第166話 大いなる遺産

 短時間で大量の魔力を消費した俺は、やっぱり気絶していたようだ。

目を覚ますと小さな漁港で、エマさんの膝に頭をのせたまま日陰で休ませてもらっている状態だった。

少し離れた場所でラクさんとレナーラさんが地元の漁師らしき人を相手に交渉をしているのが見える。

でもカリーナさんの姿はどこにもない。


「失礼しました。もう大丈夫です」


 ふらつく頭で起き上がろうとすると、エマさんが手を貸してくれた。


「あの、……カリーナさんは?」


 予想はついているのだが一応エマさんに確かめておく。

カリーナさんの身体を作り直したのは記憶にある。


「彼女はあの場にとどまりました。よろしかったのでしょうか?」


 カリーナさんが俺たちの行方をユリアーナに注進するとは想像もできない。

きっと秘密にしてくれると思う。

やるせない思いもあったが、カリーナさんのために俺ができることなんてもうほとんどないということも分かっていた。

気持ちを切り替えていかなくては。


「それは心配ないでしょう。それよりも船はどうなりましたか?」

「彼らが船頭たちと交渉していますが、まだ見つかっていないようです」


 俺が寝ていたから金額をはっきり提示できずにいるのが原因だろう。

金に糸目をつけなければすぐに見つかるとは思う。

 空間収納の中の現金を確かめてラクさんたちのところへ行こうとしたら、一艘の真新しい船が桟橋へ入ってきた。

 青と赤で塗装された船体に真っ白な帆布がはためき、調和のとれたトリコロールカラーが南国の海に映えていた。

船の構造は二艘のカヌーを真ん中で連結させてあり、マストには小型の帆もついている。

全長は八メートルくらいだろうか。

貯蔵スペースには屋根のように布がはってあり休憩スペースも設けられている。

左右に別れてやすめば、四人なら余裕で寝ることができるだろう。

俺は一目でこの船が気に入ってしまった。


「いい船ですね。船のことはよく知りませんが、気品があって美しいです」


 船をもやっている男に声をかけてみた。

初老の人族で短く刈り込んだ頭髪は真っ白だった。


「操作性や耐久性だってそこら辺の船とはちょいと違うんだ。この俺が作った一級品だぜ」


 男は自慢げに鼻をうごめかした。


「俺は元々外洋船の船大工でよう。まあ、歳を食ったんで引退してみたんだが、毎日が退屈でな」


 リタイアしたものの日々の生活をどう過ごしていいか分からないという人は、意外に多いのかもしれない。


「そんでまあ、退屈しのぎというか、自分を満足させるためにこいつを作ったというわけだ。素材や設計はこだわり抜いた逸品だが、いかんせん金がかかりすぎて、ウチのカカアはだいぶオカンムリだがな」


