第2話 不運

 かつて通った道を逆方向に歩いている。まだ王都を出て数日だから、村まではだいぶかかるだろう。何と言っても僕のいた村は北の最果てと呼ばれているくらい北にある。王都大陸の最北端と言ってもいいのかもしれない。王都も大陸の中では北寄りに位置するものの、村までは数ヶ月かかるはずだ。

 王都に近いうちは魔物もあまり出ない。さすがに今日明日にはちらほら遭遇するようになるだろう。まあ、街道沿いは定期的に王立軍が魔物狩りをしているから、街道を歩いて、夜に無茶な移動をしなければ、ひとりでも問題なく村まで帰れるだろう。

 これまでの旅と違って、ひどく穏やかで、静かな旅だった。ただ夜にはこれまでの旅の夢ばかり見て、ユーリの顔ばかり浮かんで、うなされて飛び起きて、泣き出しそうになるのが辛かった。村に着くまでには落ち着くだろうか。


 街道が小さな森に入る手前で小休憩する。今日は快晴、正午の少し手前ということもあって少し暑いが、木漏れ日とそよ風が心地良い。まだ夏が終わり始めた頃合いで、冬になる前には村まで帰れそうだ。干し肉を齧ったら一気に森を抜けてしまおう。そう思ってポーチを漁っているときだった。


 街道の先に不穏な気配を感じる。酷く切迫しているのか、荒い息遣いが微かに聞こえる。旅人が魔物にでも襲われたのか。何かを引き摺るような音と、二人分の足音?

 干し肉をポーチにしまい、様子を見に近付くことにした。強盗の罠や囮、ではないだろう。近付くと濃い血の匂いまでしてきた。演技にしては物々しすぎる。

 森の少し奥には老人と少女がいた。二人とも旅の衣装だが、どうも雰囲気が普通の旅人と異なる。どことなくぎこちなく、違和感がある。

 血は、老人のものだろう。


「ああ……旅の人。神よ、感謝します……」


 老人は祈りを口にしているが、声に力が無い。


「喋らないで、ご老人。今手当を」


「ありがとう……ですが無用です……最早手遅れでしょう……」


 腹から臓が見えている。魔物にやられたにしては傷口が鮮やかすぎる。恐らくは刀傷だろう。


「できる限りをしてみます。傷口を診ます。身体を倒しますよ」


「おお……出来た若人だ……これなら憂い無く託せるというもの……」


 老人が何か口走っているが良く聞こえない。少女はさっきから微動だにしない。こちらをじっと見ているようだが、目に光が無い。見たところ、この娘に外傷は無さそうだが、別の意味で生気が無い。意志というか感情というか、少女らしい活発さは欠片も感じられない。とはいえそんなことを気にしている時間も無い。


「お嬢さん、おじいさんを診るから、手伝ってくれないか」


 内心の焦りと少女に感じた不気味さが表れないように平静を装いつつ、僕は少女に声をかけた。


「……もう、無駄」


 少女は無機質に答えた。


「それは神のみぞ知ることだよ。さあ、こっちに来て、この布を濡らしてほしい、水筒はここに――」


「旅の人。お嬢様の言う通り、もう私は長くないでしょう……。ひとつ、お頼みしたいことがあります」


 老人の声に力が込もった。眼に光が灯る。無理にでも治療を続けようと思っていたが、この眼は、戦場で見た。何かを覚悟した眼。僕は手を止め、頷いて、老人の言葉を待った。


「……ありがとう。無理なお願いとは理解しております。ですが……貴方の鎧……名のある冒険者とお見受けしました……。どうか、どうかお嬢様を……安全な所までお連れして頂きたい……」


「お嬢様、とは……」


「彼女には、もう、政治的価値は無いでしょう……ですが、彼女の義母は、猜疑心の塊です……お嬢様を野放しにはしないはずだ……」


 わからないことだらけだが、彼女は高貴な生まれで、権力闘争か何かで親類に追われているのだろう。この老人は、執事か何かか。


「お嬢様は……これまで、何も、知らずに、生きてきました。ですが、これからは……せめて自由に。自由を謳歌してほしいのです……」


 彼女を連れて逃げろと。追手が来ることは確実で、期限も定かでない。この分だと報酬すらも無いだろう。ガエウス辺りなら即却下している劣悪な依頼だ。


 老人が咳き込んだ。血を吹き出している。


「どうか、お願いします……彼女には最早頼れる人もいない……逃げ場も無いのです……もう、貴方しか……」


「貴方、気にしないで。私たちは、ここで終わり」


 老人を遮るように、少女が表情も変えずに諦めを口にした。


「もうじゅうぶん。もうじゅうぶん生きた」


 年の頃は僕より5つ、6つほど下だろうか。まだ少女だ。僕が村で、ユーリと馬鹿みたいに遊び回っていた年頃。その少女が、生きることにもう満足したという。僕は少し苛立った。


