第4話 芸術家
城を出たあたしは、街外れに住む彫刻家の家へ寄った。
彼の名前はテドー。
なんだか、ちょっと女っぽくてヘンな男よ。
年は三十近いと思うけど、もう髪は禿げあがっている。
ずんぐりむっくりで下腹は最近更につきでてきたわ。
顔はこの国じゃ並み。ふつうのお兄さんだけど、女みたいに粉を顔に塗りたくり、唇には紅を塗ってる。
すっぴんなんて恥ずかしくて他の人の前に出られない、んだって。
なに、言ってんのよね。あたしなんて、いつもすっぴんよ。あんな粉を顔にはたいていたら息苦しくて死んじゃう。
彼は、美少年の裸ばっかりの像を創っている芸術家よ。
女性の裸体はここではすごくウケるけど(故郷キエスタじゃ考えられないわよ、裸体画だとか、裸の像なんてね。不道徳な。そんなものつくろうもんなら、即、刑に処せられるわよ)少年の裸体はイマイチみたい。
だから、テドーの稼ぎはあまり良くない。
彼、いい腕、してんのよ。
あたしはテドーに女性をつくりなさいよ、て言ってるんだけど、テドーはダメなんだって。
女性に対しては創作意欲がわかないらしいわ。……そんなもんなのかしらね。
なぜ私が彼の家に来たかというと、それはモデル代を徴収するためよ。
モデル……もちろん、ギールのモデル代ね!
ギールは奇跡のような美しい身体をしているもんだから、あちこちで芸術家たちのモデルを引き受けている。だいたいの芸術家たちは、即金で払ってくれるけど、テドーだけはいつも金欠で、だからあたしが後日に何回もせっついて残りの金を払わせているのよ。
やってきたあたしの顔を見て、テドーはいつも嫌そうな顔をするのに今日はにこにこと愛想笑いをひねり出した。
「あーら、アネッテちゃん。よく来たわね。いいお菓子があるのよ。どうぞ、おあがりなさい」
そう言って、あたしをアトリエに案内した。
「あなた、木の実菓子好きよね? よかったわ~」
そんなのいいから、早く残りの金を払えってのよ。
あたしはそう思いながらアトリエに足を踏み入れた瞬間、硬直した。
そこには見覚えのある画家が居たの。
「ポールさん」
「ああ、だれかと思ったら。……ギール君のおねえさん」
金髪にブルーグレイの瞳(おじいさんがジェルダ人だったそうよ)長身のすらりとした体躯、ギールにはかなわないけど美男子の要素をそろえた男、ポールがそこに立っていたわ。
彼は……。
バカギールのせいで、迷惑を被った男性の一人よ。
そこそこに名の売れている画家である彼は、フェルナンドに住む多くの芸術家の例にもれず、ギールをモデルに起用した。
で、うちのアホギールはポールとそのとき同棲していた美しいモデル兼恋人(いえ、婚約者だったらしいわ)に早々に手を出して……。
彼女とポールは別れたそう。
ええ。彼の家にメイヤ兄さんとともに、何回も頭を下げにいったわ。
モデル代はいらないと、返させていただきました。
本当に、申し訳ないわよ。うちのギールのせいで。
「こんなところで会えるとは。驚きました」
「え、ええ。私もです」
「最近、テドーと意気投合してね。お互いに刺激を与えるために、ここによく来るのです」
ポールはあたしに微笑むと、先ほどまで見つめていた前の粘土像に目を戻した。
ギールの裸体像よ。
奴は、何かに手を差し伸べているようなポーズで立っている。
「どうお? アネッテちゃん。今回の作品、どう思う?」
皿に木の実菓子を入れた、ポールが戻ってきた。
あたしは皿からカエデのシロップで煮詰め固めた木の実のかたまりを一つとると、いつもどおりよ、と答えた。
「ああん、つれないわねえ。ねえ、ポール、言ってやって」
「僕は、傍らに女性の像を置くべきだと思うんだ。抱き合う男女のね。その方がいい」
ポールもテドーから木の実菓子を一つとり、きれいな歯で噛んだ。
ぽり、と硬い板状の菓子が折れる音がする。
「美しい少年と見合うくらいの美しい女性の裸体像をね」
「そうよねえ、そうよねえ、その方がこの不完全な像が完成するわ」
ふーん、とあたしは二人の会話を流して聞きながら、ポリポリと木の実菓子の感触を楽しんだわ。
「……そこで、よ。アネッテちゃんに、お願い」
は?
