第6話・黒き少女の想い

 俺を弟子にする為のいさかいから始まった今回の日替わり師匠だが、俺は今までに無いくらいに質の良い修行に没頭できていた。

 なぜならティアとユキはそれぞれにタイプが違うから、その修行の方向性もかなり違う。故に俺が学び取るべき事は多い。

 そしてそれは俺の視野を格段に広げ、着実な実力アップができている事を実感させる。

 ティアはカラーモンスターとの戦いを通じて物事を教える実戦派で、リアルな戦いの中から様々な生き残る術を学べる。それはモンスタースレイヤーを目指す俺にとっては必須と言えるものだ。

 対してユキは考える力を鍛える事を重視した思考派で、戦いの中における状況判断や推察、この状況下ではどんな可能性が考えられるか、どんな行動を取るべきか――など、知識や思考を使った修行が多い。

 だからと言ってユキはそんな考えだけに囚われず、時には直感を大事にする事も教えてくれている。

 この様に対極に位置するくらいに違いのある2人だが、それが絶妙なバランスとなって俺を高みへと導いてくれている。持つべき者は優れた師匠ってわけだ。

 そしてこの上なく修行らしい修行になっていた日々もあっと言う間に過ぎ去り、今日の師匠担当であるティアで2人の俺の師匠を巡る修行対決は終わる。そして俺は明日のお昼までに、2人のどちらを師匠にするのかを決めなければならない。


「師匠。今日はどんな修行をするんですか?」

「今日は街で買い物をして、2人でピクニックに行くよ♪」

「えっ!? ピクニックですか?」

「そう! ピクニック♪ 今日は2人でお喋りをしながら楽しく歩いて、セントべレスリバーまで行きまーす♪」

「は、はい。分かりました」

「よーし! それじゃあさっそく買物に行くよー♪」


 いつもの様に朝早くに起きた俺は、最終日の今日も厳しい修行になる事を覚悟していた。だが、ティアの口から出た言葉はそんな俺の覚悟をひっくり返すもので、俺はそんなティアの提案に対してかなり拍子抜けしていた。

 しかし俺は、そんなティアの言葉を鵜呑うのみにはしていなかった。なぜならピクニックというのは建前で、どんな時にも油断をしない様にって事を教える為の何かが用意されている可能性もあったからだ。

 こうして俺とティアは街でピクニックの準備をし、その足で街を出た。


「んー! 今日もいい天気だねえ~。絶好のピクニック日和だよ。そう思わない? お兄ちゃん」

「えっ? あ、はい。そうですね。ぽかぽかしてて気持ち良いですよね」

「うんうん。今日はじっくりと楽しもうね、お兄ちゃん♪」

「は、はい」

「ぴーくにっく、ぴくにっくー♪ お兄ちゃんとぴくにっくー♪ 2人で楽しいぴくにっくー♪」


 ご機嫌な様子で歌いながら、空いている俺の左手を握るティア。

 そういえば、ティアと修行の旅を始める前はこうして2人で出掛ける事も多かったけど、旅に出てからは修行に明け暮れる毎日で、こんな風に出掛ける事は無かった。


 ――この感じ、なんだか懐かしいな……。


 カラーモンスターとの戦いばかりを考えていた俺の中に湧き起こる、とても懐かしい感覚。それは俺が忘れかけていたもので、こういった時間も大事なんだと改めて思った。

 そして2人で平原や草原を歩きながら、普段はじっくりと見る事もない景色や自然を見て回る。

 一度はカラーモンスターによってあらゆる生命が絶滅寸前まで追い詰められたこのエオスだが、先人達のたゆまぬ努力によって少しずつカラーモンスター達から生活圏を奪い返し、失われつつあった生命も徐々にその数を増やしていった。今こうして俺達が見ている光景は、歴代のモンスタースレイヤーや、これまでを生きて来た生命達によって甦った想いの結晶と言っても過言ではないだろう。

