第2話
3.団地の倍音
目が覚めると真っ暗闇の中、固い場所の上で私は横たわっている。 先ほどまでピンクのネオンの部屋にいたはずなのに。私はさっきのリアリティありすぎる現実が一瞬にして夢へと遠のくのを感じる。 固い。
横たわっている場所の固さが肩へ一定の痛みを与える。周囲に何があるかを見渡そうとするけどもあまりに真っ暗なので、目を開けても夢の中にいるようだ。
夢。
ここもあのピンクのネオンの部屋と同じく夢なのか?
というよりもしかしたら、あのあーむっと食べられた瞬間に私は瞬間に死んでしまったのかも。
死んでしまったと考える方が合点がいく。
すうぅ。すうぅと私は私の呼吸音が聞こえる。
私は今、呼吸をしている。
すうぅ。すうっと呼吸音が聞こえる。
死後の世界で呼吸なんてするのだろうか。呼吸をしているのなら、まだ生きているに違いない。
私は道路に突然現れた大きな口に食べられてしまった。あーむっと食べられた。
でも生きているみたいだった。不思議なことに。
なぜ。ということをつきつめると、また目の奥が痛くなってきた。さっきから、全てのことが予期していないことばかりで目の奥がいたたたとなってきたので、いつもの動作で、私はコートのポケットの奥から目薬を取りだそうとする。
赤色の目薬はちゃんとそこにあって、そこに目薬があるということが余計にどうやら私は生きているらしいという実感が持つ。
私は暗闇の中で目薬を注そうとする。手の位置からして、多分、ここに眼球があって・・・と想像しながら、注す。二三粒は外すが、その後目薬は眼球に着地。くぅ~。と私はまた唸る。
しかしあの地面の口に食べられたとしたら、私は今、胃袋の中だ。 今更、目の痛みなんて気にしてどうなるのだろうか。そんなことを頭によぎる。
悲しくなる。めちゃくちゃ悲しくなる。
まさか今日が人生最後の日だったなんて、そんなこと思わなかった。
父、母、姉、そして亀のペロ。私はどうやら今日死にます。
でも、後悔はありません。というと嘘になります。めちゃくちゃ後悔あります。死にたくなかったです。でも最後に私は私よりも正義を優先できたのです。所謂、戦隊もののレッドになれたのです。私は正義の人になれたのです。それは、そのことは私は誇りに思う。 でも、あの女の子は救えなかった。
それどころかペンギンも。
目頭がぎゅぅうっと熱くなる。正義の人にすら私はちゃんとなれなかった。
涙があふれでそうになった瞬間に空間が点滅する。
何回かの点滅を経て、光がつく。
目が痛い。光に目をならしていく。徐々にわかっていく。
蛍光灯の灯りだ。
そして私がいま横になっているこの場所がわかった。
胃袋なんかじゃなかった。フローリングだった。だから固かったのか。
見渡すとそこは団地の一室だった。それも古い団地の。
私は団地のリビングにいた。
光が付いた瞬間から、部屋にあるものにも命がともったようで一斉に唸り始める。
緑色の扇風機がからからと回り、色あせたカラーテレビが何かを火あぶりにされている様子が延々と映し出していた。火あぶりされている誰かが叫んでいる声が音割れして耳に差し込む。
外からは夕日が差し込んでいた。外?
