白い日 〜ちょっと意地悪なお返し

伊志田ぽた

白い日

「先輩。今日が何の日だか、分かりますか?」


 ふと、尋ねられた。

 手にしていた文庫本を閉じ、コホンとわざとらしい咳払いを一つ置いた後で、この眼鏡で敬語のいかにも真面目そうな後輩が。


 丁度、ひと月前だったかな。


 だからといって、そう簡単に渡すのも面白くない。

 せっかくだからここは一つ、楽しんでからだ。


「いいや、分からないな。三月十四日が何?」


「……本気で言ってるんですか?」


「ごめん嘘だ、そう怒らないでよ。うーん、そうだな……せっかくだからクイズをしよう。それに正解すれば、今ある物に、更に色を付けてお返ししよう」


「本当ですか…!?」


 食いつきが良いな。

 ノリの良さは嫌いじゃないけれど。


「本当も本当。今日の帰りにでも、デパ地下に連れて行ってあげるよ」


「男に二言はありませんよ?」


「幸い、バイト代はまだ使ってないからね」


「やった…! こほん……では、その問題とやらをどうぞ」


「食い気勝り過ぎでしょ」


 呆れて頬を掻く。


 クイズ、といっても、頭を捻るようなことはない。

 ただ、知っているかそうでないか。それだけのことだ。


「その色とは別に、お返しに選びたいものがある。あぁ、買うかどうかは別としてね。それが何か、あと、明確な理由もあるから、それも。刻限は部活終了のチャイムが鳴るまでだ」


