第18話 魔法使いになれなかった男
クララ様と向かい合う形でメルさんが座り、俺と吉岡はクララ様の後ろに控えた。
なんか側近ぽくてカッコいい。
「アキト、室内の声を漏らさないように出来るか?」
「はい。風の結界魔法を張ります」
すげえ!
吉岡はそんな魔法も使えるのかよ。
「ノイズキャンセルの応用みたいなもんです」
俺たちが出す声は音波だから、魔法で逆位相の音波をぶつけて音を消すわけだ。
「完了です。これで声は一切漏れません」
「ご苦労。改めて紹介しておこうか。こちらはメルセデス・ハイゼ殿。私にとっては母方の従姉にあたる方だ」
メルさんと目礼を交わす。
「今は冒険者パーティー『銀のナイフ』のメルだ。ハイゼの家名は伏せておいて欲しい」
隠密行動中なのかな?
クララ様の説明によるとメルさんは王国軍に籍を置く騎士だった。
クララ様のように領地を持った騎士爵ではなく、俸給をもらうタイプの騎士だそうだ。
厳密ではないがクララ様の方が貴族としては若干格が上ということになるらしい。
「二人も察しているとは思うがメルセデス殿は秘密裏にある調査をしている。……ゾンビだ」
ゾンビ、いわゆる動く死体というやつだ。
生者を襲い、肉を喰らい、噛まれた人間もまたゾンビとなってしまう。
「ウィルス感染かな?」
「かもしれないですね。ウィルスなら電子顕微鏡でもなきゃわからないし、ウィルスを見つけたところでどう対処していいかもわかんないですけど」
クララ様とメル様は俺たちの会話を不思議そうに聞いている。
「あ、話の腰を折ってしまい申し訳ございません。どうぞお続け下さい」
「うむ。ことの発端は一人の巡回神官の目撃だった」
ザクセンス王国では国教としてノルド教をみとめている。
ノルド教は各地に支部を置き、それぞれの支部を担当する神官たちを任命していた。
エッバベルクのような小さな村でも神殿はあり、神官が任命されている。
しかし、全ての集落に神官を任命することはさすがに無理である。
そのような神官が任命されていない地域をまわり、宗教行事や裁判を執り行うのが巡回神官であった。
クララ様の説明は続く。
「ここカッテンストロクトから北へ山間の間道を抜けたところにドルトランフルという小さな集落がある。人口40人にも満たないその村で巡回神官はゾンビを目撃したというのだ」
その巡回神官は月に一度のペースでこの辺りの村々をまわっていた。
いつものようにドルトランフルへ向かったのだが、すぐに村の異変に気が付いたそうだ。
村へ至る道が山を越えて入るので、高台から村を見下ろせたことがこの神官の命を救うことになった。
呻き声を上げながら徘徊するゾンビの姿を見て神官は慌てて逃げ帰ったそうだ。
「どうせならその場でゾンビを殲滅してくれればよかったのだがな。そいつはただの説教師で
メルさんは簡単に言うけど、一人で複数を相手にするのは大変だと思うぞ。
「まあ、そいつはゾンビのことは誰にも吹聴せず、すぐ上に報告したことだけは評価できる」
ゾンビが発生したなんて知れ渡ったら民衆がパニックになるもんな。
でも本当にそれでいいのか?
「あの、皆にゾンビのことを知らせて各集落ごとに警戒してもらった方がよくないですか?」
「もちろんそのつもりさ。だが今我が国は戦争中なのだよ。この手の情報はすぐに軍事利用される恐れがあるから情報の拡散は最小限で済ませたいというのが上の意向なのさ。だから我々も身分を偽ってゾンビ退治に来たのだよ」
なるほどね。
「じゃあ『銀のナイフ』の人たちは国軍の兵士なんですか?」
「そうだ。この辺は王国の直轄領だからな。我々が対処しなければならないんだ」
ゾンビというのは単体での攻撃力はさほどない。
力は強いが動きは緩慢なので囲まれなければ怖い相手ではないそうだ。
だからメルさん達は目立たないように6人の小隊でゾンビ討伐にやってきている。
村人全員がゾンビ化していても40人弱だ。
6人でも充分に対処できる。
だがいくら秘密裏に対処するにしても隣村などには警戒を呼び掛けないわけにはいかない。
問題は周辺の村々に警戒を呼び掛ける人手が足りないことだった。
「実際のところ犬の助けも借りたいくらいさ。私の部下は12人いるが、ゾンビだけに人手を割いていたら町の犯罪を取り締まるものがいなくなる。周辺の駐屯地に増援は頼んだが、人員が送られてくるのは希望的推量でも3日後だ」
4日以上かかるわけね。
「本当はすぐにでもドルトランフルへ行きたいのだが、無理をすれば今夜は山の中で宿泊だっただろう。冬山で敵襲に遭えば……考えただけでも恐ろしいだろう?」
俺なら絶対に嫌です!