いきなり、あたしの方を向いたテドーにあたしは木の実菓子がのどに詰まりそうになった。
「ポールに言われてから、あたしの創作意欲がむらむらと湧いてきたのよ。わかる? この感じ? いま、この時を逃したらもうだめ、絶対だめ、て感じ? 今まさに、今がそのときなのよ! だからね、アネッテちゃん!」
テドーがあたしの肩に手を置いて、キラキラした目で見つめた。
「アネッテちゃんにモデルになってほしいの!」
「嫌よ」
あたしは即答した。
「なに、言ってんのよ。あたしに裸になれって言うの?」
「そ・う! あたしの魂をびんびん揺さぶるような女の子なんて今まで皆無だったんだけどね、あなたにはそれを感じるのよ、アネッテちゃん! あなたになら、あたしは感じれるかもしれない。だから、お願い」
「いや、よ!」
「おお、あなたならふさわしい」
テドーを振り払ったあたしに、傍らのポールが言った。
「あなたのような女性は我々にインスピレーションを与えてくれる
ポールはあたしを見て微笑んだ。
「お願いです。僕からも。どうか、見せてください」
ええええ……。
ポールさんがまさかそういうこと、いっちゃうの?
「ねえ、お・ね・が・い・よ。一瞬、でもいいわ。ポールは一瞬で、記憶できるみたいだから。あたしはそれをもとに、つくるから」
「アネッテさん」
ポールが近づいて耳元でささやいた。
「ギール君の件は、これできれいさっぱりチャラに」
チャラ。
その言葉はあたしの胸にとても魅力的に響いた。
今でもね、街中でギールの起こした不祥事で迷惑を被った人たちに再会すると、どんよりととてつもなく嫌な気持ちになるのよ。申し訳ない、てね。
その憂いがひとつでもなくなるなら、こんなに心が軽くなることはないわ。
「ねえ、アネッテちゃん。おねがい、一度だけよ、一瞬よ、一瞬」
あたしは、考えた。
彼らは芸術家であって、普通の男とは違うわ。女の裸なんて見慣れてる。モノとして見るのよ。
ヘンな気は起こさないわよね。まさか、聖女相手に。
……ああ、もう!
バカギールのせいよ!
「……一回だけね!」
あたしは覚悟を決めた。
「一回だけよ。50数える間だけよ!」
あたしはそういうなり、ローブに手をかけ、上から引き抜いた。
テドーが嬉しそうに手を打ち合わせた。
すっぽんぽんになったあたしは、仁王立ちして二人をにらみつけた。
「いーち……!」
「ああ、だめだめ、アネッテちゃん。ギール君の像のそばに。ほら、触れて抱き合って」
「にーい……!」
数を数え続けるあたしを急いでテドーは像のそばに連れていき、あたしを像に触れさせ、ポーズをとらせる。
「そう、それでいいわ、アネッテちゃん! 素晴らしい」
「じゅーう……!」
ポールとテドーの全身をなめまわすような視線を感じる。
こ、これは屈辱だわ……!
あたしは震えそうになるのを我慢して、立ちつくした。
「綺麗よ、アネッテちゃん! 神々しいほどだわ」
「濡れた土色の肌、波打つ黒髪……キエスタの民は美しい。こんなに光沢のある肌は、この国では見ない」
ポールとテドーがあたしの周りを回りだした。
うう……。見世物……像って、こんな気分だったのね。
「胸、すっごくおっきいのね! となりのオバサンより大きいわよ、アネッテちゃん、すごい! ひゃあー、なんて腰の細さなの。中身入ってないんじゃないの?」
ウエストを撫でたテドーにあたしはびくりとする。
「ちょっと! 触らないでよ! にじゅーごー……!」
「量感があるのに、形が崩れずまっすぐ前をむいている。なんて、ハリがあるんだ。……臀部の丸みと形。この国の女たちではなしえない」
ポールの吐息を私はおしりに感じてぞくりとした。
ちょっと! なんてとこから、どこ観てんのよ!