あの点滅で、「外」にも光が付いたことに気がつく。メカニズムなんて物まったく私にはわかんないけども、外があるならそれを確かめなきゃいけない。
鍵をあけてベランダに出る。植木鉢がいくつかならんでいる。
風が吹く。干してある洗濯物がばらびらぼらとたなびく。公共料金の支払い用紙のようなものが印刷されたTシャツ。とてもリアルなかえるが描かれたタオル。このかえるは見覚えがある。アフリカのめっちゃ毒を持ってるタイプのかえるだ。毒があるやつだ。村上龍の半島を出よの表紙になってたようなやつ。
団地は延々と延々と立ち並んでいて、地平線は団地でできていた。 ノスタルジックな風景のようだけども、地平線まで団地で出来ているので、あまりノスタルジックにはならず、エッシャーのだまし絵を見ているときのような脳の稼働音が聞こえた。やっぱり私は死んでいるのかも知れない。こんな風景はありえないのだ。
どこからか、子どものような甲高い声聞こえる。遊んでいる声だろうか。でも、そのあと野太い叫び声が聞こえて、地面に何かがたたきつけられる音がした。甲高い叫び声が響いて、響いてそしてやむ。死んだ?私の背筋が少し凍る。
どこからかカレーと、タイヤを燃やしているような匂いがした。そのにおいに吐き気がこみ上げて、えずいてしまう。
扉が開く音がした。誰かが入ってくる。私は助けを求めるか、なんとか抜け出す方法を聞かなきゃと思う。
すると「ただいまぺーん」と声が聞こえる。
リビングにペンギンが入ってくる。あのペンギンだった。「落ちる~」とか散々言っていたペンギンが入ってきた。
「あ、起きたペンか」とペンギンが言う。
あまりに冷静にペンギンは言う。その口調は「知っていた」やつの口調だった。全部知っていた。こいつ、私を誘い出したんだなと気がつく。
ふと私は手に握っている物体を思い出す。
ヒールだ。あの子を追いかけるために脱いでいたヒールをまだ持っていた。
私はペンギンにつかつかと近づいて、ペンギンの頭にヒールを振り下ろす。ぱーん!と音が部屋に鳴り響く。カラーテレビの火あぶりされている何かが「うぉおおお」と叫び声をあげる。
「痛いペン!何するペン!」
私は片手でペンギンを押さえ込む。そしてもう片手でピンをペンギンの頭にぐりぐりする。私は怒っている。もう、どうしようもないくらい怒っている。
「何するペンじゃねえよ!ああ?何がペンだうぉら!殺すぞ!」
「痛いペン!その、ぐりぐりはやめるペン!」
「おら、ペンギン風情が、命令するんじゃねえぞ!あぁ?いかれてんのか。この状況で命令っていかれてんのか」
私はもう一度ヒールでペンギンをはたく。ぱーん!同時にテレビでも火あぶりされている何かの叫び声が音割れして聞こえる。
ああ、私は普段は本当静かな人間なのだ。読書が好きな静かな女性。
「伊藤さんって、なんか、取っつきにくいっすよね~」と後輩に言われてしまうくらい、静かな女性なのだ。そのときは「あ、そう?そうなんだ」とどもった。そんな私がいやだった。
でも私は普通の女性。
普段は総務の仕事を淡々とこなす、普通の女性なのだ。
お昼ご飯も昨日の晩ご飯をベースにしたお弁当を作って持って行くような、そんな女性なのだ。
でも、今日は違う。
女の子がさらわれて、マンホールは吹き飛んで、私は食べられて、変な場所に今居て、どうやら目の前のペンギンは全てを知っている。 殺す。
情報を聞き出して殺す。
「痛いペン!ペンギンの頭はやわらかいんだペン!ヒールは痛いペン!人間と違ってやわなんだペン!丁寧に扱うんだペン!」
私は頭にぐりぐりを再開する。うぎゃおおおおとペンギンは唸る。
「なに、長々と喋ってんだ、おぁ?状況飲み込めや?殺すぞつってんだよ。おめえの頭の固さなんてどうでもええんじゃ。ああ?むしろ柔らかいんだったらすぐつぶせるから楽でええのぉ。おお?ヒールで何回しばいたらお前さんの脳みその色わかるんかのぉ!」
私は今は正義の人でも、お昼に自分で作った弁当を食べる総務の人でもなかった。
私は怒りに身を任せたただの女性だった。
言葉使いは高校の頃に見ていた深作欣二映画の影響だった。深作欣二映画を見ていた私に友達はいなかった。それを思い出して怒りがこみ上げたのでそれもペンギンにぶつけようとおもった。
目の前にいるにはペンギンだ。でもペンギンだろうと容赦はしない。
仁義。
それこそが命と命を張り合うのに必要な物。仁義の無いペンギンなど、ただの動物。鳥になれなかったただの動物よ。こちとらうん千年かけて文明を手に入れた霊長類の末裔。ペンギン風情とは違うところを、皮膚感覚で理解するがいい。
「返事」
「・・・」
「・・・返事はぁ!!」
「わかったペン!話を聞くんだペン!すまなかったペン!!」
