第80話 げに恐ろしきは

 午前の巡回中にホルガーに渡りをつけ、これ以上の聖女の監視は必要ないと告げた。

予想通りクンツ殺害にはユリアーナが関わっていた。

これだけわかればもう充分であり、これ以上は関わり合いになる気もない。

近づくにはあの女は危険すぎた。

同じ理由からエルケの依頼も断るつもりだ。

一緒に聖女の素行調査を頼まれていたが、もはやユリアーナに近づきたくはない。


 ティットマン通りのアパートへ行くとエルケが俺を待っていた。

「おはようございますセンパイさん。昨晩は大立ち回りでしたね」

「見てたんだ」

「ええ。センパイさんに気づかれないように風下からね」

エルケたちは聖女の動向を探っていたのだ。

ユリアーナが動いたのならその後をつけてきて当然か。

「昨日のアレはなんですか? いきなり戦闘が始まったもんですからびっくりしましたよ」

「あれは決闘だよ」

俺はエルケにユリアーナが魅了チャームの魔法が使えること、クンツ殺害に関わったことなどを話して聞かせた。

「そんなことがあったんですね」

「ああ。というわけで俺はもう聖女に関わるのは金輪際ごめんこうむるよ。だからエルケさんの調査には協力できない」

エルケは少し残念そうだった。

「センパイさんとならいい仕事が出来そうだったんですけどね。影の騎士団シャドウナイツにスカウトなんて話も出てるくらいですよ」

能力を評価してもらえるのは嬉しいけど俺はクララ様の従者の方がいい。

諜報活動なんて自分のため以外にはやりたくないよ。

「悪いけどそれは諦めてくれ」

「身体を使ってでもたらしこめなんて言われましたけど、魅了チャームが使える聖女が出来なかったことを私なんかが出来るはずもないですね」

うん。

エルケはエルケで色っぽくて好きなんだけど、俺はクララ様一筋だ。

……吉岡なら簡単にハニートラップに掛かりそうな気がするけど黙っておくことにしよう。

あいつの場合、本当に快楽に溺れてしまいそうで怖い。

「ところで聖女はやっぱりフランセアに嫁ぐことになるの?」

「さあ、今のところ最有力ではあるけど候補の一人ですよ。今回の報告で上がどう判断するかはわかりません」

王子様は惚れているようだが、ザクセンスとしては問題のある貴族の娘を嫁がせるのは嫌がるかもしれないな。

後々問題になって文句を付けられたらかなわないだろう。

当初の予定通り王族の誰かが嫁ぐことになるのかもしれない。

俺としてはユリアーナが遠い外国へ行ってくれた方が安心できていいのだが。

「まあ、世話になったよ。この前は拉致なんかしてごめんね。今後とも協力関係でいられたらありがたい」

「先に剣を突きつけたのはこっちだったからね、お互い水に流すことにしましょう」

「お詫びにマッサージでもしようか?」

「うっ、それはいらないわ。あれはマジでヤバいもん。私がセンパイさんに溺れてしまいそうで怖い!」

俺たちは晴れやかな笑顔で別れることが出来た。

ザクセンスでも屈指の情報収集能力を持つ組織とパイプが出来たことは俺にとってもプラスなことだ。

エルケとの関係は大事にしていこうと思った。



 昼食に間に合うように兵舎へ戻ってくると、何やら中が騒がしい。

ひょっとすると本部から偉いさんでも来ているのかもしれない。

巡回をさぼってホルガーやエルケに会っていたことがバレないようにしないとな。

俺の姿を見てハンス君が駆け寄ってきた。

「あ、コウタさん! ようやく帰ってきましたね。コウタさんにお客様ですよ」

俺に客だと? 

商人であるショウナイならともかく。兵隊のヒノハルにお客なんて心当たりがないぞ。

数少ない知り合いと言えばホルガーとエルケだが、その二人とは会ってきたばかりだ。

「聖女様ですよ。ユリアーナ・ツェベライ様がアンスバッハ様のお部屋でお待ちです」

戦慄がはしった。

まさか昨日の仕返しに来たのか? 

