第37話 僕の指は金の指

 バッティンゲンの町でブリッツを休養させてからラインガ街道を3日かけて100キロ南下した。

本日の宿泊先はブゲンドルフという町だ。


「ここかぁ? ここがええのんかぁ?」

「ああっ……もう先輩から離れられない……」

吉岡の肩をマッサージする様子をフィーネが顔を赤らめながら見ている。

3日前に色々なお礼の意味を込めて初めて吉岡にマッサージをしてやったのだが、それ以来一日の旅が終わるたびにせがまれている。

かなり気持ちがいいらしい。

もしかして黄金の指ゴールドフィンガーは最強のスキルなのかも。

「それじゃあ、次は脚をやるからうつぶせになって」

「はい……」

ふくらはぎに親指を置いただけで、吉岡は快楽の吐息を漏らした。

「なんか、見てはいけないものを見ている気がします」

そう言いながらもフィーネは視線を外さない。

なにやら興奮しているようだ。

お前は腐女子か?

「フィーネにも施術してあげようか?」

顔を更に赤らめてフィーネはブンブンと首を振る。

「怖いからいいです。私は見ているだけで充分楽しいですから」

「勿体ないなぁ。先輩の指は最高だよ。フィーネも一緒に気持ちよくなろうよ」

「わ、私は間に合っていますからっ!」

会話だけ聞いているとかなり怪しいな。

フィーネだけじゃなくてクララ様もいらないっていうんだよな。

やっぱり妙齢の女性にとって、男に体を触られるのは恥ずかしいことなのかもしれないね。

「あの、ここは神殿内ですので、あまり変な会話はお控えください」

たまたま廊下を通った神官さんに怒られちゃったよ。

 今日も神殿の大部屋に泊まっている。

今晩は俺たちの他にも4人の宿泊客がいた。

それにしても、さっきからじっと俺たちを見つめてくるお姉さんが気になる。

歳の頃は20代後半だろうか。

目に少し険はあるが、ちょっと厚めの唇が妙に色っぽい。

スレンダーな体つきなんだけどお尻がキュッと上がってるからつい目がいってしまうのだ。

「そんなに気持いいの?」

お、向こうから話しかけてきたぞ。

「ねえセンパイさん、私にもやってくれないかな?」

いいのかな? 

いいのかな?

「もちろん構いませんよ。どこか疲れてるところはありますか?」

興奮を悟られないように必死に心を落ち着かせた。

「一日中歩き通しですっかり足が痛くてね」

「わかりました。じゃあ寝台にうつぶせになってください」

吉岡を放りだしてお姉さんのマッサージをすることにした。


 お姉さんの名前はエルケといって、ブレーマンの街を目指して旅をしているそうだ。

「センパイさんは貴族様の従者なんだって?」

「そうなんですよ。王都への旅の途中なんです」

軽い雑談を交わしながらマッサージを施していく。

なかなか引き締まったふくらはぎをしてらっしゃる。

筋肉質で無駄な脂肪がついていない感じだ。

長い旅をしてきたのかな? 

でも、あんまりリラックスできていないみたいだ。

実は黄金の指ゴールドフィンガーを使うと相手の緊張の度合いが分かってしまう。

知らない男に体を触られているからリラックスしきれないのかもしれない。

俺はスキルレベルを1から2へと上げた。

黄金の指ゴールドフィンガーにはレベルが1から5まで存在する。

その段階によって得られる効果や快感が違うのだ。

吉岡にはレベル2までしか使ったことはない。

だからレベル3以上の効果というのは俺自身もまだよくわかっていないのだ。

「はぁっ……ふぅ~……本当に気持ちがいいんだねぇ……ところでセンパイさんがお仕えしている貴族様はどちらの方なの?」

吐息が色っぽい。

吉岡にしてやる時より俄然楽しくなってしまう。

「ブレーマンから更に北へ行ったエッバベルク村の騎士爵様ですよ」

「そうなの……はぁ~……」

ふう、ようやくリラックスしてきたようだ。

膝裏のツボを刺激してから太腿裏のリンパを上へと押し上げた。

それ以上上に行ったらさすがにアウトだよね? 

