第12話 声と盾

 シエスを林の方に送り出して、僕はルブラス山の侵入口まで走る。ソロヴェイは山を真っ直ぐに下って来ているようだ。まずは奴らの注意を僕だけに向ける必要がある。

 侵入口に駆け寄って、ようやくソロヴェイの姿が見えた。二体、まだ少し離れたところを飛んでいる。半人半鳥の怪物。奴らへの対策のためにレンジャーが必要だったと言い切っても過言ではないほど、今の僕が会いたくなかった魔物だ。

 人に似た手足と顔を持ちながら、腕に生えた翼で空を飛ぶ。厄介なのは、彼らの武器が「声」であることだ。同じ半人半鳥の魔物であるハーピィと異なるのは、ハーピィの声は幻覚に似た作用をもたらしたり、鼓膜を破るような超高音の怪音波であったりするのに対して、ソロヴェイのそれは鈍器や刃物のように、人の身体に物理的な傷を負わせる。

 攻撃は全て声なので、空から降りてくることは無い。飛び道具が手斧しか無い僕との相性は最悪だ。斧が上手く当たれば良いが、空を縦横無尽に翔けるうえに、防御にも声を使う。手斧の本数は多くない。一撃必殺の機会を慎重にうかがうしかない。

 しかし、山に棲み着いているはずのソロヴェイが、なぜここまで降りてきているのだろう?今も奇声をあげながら飛んでいるところを見るに、既にかなりの興奮状態にある。他の魔物と争っていたのだろうか。

 考えている内に、向こうもこちらに気付いたようだ。近付いてくる。様子見も何もなく、攻撃態勢にあるようだ。僕はシエスのいる方とは逆に走り出す。まずはとにかくシエスから引き離そう。



 ソロヴェイに追われながら、昨日来た道を逆向きに走る。

 奴らの攻撃手段は声だけだが、声の種類は多様だ。範囲を絞った鋭い斬撃のような甲高い声が飛んでくるのを、横に跳んで避ける。するともう一体が息を大きく吸う音が聞こえた。


「展開!」


 僕は盾を発現させる。パーティを組んでいた時は最も愛用していた、全身を隠せる程の大きな盾。息を吸い込んだソロヴェイに向けて盾を構える。


 低い叫び声が響いて、一瞬後に、大きくて重い何かに突進されたような衝撃が走る。道の脇の木々がメキメキと折れかける音が聞こえる。面で押し潰すつもりなのだろう。

 とはいえ、盾の耐久にしても僕自身の膂力にしても、まだ余裕がある。このまま潰されることはなさそうだが、かといってこの隙に手斧で攻撃に転じることもできそうにない。ジリ貧だな。ただ声同士が干渉し合うのか、二体同時に攻撃してこないことだけは救いだった。

 声が止んだので、すぐさま盾を背に回して転進し、走り出す。直ぐにまたソロヴェイの声が僕の背に迫るが、全て躱す。ソロヴェイとは、「力」を手に入れる前にも嫌と言うほど戦った経験がある。発声の癖や声の種類は頭に入っていて、守るだけなら然程難しくない。

 しかし、防ぐだけでなく攻撃役も僕だけとなると、話は別だ。どうしたものか。相手は魔物なので先に向こうが疲れるということも考えにくい。やはり、何度か攻撃を防ぎながら向こうの飛び方を観察して、確実に仕留められる機会を待つしか無いか。


 シエスは無事に隠れてくれているだろうか。ふと思う。彼女に魔導膜以外の魔導を教えていなくて良かった。シエスは、義母からの追手に対しても、臆せず自分から目の前に歩み出る胆力の持ち主だ。あの時は何もかもを諦めていただけかもしれないけれど、もし今、彼女に何らかの攻撃手段があったら、自分から危険に飛び込んで来てしまうような気がする。

 それに僕自身、そんな彼女を当てにして、頼ってしまう気がして、嫌だった。彼女は未だ普通の女の子だ。この場を何とかできるのは、僕しかいない。だから経験の無いことにでも、弱気になる訳にはいかない。


 ある程度走って、僕らが夜営していた地点から十分離れた後は、二体に隙を見せないよう立ち回りながら、じっと耐えた。耐えながら頭の片隅で、そういえばパーティでもこうしてずっと耐えるのが僕の役目だったなと、緊張感の無いことも考えていた。

 手斧で仕留める機会をうかがうものの、向こうもやけに守りが堅い僕を警戒しているのか、かなり距離を取りながら攻撃してくるので埒が開かない。

 手斧は数本ある。試しに一度攻めてみるかと、声を躱しながらこちらから少し距離を詰めた時だった。


 上空を飛んでいたソロヴェイの一体が、空で不可解な挙動をしていた。空中で不自然に急停止しては高度を落とし、上昇し直そうとしてまた急停止、急降下を繰り返している。まるで空に見えない壁があって、その壁にぶつかっているかのようだ。ソロヴェイも困惑したかのように喚いていて、あれほどしつこかった攻撃も止んでいる。