 こうして久しぶりのピクニックで心の洗濯をしていた俺は、ティアと一緒にゆっくりと歩きながら約2時間くらいで目的地であるセントべレスリバーへと辿り着いた。


「わあー! 綺麗な川だね、セントべレスリバーって。それに大きい!」

「そうですね。セントべレスリバーは、エオスでも数少ない汚染されていない川として有名ですから。でも、俺も初めて見ましたけど、本当に綺麗ですね」

「うんうん! ねえ、お兄ちゃん。一緒に水遊びをしようよ!」

「えっ!? でも、今日の修行はどうするんですか?」

「ふふふ。これも立派な修行なのだよ? お兄ちゃん」

「そうなんですか?」

「そうだよっ♪ だからお兄ちゃん、早く靴を脱いで遊ぼう!」

「は、はいっ。分かりました」


 既に一度は『遊び』だと口にしているのに、ティアは『これも立派な修行なのだよ?』と言う。ティアの真意は分からないけど、これも修行だと言うなら俺にそれを断る理由は無い。


「ほらーっ! お兄ちゃーん! 早く早くーっ!」

「は、はいっ! すぐに行きます!」


 先に靴を脱いで川の中へと足を踏み入れていたティアに呼ばれ、俺も慌てて靴を脱いでからティアのもとへと向かった。


「水が冷たくて気持ち良いね、お兄ちゃん」

「ですね。足下を流れる水の流れが気持ち良いと言うか何と言うか」

「分かる分かるっ!」


 俺達が居る場所は川幅は広いが水深は浅く、ティアの足首から少し上が浸かる程度しかない。

 ティアは漆黒のドレスのスカート部分を両手で持ち上げ、パシャパシャと足で水飛沫みずしぶきを飛ばしながらはしゃぐ。その姿は年相応の少女らしくとても可愛らしい。

 そしてそこからしばらくの間、俺は楽しそうにはしゃぎ遊ぶティアの姿を見ていた。


「――こうしてお兄ちゃんとのんびり遊ぶのは久しぶりだよね♪」

「そうですね。師匠がモンスタースレイヤーとしての修行をしている頃までは2人でふらりと出掛けたりもしてましたけど、師匠が称号を得てからは俺の修行だったり依頼をこなしたりで忙しくて、こんな時間はありませんでしたからね」

「うん。だからちょっと――ううん、凄く寂しかったな。しばらくはモンスタースレイヤーの称号を得た事を後悔したくらいに……」

「ティア……」

「……さあっ! 昔話はここまで! 今日はせっかくのピクニックなんだから、綺麗な川を眺めながらお昼ご飯にしようよ!」


 寂しそうな表情からぱっと表情を明るくし、ティアはそう言いながら川から出た。


「ほらっ! お兄ちゃん、早く昼食にしようよー!」

「……はいっ!」


 俺も川から上がり、ティアと一緒に昼食を摂る為の準備を始めた。

 そしてセントべレスリバーの綺麗な水の流れを見ながら昼食を摂り始めてしばらくした頃、ティアが唐突にユキの事を聞いてきた。


「ねえ、お兄ちゃん。あの子との修行はどんな感じ?」

「ユキとの修行ですか? 凄く為になってますよ。師匠とは違った観点から戦いを教えてくれますし、そのどれもが理に適っていて、とても勉強になってます」

「そっか……よしっ! お兄ちゃん、これから私と鬼ごっこをしよう」

「えっ!? どうしたんですか急に?」

「いいからやるのっ! 私が鬼をやるから、お兄ちゃんは逃げて。制限時間は今から1時間。範囲はここから半径5キロまで。そしてもしもお兄ちゃんが私に捕まった時は、私はお兄ちゃんを破門する」

「ええっ!? そんなっ!?」

「私が10数えるまでに逃げて」

「で、でも――」

「いーち、にーい――」

「くっ……」


 ティアは有無を言わさずにカウントを取り始める。

 俺は破門を賭けた鬼ごっこを拒否する事すらできず、強制的にそれをする羽目になってしまった。

 こんな所でティアの弟子を破門になっては、モンスタースレイヤーへ近付く道は一気に遠ざかってしまう。不本意ではあるけど、ここは何としてでも1時間の間逃げ切るしかない。

