第3話 魔導

 いくらか歩いて、日が落ちかけたので野営の準備をした。街道沿いに設営したので、普段であれば、火を絶やさなければ寝ずの番は不要だろう。ただ今回は魔物以外にも危険があるので、僕が夜通し番をするつもりだった。

 携帯食料で腹を満たし、ふたりで火を囲む。意外にも彼女は携帯食料になんの反応も示さなかった。既に慣れているのか、食に興味がないのか。会話は無かった。


「さて、状況を整理しよう」


 彼女から話が始まるはずもないので、すぐに本題に入ることにした。


「僕が理解しているのは、君が何かしらに追われていること、ご老人の頼みでその追手から無期限に逃げる必要があること、そして君には逃げる意思があまり無いこと。それくらいだ。まず確認させてほしい。君は何から逃げているんだい?」


 彼女がすぐに答えてくれるとは、あまり思っていない。だが、全てを諦めているのであれば、それこそ僕自身すらもどうでもいいと判断してくれていれば、洗いざらい話してくれるかもしれない。


「貴方には関係無い」


「……」


「もう私に生きる術は無い。直に追手が来るはず。貴方まで、私に付き合う必要は無い」


「君は、優しいね」


「……優しくない」


 思っていたより、彼女はしっかりしていた。諦めているのは確かでも、周囲を気遣うのを止めるほど投げやりではない。


「なら僕の推測を話そう。君は城都市の領主の娘さんだ。あそこはここ数年ずっと、後継ぎについて穏やかじゃない噂があったからね」


 彼女の様子をうかがう。常に無表情なのでわかりにくいが、無表情には慣れている。かつて旅の仲間だった魔導師も恐ろしく鉄面皮だった。

 少女は少し、ほんの少しだけ驚いたように見えた。


「おそらく、領主の後妻が黒幕というところだね。彼女には息子がいたはずだ。前妻の一人娘まで消そうとするのは、少し疑心暗鬼が過ぎるようにも思えるけど」


「……義母様は、変わってしまったから」


 彼女がぼそりと零す。僕の予想が大きく外れているというわけではなさそうだ。


「とにかく、城都市を避ける必要がある。僕はもともと、自分の村に帰る予定だったから、今のところは、城都市を迂回して村まで行くつもりだけど……そうなると君はいつまで経っても僕から離れられない。ご老人も、君に自由を、と言っていたし、この案は最善じゃない」


 これが難題だ。この少女が自由を得るには、まず何よりも彼女が自立する必要がある。自立とは、この世界では即ち力だ。自衛できるか。特に誰かしらに追われている彼女には相当な自衛の力が求められる。僕がずっと護衛するというのはあまり現実的じゃない。僕にも僕の人生がある。つい最近、生きる目的を見失ったばかりで、先行きは全く不透明だけど。


「目的地を決める前に、まず君がどうやって自立するかを考える必要がある。君は、何になりたい?」


「……何に?」


「そう。将来、何をして生きていきたい?どんな大人になりたい?」


 彼女はうつむいてしまった。


「……わからない。そんなこと、考えたこともない」


 それもそうか。貴族の娘に待っている将来なんて、どこぞの別の貴族と結婚して子どもを産んで家庭を築くことくらいだ。自立なんて、別世界の言葉だろう。困ったな。


「……そうだ、君は何するのが好き?勉強でも、遊びでも、なんでもいいから、好きなことを教えてよ」


 苦し紛れだが、もはやそれくらいしか聞けることがない。


「好きなこと?」


「そう、勉強なら、数学とか、歴史とかさ」


「……何も、教えてもらってない」


 そんなことあるのか?いや、あの老人は、彼女は何も知らずに生きてきたって言ってたな……。貴族の一般的な教育方針なんて知らないが、彼女の家にはかなり根深い闇がありそうだった。


「じゃあ、遊びは?」


「遊んだこと、ない。朝起きて、夜寝る。その間のことは、あまり憶えてない」


 嘘だろ。そんな、生まれてからずっと軟禁、いや監禁状態ってことか?そりゃご老人も必死になるはずだ。そんな人生、人生ではない。


「……困ったな」


 今度は口に出してしまった。想像以上の事態だった。村で脳天気に育った僕とは大違いで、案が浮かんでこない。


「……ただ」


 彼女が続けた。


「夜、部屋の中に星を呼ぶのは、好きだった」


「星を呼ぶ?」


「そう。星は昼もあるけれど、夜の方が綺麗。私にしか見えない星」


 星……?空に浮かぶ星のことではなさそうだ。星?


