第96話 夜間巡回

 仕事に出かける前に、ビアンカさんに支払う予定の150マルケスをテーブルに置いた。

置手紙も書いたがビアンカさんが読めるかどうかは微妙だ。

ザクセンスの識字率は低い。

内容は「よろしくお願いします。給金はテーブルの上に置いてあるものを持って行ってください。クッキーは休憩の時にでも食べて下さい」と簡単なメモだ。

もともと金はテーブルの上に置いておくということで話してあるから問題はないのだが、横に置いたクッキーに関しては手紙が読めなければそのまま放置されてしまう可能性もある。

絵を描いて説明するのも俺には無理そうだし時間も無かった。

今日はちょっぴり寝過ごしたのだ。

もどかしい気持ちを抱えたまま制服に袖を通し、手紙の内容を察してくれることを祈りながら部屋を出た。



 一日の仕事を終え、アパートの部屋に戻ってきた俺は思わず廊下に飛び出した。

違う人の部屋に間違って入ってしまったのかと思ったのだ。

それくらい室内はピカピカに磨かれていた。

床石は丁寧にモップ掛けされていたし、窓もテーブルにも埃一つ落ちていない。

洗濯物も綺麗に畳まれて、あるべき場所にしまわれていた。

テーブルの上のお金とクッキーが消えていてホッとする。

こちらの意図をちゃんとわかって貰えたようだ。

しかし、よく見るとメモの横に達筆でビアンカさんからの返事が書いてあった。


 ――お心遣いに感謝いたします。至らない点もあるかと思いますが今後ともよろしくお願いいたします。お返事を書くのに勝手にテーブルの上のペンを使わせていただきました。お許しください。不思議なペンですね。 ビアンカ


至らない点なんてどこにもないよ。

150マルケスじゃ安いくらいかもしれない。

ビアンカさんは読み書きができるのか。

もう少し活躍できる場もありそうだが難しいのかな。

体が弱そうだし、ドレイスデンでは身寄りもないようだから就職もうまくいかないのかもしれない。

年齢も俺より一つ上の31歳だ。

一度吉岡に頼んで体調を診てもらったほうがいいな。

お礼に肩もみ券を5枚上げれば吉岡なら喜んでやってくれると思う。

なんせ、普通の肩もみじゃなくて神の指先ゴッドフィンガーだもんね。

俺の神の指先ゴッドフィンガーも回復魔法と同じ作用を施すことはできるんだけど、直接肌に触れなければならないから厄介なのだ。

その日から俺がメモを残し、ビアンカさんが返事を書くというささやかなコミュニケーションが俺たちの間でとられるようになった。

誰もいないアパートに返ってくるのは寂しいものなので、数行のメモがちょっとした楽しみになっていった。

内容は大したものではない。


――寒さがぶり返してきましたね。体調にはお気をつけて。テーブルの上のカップにお湯を注ぐとハニージンジャーレモンという飲み物ができます。体が温まりますので休憩の時に飲んでください。 追伸 よくかき混ぜないと粉が溶けません。スプーンでしっかりかき混ぜてから飲んでください。 ヒノハル


――ありがとうございました。ハニージンジャーレモンを美味しくいただきました。私の故郷のベネリアはレモンの産地なんですよ。久しぶりに故郷の香りを嗅いだ気分です。このような親切を受けても十分なお返しが出来ないことが心苦しいです。せめてヒノハル様方のご健康を守護天使様にお祈りいたしておきます。ヒノハル様も体調には充分お気をつけください。  ビアンカ