しかもクララ様を巻き込んで。

外套を脱ぎ、剣を外し、動きやすい恰好になって軽く屈伸する。

大丈夫、俺は冷静だ。

場合によってはここで戦闘になるかもしれない。

クララ様に迷惑が掛かるのでそれだけは避けたいが相手の出方次第だ。

どんな状況にも即応できるようにしておかないと。


 執務室の前には聖女の護衛騎士たちが立っていて、俺を見ると憎悪の視線を投げかけてきた。

昨日の傷は跡形もない。

治癒士にでも治療してもらったのだろう。

「何をしにきた?」

手前にいたホイベルガーに聞いたが、奴は怒りのあまりプルプル震え、顔面が歪むほどの渋面をつくっている。

せっかくのイケメンが台無しだな。

「私は何も聞いておらん。聖女様は中にいらっしゃるから直接お聞きすればよいだろう」

すぐにでも剣を抜きたいところを必死でこらえているようだ。

南地区の駐屯所で正当な理由もなく剣を抜くわけにはいかないか。

麻痺魔法のせいでオシッコを漏らしてしまった恨みを晴らしたいとは言いにくいだろう。

騎士たちを一瞥してドアをノックした。

「ヒノハル伍長です」

「ああ、入ってきてくれ」

意外なことにクララ様の声はいたって普通だった。

楽しげでさえある。


 室内に入ると、そこは廊下の雰囲気とはうって変わり和やかだった。

クララ様とエマさんが並んで座り、その前に聖女が座ってお茶を飲んでいた。

給仕をしているのはフィーネで、まるで女の子ばかりの貴族のお茶会に招かれてしまったような気恥ずかしささえ感じる。

「おかえり。ユリアーナ殿がコウタにお話があるそうだぞ」

やましいことはしていないのにクララ様の笑顔に後ろめたさを感じる。

秘密を持つってこういうことか。

「ヒノハルさん。昨夜は失礼をいたしました」

椅子から立ち上がりユリアーナは俺と向き合って挨拶をしてくる。

「いえ。私になにかご用があるとか?」

俺の硬い表情にクララ様もエマさんも当惑したような視線を向けてくる。

「ええ。まずはこれをお受け取り下さい」

綺麗な布にラッピングされた箱をユリアーナが手渡してくる。

「私が焼いたケーキです。婆やに教わりながら初めて焼いたのですが、なかな――」

「お受け取りできません」

手を1ミリも動かさずに俺は拒否の意を示した。

「ヒノハル殿、そのような態度はユリアーナ様に対してあまりに失礼ですぞ」

聖女びいきのエマさんがなんとかとりなそうとするが無視した。

「他にご用がなければこれで失礼いたします」

きびすを返して退出しようとするとユリアーナが声を上げた。

「ヒノハルさんは昨晩、私から女にとって一番大切なものを奪っていかれました」

はあ?

「何を言って……」

「昨晩の貴方は熱く、激しく、私の心は深く傷つきながらも貴方に惹かれずにはいられませんでした」

この腐れ聖女め……誤解を生むような発言を。

だけど、その程度で動揺するもんか。

「私が貴方に決闘を挑んだだけの話。聖女様のお気持ちは私にとっては迷惑なだけです」

ふん、はっきり言ってやったぞ!

エマさんはどうしていいかわからないようにオロオロとしている。

クララ様は……表情からは何も読み取れない。

事の推移を静かに見守ろうとしているのだろう。

でも部屋の気温が1度ほど下がった気がするが気のせいか? 

昨晩のことはクララ様には一切話していない。

あれは全て終わったことだから話すつもりもなかったが、そうもいかなくなってしまったな。

ユリアーナは俺の冷たい態度を見ても更に言い募った。

「迷惑をかける気はないのです。ただ私はきちんとヒノハルさんに謝罪がしたかったのです。魔法をかけたこと、貴方のお気持ちを考えなかったことを……」

質たちの悪いことに傍から見ればユリアーナは本気で謝っているようにしか見えない。

俺でさえそう感じられてしまう。

いかん、いかん、騙されてなるものか。

「どうぞ許して下さいませ」

そう言うとユリアーナは靴を脱いだ。

おい、まさか? 

俺が止める間もなくユリアーナは両膝をついて跪き、両手を前で組んで、頭を垂れた。

これは日本の土下座に相当するものだ。

「やめて下さい!!」

こんな姿が見たいわけではないのだ。

慌てて、ユリアーナを立ち上がらせる。

「謝罪を受け入れます。もう結構ですから。ですからもう私に関わるのはやめて下さい!」

こちらが懇願したくなる。

「私はヒノハルさんと出合いからやり直したいのです。受け入れていただくためなら毎日兵舎の門前で跪いて許しを乞うことさえ辞さない覚悟です!」

勘弁してくれ。

こいつは新手の復讐か!? 

聖女にそんなことをされたら都中の有名人になってしまう。

こいつのファンはスラムの住人から王侯貴族や聖職者まで幅広くいるのだ。

下手をすれば暗殺の対象にさえなりかねないぞ。

「わかりました。過去は全て……忘れましょう……もう勘弁してください……」

俺は今日、生まれて初めてヤンデレの恐ろしさを知った。

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