 良く分からないけれど、これを逃す訳にはいかない。僕は動きのおかしい方のソロヴェイに向けて走る。当のソロヴェイは未だバタついている。手斧を取る。訳が分からないというように滞空している一体に向けて、「力」を込めて手斧を投擲する。斧は回転しながら一直線に飛んで行き、ソロヴェイが迫る何かに勘付いた瞬間にはもう、斧は眉間に突き立っていた。

 斧が直撃したソロヴェイはそのまま後方に大きく吹き飛び、墜ちた。僕はそのまま間を置かず近付き、斧を蹴り飛ばして引き抜くと同時に、展開させた鎚で墜ちたソロヴェイの頭を叩き潰した。頭が無くなっても生きられる魔物は多く存在するが、声が武器のソロヴェイは、頭を潰しておけば無力化できたと考えて良いはずだ。

 疑問は残るけれど、何とか一体は倒せた。僕は直ぐもう一体に向き直る。


 その瞬間、僕は信じられないものを見た。木陰に、杖を構える女の子がいる。間違い無くシエスだった。そして彼女のことを、残った方のソロヴェイも見据えている。まずい。

 僕は「力」を振り絞って地面を蹴る。景色が一瞬で後ろへ飛んでいく。かなり距離があったはずの僕とシエスの間が一歩で詰まる。シエスの前で、鎚の柄と脚を地面に叩きつけて無理やりに身体を止め、鎚を放り投げて、右手で盾を構えながら左腕で彼女を抱き寄せる。間に合った。


 次の瞬間には声がぶつかってきた。盾で守る。


「シエスッ!なんでここにいるっ!」


 ソロヴェイの叫び声に負けないよう、シエスの耳元で大声で尋ねる。シエスは何が起きているのか分かっていないのか、ポカンとした顔で僕の腕の中にいる。まあ良い。話は後にしよう。

 ソロヴェイの声は鼓膜を破るような種類のものでは無いものの、心配なので、ポーチから耳栓を取ってシエスに渡した。


「これを耳に入れて、離れていてっ!」


「わ、わたしも、手伝えるっ!」


 手伝う?彼女が?どうやって、と思って、ふとおかしな挙動をしたソロヴェイの姿を思い出した。まさか、彼女がソロヴェイに何かしたというだろうか。僕は、しか教えていないはずなのに。


 ソロヴェイの声が止む。


「シエス、駄目だ。さっきの一体に君が何かしてくれたのだしても、君が狙われてしまうんじゃ元も子も無い」


「……でも、ロージャが」


「大丈夫、あと一体なら、僕一人でも何とかなるから。さあ、早く!」


 未だなにか言いたげな彼女を押し出す。恐れていたことがあっさりと現実になった。けれどやっぱり彼女を危険に晒す訳にはいかない。彼女を守るのが僕の仕事だ。

 彼女が遠ざかってくれることを祈りつつ、ソロヴェイと向き合う。



 その瞬間、ソロヴェイの首に矢が突き立った。

 ソロヴェイの意識の外から放たれた、超遠距離からの狙撃。続けて頭にも矢が突き立つ。矢が速すぎて、矢が何も無い空間に突如具現化したかのような錯覚すら感じた。魔物も困惑が極まって恐慌状態のようだ。深手のようで、必死の羽ばたきも空しく地面すれすれまで墜ちてきていた。

 そして、ソロヴェイに突き刺さった矢が急に光を放ち、次の瞬間には魔物の頭ごと、爆散していた。残った身体がどさりと地面に崩れ落ちる。


 僕自身、予想もしない展開に唖然としてしまった。シエスにはとても見せられない阿呆面を晒していたと思う。

 数瞬あって、依頼を受けたレンジャーが救援に駆けつけてくれたのではと思い当たる。

 しかし、この、異常な速度の射撃と爆破の魔導は――。


 遠くから、馬鹿みたいに大きな声が聞こえる。ソロヴェイのそれよりも大きいのではないかと、勘繰ってしまうような。


「早速、厄介なヤツに絡まれてンじゃねえか!ロージャよぉ!俺ァ安心したぜ!」


 魔物に襲われていて安心したなんて言う男を、僕は一人しか知らない。


「……ありがとう。助かったよ。ガエウス」


 声の方に目を向けると、いかにも楽しげな顔でこちらに歩いてくる、僕のかつての仲間、ガエウスがいた。

 王国十四士が一人、冒険狂いのガエウス・ロートリウス。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る