Bパート ……Cってとこかな?
全身の力が抜けてへたり込む俺に、楽器のホロを消しながら近づいてきた幼女は、俺の頭に手を伸ばして、後頭部をわしゃわしゃと撫でてきた。
「上出来だ。やりゃあできんじゃねぇか」
まるで親が子供にするようなその仕草にしばらく俺はされるがままになっていたが、ふと気づいて幼女の手を振り払った。
「髪のセットが崩れるだろうが! 止めろ!」
「おお、そりゃ悪かったな」
けらけらと笑いながら幼女は俺の頭から手を離す。俺は横道に戻ると、置き去りになっていたギターケースを持ち上げた。
ああもう、面倒に巻き込まれてしまった。俺はギターケースを担いだまま横道から出て家の方へと歩き出そうとした。しかし幼女はその道の出口に立って、俺に手を差し伸べてきていた。
「ほら」
「なんだよ」
「連れてけ。こんな状況で、幼女を一人置き去りにするつもりか?」
手を引いてつれていけということか。俺はちょっと考えてからその手を取らずに、幼女のわきを通って、道を歩いていった。
幼女は俺の後ろに立ち止まったままだ。俺は振り返ると小声で尋ねた。
「……来ないのか?」
幼女は幼女らしからぬ笑みをにぃっと浮かべると、俺の横へと駆け寄ってきた。
「なんだなんだお人好しだなぁ、青年」
「そりゃどうも、クソガキ」
俺は背を丸めて、幼女は腕を頭の後ろに組んで軽やかに歩いていく。
「お前、名前は?」
「……インだ」
「そうか。俺はMIDIだ」
人名としては不思議な、だけど妙に聞き覚えのある単語に、俺は思わず幼女に尋ね返していた。
「ミディ? 変な名前だな」
「まあただの音楽言語だからな」
「は?」
俺は立ち止まる。幼女は数歩行ってから立ち止まって振り返ってきた。
「MIDIってあのMIDIか?」
音楽をやっている者なら一度は聞いたことのある単語だ。もっとも、戦争による『断絶』によってそれを扱えるものはもうどこにもいないはずだが。
「複雑な譜面が入出力できるっていうあの古代音楽言語の?」
「そうそうそのMIDIだよ。信じられねえかもしれねえがな、俺はMIDIを自在に操れるのさ」
咄嗟に何も返せず、俺は口を開け閉めした。こんな幼女がMIDIを扱える? だってあれは古代言語の研究者だって扱えない代物で――
「さっきのあれ見てなかったのか? あれが俺の力ってやつよ」
自慢げに口の端を吊り上げたMIDIを見て、俺は何かを言おうとしたが結局何も言えずに口を閉じた。MIDIはそんな俺には構わずさっさと歩き出し――数歩進んで振り返ってきた。
「ほら行くぞ。お前の家、こっちなんだろ」
*
衝撃が抜けないまま、自分が今住んでいるボロアパートへと戻ってくる。街の端にあるそのアパートは、わざと加工されたわけでもないのに全体が薄汚れて、金属という金属が錆び付いている。俺は剥き出しの階段を上って、三階の端の部屋のドアを開けた。
もう随分と長い間、油の差されていない蝶番がぎいと開き、俺の目の前にはごちゃごちゃと整頓されていない自室が広がった。
「ほう、随分と大した家じゃないか」
「皮肉か? 笑えねえな」
軽口を叩くMIDIに、緊張が少し解けた俺は、玄関のドアを閉めると部屋の奥のベッド近くに放置された電子端末を操作した。
「……なんかニュース上がってねえかな」
電子天蓋に映し出された少女に、マトンの出動。ついでにこのMIDIという幼女について、俺は一つでも情報を得られないかと、電子端末から投影されたホロを操作し続ける。
だけど五分ほど経っても一向に成果は得られず、俺は電子端末をベッドへと放り投げた。
空調の一切ない部屋の中は、窓が南向きだということもあって熱がこもっている。俺はぱたぱたと服に空気を入れて扇がせた後、我慢できなくなって服の裾に手をかけて持ち上げた。
「あーくそ、あっちぃ……!」