すまなかったという言葉を聞いてもう一発ヒールでしばく。謝ったところではまだ許さない。暴力によるコミュニケーションは継続していることを教える。
大丈夫。さっきからピンの方ではしばいてはいない。表面積がまだ広い方でしばいている。ここで殺したら情報が手に入らない。
この団地から抜け出すにはこのペンギンからありったけの情報を手に入れる必要があった。そのためにはまだ殺してはならない。
すまなかった。つまり自分の過失を意味する言葉。それをこのペンギンは言い放った。その過失を問いただす必要がある。
私は問いかける。
「じゃあ話せや。なぜ、わしゃ、ここにおんのじゃ。」
「なぜ・・・なぜってそれはペン・・・」
「・・・」
「・・・」
私は一発ビンタを入れる。
「しゃきっとせんかい」
「すいませんだぺん!話すぺん!話すからペン!!」
「よいこのための都市計画」
むかしむかし・・・
私はペンギンにビンタをかます。
「なんじゃ、この話し口調は」
「違うペン!違うペン!この口調が一番わかりやすいんペン!許してくれぺん!!続けさせてほしいぺん!!!」
「わかった、ならつづけんかい」
「はい・・・」
「よいこのための都市計画」
むかしむかし、「裏側の世界」にとても寂しがりな王様が
私はペンギンにビンタをもう一発かます。
「なんじゃ、裏側の世界って」
「ひぃ!この世界のことだペン!ここは裏側の世界!さっきあなたがいた世界が表側の世界で、ここは裏側の世界だペン!」
「裏側の世界?」
「いわゆる異世界だペン!あなたがいままでいた世界とは違うんだぺん」
「ストレンジャーシングスかよ」
「はぁ?」
ぱぁん!とペンギンをもう一度しばく。
もがき苦しむ、ペンギン。
「それは死後の世界とは違うんかいのぉ」
「違うペン!また違うんだペン!」
「おお。わかった。こっからはぁ、わしにわからん用語があったら丁寧に話せよ」
「はい・・・」
「よいこのための都市計画」
むかしむかしある「裏側の世界」に寂しがりの王様がいました。
むかしむかしのそれよりもむかしむかしの裏側の世界はそれは魑魅魍魎が耐えずうごめく年中お祭りのような楽しい楽しい土地でした。
ひぃぃっ!ビンタはやめるペン!魑魅魍魎はあなたのいた世界でいうところの妖怪とかモンスターだペン!この世界には昔はそれはそれはたくさんいたんだペン!
しかし近年は魑魅魍魎達が減ってきました。
高齢化、治安の悪化、物価の上昇。その他の要因。
また住みにくい世界ワースト3位に入ったことも大きな要因でした。えっ!どこ調べって・・・ちょっとそれは今は思い出せないペン・・・。うぎゃあおおおおお!!違うペン!冗談なんて言ってないペン!全部本当のことだペン!!
はぁ・・・はぁ・・・そんな住みにくい世界ワースト3位の風評被害により裏側の世界に新たに住み着くのも減ってしまったのでした。
寂しがりの王様はどんどん寂しくなりました。
でもそこは王様、頭が回ります。
「表側の世界から連れてくればいいんじゃ!」
というわけで表側にいた幽霊や人間を拉致することになったのでした。
めでたし、めでたし…
「というわけなんだペンよ・・・」
ぼこぼこになったペンギンはおびえた目で私を見る。その目をじっと見る。この目は真実を言っている目だ。わしゃにはようわかる。
「つまり、私はその人口不足で連れてこられたというわけか」
「いや、予定外だったペン」
「なんや、予定外ってのは」
「元々はあの女の子だけをさらう予定だったペン」
回鍋肉が台車で運んでいた赤い着物を着た女の子がフラッシュバックする。
「あの子は、いわゆる座敷童だペンよ。表の世界にいた座敷童を裏側の世界に拉致するだけでよかったペンよ。でも、おまえさんがなぜか気づいてしまって」
だから、周りの人たちは気がついていなかったのか。そうだったのか。
え、でもなんで私気がついたんだろう。あ、もしかして。
「え、私もしかして、霊感強い感じ?」
「そうだペンよ」
「えー!全然気がつかなかった!」
「強いと、くっきり見えるペンよ」
「えー!じゃあ今までも見てたってこと?」
「そうだペンよ」
「えー!もったいな!えー!霊能者になればよかったー!うわーもったいないことしたー!」
もう総務なんて飽き飽きしていたのだった。霊能者、絶対面白い。そっちの仕事の方が絶対楽しい。私も深夜の寺をグラビアアイドルとお笑い芸人と回って、グラビアアイドルについた霊を除霊したいのだ。
よし、戻ろう。元の世界に戻ろう。なんだっけ!表の世界だ!そっちに戻ったら、この才能を活かした人生設計をしよう。
まずは霊能者になるでしょうー。で、売り込もう。「私見えるんです」とか言って、なんか怖い話をでっちあげたらいいっしょ。
宜保愛子が亡くなり、織田無道が捕まった今、あの席はまだ空いているはずだ。よしよしよし!私、霊能者になりたーい!
