シュガーカヴァードリアリティ

両目洞窟人間

第1話

1.ふたの回転


 マンホールのふたが回転している。まだ回転している。斜めにずれず、ふたが円の状態で、ぶおんぶおん回転している。こうじっと見ている間、まだ回転している。もういいだろう回転は。

 この路地に入った時に首筋がひんやりした。ひんやりしすぎて、腕まで鳥肌がたった。俗に言う嫌な予感というやつかもなと思ったら、目の前でマンホールのふたが吹き飛んで、地面にばいーんと激突して、その衝撃の強さの割にきれいな回転をし続けていて、私には物事の流れがいささか気持ち悪く、目の奥が徐々に痛くなってくる。ぶおんぶおんぶおん。

 私は考えすぎると目の奥が痛くなる癖があるので、日頃あんまり考えないように生きていた。あんまり考えないようにするためには日々の動作をある程度固定化することが必要で、決まり切ったルートを辿り、決まり切った動作を繰り返す。これだけで大丈夫。決まり切った動作を繰り返してさえいれば、私の目の下のクマはこれ以上濃くなることはないはずだ。ただでさえ、肌の色が白い私は、何もしていない状態だとティム・バートンのキャラクターのような顔つきになる。ナイトメアビフォアクリスマスのあれみたいな。あの映画の監督はティム・バートンじゃないんだよって話を私はしすぎて、嫌われてしまう。

 目の奥が痛くならないためには、そして目の下のクマをナイトメアビフォアクリスマスにしないために、私はある程度の動作を固定する。これにより日常動作から生まれる日々の考えること=日常のずれは最小限になる。ずれが生じたそのときにだけ考えればよくて、そうすると身体も頭も調子がよくて目の下のクマも濃くならない。私はとても生きやすい行動をしているものだと自画自賛していた。生存戦略だ。いまーじーん。

 しかしながらこうも一気によくわからないことが噴出するとまあ、どうしたもんかねえとなって、脳の上の方がじんわりと重くなり、目の奥が痛たた、痛たた、となったので私は目薬をさそうとコートのポケットをさぐる。そしていつものように薬局の眼精疲労コーナーでは随一の値段を誇る赤色の目薬を取り出し、オーバルの細いフレームの眼鏡を外して、目に目薬一滴ぽとり、眼球に目薬がくぅ~と染みるの感じとっていても、まだぶおんぶおんと回り続けるマンホールのふた。

 ぶおんぶおんぶおん

 あー何だろうねこれねー。


 そもそも、この日頃通らない路地に入ってしまったのは理由がある。

 いつも通りの仕事帰りに、家の最寄り駅に降りて、スーパーでも入って、金曜日なので豚汁でも作ろうかなと思っていたら、予想外のことが起きたのだ。起きすぎた。

 がらがらがらと音がするので、なんだろなと振り向いたら、青い台車に乗せられた赤い着物を着たおかっぱ頭の小さな女の子が、回鍋肉を擬人化したような脂ぎった男に連れ去られていったのだ。

 女の子は「たすけてーたすけてー」と泣きながら言っているが、周りの人々は見て見ぬふり。そしらぬ顔をし続ける現代社会。回鍋肉はそれよいしょーとばかりに台車で駆け抜けていく。

 私はルーティンを守る人間であるが、それ以上に守るのはこの正義というやつであった。


 さかのぼれば子どもの頃に見ていた戦隊ものになる。敵の攻撃を受けすぎてぼろぼろになったレッド。味方が「もうやめて!」と叫ぶ。でも、豪雨を受けながらぼろぼろのレッドは叫ぶのだった。

「俺は俺よりも世界を守るぜ!」

その台詞は子どもの私の頭の中で響き続ける。

 俺よりも世界を守る。

 それからが、私のどこかで正義の感情が生まれる。正義とは、自分よりも世界を優先すること。

 私も私よりも世界を守る。

 それを胸に、私は日々生きてきた。でも、現実にはレッドになんてなれることはなかったし、平凡な会社の平凡な総務だったけども、それでも、私は私よりも世界を守ろうと思って生きてきた。そんな日が訪れたら、やるべきことは一つ。

 私よりも、世界を、そして正義の信念を守る。

 今日がその日なのだ。

 トゥデイ・イズ・ザ・デイなのだ。

 というわけで、見て見ぬ振りをこのあたりの人々がしているのならば、私が見に行ってやるぜと回鍋肉を追いかけ始めた。

 もし回鍋肉が私を殺そうとしたらどうするか?知るか。勝手に殺すがよい。それでも、あの女の子が「たすけてーたすけてー!」と泣き叫んでいるのに、助けに行かない方が辛いし、このまま家に帰ったところで豚汁は食べること出来ない。