脱ぎ去ったシャツを投げ捨て、俺は下着一枚になる。胸を押しつぶしていたブラジャーを少し緩めてやると、呼吸がちょっとだけ楽になった。
「なんだイン。お前、女だったのか」
「……そうだよ。悪いか」
明らかに不機嫌な感情を込めて言ってやるも、MIDIは無遠慮にも不思議そうな顔で尋ねてきた。
「なんでまた男装なんか」
「男所帯の中に女がいるってバレたくないんだよ」
ズボンと靴も脱ぎ去ってパンツ一枚になりながら、俺は目を逸らして言う。
「なんか……恥ずかしいじゃん?」
MIDIはそんな俺にきょとんとした顔を向けた後、下品な声でゲラゲラと笑い出した。
「だったらガールズバンドやればよかったじゃねえか」
「ああいうキラキラしたのは好みじゃねえんだよ!」
「探せばあると思うけどなぁ、ギラッギラしたやつも」
やれやれと首を横に振ってMIDIは俺に歩み寄ってくる。ズボンをベッドの上に放り投げた俺は触れそうなほど近くに寄ってきて、こちらを見上げてくるMIDIに困惑の表情を向けた。
「なんだよ」
MIDIは少し沈黙した後、手首をひねって軽く俺の胸を指でさしてきた。
「……
「あんだって!?」
突然とんでもない言葉をのたまってきたMIDIに思わず俺は凄みながら聞き返す。するとMIDIは開き直った表情で俺から離れていった。
「なんでもねぇーーーよ」
俺はそれを胡乱な目で見送った後、情報がないかもう一度端末をいじり始めた。MIDIは俺から離れていくと、壁際に置かれたコルクボードを見上げはじめた。
そこには古ぼけた写真や楽譜が貼られ、Ruinsと大きく手書きの文字が貼ってある。
MIDIはその写真に手を伸ばそうとした。
「触るんじゃねえぞ」
先んじてそれを制止し、俺はMIDIに歩み寄る。MIDIはぼんやりとコルクボードを見つめていた。
「テメェ、Ruinsのことがそんなに好きなのか」
「ああ、好きだね。彼らの音楽が好きすぎてバンドやってるようなもんだ」
「……ふぅーん」
思わせぶりな答えを返して、MIDIはコルクボードから離れていく。
「いや聞いてみただけさ、気にすんな」
その様子に俺はピンときて、MIDIに詰め寄った。
「も、もしかしてお前もRuinsのファンなのか!?」
MIDIは一瞬目を見開いた後、穏やかな顔で笑ってみせた。
「ああ、俺も好きだぜRuins」
「いいよな、Ruins! ド直球の歌詞で脳みそ直接殴られる感覚がさぁ!」
「へへっ、そんなに褒めんなよ」
「なんでお前が照れてんだよ」
変な奴だなあと思いながら、俺は残った下着も脱ぎ去って、パンツ一枚になる。MIDIがこちらを凝視している気がするがまあ気のせいだろう。そのままシャワーを浴びようとシャワールームに歩み寄っていき、ふと俺は足を止めた。
そういえばこいつ、幼女にしては妙すぎるんじゃないか。というか、軽く流していたがこの年頃の子供はこんなに流暢に喋ることができるものだっただろうか。
本当に今更な疑問を浮かべ俺はMIDIを観察してみる。大きな襟のついた紺色のワンピースを着ている。スカートの裾にはフリルが。髪の毛はボサボサの金髪で、目の色は多分緑だ。
こんな髪をしていなければお人形みたいなのになあと思いながらMIDIを見ていると、唐突に部屋の呼び鈴がビーッと鳴らされた。
こんな部屋に訪れるのは宅配業者か大家ぐらいなものだ。だったら楽な格好でいいか。
俺は裸にTシャツを一枚だけ下着の上に着て、部屋のドアを開けた。
そこに立っていたのは、この暑いのにスーツ姿の一人の男性だった。黒髪七三分けのその男性は、俺を見ると作り笑いのような表情を浮かべた。
「アクセルレコードのヒイラギと申します。こちらはインさんとMIDIさんのお宅で間違いないでしょうか」
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