「ご老人、ひとつ確認させてほしい。報酬は?」


 老人が少し目を見開いた。


「おお……勿論、用意があります……これを……!」


 老人が弱々しく右手を掲げる。首飾りのようだ。


「お嬢様、お許しください……奥方様の形見をこのような……ですが、私にはこれしか……」


 貴族の形見か。売ったら相当な値がつきそうだが、すぐに足がついてしまうだろう。ガエウスなら怒り出していたかもしれない。

 だが、この老人の想いの丈はわかった。ユーリなら、この依頼をどうしただろうか、とは考えない。ユーリはもう関係ない。まだいじけた思いは腹の底にこびりついて離れないけれど、今はただ自宅のベッドで泥のように眠りたいと思っているけれど、ただこの老人の意志と、この少女の絶望を無視して、村に帰って穏やかに木こりをするなんて、僕には無理そうだった。


「わかりました。依頼、受けましょう」


 途端、老人から力が抜ける。少女は相変わらずの無表情だが、少し驚いているようにも見える。僕がそう思いたいだけかもしれないが。


「神よ……貴方に感謝を……旅の人……どうか幸福な最期があらんことを……」


 老人の眼から光が薄らぐ。本当に、死力を尽くしてここまで来たようだ。


「ご老人、名も知らないが、どうか安らかな旅路を」


 そうして老人は息を引き取った。



 老人を森に埋葬した。その間少女と会話はなかったが、少女は目を閉じ、老人のために祈りを捧げているようだった。老人へは彼女なりの親しみを感じていたようだ。少し安心した。

 しかし埋葬後すぐに彼女は森の奥へと歩き出した。


「どこへ行くんだい」


 僕は彼女に声をかけた。


「貴方には関係無い」


 返答はにべもない。


「そちらは危ない。森は抜けずに、東から迂回しよう」


 彼女が足を止めないので追いかける。


「関係無い」


「あるさ。僕は依頼を受けた。君は護衛対象だ。君に自衛の力が無い内は、僕の方針に従ってほしい」


「死人の戯言を本気にしないで」


 彼女に追いついた。前に立ち塞がる。


「戯言だったとしても、契約だ。僕は報酬を既に受け取っている。君の安全を最優先に考える必要がある」


「放っておい――」


 かなりの頑固者ということがわかったので、有無を言わせず武力行使に出ることにした。彼女を脇に抱える。自慢じゃないが戦場では鎚を振り回しているし、少女の一人や二人くらい荷物の内に入らない。


「離して」


 彼女は無表情というより仏頂面になった。


「この首飾りより価値のある報酬を持ってきたら考えるよ」


 彼女はいっそう仏頂面になった。



 彼女を抱えて森を出た。森を抜けたのではなく、入り口から引き返しただけだ。もともとは森を抜けて村へ一直線に帰るつもりだったが、色々と考え直す必要がありそうだ。

 情報は少ないが、高貴な身の上とお家問題、特に継嗣のいざこざとなると、恐らくはこの少女、城都市の領主の子だろう。というかあの森より北にそれらしい都市なんて城都市しか思い当たらない。城都市は王国北部の中心都市だ。僕も当然城都市を経由して村に帰るつもりだったが、敵の根城に真正面から突っ込んでいくのは流石に避けなければ。

 というか、決めなくてはならないことが多すぎる。まずどこに向かうのか。最終的な目的地はどこにするか。いつまで彼女を護衛するのか。何をもって依頼完了とするか。重要かつ緊急なことがほとんど何も決まっていない。今日の夜にでもなんとかする必要がある。

 村に帰るだけだったはずが、とんだ災難だ。どうしていつもこう、想定外のことばかり起こる?それが人生、と言ってしまえば終わりだが、それにしたって多すぎる。ガエウスには、『不運』のロージャ、とか勝手に二つ名を付けられていたが、あながち間違いでも無いのかもしれない。それとも、慌ただしすぎてユーリのこと考える暇も無さそうなのは、むしろ救いなんだろうか。


 森を避けて東に向かう。東からは、少し魔物が多いが城都市を通らずに村に抜ける道がある。とりあえずは村に向かうことを暫定方針として、詳細は今晩考えよう。

 彼女を抱えたまましばらく歩く。


「離して」


 彼女はひたすらに繰り返している。根気強い性格のようだ。しかし声を荒げることはなかった。不思議な子だ。


「いやです」


 けれど残念ながら僕も頑固な方だ。


「……貴方は、何がしたいの」


「依頼を完遂する」


 僕は彼女に合わせるように、淡々と答える。


「なぜ」


 貴族の子だからだろうか、彼女は年上の僕相手に全く物怖じしない。何も知らないとあの老人は言っていたが、無知ゆえの侮りとは違う気がする。


「死に際の願い事はできるだけ叶えてあげることにしてるんだ」


「嘘」


「嘘じゃないさ。命を懸けて誰かを守るなんて、早々できることじゃない。そんな人からの最期のお願いだ。真剣に臨む必要がある」


 嘘は言っていない。本当のことだ。まあ理由はまだ他にもいくつかあるけれど、それは今の彼女に話しても意味が無いだろう。


「……勝手にして。すぐに後悔するだろうけど」


 そういうと少女は黙ってしまった。


「勝手にするよ」


 彼女から逃げる気配が薄れたので、脇に抱える状態から背負う形に移した。


「今は寝るといい。夜になったら少し、話をしよう」


 彼女からの返事はなかった。寝ているのかはわからなかった。


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