私はあなたの嫌いな蝶が好き

音水薫

第1話

 殺してしまおう。

 自殺した小説家の遺作ばかりを薦めてくる友人はそう呟いた。


「偶然だね。一緒に帰ろうか」

 帰宅部の彼女が、委員会で遅くまで残っていた私と偶然に鉢合わせることは、万に一つもないはずなのだけれど、こういう自称偶然は今日に始まったことではない。

 校門を出たときはまだ明るく、黄昏時というにはだいぶ早い。一緒に帰ると言ったものの、道中で会話があるわけでもない。それどころか、つきまとってくる彼女をおぞましく思う私は彼女の三歩後ろを歩いている。今のところ、肩を並べたことはない。しかし、彼女はそれでも満足らしい。

 帰路にある小さな花畑に、二匹の蝶がいた。青い羽をはためかせるその姿に、私の足が止まる。

 一匹の蝶はふわりふわりと浮遊しているとき、その友人を見つけた。彼女に恋をした蝶は、自分に気がついてほしくて跡を追い、彼女の歩速に合わせようと必死に飛んだ。

 彼女はそんな蝶には目もくれず、歩を緩めることはしなかった。漂うように動いていた蝶が、トンボのように飛び続けることができるはずもなかった。彼女に出会うことさえなければ、この蝶も仲間と同じように長く飛んでいることができたかもしれないというのに。

 墜落してしまった蝶が気の毒で、彼女に蝶の存在を教えた。飛べなくなっても地を這いずり、蝶は彼女に近づく。蝶を一瞥したのちに、彼女は呟いた。

彼女は私の方を向き、困ったというように笑いかける。

「殺してしまおう。これ以上苦しまなくてもいいように」

 今度ははっきりと口にする。死に瀕してなお彼女を求める蝶を、彼女は愛おしそうに眺める。そして、蝶をつまみあげてハンカチにのせる。

「弟が標本キットを持っているから」

 そう言い、彼女は蝶の羽にキスをした。

 これはパフォーマンスだ。さっきまで存在に気がつかなかったくせに、と内心舌を打つ。

 幼い時から私に好意を示す彼女が、素っ気ない私の心を射止めんとするための小芝居か、思わず漏れた本音を誤魔化すための即興劇のどちらかだろう。彼女が虫嫌いだと知っている私には、その演技がひどく滑稽に見えた。

 しかし、道化の彼女を嘲笑いたい気持ち以上に、私は憤りを感じていた。いつも私を追いかける彼女が、私以外のものに唇を許したということが私には我慢ならなかった。

 彼女がヒロインであるこの物語に花を添えてやろうと、悲劇の蝶に更なる悲劇を与えることにした。屈んで、低い位置にある彼女の手ごと、蝶を踏みつぶす。驚愕を隠さずに私を見上げる彼女に告げた。

「殺してしまうんでしょ。だったら、こうしなきゃ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私はあなたの嫌いな蝶が好き 音水薫 @k-otomiju

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