「キエスタ人は骨格、筋肉がまるで我々とは違うんだな。重力に逆らうパワーがあるんだ。あの遥かなる大地を駆ける、躍動感あふれる肉体美だな」
「さんじゅーう……!」
だから、どこからどこを見上げてんのよ!
「アネッテちゃん、素敵。ローブに隠してるのがもったいないくらいの身体だわよ。神様も罪なことしたもんよねえ。これだけの、美女を処女で終わらすなんて」
「まったくだ。まともな男ならふるいつきたくなるような身体だね。蜜色の肌の官能性、これを是非とも表現したいね」
いちいち、うるさいわね!
恥ずかしくなるようなこと、べらべら言わないでよ。口、閉じてただ観てろっての!
「よーんじゅーう……!」
「ポール、どう? 覚えた?」
「もちろん、テドー」
あたしから少し離れた二人は、眺めるようにあたしを遠目で見た。
テドーはポールに体をもたれさせ、彼の肩にあごを乗せて耳にささやきかけた。
「さすが、ポールね。早速、デッサンして」
「いいとも、君の家でかい」
「できれば、今夜。今すぐにでも」
「いいとも。泊まろう……それにしても」
ポールが息を吐いた。
「彼女は、とんでもなく美しい」
どうでもいいけど、あなたたち、男同士のくせにひっつきすぎじゃない?
「ごーじゅーう!」
あたしは床に落ちていたローブをあわてて拾い上げ、頭を突っ込んで中に潜り込んだ。
ああ、恥ずかしかった。生きた心地がしなかったわ。
もう二度と、御免よ。
これも、あのアホギールのせいね! あいつ……!
「ありがとう、アネッテちゃん! 感謝するわ!」
テドーが抱きついてきた。
「いいから! 今月の取り分は? さっさと出しなさいよ!」
あたしはテドーを押しのけて、怒鳴る。
「ごめえん。今月はちょっと、持ち合わせが……」
「この前も、そう言ったでしょ!」
「怒っちゃあだめ、アネッテちゃん。美女が台無しよ。ね、木の実菓子、全部持って帰っていいから」
ちょっと、これなら、あたしがただ恥をかきに来ただけじゃないのよ!
慈善じゃないのよ! ギールのモデル業は、れっきとした商売で、あたしたちの貴重な収入源なんだからね!
……そう。ギールの収入がなきゃ、あたしたちは結構つらいのよ。
「あんたも、金になる商売しろってのよ!」
「それは私のポリシーに反するのよ、アネッテちゃん」
テドーが肩をすくめた。
「そうやって創ったものは駄作よ。今の世では受けるけど、後には残らないわ」
はあ? なに、言ってんのよ。
「わたしはね、後の世に残るものを創りたいの。……いま、隆盛を誇っている芸術家たちの中で、どれだけの者が後世に残ると思う? ほんの一握りだと思うわよ。わたしはね、その中の一人になりたいの、アネッテちゃん」
テドーはあたしの目を見つめた。
「今の世では認められなくても、後の世で認められればいいのよ。そっちの方が広い目で見れば、勝ち組なのよ。後世の人たちから見れば、あたしは偉大な芸術家、そういうふうに見てもらえるのが夢なの」
「そう。……でも、そんな夢を語ってても、今はどうするのよ。収入がなきゃ、おまんまも食べられないし、作品をつくる体力も無くなっちゃうわよ。死んじゃうわよ」
「ごもっともよ。だから、必死にやりくりしてるんじゃない」
テドーはあたしにウインクした。
ちょっと。全然、可愛くもなんともないわよ。
「ギールちゃんはね、あたしの夢を応援してくれたわ。だから、モデルもいつでも引き受けるって言ってくれたわ」
あの、バカ!
引き受ける相手を考えろ、てのよ!
これだから、あのバカは。すぐに、ほいほい情けにほだされるんだから!
女の子のことだって、そうよ。
あいつに泣いてたのみゃ、あいつが断れないってことを知ってるから、だから女たちが群がってくるのよ。あいつが優しいことをいいことに。
女たちは、あいつの甘い蜜を吸うために、おこぼれにあずかろうとやってくる蟻と一緒よ。
「そう……いいけどね。来月は、3回分まとめて、払ってもらうわよ!」
あたしは、テドーから木の実菓子を奪うと、ぷりぷりしてテドーの家を飛び出してやった。
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