「よし、だいたいのことはわかった。で、あとはどうやったらでれるの?」
「え、でるペンか?」
私はピンを頭にぐりぐり押しつける。うぉぉぉおおおお!とペンギンが泣き叫ぶ。
「やめるペン!わかったペン!!」
「どうやったらでれるの?」
「そっ、それにはゲートをでるペン」
「ゲート?」
「ほら、こっちに来るペン」とペンギンは私をベランダまで誘導する。
「あれだペン」とペンギンが指さした遠くの山に、地味な建物が見える。
「あの、地味な建物?」
「そうだペン。公民館だペン」
「公民館」
「あれの3階の会議室Bが表の世界とのゲートになってるペン」
「なんでそんなところにあるの」
「ゲートはいろいろあるんだけども、今の最寄りはあそこにあるんだペン。それに」
「それに」
「地味なところの方がいいペン」
「そういうものなの」
「そういうものだペン。今から行くんだったら位置関係を把握しておくペン」とペンギンは私にアドバイスする。
ベランダに出て、私は公民館を見る。山の上。ここからはどうやら少し遠いみたいだ。どれくらいかかるのだろう。
というかここは裏側の世界ってやつらしいので、何が起こるかわからない。ただの人間である私がたどり着けるのだろうか。
まあ、このペンギンに案内してもらうか。
そのときだった。
ぴしゃり。かちゃり。と音が背後で聞こえる。
ベランダとリビングを行き来するガラス製の扉が閉められていた 丁寧に鍵もかけられていた。
私としたことが、一瞬の隙をペンギンに与えてしまった。
「死ね!この人間っ!お前なんて死んでしまえ!」とペンギンはわめき散らして、ガラスの向こうで中指を立てている。ペンギンに中指があるのかはわからないが、私にはそう見える。くそが。すぐに死ぬのはどっちか教えてやるよ。
私はヒールのピンでガラスを割ろうとする。しかし何度が殴打しても傷一つ付かない。
ガラスを割れるものがないか探す。植木鉢があったので、それを取ろうとすると植木鉢は液体であったらしくて、目の前で溶けてしまう。
ペンギンが高笑いしている。私は残った土と植物を投げる。植物はガラスに当たった瞬間に悲鳴を挙げて血を吹き出した。血は私の顔にも飛んでくる。眼鏡に血しぶきが飛び散って反射的に嫌だなと思う。もっと嫌なことは溢れているのに、眼鏡が汚れてしまった瞬間に強く嫌だなという気持ちが芽生えた。植物はベランダでじたばた悶えている。
ペンギンは覚えていろ。次にこの手でお前を掴むことがあったら、生まれたことを後悔させてやる。
しかし、私の現状はペンギンに閉め出されてしまって裏の世界とやらのどこかにある団地のベランダに放り出されていて、リビングに入るためのガラスは割れなくてどうすることもできない。
「そういえば、もうすぐ始まるから、覚悟するペン」
とペンギンは私に言う。
「何が」
「そこで見ておくペン」
そう言って、ペンギンはどこかへ立ち去ろうとする。
突然団地全体に金楽器のような音が鳴り響く。
その音は全てを振動させる。団地を、ガラスを、ベランダを。
地平線の団地が隆起する。団地に団地が重なっていく。重なった団地は形を作っていく。
音が大きくなる。倍音の倍音の倍音の倍音になる。
地平線から団地が重なっていく。団地は巨大なボックスに変容する。その巨大な団地ボックスはまた周囲の団地を飲み込む。
そうしてまた一回り大きくなる。
それを繰り返す。そのうちに私がいる団地に徐々に近づく。
空に近づくほど大きくなった団地のボックスは、さらに叫び始める。叫び声の倍音の倍音が響いてるなか、団地のボックスは手足と頭をはやす。
それはまるで巨大な亀のように見えた。というか巨大な亀だ。
団地で出来た巨大な亀だ。
巨大な亀になった団地は新たに生まれた口をつかって、別の団地を飲み込んで、また大きくなっていく。飲み込んで、大きくなって、飲み込んで、大きくなって。
そうしているうちに空を覆うほどに大きくなった亀の団地は私がへたり座り込んでいるベランダにまで近づいてくる。
亀は大きな口を開けて私を食べようとする。
また食べられる。なんで今日はこんなに食べられるんだろう。
まさに食べられる。その瞬間、思い出すのは私が飼っている亀のポチだった。
亀のポチはとても食いしん坊なのだ。
「ねえ、なんで亀なのにポチって名前を付けるの?」と姉は聞いた。
「なんか、ポチって感じがして」
「へえ。あんた変わってるね」
その思い出を思い出した瞬間に私はまた食べられた。
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