 俺はティアのカウントが終わる前に何とか近くにあった森へと辿り着き、そこを中心に潜伏をしながら逃げ切ろうと考えていた。

 モンスタースレイヤーとしてずば抜けた才能と実力を持つティアを相手に、正面から逃げ切るのは至難の業だ。だとすれば、俺がティアを相手に逃げ切るにはその身を隠して時間を稼ぐしかない。

 しかし、ティアを相手にするには身を隠すだけでは不十分だ。それ以上の何かを積み重ねなければ、あっと言う間に捕まってしまうだろう。

 突然の事に焦る気持ちが抑えきれないけど、ここはどうしても落ち着かなければいけない。ティアなら俺の動揺した気持ちから出る気配で位置を探る事も可能だろうから。

 俺は森の中へ身を隠すと同時に、ティアから逃げ切る為の策を考え始めた。

 ティアにどういった考えがあってこんな事を始めたのかは分からないけど、ティアはあれで無駄な事はしない。だから必ず、この鬼ごっこにも意味があるはずだ。

 そう考えた俺は、ありとあらゆる手段を使ってティアから逃げ切ろうとした。そしてティアが定めた1時間が経つ頃には、俺はパンツ一丁のほとんど素っ裸に近い状態にまでなっていた。


「――よく1時間逃げ切ったね! これで鬼ごっこは終わりだよ!」

「はあっ……ようやく終わった……」

「ちょ!? ちょっとお兄ちゃん! そんな格好で出で来ないでよ!」

「あっ!? すみません、師匠!」


 俺は慌てて脱いでいた装備や服を集めて回り、持って来ていたタオルで濡れた身体を拭いてから元通りに服を着た。


「師匠。お待たせしました」

「もう、お兄ちゃんは肝心な所が抜けてるんだから」

「すみません。でも、ちゃんと1時間逃げ切ったでしょ? これで破門は無しですよね?」

「うん。まあ、色々と粗削りなところはあったけどね」

「はあっ……良かった。それで師匠、この鬼ごっこには何の意味があったんですか?」

「意味? 私はお兄ちゃんと鬼ごっこがしたかっただけだよ?」

「師匠……冗談はそれくらいにして、ちゃんと説明して下さい」

「えへへ♪ お兄ちゃんにはバレバレか。さっきの鬼ごっこはね、お兄ちゃんがあの子から受けた修行の成果を見たかったからだよ」

「ユキとの修行の成果をですか?」

「うん。お兄ちゃんは気付いてなかったみたいだけど、あの子がお兄ちゃんの修行をしている時は、ずっと遠くからその様子を見てたんだよ?」

「そうだったんですか?」

「もちろんだよ。だって私はお兄ちゃんの師匠だもん。それに弟子の成長を確かめておくのは、師匠の大事な勤めだからね。えへへっ」


 照れ笑いをしながらそんな事を言うティアに対し、俺は大いに感動をしていた。


「ありがとうございます。それで師匠、ユキの教えは俺を成長させていましたか?」

「そうだね。お兄ちゃんは着実に成長していると思う。もしもさっきの鬼ごっこをあの子の指導無しにやっていたら、お兄ちゃんはきっと10分も経たずに私に捕まってたと思うから」

「そうですね。俺もそう思います」


 情けない話ではあるけど、もしもユキの指導を受けていなかったら、俺は馬鹿正直にティアから逃げようとしていただろう。

 ユキの指導はカラーモンスターとの戦い方だけではなく、時には勇気ある撤退についても教えてくれた。どうやったらカラーモンスターから逃れる事ができるのか、どうやったら生存確率が高まるのか。そんな事を色々と教えてくれた。

 こう聞くと後ろ向きな内容に聞こえるかもしれないけど、相手から逃れる事ができる術を身に付けるという事は、同時に相手に気付かれずに攻撃に移れる様になるという事だ。だから俺は、ティアから逃れる為に必死でユキの教えを使った。

 逃げる時は相手の風上に立たない事、強い匂いを発する物は持たない事、相手と同じ視点に居ない様にする事、時には自分を自然と一体化させる事など、本当に教えられた事の全てを使って逃げ隠れをした。