「と、困り果てていたところに都合よく従弟殿が現れたわけだ」
クララ様が苦笑している。
「私は王都での軍務があるのですよ」
「でも、手伝ってくれるのだろう? 優秀そうな従者も連れているようだし」
お、褒められちゃった!
つまり、俺たちは周辺の村々を周って警戒を呼び掛ければいいわけだ。
でも、もしもゾンビに遭遇した場合はどうしたらいいのかな?
「あの、もしも我々が訪れた村が既にゾンビの手に墜ちていた場合はどうしたらいいですか?」
メルさんは大きなため息をつく。
「考えたくはないが、その場合はできれば殲滅してほしい。死体は集めて焼却するんだ」
やっぱりそうなるよね。
大部屋に戻った俺たちはベッドの端に腰かけていた。
暖炉の小さな炎でも吉岡の顔が青ざめているのが分かる。
吉岡にとって初めての実戦が目の前に迫っているのだ。
初陣の恐怖は仕方がない。
俺はクララ様についていくことにしていたが、俺とセットで召喚獣になってしまった吉岡にその覚悟はまだないだろう。
「吉岡、お前はここで待っていてくれてもいいぞ。荷物番をしてもらえれば助かる」
「……大丈夫です。俺も……俺も一緒に行きますから」
そうはいってもなぁ……。
吉岡の指先が震えている。
「よく考えて決めろよ。明日の朝、もう一回聞くからさ」
覚悟か……。
考えてみれば俺にも覚悟なんてないなぁ。
でも、クララ様とは契約があるしね。
途中でやめたら「ヤモリの手」を失ってしまうもんな。
あれは便利なスキルだ。
それにスキルよりなによりクララ様の信頼を失うのが嫌だった。
人の気配で目が覚めた。
部屋の隅で何かが動いている気がする。
まだ夜は明けていないようだが誰だ?
小さなため息が聞こえた気がしたけど……吉岡?
あいつ、思いつめて眠れなくなったのか。
既に暖炉の火は消えかけていて部屋の中は暗かったが、徐々に目が慣れてきたぞ。
隣のベッドを見ると吉岡の姿はない。
部屋の隅にいるのはやっぱり吉岡のようだ。
あれ?
吉岡だけじゃなくね?
目を凝らしてみていると、それは二人の人間が絡み合う姿だとわかった。
あれって吉岡と……ペトラさん!?
吉岡は床に座り込み、その股間に顔を埋めるようにして四つん這いになっている人の姿がぼんやりと闇に浮かんでいる。
こちらから顔は見えないけどあの赤髪はペトラさんに間違いない。
……たしか吉岡は23歳で童貞だったはず。
「30歳まで童貞を守れば魔法使いになれるんですよ」って言ってたもんな。
魔法使いじゃなくて「賢者の卵」になったからあっさり捨てる気になったのか?
冗談はさておき、多分怖かったんだろうな。
人間は生命の危機を感じると性欲が強くなると聞いたことがある。
種としての本能が子孫を残そうとするらしい。
その話が嘘か本当かは知らないけど、ある種の興奮が吉岡の精神状態をおかしくしていたのは確かだろう。
そんな時に偶々起きたペトラさんに誘われてしまったのかもしれない。
俺は静かに寝返りをうって目を閉じた。
俺が知らないだけで二人の間にロマンティックなやり取りがあってもおかしくないしね。
……でも、肉食動物が草食動物を捕食しているようにしか見えなかったけどね。
まさに食べられちゃったの図だ。
「んっ……」
「クチュ、クチュ……」
「あンっ……」
闇の中から微かに二人の行為の音が漏れてくる。
吉岡……こういう時こそ風の結界魔法だろうがぁ!
そうはいっても、奴もきっとテンパってるんだろうな。
闇の中でうごめく二人の音は15分ほど続き、そして静寂が訪れた……。
と思ったらまた始まった。
そして……再び静寂が訪れた。
と思ったらまた……。
翌朝、皆が起き出した大部屋の中で、最後まで惰眠を貪る満足そうな寝顔のペトラさんと、子どものように丸くなって眠っている吉岡の姿が印象的だった。
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