周りの目が恨めしい。

でも本当はお尻の上の筋肉もほぐすと楽になるんだよ、と言い訳しておこう。

さようならお尻さん。

来世で椅子に生まれ変わったら今度は触れ合おうね。

名残を惜しみつつ俺はマッサージを終えた。

「どうでしたか?」

「すっかり楽になったわ。センパイさんは従者なんかやめてこれを本職にしたら?」

「お暇を出されたら考えてみますよ」

楽しいひと時だった。

フィーネにスケベだなんだと言われたが心外だ。

いやらしい気持ちなんて1ミリもなかったぞ。




 何気ない風を装って廊下に出ると、仲間の男がエルケに近づいてきた。

「どうだった?」

「ちがうね。北の田舎騎士爵だ。例の男爵じゃないよ」

エルケの言葉に男はホッと息をついた。

今晩神殿に泊まっているのは自分たちが探している貴族とは違ったようだ。

それが分かって男にも余裕が出てきた。

「ところで、ずいぶん気持ちがよさそうだったじゃないか。あれは演技じゃなかっただろう?」

「バカ言ってるんじゃないよ。そんなわけないだろ」

エルケは男の話を断ち切るように背中を向けた。

なぜならその話は半分当たっていたからだ。

だからこそ、これ以上会話を続けたくなかった。

エルケの仕事は過酷だ。

時には好きでもない男に抱かれ情事の過程で情報を聞き出すことさえある。

だがどんなに激しくされようが、どんなに優しくされようが、どんなにしつこくされたところでエルケは仕事を忘れたことはない。

寝室に響く嬌声も、男を喜ばす喘ぎ声もすべては演技だった。

だけど、今日のあれはなんだったのだ? 

最初は上手なマッサージだ、くらいにしか思っていなかった。

ところがそれが突然変わったのだ。

一瞬であったがエルケは心が解きほぐされるような気持ちがした。

任務の最中にそんな感覚に陥るのは初めてのことだった。

顔はとぼけた犬のようだが、もしかしたら危険な男なのかもしれない。

それが、エルケの感じた日野春公太の印象だった。




 神殿の共同炊事場で夕飯の支度をしていると、何やら騒がしい声が聞こえてきた。

それがしばらく続いたと思うと、今度は神官さんがパタパタとこちらに走ってくるではないか。

随分と青ざめた顔をしている。

「従者さん、至急騎士爵様にお取次ぎをお願いします」

ご飯を作ってる途中なのに問題発生かよ。

「何事ですか」

「それが、突然いらした貴族の方が個室に泊まらせろとおっしゃられまして」

なんだその我儘は? 

確か二部屋ある個室はもういっぱいのはずだ。

「それでどうしろと?」

譲ってくれないかという交渉なんだろうけど、多分無理だな。

クララ様はその手の曲がったことが嫌いだ。

病人や体の弱いお年寄りなんかだったら喜んで譲るだろうが、そんな我儘に対しては梃子てこでも動かないと思う。

「新たにやってきた貴族の方が自分で話をつけるので騎士爵様を呼んで来いとおっしゃられまして」

それはいくらなんでもおかしいだろう。

「そんな用件で取り次げると思いますか?」

「いえ、非常識なお願いというのはわかっているのですが……」

神官さんは平身低頭だ。

これじゃあ俺が悪いことしているみたいだよ。

間に挟まれてなんだか本当に可哀想だ。

「おい、まだなのか!」

甲高い声が響いて今度はネズミ顔の男がやってきた。

服装からみて俺たちと同じ貴族の従者のようだが、見るからにザ・小物って感じの奴だ。

「うちのご主人様をいつまで待たせる気だ。さっさとその田舎騎士を呼んで来い!」

おやぁ、このネズミ君は今なんて言ったかなぁ?

「失礼、貴方は今なんておっしゃりましたかね? 主のことを田舎騎士呼ばわりしましたか?」

平民が貴族の悪口を言うだけで、鞭で打たれる世界だぞ。

こいつは軽率すぎないか。

ネズミ君もそのことに思い至ったのだろう。

若干声のトーンが落ちた。

「お、俺のご主人様はカンマーシュテット男爵ペヒ様だぞ!」

面白い名前だね。

それ以外は特に興味をひかなかったので無視することにした。

「おい、早くお前の主人を連れてこい」

「なんでうちのご主人様がお前の命令を聞かなきゃならないんだよ?」

あ、ネズミの顔が赤くなった。

「違う、命令しているのは俺のご主人様だ!」

それだっておかしな話である。

一般に公侯伯子男なんていうけどザクセン王国の貴族の階級はそんな単純なものではない。

男爵の方が騎士爵より偉いなどとは一概には言えないのだ。

日本の武家社会に置き換えて考えてみて欲しい。

加賀藩の中級藩士が駿府藩の下級武士に命令など出来るだろうか? 

ちょっと違うけど感覚的にはそんな感じだ。

家格やどの貴族に連なるかなどいろんな要素が関わってくる。

だからこいつの言うことはとんでもなく非常識なのだ。

「おい、君の御主人は我が主に命令するというのか?」

俺は静かに相手を睨みつけた。

「いや、そ、それは……」

ネズミ君も自分の失態に気が付いたようだ。

「なにをグズグズしておるかぁ!」

無駄にデカい声が響き、取り巻きを4人連れた男がこちらにやってきた。

どうやらペヒさんの登場らしい。

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