 私は私の世界を守るために回鍋肉を追いかける。

 「おい、待て!」と叫ぶが、回鍋肉は気にせずによいしょーと走る。

 私ははいていたヒールを脱いで、走る。ヒールは手に握る。アスファルトがいくぶんちくちくするけども、そんな痛み、あの子の心に痛みに比べればへでもない。たったったった。

 「たすけーたすけー」とあの子の泣き声が聞こえる。まだ、周りの人々は見て見ぬ振り。「だれか!あの子を助けてあげてください!」と言うが周りの人々はそれでも見て見ぬ振り。それどころか私をいぶかしげに見る。不審者を見る目で見る。なにがじゃうぉら。お前ら鼓膜やぶれとんのか。それでも人間か。玉ついとんのか。うぉら。

 私は走った。携帯を取り出す。スマホでブラインドタッチで110と打つのは難しかったが、それでも入力に成功する。日ごろのネット依存が役に立った。やったね!

 ぴろぴろぴろぴろとコール音の後に「はい警察です~」とビニール袋を3枚重ねたようながさがさの音質で返答が入る。

 「あの!誘拐っ!誘拐ですっ!」

 「誘拐ですか?えーあなたのお子様が?」

 お子様?と違和感を感じつつも「いえ、知らない子です!」

 「知らない子?」

 「はい!目の前で、今台車に乗せられて!」

 回鍋肉がきゅいんと角を曲がる。

 そちらは路地。私がこれまで一切入ったことない路地。

 「台車?ちなみにどこで」

 私も遅れて路地に入る。

 私は駅名を怒鳴る。

 「ここなんですけども!」

 と言うが、がさがさした音質が一切聞こえなくなっていることに気がつく。

 「あれ!もしもし!もしもーし!」

 突然、電話が切れていた。うぉらくそが。税金滞納してやろうか。 私は慌ててもう一度かけ直そうとするが、ぴろぴろもぽぴぽぴも聞こえず、電話は一切つながらない。

 そうしているうちに先に角を曲がったはずの回鍋肉が一切見えなくなっていることに気がつく。

 その瞬間、首筋がひんやりする。

「あっ、よくない場所に来たかも」と思った瞬間、マンホールのふたどーん。

 そういう流れであった。



 目薬が染みて、私は目を押さえる。

 くぅ~。とジョンカビラな気持ちになるけども、いや、こんなことをしている場合じゃない。あの子を探さなければ。あの目の前を走っていたのに、一瞬で消えてしまった回鍋肉とあの子を探さなければ。

 しかしこの路地、とても居心地が悪い。

 駅前だというのに、人気はほぼない。色調はほぼ紺色で、寂しげにいくつか立っている街頭が灯りを放っているけども、その弱々しい灯りはほぼ紺色に飲み込まれていて、光を放っているのに、脳が光と認識しなかった。

 ビルの壁はパイプがやけにぐにゃりぐにゃりぐにゃりと曲がっていたり、埋め尽くすほどのパイプで溢れていたり、何か液体がしたたり落ちていたり。

 壁には室外機も設置されていたが、通常の整然とされた配置ではなく、素人目に見ても乱雑に配置されていて、まるでへたくそなテトリスのように積み上がりまくっている。

 そして依然と回り続けるマンホールのふた。ぶおんぶおんと回り続けるふた。

 マンホールのふたがふきとんだ場合、どこに通報するのが一番いいのだろうか。

 警察、消防、それとも市役所、しかし市役所の電話番号なんて私わかんないぞ。

 すると路地の奥の暗闇からからかすかな声で「たすけー」と聞こえる。

 あの子の叫び声だ。

 私は回っているマンホールのふたと、穴に気をつけながら通りぬけて路地の奥に向かう。待ってな、少女よ。私が助けてあげる!