こんなやり取りだけなんだが、テーブルにお金を置いておくだけよりもずっと和むんだよね。

気が付くとビアンカさんの明日のおやつは何にしようか? なんて考えている俺がいる。



 久しぶりの夜間巡回当番が回ってきた。

一時、世間を騒がしていた断罪盗賊団は最近姿を見せていない。

新しい獲物を物色中なのか、それともすでに準備段階に入っているのか。

もっともあいつらは城壁内でしか仕事をしないから基本的に俺たちが関わることは少ないだろう。

前のように近衛軍から協力要請が来れば話は別だけど。

今晩はいつものように城壁外の南地区のパトロールだ。

酔っぱらいの喧嘩を仲裁したり、街娼の摘発をしたり、火事や泥棒などが出ないように防犯に勤めるのが俺たちの任務だ。


「ずばばいヒドハルどど(すまないヒノハル殿)。わだしのかばびび分隊長の任ぼしっかりつとべてくばばい(私の代わりに分隊長の任をしっかり勤めて下さい)」

「もういいですから、風邪のエマ曹長はしっかり休んでください」

「そうしばす」

エマさんは流行りの風邪にかかっていた。

吉岡がいればよかったのだがアイツは今もホテル・ベリリンに投宿中だ。

鼻を詰まらせたエマさんはしょんぼりと自室に帰っていった。

本来エマさんが率いるはずだった三分隊を今夜は俺が引き継ぐ。

隊員がなんとなくホッとした表情なのはエマさんが普段真面目過ぎるからだろう。

俺もさぼるつもりはないが、自分の巡回ルートを越えてまで見回りをするつもりもない。

「それじゃあ行くよ」

少々やる気に欠ける掛け声で俺たちは出発した。


 夜の街にはいろんな奴らがいる。

俺たちの仕事は怪しい風体の人間へ職務質問から始まり、酔っぱらいの喧嘩の仲裁へと続いた。

大抵の場合は喧嘩をしていても兵隊が間に入れば聞き入れる。

いうことを聞かなければ牢屋に入れられ罰金刑になるからだ。

警備隊の牢屋に泊まれば高級ホテル並みの宿泊費がかかってしまうのだ。

普通の労働者に3000マルケスの罰金はきついだろう。

それでも頭に血が上って暴れるやつらは一定数いる。

こちらまでとばっちりを食うので、こういう奴らに兵隊は容赦しない。

大勢で叩きのめして逮捕してしまう。

酔いが醒めた時、牢屋の中の男は何を思うのだろう。

彼に残されるのは体内のアセトアルデヒド、3000マルケスの罰金、取り押さえられたときにできた無数の痣と傷くらいだ。

兵隊にとって一番面倒くさいのはべろんべろんに酔っぱらって道端で寝てしまっている者たちだ。

風の上月(3月)とはいえ外はまだまだ寒い。

下手すれば凍死するレベルだ。

こういう輩も放っては置けないので牢屋へぶち込む。

宿泊料はやっぱり3000マルケスだ。

目覚めたら牢屋の中で3000マルケスの罰金を請求されるのも哀れだけど、凍え死ぬよりはマシだろう。

それに酔っぱらいを運ぶのは兵隊にとってもすごく負担になる。

ゲロを吐いていたり、糞尿を漏らしている時などは本気で運びたくなくなるぞ。

風の中月(4月)の中旬だったら絶対に放置しておくと思う。

三隊はそれぞれに受け持つ道筋に別れて見回りをした。


「隊長、また酔っ払いです」

分隊の一つが中年男を引っ張ってきた。

かなり飲んでいるようで足元がおぼつかなく、両脇を兵士に支えられてされるがままに引きずられていた。

「向こうの路地裏で寝てました。おい、起きろ!」

兵士が乱暴に男の顔をひっぱたく。

「おきる……おきるってばよう……」

口だけでちっとも起きる気配はない。

俺は屈んで男に声をかけた。

「このままだと罰金刑だよ。頑張って家に帰ろうぜ」

「……うん」

完全に意識をなくしているわけじゃない。

水を飲ませて覚醒をうながした。

「家は近所かい? 近所なら送ってやるから答えて」

近いのなら牢まで引きずっていくよりずっと楽だ。

3000マルケスの罰金をとっても兵隊には一マルケスの得にもならない。

送り届けた方がよほどいいのだ。

幸い酔っぱらいの住処は数ブロック先にあると判明したので、みんなで担ぎ上げて送ってやった。

 酔っぱらいをベッドに放り込んで一息つく。

兵隊の一人が苦笑まじりに話しかけてきた。

「今晩はヒノハル伍長で助かりましたよ。エマ曹長だったら確実に駐屯所の牢まで引きずっていくことになりますから」

「あの人は真面目だからな。悪い人じゃないんだけど庶民の懐事情とかは考えないしね」

この罰金のせいで日雇いの労働者や職人が浮浪者に転落することだってあるのだ。

狭い部屋を見回すまでもなく碌な家財がみあたらない。

その日暮らしをしているのだろう。


 通りに出ると別の場所に行った分隊が戻ってきていた。

街娼を三名捕まえてきたようだ。

今晩の巡回はこれで終了だから、敢えて最後に娼婦を摘発したのかもしれない。

ドレイスデンでは街頭における売春行為は禁じられている。

破れば2000マルケスの罰金だ。

それでもこうしたことがなくなることはない。

それ以外に生計を立てる道が塞がれているのだ。

街角で春を売るのはプロだけではない。

支払いで首が回らなくなった主婦、その日の飢えをしのぐための女、病気の家族に薬を買う娘、身体を売る理由も年代も様々だ。

そういう人達はただでさえ金がないのに罰金などとられるわけにはいかない。

娼婦たちは兵士たちの相手をして解放されようとするし、兵士たちも取り締まりというよりは自分たちの欲望を解消するために娼婦を捕まえることが多かった。


「牢屋だけは勘弁しておくれよ。スッキリさせてやるからさ」

慣れた感じの娼婦の声が聞こえてくる。

女たちを牢屋に連れて行くか、相手をさせて目溢めこぼしするかは捕まえた分隊が決めるというのが兵隊たちの暗黙のルールだ。

エマさんやクララ様がこの場にいたら当然そんなことにはならない。

エマさんなら例外なく全員しょっ引くだろうし、クララ様なら厳重注意だけしてその場で帰す。

「ヒノハル、いいかな?」

好色な顔をした同僚の伍長が俺に許可を求めてくる。

今夜はエマさんの代わりに俺が三分隊を指揮している。

困ったものだ。

することをするのならきっちり料金を払ってやれと思う。

「あのなぁ、抱くんならちゃんと料――」

喋りながらずっと俺から顔を背けていた女の横顔が目に入った。

スキル「夜目」を持つ俺には嫌でもその顔をはっきり認識してしまう。

折れてしまいそうな体、青白い肌、俺の知っている人だった。

ビアンカさん。

小さな棘が刺さったような痛みを胸に感じる。

ビアンカさんは俯いたまま俺の方を見ようとはしなかった。

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