第30話 平穏

 シエスが魔導学校の試験に合格した、翌々日。

 僕とガエウスは、鬱蒼と茂った森の中を歩いていた。


 魔導都市から南に歩いて丸一日の距離。僕たちは低位のダンジョン、スニェグの森に来ている。

 ダンジョン内に数日滞在し、異常の有無を視察・確認する。ルブラス山での巨人発生を受けて、ギルドが出した予防的な依頼。それをガエウスが受注したのだ。


 前を行くガエウスの足取りは軽い。難度の低いダンジョンであっても、やはり初めて訪れる場所は好奇心を刺激されるのだろうか。


「ガエウス、そろそろアビジャが出てきてもおかしくない。三体以上で来たら、出し惜しみせず『爆破』を使ってくれ」


「分かってるよ。……あの猿、三体くらいなら、今のお前なら大丈夫じゃねえか?」


「分からない。だから念のため、だよ。奴らの魔導はそこまで厄介でもないけれど、長引かせて仲間でも呼ばれたら面倒だしね」


 スニェグの森は、魔導学校の上級生たちが生徒だけで探索したりもする、易しいダンジョンだ。

 発見されてからもう大分経っていて、既に森の隅々まで探索され尽くしていたはずだ。危険度の高い魔物も滅多に出ない。

 ただ、この森には至るところに、アビジャと呼ばれる、魔導を扱う猿が出る。魔導を使えない僕には油断できない相手だった。

 それに、今回は僕たち二人しかいない。魔導師は連れてきていなかった。


「魔導師を募集しようと言ったのに、それを待たずに出発したのは君なんだから、無茶は止めてくれよ」


「分かった分かった。まあ今日のは暇潰しみてえなもんだしな。行ったことねえダンジョンだから、ちょっと見てみたくなっただけだ」


 ガエウスはそう言うと、魔物なんてこれっぽっちも気にせず、ずんずんと歩いて行く。


「こないだみてえなデカブツ、出ねえかな」


 物騒なつぶやきが聞こえた。やめてくれ。


 でもまあ確かに、ガエウスなら、このダンジョンに出てくるような魔物なんて、警戒する必要も無いのだろう。魔物の情報を事前に集めて対策を考えておかないときちんと戦えない僕とは大違いだ。



「おい、ロージャ、出たぞ」


 ガエウスが背の弓に手を伸ばしながら告げる。見ると、彼の遥か前方に、白い猿が二体見えた。一体は、大型だ。四足で真っ直ぐこちらに走ってくる。もう一体は少し小さめで、木々を跳び移りながら、同様にこちらに向かってくる。


「二体だ、魔導は使わねえぞ。小せえ方は射って適当に落とす」


「ああ。とどめは僕がやる」


 ガエウスはすぐに消えた。気配を消して死角から攻めるのが、ガエウスの基本的な攻め手だ。

 僕も地を蹴る。アビジャの魔導は低級だ。魔導の力で火やら岩やらを実体化させてこちらに放つ。実体化したものであれば、僕にも防げる。魔導が発生する場所と、実体化させたものの動きさえ分かれば。


 大型のアビジャに接近する。猿は立ち止まって、地に伏せるように身を屈めた。こちらを見据えている。案の定、初手は魔導のようだ。そういう眼をしている。

 ふと思う。『力』を得てから、距離を詰めるのが本当に楽になった。今までなら、こちらの鎚を届かせるまでに複数回、魔導をいなしながら近付かなければならなかったのに。僕の戦い方も、『力』に合わせて少しずつ変わっている。