「分かりました。スマホは――」


「無しで」


「うぅ……わ、分かりました。それでは、考えておきますね」


「紙とペンを使うのは、別に構わないから。じゃあ、まぁ頑張って。よーいスタート」


 僕の合図から少し遅れて、彼女は早速とルーズリーフ、シャーペンを取り出して睨めっこ。

 ただ向き合うだけでは意味がないというのに、可愛らしい必死さである。




 そろそろ、彼女が思考を開始してから三十分。

 一人で考えるのはそろそろ限界、かな。

 頃合いで切り上げてもいいのだけれど、刻限を決めてしまった手前、そうするわけにもいかないか。


「そういえば、二宮にのみやが受けてる授業の先生って、誰?」


「な、何ですか、急に。話しかけられると、気が散るんですが」


「まぁあぁそう言わずに。ちょっと退屈になってきたんだ、付き合ってくれてもいいじゃないか」


「文芸部部室で本も読まずに、よくもまぁ……と言っている私も私ですけれど…」


 何だかんだと言いながらも、断りはしない辺りが彼女らしい。


 すると、彼女は”授業”だなんて漠然とし過ぎていますと憤慨した。

 深くはなくとも、意味はあるんだけどなあ。


「そうだな。歴史は?」


「田中先生です」


「あぁ、あのアフロの。体育は?」


「富樫先生です」


「筋肉マンか。なかなか濃いな、二宮の学年」


「そうでもありませんよ。芸術は音楽をとっているんですけれど、青木先生はとても綺麗で優しい方です」


「羨ましい限りだよ。書道の松井は、ガタイはいいくせに声ちっちゃくて、何を言ってるのか…」


 色々と思い出したら、何だか心がざわついて来た。

 綺麗とか美しいとか、そういった先生とは無縁の高校生活である。


 しみじみと謎の感傷に浸っていると、二宮が「あの…」と声を掛けて来た

 いかん、少し別の世界に飛んでしまっていたようだ。


「そうだな……英語は?」


「江口先生ですね」


「似非ネイティブの――こほん。じゃあ古文は?」


「酷いあだ名は聞こえなかったことにしておきますね。三宅先生です」


 話が分かるじゃないか。

 チクられでもしたら、生活指導への呼び出し間違いない。


 そうして聞いていく質問に、二宮はすらすらと答えていく。

 現代文は大野、経済は浅山、化学は寺本、家庭科は若井、と順に。


「後半は謎にいい先生揃いだな。益々以って羨ましい」


「そうですかね? 先生なんて、教え方さえ良ければ誰でも良いので」


「僕に言えないくらい辛辣だぞ、今」


「そ、そんなことは…! それより、何なんですか、急に先生なんか聞いて」


「本当にただの暇つぶし――って言ったら怒る?」


「刻限の延長を所望しますね」


 それは駄目だ。

 早く帰るに越したことはない。


「いやぁね。思えば、円周率とか図形とか、僕の進路に関係ないものだなって」


「世間話続行ですか…!?」


 二宮はオーバーリアクション気味に仰け反った。

 そうしてコホンと咳払いを一つ。考え方次第です、と置いた。


「いつか使うかも。どこかで役に立つかも。そう思って習っておいて、損はないんじゃないですか?」


「ごもっともだ。そも、意味がないと習わないからね」


「何で急にこっち側に……まぁ良いです。それで、どうして先生の話を?」


「うーん。ヒントだって言ったら?」


 瞬間、二宮の目の色が変わった。

 僕から視線を外し、未だ白紙のルーズリーフに、たった今まで口に出していたことを書き記していく。

 科目名、先生の名前。


 そうして再び睨めっこが再開するのだけれど――


「さっぱりです…」


 だらけて机の上に突っ伏して、はふぅと可愛い吐息を洩らした。


「デパ地下いらないの?」


「い、いります…! でも……難しくないですか?」


「そんなことはないよ。今僕が喋ったことの中に、これ以上あげられないくらいヒントが乗せてあるから」


「そうなんですか……?」


 僕は素直に頷いた。

 もうちょっと意地悪をしても良かったとも思うののだけれど、それで嫌われでもしたら嫌だ。


 ラスト一時間。

 二宮は再び紙を凝視して、むむむと唸りながら頭を捻り始める。


 どうも、難しかったようだ。


「じゃあ、最後のヒント」


「あるんですか…!?」


「アドバイス、かな。その紙に書かれたものだけじゃ、一つ足りないかな」


 え、と小さく呟いて、何が足りないのかと、今までとは違う意味で睨みを利かせる。

 僕はさっき、話したことが全てだと言ったのに。


 それから二宮は、あれは書いた、これも書いた、と必死になって添削を繰り返す。


 以降一時間、それが綴られることはなく、終了のチャイムが無慈悲に鳴り響いた。




 膨れっ面の二宮と連れ立って下駄箱へと向かい、ローファーを降ろしながら僕は言った。


「さて二宮。気付いたことは何かあった?」


「えっと――先輩が尋ねて来たものの中で、数学だけが欠けていました」


「え、そこまでは分かってたの? 勿体ないな、あと少しだったのに」


「どういうことですか…?」


 首を傾げる二宮から、先程まで頑張って思考していた証であるルーズリーフを借り受け、胸ポケットに入れていたボールペン取り出して説明を始めた。


 まずは科目名。

 こちらは、二宮が勘付いた通りの結果である。


 次に、僕が他に話したこと。

 数学、授業、使わない、進路、アフロ、筋肉、と色々書いてあった。


「やっぱり惜しい。この、使わないってところ」


「そこが、何か?」


「僕は何を使わないって言った?」


「え? えっと――図形、でしたっけ?」


「そ。付け足すなら、円周率に図形、その二つを特別上げて使わないと言ったんだ」


「それが一体――あっ…!」


 気付いたみたいだ。


「円周率ですね…!? 3.14で、パイ!」


「そういうこと」


 空白部分に”3.14=円周率”π”と表記。

 並べてみれば、一目瞭然だ。


「三月十四日に、パイ。ね、ちゃんと筋は通ってるでしょ?」


「むむむ……まさか、駄洒落だったなんて」


「そうでもないよ。パイを送る風習は、前からあった。わざわざクイズ形式にしたのは、それを意識させない為だ。と言っても、二宮は知らなかったみたいだけど」


「い、意地が悪いです…!」


 両手をぶん回して抗議。

 そんなに怒ることかね。


 靴を履き替えて外に出ると、僕は歩きながらバッグを漁る。

 そうして取り出した物を二つ、隣について歩く二宮に手渡した。


「はい、とりあえず先ずはお返しのチョコ。市販を溶かして型抜きしただけの物だけど」


「え、あ、ありがとうございます…いただきます」


 大人しく受け取って、しかし満足そうに、大事そうに両手で抱える。

 こういうところは、意外と良い子なんだよな。


「はい、あとこれも」


「ふたつ……? あの、こちらは?」


「初めて作ったけど、味は保証するよ。ミニパイ」


「え……いえ、でもさっき、買うかどうかは別問題って――」


「別に、あげないとも言ってないでしょ?」


 そう言うと。


「い、意地悪が過ぎます…! どうしてそういつもいつも、当たり前に楽しそうに私を弄ぶんですか…!? たまには一勝くらいさせてくださいよ…!」


「色々混ざってるぞ――っと」


「何を立ち止まってるんですか…! お詫びに飲み物――でも?」


 ふと立ち止まった僕の少し前で二宮も足を止めると、僕に習って空を見上げた。


 ひら、ひら、ひらひらり。


 舞い散る花びらのように見えるのは、季節外れの白い雪。


「雪、ですね」


「だね。温かくなってきたと思ったんだけどなぁ」


「いいんじゃないですか、こんなことも。なんたって今日は、ホワイトデーなんですから」


 まぁ、そうかも知れないな。


 白い日、なのだから。

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