第108話 般若と狐
集積基地に着く少し前から「犬の鼻」は血の匂いを嗅ぎ分けていた。
あそこには前線で負傷した兵士が集められていると聞いている。
そういった負傷兵を王都まで運ぶのも俺たち補給部隊の仕事だ。
ローマンブルクの方向からは魔導砲の音も間断的に響いていた。
小さな村の近所に建てられた砦が集積地の役割を果たしている。
勝手に物流センターのような場所を想像していたのだがだいぶ違ったようだ。
物資は砦の中に納められ、入りきらない兵員は外で天幕生活を送っていた。
とはいえ外の兵士たちもある程度の規模になった段階ですぐにローマンブルクへ派遣されるのだ。
クララ様は基地の責任者に到着の報告へ、エマさんが積み荷の搬入作業の監督、俺は輸送する負傷兵の状態を聞きに軍医の元を訪ねた。
治療室が近づくほどに血の匂いが濃くなり、怪我人のうめき声が大きくなる。
「失礼します。ドレイスデン第一補給部隊の日野春伍長であります。ドレイスデンへ搬送する負傷兵についてお聞きしに参りました」
「おう、ちょっと待っとれ!」
白髪の老軍医はこちらを振り向かずに患者に向き合っている。
見れば助手二名に押さえつけられたその患者の右腕はなかった。
包帯によりきつく傷口は結ばれているようだが、溢れる血が止まらない。
兵士は口に棒きれのようなものを噛まされている。
「歯を食いしばれ」
軍医は真っ赤に焼けた鉄ごてを兵士の右腕の付け根にあてた。
眼を背けたが肉の焼ける音と兵士のくぐもった絶叫は耳に入ってしまう。
「医療物資は持ってきたか? ……おい! 伍長に聞いとるんだぞ!」
あまりのことに言葉を失っていた。
焼灼止血法(しょうしゃくしけつほう)なんて物語の中でしか読んだことが無い。
「失礼しました。消毒用アルコール、包帯、傷薬、阿片チンキ、などを荷馬車2台分運んできております」
「とりあえずは何とかなりそうだな。消毒をしておけ」
助手たちに指示を出して軍医はようやくこちらを向いた。
俺は患者が気になって仕方がない。
あれでは血は止まるかもしれないが火傷から感染症にかかってしまうと思う。
「次の怪我人を診なければならないから簡潔に済ますぞ。運んでもらいたい負傷兵の数は現時点で236人だ。そちらの馬車の数は?」
「30台です」
軍医は苦い顔をする。
定員をかなりオーバーしているのだ。
運べるのは150人がいいところだろう。
「予備の馬が四頭いますので、荷馬車さえあれば多少の融通はききますが……」
「焼け石に水だな」
運べるのはせいぜいプラス10人といったところか。
「明日には第二部隊が到着する予定です」
「そちらを待つしかないか。だが、明日になれば新たな負傷兵が運ばれてくるのだがな」
遣り切れないといった顔で老医師は首を振った。
「回復魔法を使える神官はいないのですか?」
「アイツらは前線におる。ただし治療するのはもっぱら上級士官だけだし、魔力の関係からいっても一日に5人も治療すれば限界だろう?」
そうだったんだ。
吉岡はエッバベルク村で領民相手にバンバン回復魔法を使っていた。
だから、みんなあれくらい使えるものだと勘違いしていたよ。
ひょっとしたら俺も吉岡も魔力の保有量が多いのかもね。
考えてみれば、これまで魔力切れを起こしたことも無い。
どれくらい自分に魔力があるのかもわからないくらいだ。
「搬送する負傷者はこちらで再度選ぶが、最低でも180人は運んでもらうぞ。部隊の元気な者が歩けばそれくらいはいけるだろう」
俺たちが歩けば移動スピードは遅くなるが、それだけたくさんの負傷者を運べるか。
だけど実際問題として王都までもつのか?
