の言葉をいろいろ考えていたのに、そんなものは吹き飛んでしまったんだ。
気が動転した俺は、よくわからないまま条件反射のようにこんなセリフをしゃべっていた。
「我、時空神との盟約によりこの地に召喚されり。召喚者よ、我に何を望む」
クララ様の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「もう……どこにもいかないで」
この人がそう望んでくれるだけで俺は幸福になれると確信した。
「ずっと一緒ですよ」
胸に飛び込んでくるクララ様を受け止めて、しっかりと抱きしめた。
この瞬間、この人と同じ場所にいられることに感謝の祈りを捧げたい。
この感動は言葉を超えてしまっていて言い表すことができない。
記号は現実のなれの果てでしかないのだから。
感情も愛情も正しく言葉にできないのなら、口なんて塞いでしまえばいい。
だから人はキスをするのかもしれないな。
空間収納から婚約指輪を取り出して指につけてあげると、クララ様は笑顔で泣いた。
灼熱の風が俺たちを通り過ぎて青い空へと吹き上げていく。
この熱帯の高気圧がやがてクララ様の涙を乾かしてくれるはずだ。
涙が乾いたら俺たちは出かけなければならない。
俺たちの恋愛に巻き込んでしまった人々を探し出して事の顛末を伝える義務がある。
とりあえずはラクさんたちとラジープさんを探さないと。
でも、もう少しだけ許してほしい。
永遠なんてどこにもないと思うけど、この瞬間を死ぬまで忘れたくないのだ。
俺はもう一度クララ様を強く抱きしめた。
そして思いを新たにする。
この人のためなら何回だって世界の壁を越えよう。
そして俺はクララ・アンスバッハのために千のスキルを持つ男になるのだ。
完
引き続き、章を変えて後日談である『千のスキルを持つ男Jr.』を投稿します。
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