*ムシムシパニック

 とりとめもなく歩いていると一人の女性に呼び止められた。

「どこから来たの?」

 彼女の名は立売堀いたちぼり早苗。背中までのカールした栗毛が綺麗な二十二歳。

「そうなんだ。結構、近い所に住んでるんだね」

 どうやら、この近くに無事な人が集まっている避難所があるらしい。彼女は、生き残っている人がいないかパトロールしているんだそうだ。

 因みにショットガンは目立ちすぎるため、モリスには拾ったコートで包んでもらっている。

 見ているだけで心強いものだが、どう考えても怖がる人はいる。

「小学校?」

「そうみたいだな」

正門には二十代くらいの男が二人、見張りをしていた。生き残りを連れてきたと早苗が告げると険しい表情をしていた青年たちは笑顔を返して中に通してくれた。

「学校はフェンスが張り巡らされているから安心なの」

「確かに」

 俺は網の目のフェンスをよじ登っているゾンビを見ながら応えた。

 いくら神経をつなげたからと言って、器用には動かせないのだろう。大体は三メートルくらい登ると手が滑って落下している。

 あの高さから落ちればただでは済まない。足を痛めれば歩くことも出来なくなるのだから一人、また一人と危険なゾンビは減っていく。

 食べなければならないゾンビたちにとって、動けなくなるのは死活問題だ。

 ゾンビなのに死活問題ってどうなのかとは思うが、ゾンビと呼んでいるだけで実際は人間に寄生した寄生虫だ。

 厄介なことに一度寄生されると、もう助からない致死率百パーセントの超危険生物であるのに、こちらは何も解っちゃいない。

「もう一つの門は?」

「そっちにも見張りがいるよ。出入りにはほとんど使わないようにしてるけど」

 学校は敷地も広く、ある程度の生活が出来るくらいの資材が揃っている。

 なるほどよく考えられているなと感心した。この先のことを考えるなら、食料や衣服は重要だ。

 当面はコンビニやスーパーから持ってきて、生活出来る環境を整えていくらしい。

「あ、明日は雨だってさ」

 一口いもあらいは週間天気予報を見て残念そうな顔をした。特に予定もないのに、何を残念そうにしているかと思ったが、この暗い状況での雨は確かに鬱陶しい。

「今日だってさ。昨日まで数日雨で、やっと晴れたとこだったのに」

「天気予報って機能してるの?」

「週間予報だから、今週末までは一応いけるんじゃないかな」

 一日ごとの天気予報はすでに行われていない。しかし、週間や月間ならネット上には残されている。

 確率は日を追うごとに低くはなるが、無いよりはいい。

「そういえば、空が曇ってきてるね」

 彼女の言葉に俺も空を見上げる。みるみると辺りは暗くなり、今にも降りそうな雲行きだ。

「中に入ってゆっくりしましょ」

 食べ物もあるよと促され、俺と一口は空腹であることを思い出す。モリスはあっという間に遠ざかり、すでに食べ物を要求していた。

 体育館には避難所に相応しく、ひと世帯分ごとに区切られていて、毛布や荷物が並べられていた。

「大変だったねえ」

「こっちにコーヒーがあるよ」

 優しい言葉に涙が出そうだった。

 今までは、人の多さにあんなに嫌気がさしていたのに、今はなんだか暖かい。俺たちはとりあえずひとまとめにされ、毛布など支給品を与えられた。

 そうこうしていると、外から水音が響いてくる。とうとうか。

「あ、雨降ってきたね」

 一口はしょげながら上にある窓を見る。三人だけでいたなら、どんなに不安だっただろうかと、彼女と出会えたことに感謝した。

 俺たちは疲れていたのか、夜も待たずに眠気に襲われ、我慢出来ずに毛布にくるまって意識を遠ざけた。



 ──しばらくして俺はふと、目を覚ました。

「ふわああ」

 早く寝すぎたせいで、みんなが寝ている時間に起きてしまった。続いて一口とモリスも目を覚ます。

「うーん。目が覚めちゃった」

「見張りの交代でもするか」

「そうだな」

 モリスも同意して俺たちは立ち上がる。助けてくれたみんなに、何か貢献したいと思ったからだ。

 しかし、俺たちは同時に寒気を感じた。互いに見合い、何かがおかしいと周囲の気配を探る。

 真っ暗にならないようにと、四方の角には家庭にあるようなランプが灯されているものの、足元は暗くておぼつかない。

 いくらか歩くと、早苗が眠っていた。周りに気を遣いながらゆする。

「ん、なに? どうしたの?」

 目をこすって上半身を起こす。

「なんか変だ」

 一口の声に彼女は体を強ばらせた。

 とにかく状況を確認しようと、俺たちは聞き耳を立てた──。その間にも、ざわざわと鳥肌が立ち、例の感覚が体中を支配していく。

 そうだ。これは、注がれるゾンビの目。虫の視線を俺たちはひしひしと感じていた。

「なんで……?」

 今にも泣きそうな彼女の声に、俺は安心させようと肩を掴んでさする。

 暗さに慣れてきた目に、立ち上がっている影を幾つも捉える。こんな暗闇で、何をするでもなく立っている。

 気持ち悪さが限界に達したとき、体育館の電灯がONになる。

「なんだよこれ!?」

「ゾンビだ!」

「なんで入ってきてるんだ!?」

「キャー!?」

 明かりと声に、みんなは飛び起きる。

 途端に体育館はパニックになり、俺たちもどうしていいか解らなくなった。ただし、ゾンビは殴ってダウンさせる。

「クロド! こっちだ!」

 モリスの声に早苗の手を握って一口とそっちに向かう。

「なんやねん!」

「お。出たな、関西弁」

 よほどでなければ出身の言葉は出なくなっていた俺だが、これ以上に「よほど」のことはないだろう。

「ここはもうだめだ。行くぞ!」

 頼もしいモリスに誘導されて外に出る。

「見張り。見張りは何をしていたんだ」

「わからない。今は安全な場所に避難だ」

 ショットガンを手にしたモリスが先を進む。弾が勿体ないのか、ショットガンのストックでゾンビを殴っていくモリスが格好いい。

 逃げる最中に俺は、視界に入ったものに眉を寄せた。あれは一体、なんだったのだろうか。

「あそこ!」

 一口は一件の家を指差した。玄関が開いている。

「中にゾンビがいたら!?」

「ぶちのめす!」

 俺の問いにモリスが即行で答え、いち目散に駆け出した。もちろん、俺たち三人は怖々と玄関をくぐる。

 その間にも、モリスが家の中をくまなく調べてゾンビがいたらぶちのめす音が響く。

「クロド。こっちだ」

 呼ぶ方に向かう。そこはなんの部屋だろうか、窓がない。なるほど、入り口は一つだから安心かもしれない。と思ったら別の部屋に案内した。

「あの部屋じゃないのか」

「大勢きたら逃げられなくなる」

 じゃあなんであそこにまず誘導したんだよ。

「何かあったらあそこに逃げ込むか、家から出るかだ」

 ああ、そういうことねと納得した。

 どうにか逃げられたと安心し、一口いもあらいとモリスの手にバックパックが握られていることに気がつく。

「おまえら──」

「え、だって緊急ってこういうときでしょ」

 こいつら、ちゃっかりしてやがる。

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