 正面に意識を戻す。僕とアビジャの間で、空間が歪んでいた。一瞬の後、唐突に大きな氷柱が現れる。真っ直ぐこちらに飛んできた。

 分かりやすくて助かる。これは防がなくていい。横に避けるだけですむ。

 一瞬、木の上、小さい方のアビジャに意識を向ける。同じ氷の魔導を、僕の上方後ろから放ったようだ。風を切って飛ぶ氷柱が空気が震わすのを感じる。


 立ち止まる。

 盾を右手に構えて、『力』を込めて後ろ手に振る。後ろから飛んできた氷柱を盾で殴って吹き飛ばした。すぐに身体を横にずらして、前からの氷柱をやり過ごす。

 すれ違う瞬間、僕の身体のすぐ横で氷柱が弾けた。氷の礫がこちらに飛んでくる。

 予想通りの攻め方だった。氷の魔導を使う個体はこうした攻撃も行うと、ギルドからの情報があったから、特に驚かない。


 僕は盾で氷の礫を受けた。小石程度の大きさで、力を込めて守る必要も無い。

 そこにアビジャが飛び込んできた。爪で僕を引き裂くように、腕を振っている。

 本体が鎚の範囲内なら、もう後は楽だ。そこまで賢くない個体で良かった。僕は盾を前に向き直して、爪を盾で受ける。受けながら左腕を背に回し、鎚を取る。

 アビジャが再度腕を振る前に、盾の陰から片手で鎚を振るった。

 牽制の一撃。『力』のおかげで、片手でも猿は大きく体勢を崩していた。

 盾を背に回す。両手で鎚を握る。木の上のアビジャから、魔導が迫る様子も無い。

 そのまま真横に鎚を振り抜いた。


 アビジャは腕と横腹を大きく凹ませて、吹き飛んだ。仕留めたはずだ。アビジャはそこまで硬くない。少なくとも、すぐに再起はできない。


 すぐにもう一体に目を向ける。気配はだいぶ上にある。木の高いところにいるようだ。

 見ると丁度、ガエウスが射たところだった。矢が二本、猿に突き立つ。

 木の枝を握っていた手と足に同時に矢を受けて、猿は高く鳴きながら木から落ち始めていた。

 腰から手斧を取り、構える。ただ落ちるだけの的になら、問題無く当てられる。『力』を込めて、投擲した。斧が一直線に飛ぶ。


 斧は無事猿へ直撃した。斧の勢いのまま、猿は遠く、木が生い茂る方へ落ちていった。


「おいっ、ロージャ!吹き飛ばしすぎだろ、矢の回収がめんどいんだよっ」


 いつの間にか近くにいたガエウスが文句を言ってきた。


「仕留め損なうよりはいいだろ」


 答えながら、戦闘が終わったのを感じてふっと息を抜く。ふと自分の手を見る。


 なんとなく勘付いてはいたけれど、『力』は、巨人を貫いた時のようなものではなかった。巨人討伐より前の状態、『靭』で強化した時と同程度の出力に戻っていた。

 恐らくこの力は、僕の精神状態によって段階が変わる。あの時は、ひどく気が昂ぶっていたのを思い出す。

 考えるほど、不思議だった。心に引きずられて変わるなんて、それこそまるで、魔導みたいじゃないか。僕のこの力はなんなんだろう。唯一、何かを知っていそうなルシャさんはもう傍にいなかった。


 ガエウスが矢と斧を手に戻ってきた。

 ……今は今やるべきことに集中しよう。『力』については今度魔導学校で、校長先生にでも聞いてみるつもりだった。




 結局その後も、ガエウスの期待するような異常な魔物の出現も無く、僕たちは数日をスニェグの森で過ごして、魔導都市に帰った。

 ガエウスはぶつくさ不満を言っていたけれど、僕としては、何事もないのが一番だ。


 夕方、魔導学校の門をくぐり、学校側が用意してくれた、新しい住処に向かう。

 魔導学校には、校内の学生寮近くに、教師用の居住施設もある。全員が寮に入る生徒とは違い、教師全員が住んでいる訳ではないようで、教師用の施設はむしろ利用者が少なく閑散としていた。


 僕たちの新しい家に着いて、扉に手をかけて、気付いた。何故か鍵が開いている。鍵は、今のところの居住者である僕とガエウスしか持っていないはずなのだけれど。


 不審に思いながら開けると、部屋の方から、ぱたぱたとこちらに向かう足音が聞こえる。

 すぐに銀髪の少女が顔を出した。


「おかえり、ロージャ」


 シエスはいつもの無表情だけれど、眼をいつもより少しだけ大きく開いている。嬉しそうだ。


「……シエス、なんで、僕らの家の鍵をもってるの?」


「ナシトにもらった」


 あいつ。生徒は基本的に寮にいなきゃいけなかったはずだ。担任の先生がそういう、規則を破るようなことしても大丈夫なのか。


 シエスはいつもより饒舌に、続ける。


「校長先生が、二人が今日帰ってくるって言ってた。だから待ってた。おかえり」


「……寮にいなくても、大丈夫なのかい」


「ん。大丈夫。寝る時はちゃんと寮で寝る」


 シエスは、さもここにいるのが当然という風だった。一応ここは教師用の施設だ。寮の他の生徒から、シエスが変に思われないと良いのだけれど。ただでさえ中途編入で目立っているはずなのに。


「……ロージャ」


 シエスが少しむくれている。なんだろう。


「……おかえり」


 ようやく気付いた。少し申し訳無くなる。


「ただいま。ありがとう、シエス」


 言うと、シエスはまた嬉しそうな眼に戻った。


 シエスだって、入学したてで、新しい生活を始めたばかりだ。そんな時に僕らがいなくて不安だったのだろう。

 そんなシエスに、寮にいなさいとは言えなかった。


「今日は、私が料理を作った。もうできてる」


「シエス、料理できたの?」


「……寮の友達に、習った」


 予想外のシエスの言葉だった。料理もだけれど、まさかもう、料理を教わるような友達ができていたとは。シエスもなんだか少し自慢げだ。

 僕の心配は、何から何まで見当違いだったのかもしれない。僕は思わず少し、笑ってしまった。


 僕の後ろにいたガエウスが鼻を鳴らす。


「おっ、やるじゃねえかっ、嬢ちゃん!こりゃあなかなか期待できそうだ」


「……ガエウスの分は無い」


「うそだろっ!」


「嘘」


 シエスはそう言うとまた部屋の中に戻っていった。ガエウスがぎゃあぎゃあと喚きながらその後を追う。

 なんだか、ひどく平和な光景だった。



 シエスの作った料理は、単純なものながらしっかりとしていて、ちゃんと美味しかった。三人で穏やかな時間を過ごした。

 

 ただ食事中、いつものように僕の前に座るシエスを見ると、僕らがいない間に何度か練習していたのか、手元にいくつか切り傷が見えた。

 彼女はやっぱり、何事にもきちんと努力できる子だ。友達だって、僕が思っていたよりもあっさりと作れていた。

 僕の保護なんてすぐに必要無くなるだろう。それはとても良いことで、僕自身望んでいることなのだけれど、少しだけ寂しくも思っている自分が、嫌だった。

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