 元船大工の親方はカカと大きな口を開けて笑った。

自分の趣味で小型船をつくったということか。

ますますこの船が欲しくなってしまう。

周囲の漁師に交渉すれば3万レウンもかからずにパレード港まで連れていってもらえるだろう。

だけど、俺はこの船を使ってみたかった。

それに俺の用事が済んだらラクさんたちに船をプレゼントしたいとも考えていたのだ。

ラクさんたちは俺に付き合ってくれてキュバールまで来てくれているが、本来ならゴアテマラ沿岸部の故郷に帰っているはずなのだ。

この船ならキュバールからゴアテマラまで渡ることだってできるだろう。


「突然こんなことをお聞きしてすみませんが、この船を売るお考えはありますか?」


 親方はポカンと俺を見つめた。

あまりにも予想外の質問だったようだ。


「そ、そうさなぁ……、こいつは今言ったように特別製だ。安売りはしねぇぜ……」


 それでも、売りたい気持ちはあるようで親方はこの場を立ち去ろうとしない。


「構いません。価値のある船ということは分かります」


 こちらとしてはすぐにでも出発しなければならないので、少しくらい高くても購入するつもりでいた。

ラクさんたちを呼び寄せて話を聞き、細部を点検してもらったが非常によくできた船であるという。

だったら躊躇うことは何もない。

問題は手持ちの現金が足りるかだな。

この国の通貨であるキュバリーはあまり持っていないのだ。

昨日は領事館で200万レウンを800万キュバリーに両替した。

本当はもっと両替したかったのだが、時間がかかるということで諦めたのだ。


「いくらなら船を譲ってもらえますか?」


 緊張しながら聞いてみる。

昨晩の宿泊費や買い物で所持金は798万キュバリーに減っていた。


「そうさなぁ……、キリのいいところで500万キュバリーでどうだい?」


 500万キュバリーはザクセンス通貨で約125万レウンか。

親方としては最初に少々吹っ掛けて値段交渉をするつもりだったようだ。

だが俺は500万キュバリーでも異存はない。

それよりも今は時間が惜しかった。

それにこんなに立派な船が125万円って、日本人の感覚ではむしろ安いような気がするんだよね。

王都ドレイスデンの平均月給は2万レウンくらいだそうだから、それを考えれば高いのかもしれないけどさ。

 親方は俺が即決するとは思っていなかったようでかなり驚いていた。

金貨と銀貨を使って支払いをすますと親方の顔は戸惑いから喜色満面へと変わっていった。

今夜はさぞ美味い酒を飲むのだろう。


 船は帆だけでなく漕ぐためのパドルも備えていた。

他にも航海に必要なものは食料以外なんでも揃っている。

いい買い物をしたと俺は喜んでいたが、ラクさんとレナーラさんはもっと安く買うべきだったと不服そうだった。

 俺とラクさんでパドルを握り、舵と帆をレナーラさんに任せる。

いよいよ俺たちの船旅が始まった。



 貿易風と戯れながら俺たちの船は西から東へとキュバール国沿岸部を進んだ。

エメラルドグリーンの海は美しく、刻々と変化する自然の表情は見るものを飽きさせない。

いい風が吹かない時は交代でパドルを漕ぐ。

疲れたら俺の|神の指先(ゴッドフィンガー)で体力を回復だ。

食料も水もビールもワインもジュースも空間収納にたっぷりあったし、入りきらない分は貯蔵室に溢れている。

船足はユリアーナの乗る大型帆船よりずっと早いはずだ。

まあ、ユリアーナが漁港の人々に魅了魔法をかけて追いかけてくることは考えられたが、それでも回復の使える俺たちに追いつけるとは思えなかった。


 時刻は夕方の6時を過ぎて太陽は西の空に傾きつつあった。

そろそろ今晩の休憩場所を探さなくてはならないだろう。

|神の指先(ゴッドフィンガー)があるので体力面では問題ないのだが、ずっと漕ぎ続けるのは精神衛生上よろしくないのだ。

特に俺は自分自身に魔法をかけることができない。

生真面目なラクさんとエマさんは追手との距離を空けるためにもっと漕ぎ続けるべきだと主張したが、俺としてはレナーラさんの意見に全面的に賛同する。


「もう船は飽きたニャァ!」


 快楽主義のイヌ・ネココンビの主張が通り、今夜の宿営地を探すことに決まった。

周囲にはいくつかの小島が点在している。

俺たちは比較的上陸が楽そうな小島に船をつけた。

 海辺に生えていたヤシの木を二本使って、船が流されないようにしっかりと係留した。

俺たち3人が船を繋ぎとめている間にレナーラさんがヤシの実を取ってきてくれた。

猫人族は木登りも上手だ。

たぶん、初めてヤシの実ジュースを飲んだけど、ものすごく美味しいというものではなかった。

でも、貴重な水分だ。

余ったヤシの実は荷室に貯蔵しておいた。


 暑いので火を焚く気にはなれなかった。

料理は出来立てを空間収納から出せばいいし、照明は日本製のガスランタンがあった。

これは卓上カセットコンロなどに使われるガスカートリッジを燃料にして明かりを点けるもので、一つで240ワット相当の光量を得ることができるのだ。

それに「式神」の火鼠を使えば同じように灯りはとれる。

この二つで夜のキャンプも安心だ。

タープを張り、砂の上にマットを引いておもいおもいに寛ぐ頃には、太陽は水平線を赤く染め上げていた。

言葉を発する者はなく、さざ波の音だけが響いている。

そして恒星は惑星の裏側へ行ってしまった。


「お腹空いた!」


 欲望に忠実な猫人族が声を上げる。

今回もレナーラさんを全面的に支持するぞ!


「さあ、ご飯にしましょう」


 空間収納から様々な料理を取り出して選んでもらった。

ラクさんのメインディッシュは牛肉のリブステーキで唐辛子とお酢を使ったソースがかけてある。

レナーラさんは天婦羅の盛り合わせを選んでいた。

キスとナスの天婦羅を特に気に入ったようだ。

エマさんは冷たいジャガイモのスープとBLTサンドイッチ。

俺は港で買ったキュバールソーセージをボイルしてたっぷりのマスタードをつけて食べた。

ビールとの相性も抜群だ。

他にも市場でかった野菜を適当にグリルして食べたけど、これも美味しかった。

どうせならご当地の味覚を味わいたいもんね。


 夜の海を見ていると様々なことが脳裏をよぎる。

ユリアーナの顔、寂しげなカリーナさんの顔……。

そういえばカリーナさんとは別れの挨拶もできなかったな……。

そして何度もよみがえるクララ・アンスバッハという名前。

まったく記憶がないはずなのに、その名前を考えるたびに胸が切なくなる。


「アンスバッハさん……。クララさん……。クララ殿……?」


 俺は彼女をどのように呼んでいたのだろう。

そういえば俺はクララ・アンスバッハの婚約者であると同時に召喚獣だったな。


「……クララ様」


 何かの符号が一致するような感覚がした。

クララ様……。

クララ様か……。

ある種の喜びをもって、俺は胸の内で彼女の名前を繰り返し呼んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る