「よくわからないな。その星には、触れる?」


「触れない。でも、吸い込める。吐き出すと、色と形が変わる。不思議」


 吸い込める……色が変わる……まさか。


「君、もしかして、魔素が見えるのか?」


 魔素を感じられるというのは、魔導師に不可欠な才能だ。僕には全く見えないし感じることすらできないけれど、仲間だった魔導師はよく旅先で、魔素が多いとか少ないとか話していた。そして、魔素は、取り込んで吐き出すことで、魔導に転じる。


「まそ?」


「今ここにも、その星は見える?」


「見える。貴方の周りには少ないけれど、ある」


 魔素はこの世界に満ちている。間違いない。この娘には魔素が見えている。なら、魔導が使えるということだ。魔導師の素養がある。


「……目的地が決まったよ」


「?」


「魔導学校に向かう。君はそこで、魔について学んで、魔導師になるんだ。魔導師になれば、君は生きていける」


 彼女は少し、きょとんとしているように見える。本当に、何も教えてもらえずに生きてきたんだな。


「私が?」


「そう、君が」


 彼女の雰囲気が急に冷たくなる。


「必要無い。私はもうすぐ終わるから」


 そう言ったきり、黙ってしまった。魔素について話している間は少しだけ楽しそうだったのに、なぜ?どうしてそんなに自分に絶望している?僕は少し苛立った。


「君は――」


 僕が口を開いた、そのときだった。まだ遠いが、複数の足音が聞こえる。軽い音だ。明らかに、人目を忍んで行動している。夜の街道を素早く進んでいるだけでも怪しいのに、加えて人目を気にするなんて、追手以外にあり得ない。そうだった、くそったれ、今はガエウスがいないんだ、僕自身が普段通りに警戒していても、今まで通りの哨戒体制が築けるわけじゃないんだ。完全に鈍っている。だが反省は後だ。

 僕は手早く荷物をまとめる。少女をまた脇に抱えて走る。


「な、なに」


「追手だ」


 恐らくは追いつかれるだろう。ただここはだだっ広い平野。少なくとも彼女を隠せる場所を探す必要がある。


「降ろして」


「断る」


「降ろして。私を置いて行けば、貴方は無事――」


「断る!」



 しばらく走って、小さな森を見つけた。


「いいかい。森に少しだけ入って、身を隠すんだ。奥に行き過ぎてはいけない。魔物が出るし、暗くて何も見えなくなる。月明かりが届く範囲で、隠れる所を探して」


「どうして」


「説明は後だ。ここは僕がなんとかする」


「貴方ひとりでは、無理」


 彼女が少しだけ哀しそうな顔をする。少しだけ必死な感じだ。それでいい。子どもはもっと思うままに生きなきゃ。


「そういえば、名前を聞くのを忘れていたね。僕はロジオン。君の名前は、後で聞かせて」


 そう言うと彼女を押し出して、僕は森の入り口に引き返す。相性は最悪だ。こちらは重戦士ひとり。向こうは軽装の暗殺者、それも複数人。彼女を守りきるには、彼女が見つかる前に素早く、一人残らず押し潰す必要がある。何よりも彼女がうまく隠れることを祈るしかない。お粗末な作戦だ。作戦なんて呼ぶのもおこがましい。皆がいたら笑うに違いない。


 久しぶりに心が沸き立つのを感じる。ユーリにフラレてからは初めてだ。結局僕は、なんでもよかったんだろう。その場しのぎの軽いやつでもいいから、生きる目的が欲しかった。恋人にフラレた辛さを紛らわせられるなら何でも良かった。そこに女の子が転がり込んできた。生きることを諦めている女の子。村に引きこもるより良さそうだ。彼女には、救われてもらおう。僕が気を紛らわせたいからという、クソみたいな理由で。彼女のような、一から十まで悲惨な人生だけでなく、僕みたいな、恋人に捨てられただけで絶望してしまう薄っぺらい人生もあるんだと、知ってもらおう。

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