狩野柚希の執事テアトル

梨月あのと

第1話 プロローグ

 僕は今日、大学を退学した。


 大学の講義はそれなりに興味があるものが多かったし、サークル活動もバイトも勉強も大変だが楽しんでやっていた。だけど、それらに熱中できるほどの感覚が得られなかった。他のよさそうな活動も見つからなかった。

 2年になり、僕は危機感を覚えた。数少ない僕の友人はやりたいことに一生懸命でキラキラしていて眩しかったが、僕は彼らの影にもなれず、やりたいことも将来の夢も来年入りたい研究室も見つからずとても惨めだった。そう思うとなかったやる気がさらになくなって、いつの間にか自堕落な生活になっていった。6月には比較的明るくて雰囲気もよかったバイトも辞めてしまった。一緒に働いていた仲間の一人は最近の僕の不安定さに気づいていたのだろう、声を掛けてくれたが、その時の内容はもう思い出せない。


 退学届は大学事務員の掛け合いがあった後、受理された。事務員の方に退学を止められるのではないかと不安になっていたが、そんなことはなかった。

 届出をしたのは自分だが、薄情という単語が浮かんだ。



 事務センターの通りを抜け、理学部棟の中の角をいくつか曲がる。このルールが住むアパートまでの最短距離なのだが、なにせ棟の中だから何人かが僕の横を通り抜けていく。僕や彼らに人生の道があるとして、その道筋を間違っていなければこの大学を無事に卒業できたのだろうか、いや、退学なんてせずに休学すればまだ道はあったか否か。

 しかし僕の足が後戻りなんて許してくれるはずがなく。





 時刻は昼の12時を回ろうとしていた。

 空腹を覚えた僕は、大学の敷地を抜けて道路を渡った正面にあるコンビニに寄った。学生時代に何度もお世話になったコンビニだ。時間も相まってか、人が結構いた。雑誌コーナーをすり抜け、おにぎりコーナーに来た。昼食を買いにきた大学生や社会人によくわからない申し訳なさとか後ろめたさが生まれた気がして、馬鹿らしいなと思いながら手に取ったたらこおにぎりを戻した。コンビニを出た。外の青空が痛かった。




  大学から7分程度に位置するアパート。3階の左から2番目にあるのが僕の現在の住まい。扉の隣の乱雑に詰まった手紙や葉書を無視し、僕はドアを開けた。そしてキッチンのある廊下を通り抜けすぐにベッドに飛び込んだ。半回転して窓から空を見上げる。左から右へ、左から右へ、雲が流れていく。空腹を忘れて空を眺めた。時々名前も知らない鳥が視界を掠めていった。1時間に一度かそれ以上、飛行機雲ができては消えた。そうして幾時間か経っていた。日はわずかに沈みかけていた。このまま空に消えていければ――



 リュックから微かにスマホの鳴る音が聞こえた。そういえばリュックは玄関に置いてあったことを思い出した。面倒だな、無視したかったが何度も鳴る。

 これで3回目だぞ。そんなに緊急の要件なのか。身体を起こし、玄関に向かう。リュックの奥のほうに入っていたのを無理やりに取り出し、スマホのスライドでロックを解除する。


 ちゃんと相手の名前を見ておけばよかった、と僕は後悔した。

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