 しかし、あの回鍋肉が私に襲いかかった場合、どうしたらいいのだろうか。

 私は持っていたヒールのピンを思い出す。そして頭の中でシミュレーションする。

 1、回鍋肉が「がううー」と襲いかかる。

 2、回鍋肉の目をピンで刺す。

 3、ピンを奥までねじ込む。

 4、脳に行き着く。

 5、回鍋肉は死ぬ。

 よし、これでいこう。いけるはず。腕力では絶対に敵わないが、ピンヒールを目玉から脳に突き刺されて生きている人間はこの世にいないだろう。

 殺人になってしまうだろうが、この場合の殺人は正当防衛になるはず。多分。もし追求されても、演技で盛ればいい。私は小学校の劇の白雪姫の魔女の役がめちゃくちゃうまかったことで評判だったのだ。私は、女優。そう女優。

 なによりも私は私よりも今、正義を選んでいる。あの子を救わなきゃいけないのだ。

 路地の奥へ進む。どんどん紺色が濃くなっていく。視界が徐々に暗くなっていく。私はスマホのライトを点灯させるが、光は全く遠くへ伸びない。

 嫌な予感しかしない。嫌な予感だけだ。

 私はピンで、刺して、ねじる動作を頭の中で反復させる。頭の中で何度も回鍋肉が目から血を噴出し「うぎゃおぉ!」と叫んで死に絶える様をリフレインさせる。

 そのリフレインが勇気を奮い立たせる。

 しかしながら、徐々に気がつき始めている。

 この駅前の路地はどうやらまずい場所だと。入っては行けなかった場所だと。そしてもしかしたらこの世の道理が通る場所じゃない気もしている。

 少し、戻りたい気持ちがわき始める。正義よりも私を優先したい気持ちがわき上がる。そんな気持ちが私をこの路地に入ってきた場所をふと振り返らせる。

 するとペンギンがよちよち歩きで歩いていた。

 あ、かわいい~。となっていたのも束の間、なぜペンギンがこんな陰気な場所にと、疑問が浮かびあがった瞬間に、ペンギンはマンホールの穴に入ろうとしていた。

 何しているペンギンよ。そこに入ったら、お前は、お前は・・・。

 「ひゃー!足が止まらないぺーん。落ちてしまうぺーん!」ペンギンが叫び始めた。言葉を喋るペンギンという驚きよりも、悲鳴を上げたことに私は気がつけば走り出していた。

 思い出した。私は今は正義の人なのだ。私は私よりも正義を優先するのだ。普段は総務の人でも、今は正義の人なのだ。だから走って、走って、ペンギンを救おうとする。

 待ってなペンギン。今、私が救ってあげるから。

 「こっちだぺーん!助けてくれぺーん!」

 穴に落ちそうになっているペンギンが私に手をさしのべる。

 私はその手を掴もうとする。もう少しで、私の手が、ペンギンの落ちそうなペンギンの手をつかみそうになった瞬間、地面がぼっこりふくれあがる。まるでトランポリンの上でジャンプしたように「わっ」と私の身体は浮かび上がる。

 私が眼下の地面を見ると、地面は大きな口に代わり、「あーむっ」と私は食べられてしまった。



2.回転数の問い


 道路に食べられたはずの私はピンクのネオン管が光る部屋にいる。そこで気がつけばじっと木製のレコードプレイヤーを見ていた。木製だってわかったのは、木目がうにょうにょとしている部分がテーブルになっているからだ。レコードプレイヤーはまだ回転していない。音も何も流れていないレコードプレイヤーを今はじっと見ている。

 で、そんな私を部屋の隅には丸いすに座った女がじっと見ている。女の顔は影になっていて見えない。でも、体つきと手と足で女であることはわかる。すらっとした手と足。手タレとかなれそうな。

 床では三輪車に乗った猿が回り続けている。じぃじぃじぃと巻かれたねじが解放されていく音が聞こえる。

 レコードプレイヤーにレコードが一枚乗っている。レコードの中央にはラベルが張られている。そのラベルには「私が思うのは、私が思っているからだ」と書かれている。

 私はこのレコードを聞かなければいけない気がしている。

 すると丸いすに座った女は私に言う。

 「大事なのは回転数よ。回転数を合わせて」

 三輪車に乗った猿はじぃじぃじぃとねじのおとを解放する音を奏で続ける。

 私は33回転を選択する。アームを持ち上げるとレコードが回り始めた。針を落とす。ずずっとノイズが鳴り、それからしばらくの空白の後に音楽が始まる。

 「ため池なのでここではフナしか釣れません。ため池なのでここではフナしか釣れません。ため池なのでここではフナしか釣れません。ため池なのでここではフナしか釣れません・・・」

 私は困惑していると女の視線を感じる。

 「回転数が違うのよ。回転数を変えるの」と女が私に言う。相変わらず顔は見えない。手も足も一切動かさずに言う。

 私は45回転に選択しなおす。レコードの回転スピードが変わる。

 すると、何も流れなくなる。ちりちりとノイズだけが響く。

 小さな音で、ピアノがなり始める。メロディがあるようで、ないような音。

 それから小さな子どもの声。

 「目覚めて、私を探して」

 その瞬間、猿が回転を止めた。

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