 だから俺はパンツだけを残して服を脱ぎ、それをあちらこちらにトラップ的に置いてティアの嗅覚の撹乱かくらんも行ったし、川の流れに身を沈めて身体に付いた臭気を洗い落としたりと、本当にこの1時間で様々な事をやった。


「お兄ちゃんを狙ってるのは許せないけど、あの子が優秀な指導者である事は今日のお兄ちゃんを見ていてよく分かったよ」

「師匠……」

「でもね、お兄ちゃん。それでもお兄ちゃんをあの子の弟子にはさせない!」

「えっ?」

「だってお兄ちゃんは私のお兄ちゃんで、私の弟子だもんっ! ずっと昔からそうなんだもんっ! だから誰にもお兄ちゃんは渡さないんだもんっ!!」

「い、いやあの、仮にユキが俺の師匠になったからと言って、俺がユキのものになるわけじゃないですよ?」

「ううん! お兄ちゃんがそう思っていても、絶対にあの子はお兄ちゃんから私を引き離そうとするはずなんだからっ!! ……そう言えばお兄ちゃん。あの子との修行が始まってからずっと気になってたけど、お兄ちゃんはずっとあの子の事を『ユキ』って呼んでるよね? どうして? いつの間にそんなに仲良くなっちゃったの? ねえ、どうして?」

「えっ!? そ、それはその……」


 白薔薇姫しろばらひめの事をユキと呼ぶ様になったのは、単純にユキがそうしろと言ったからなんだけど、それを素直に話していいものか迷うところだ。

 だってこの状況では、素直に話したところで信じてもらえない可能性が高いから。


「……やっぱり私には言えない様な事があったんだね? いいよ、お兄ちゃん。怒らないからちゃんと話して」


 冷たい笑顔を浮かべながら迫って来るティア。

 俺はそんなティアを見て思わず後ずさってしまう。


「お兄ちゃん、どうして後ろへ下がるの? 私はお話をしてって言ってるんだよ?」

「い、いや、だからそれは、ユキに頼まれたんですよ。呼び捨てで呼べって」

「あんなにプライドの高い子が、そう簡単に呼び捨てを許すかな? ありえないよね? お兄ちゃんの事が好きだから、そう呼んでって言われたんだよね? ねっ? そうなんでしょ?」

「いや、だから本当なんですって」

「そう……お兄ちゃんがそこまで本当の事を話さないなら仕方ないね」


 ティアはそう言うと俺に背を向け、持って来た道具袋がある場所へと向かった。するとそこにあった道具袋から一つの小瓶を取り出し、こちらへと戻って来た。


「さあ。お兄ちゃん、これを飲んで」

「あの……それはいったい何でしょうか?」

「これ? これはカラバル豆から抽出した汁だよ。これを飲んでお兄ちゃんが気絶しなかったら、お兄ちゃんは嘘をついてない事の証明になるの。でも、もしも嘘をついていたら……」

「う、嘘をついていたら?」

「分かるでしょ? それ相応の報いを受ける事になるの。さあ。お兄ちゃん、これを飲んで」


 冷えた笑顔で小瓶を持って迫るティア。

 もちろん俺は嘘なんてついてないけど、こんな怪しげな物は口にしたくない。例え嘘をついていなくても、身体がどうにかなってしまいそうだから。


「す、すみません! 師匠!!」


 俺はそう言ってからティアに背を向け、脱兎だっとの如く森の方へと走り始めた。


「あっ!? 逃がさないんだからねっ!!」

「ひいいいいっ!!」


 カラバル豆の汁とやらが入った小瓶を片手に追いかけて来るティア。

 俺はそんなティアから逃れる為、再びユキから教わった事を駆使して必死に森の中などを逃げ回る。しかし、本気中の本気を出したティアを相手に俺がいつまでも逃げ回れるはずもなく、十数分後にはあっさりとティアに捕らえられてしまった。

 そして捕らえられた俺は美しい水の流れるセントべレスリバーの横で正座をさせられ、そのまま陽が沈む頃まで様々な尋問を受ける事になった。

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