この世界の道は悪路だし馬車の性能もひどいものだ。
あんなに揺れたら間違いなく傷の負担になると思う。
これは少し考えを改めないといけないな。
回復魔法を使うのは帰還兵のためにならないと思っていた。
せっかく戦場から離れられるのに邪魔をしたら悪いと考えていたのだ。
だけどドレイスデンに帰還を許されたのは重症の兵士ばかりだ。
はっきり言ってしまえば大半の者は帰路の途中で死んでしまうだろう。
この地でさっさと治療してやった方がいいと思う……。
だが、俺が回復魔法を使えばずっと戦場に留め置かれてしまうかもしれない。
下手すれば戦争が終わるまでここに駐留させられる可能性だってある。
そうなれば補給部隊を指揮するクララ様とも離れ離れだ。
それは嫌だけど目の前で苦しんでいる人を助けられるのに、助けないというのはどうかとも思う。
話を聞いただけなら目を塞ぎ耳を閉じればよかったのだが、彼らは目の前で苦しみ、痛みに泣き叫んでいる。
こうなると無視もできない。
「クララ様、お願いがございます」
考えた末にクララ様に俺を召喚してもらうことにした。
召喚獣として呼び出してもらい、兵士たちを治療後、元いた世界へ送還してもらうのだ。
もちろんヒノハルとして召喚されるのではなく召喚獣ヒポクラテス(名前は適当)に偽装して呼び出してもらうつもりだ。
こうすれば俺の自由は保障され、クララ様の従者としてやっていけるはずだ。
うまくいけばクララ様の出世にもつながる。
クララ様がこの地に駐留することになるかもしれないが一緒にいられるのならそれでいい。
とにかくクララ様から切り離される事態は避けたいのだ。
クララ様もそうしようと言ってくれた。
俺一人では回復に時間がかかりすぎるので今回だけは吉岡にも協力をお願いしよう。
ポータルでアミダ商会に戻るとだいぶ改装が進んでいた。
1階部分の扉や窓はガラス張りの大きなものに取り換えられ、店内がかなり明るくなっている。
「先輩、今度はどうしましたか?」
俺を見つけた吉岡がやって来る。事情を話して協力してもらうことにした。
「もうとにかく悲惨でさ、見過ごせない状況なんだよ」
「それじゃあ仕方がないですね。ただどんな格好の召喚獣にします? 偽装しないとダメでしょう」
「着ぐるみとかどうだ?」
サンチョ・パンサで動物の着ぐるみを売っているのを見たことがある。
俺としてはラッコになりたい。
「どうかなぁ……ふざけているとしか思われませんよ」
ダメか。
「じゃあ、もっとシンプルに目出し帽かぶって般若のお面をつけるってのはどうかな?」
般若のお面もサンチョ・パンサで売っていた。
かなり目立っていたので記憶に残っているのだ。
「ザクセンス人から見たら般若のお面は結構インパクトありそうですね。時間もないしそれでいいか……」
ディテールにこだわる吉岡としては、もう少し工夫したいようだったが何とか妥協してくれたようだ。
お面なら顔を見られることはないしね。
ポータルで砦に戻り、そのまま日本へ送還してもらった。
すぐにタクシーを拾って行きつけのサンチョ・パンサに行ってもらう。
売り場に入っていくと既に吉岡はお面を物色している最中だった。
「先輩、自分はこっちの狐面(きつねめん)にしますよ」
吉岡の持っているのは日本の伝統的な狐面だ。白い顔に赤い耳、金の眼をしている。
「俺が般若で吉岡が狐か。ちょっと怖くないか?」
「いいんじゃないですか。召喚獣という設定だし」
お面を二つ購入して、おもちゃ売り場にあったボイスチェンジャーも買った。
マイクをお面の口の部分に張り付ければ、これで音声も変えられる。
スピーカー部分は首からぶら下げて胸のところにつけた。
傷薬や包帯も売り場にあるだけ買う。
軽症のものならこれで十分なはずだ。
買い物はスムーズに終わったので召喚の時間まであと40分も残ってしまった。
「ゲイリーにピザでも買っていってやるか。向こうの通りにドミノハットがあったよな」
「じゃあ自分はスターバッカスに行ってきます。リクエストは?」
「ついでだからフラペッチーノ全種類コンプリートで持って帰ろうぜ。クララ様に選ばせてあげたいから」
「もげろ」
セリフに似合わない爽やかな笑顔で吉岡は買い物に行ってしまった。
「もげろ」はないだろう……。
自分は高級なお店でいろんな女の子とゴニョゴニョしてるくせにさ。
あ、最近はビアンカさんが住み込みだからそういうお店に行ってないのかもしれないな。
狭間の部屋でバラクラバ(目出し帽)とお面をかぶった。
服装はユニフォームショップで買った白衣を着た。
これで偽装は完了だ。
白衣を着た般若ってシュールすぎるな……。
ザクセンスに帰る前にスキルカードを引く。
スキル名 マジックボム
魔力を具現化して爆弾を作り出すことが出来る。
任意で10秒から1時間の幅で起爆させることが出来る。
なんか凄そうなのが出たが狭間の小部屋で実験することはできない。
暫くはお預けだな。
「準備はいいかな?」
「オッケーです。それじゃあ医療活動にいきますか」
二人で青い扉をくぐった。
「我ら、盟約によりこの地に召喚されしヒポクラテス兄弟なり。召喚者よ、我に何を望む……」
このセリフも久しぶりだなぁ。
あ、クララ様がぎょっとした顔をしている。
大丈夫ですよ。ボイスチェンジャーで声は変わっていますが中身はコウタです。
俺は大きく頷いて見せる。
「召喚獣ヒポクラテス兄弟よ、この地にいる負傷兵たちの治療を頼みたい」
「そなたの持つ魔力の三分の二を貰うが構わぬか?」
本当に魔力を貰うわけではない。
こう言っておけば頻繁に呼び出されることはなくなるとふんだからだ。
「構わぬ故、傷ついた兵士たちを癒して欲しい」
「よかろう……」
みんな苦しそうだからさっさと治して楽にしてやろう。
「やるか弟よ……」
「おうよ兄者……」
こうして般若と狐の野戦病院は開院した。
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