Aパート デタラメに歌え。俺が合わせる!
プレイの宣言に、町中のスピーカーから子供と思しき歓声が上がる。プレイはそれに満足げに鼻を鳴らすと、カメラに向かって合図をした。その途端に電子天蓋は元の通りの青空へと戻る。
俺たちは口を開けたままそれを見上げ続けることしかできなかった。
「なんだ、今の……?」
混乱したまま視線を戻すと、けたたましいサイレンが曲がり角の向こう側から聞こえてきた。猛スピードでこちらに滑り込んできたのは、角の取れた円柱型のフォルムが特徴的な、人の腰ぐらいほどまである機械だ。
俺はそれが何なのか知っていた。あれは――『マトン』と俗称される暴徒鎮圧用自律思考兵器だ。
どうしてマトンがこんなところに。ここでは暴動なんて起こっていないし、法律違反者もいない――はずだ。
マトンはかすかな爽やかな音楽をBGMに、じりじりとこちらとの距離を詰めてくる。
「帰宅命令ガ出テイマス。善良ナ市民ノ皆様ハ、速ヤカニ家ヘト帰ルヨウニ。繰リ返シマス。善良ナ市民ノ皆様ハ、速ヤカニ家ヘト帰ルヨウニ」
どこか調子はずれな機械音声が通行人たち全員に帰宅を促してくる。
「な、なんだよこれ……」
俺は残り五メートルほどにマトンに追い詰められ、家への道を駆けだした。
何が起こっているのかは分からない。あのモニターの少女の言ったことも、マトンの帰宅命令も何が原因なのかは分からない。たった一つ分かることはこのままここにいれはヤバいということだ。
大通りから一本外れた道に入り、最短距離を駆け抜けていこうとする。大通りの爽やかさに反して、裏道は寂れて小汚くなっている。狭い裏道の真ん中に置かれたゴミ箱に足を躓かせたその時、頭上から幼い少女の声がした。
「どけーーっ!」
「え?」
見上げるとそこには、スカートを押さえて飛び降りてくる一人の少女の姿があった。ボサボサの金髪が風に巻き上げられ、ふわふわのフリルがついたスカートの下には真っ黒なショートパンツを履いていた。それが迫ってくるのをやけにゆっくりとした時間で呆然と見つめていた俺は、その直後にぶつかった衝撃に頭からゴミ箱につっこんでしまった。
「はぐぅっ!」
「うおっ」
頭上から降ってきて俺を押しつぶしたのは、六歳ぐらいの金髪の幼女だった。幼女は俺の上からぴょんと飛び降りると、やけに乱暴な口調で礼を言った。
「クッション役ありがとよ、青年」
俺の肩をぽんぽんと叩いて、幼女はそのまま立ち去ろうとしたのだが――ふと俺が左肩に担いでいるものに目をやって、にやりと笑った。
「テメェ、ギタリストだな! 一緒に来い!」
「は? ギタリストっつーか、担当はボーカルで……」
「音楽が出来りゃなんでもいいさ! いいから来い!」
幼女とは思えない力で引っ張られ、俺はつんのめりながら走り出す。その時、背後からけたたましいサイレンが響いてきた。
低い位置で手を引かれて転びそうになりながら振り返ると、そこには数体のマトンがサイレンを鳴らしてこちらに迫ってきているのが見えた。
「えっ、うわああ!」
俺は思わず目の前の幼女を右腕で抱え上げると、地面を蹴飛ばしてマトンから逃げ始めた。
「お、火事場の馬鹿力ってやつかぁ? 助かるぜ」
横抱きにされた幼女がのん気なことを言ってくる。俺はゴミ箱の前で手間取っているであろうマトンから必死に距離を取ったが、マトンはすぐに猛スピードで追ってきた。
咄嗟に横道に入り、物陰へと隠れる。マトンは俺たちの前を通り過ぎると、出口をふさぐようにしてぐるぐると巡回し始めた。
俺はぜえぜえと上がってしまった息を整えてから、できるだけ声を殺して目の前の幼女に怒鳴った。
「な、なんなんだよお前。なんで追われてるんだ」
「それは企業秘密ってやつよ」
「ふざけてんじゃねぇーぞ!」
飄々とした態度の幼女に怒り狂った俺は、ギターを担いで立ち上がり、そのまま帰ろうとした。
「付き合ってられるか! 俺は帰る!」
「おい、待て待て。マトンども、今のできっとお前のこと敵認識してやがると思うぞ」
幼女の言葉に、俺はウッと引き留められる。
「……そうじゃないかもしれないだろ」
「そうじゃない保証もないだろ?」
ああ言えばこう言うという言葉の典型のような会話をしているうちに、外を巡回しているマトンはどんどん増えつつあるようだった。
「
「どうにかって……まさか歌でマトンを攻撃するつもりか!?」
「そのまさかだ。お前だって死にたくねぇだろ?」
死ぬ。唐突につきつけられたその危機に、俺は頭が真っ白になる。
そうだ。あいつらマトンは暴徒鎮圧用に銃器が備え付けられているんだった。もしそれが俺に向けられたら? こちらを本当に敵と認識していたら?
腹の中から恐怖がじわじわと広がり、知らずのうちに手が震えていた。
そんな俺の手を下から引っ掴んで幼女は尋ねてくる。
「お前、何の曲が歌える」
「お、俺が歌えるのはRuinsだけだよ」
「Ruins? 歌えるのはどの曲だ」
「HOPE CITYとテンスピード、愚者共の群れ、それから迷惑ビクトリー」
「それだけか?」
明らかに落胆したその声色に、俺は恥ずかしくなって顔を俯かせる。そう、プログラミングの学がない俺は、楽譜を読むのに時間がかかるのだ。
「まずいな。あいつらその曲にはかなりの耐性がありやがる」
幼女らしからぬ舌打ちをして、彼女は考え込む。五秒ほど考えた後、幼女は指を鳴らしてこちらを見上げてきた。
「仕方ねえ。テメェのオリジナル曲でいくぞ。奴らに影響を与えられるならなんでもいい。≪混乱≫でも≪鎮静≫でも≪酩酊≫でもな。何かないか?」
あんまりにあんまりな無茶ぶりに俺は思わず声を荒げる。
「お、オリジナル曲なんて持ってるわけないだろ!」
幼女は目を見開いてきょとんとした。
「作曲するだなんてそんなロストテクノロジー、研究者でもなければできるはずない」
この街において作曲とはロストテクノロジーだ。戦争が引き起こした技術の『断絶』によって、作曲をするという技術はほぼ完全に失われてしまった。
俺たちにできるのは、過去に作曲され、そしてプログラミングされた音楽をそのままなぞることだけだ。
俺の言葉を聞いた幼女は肩をすくめると、立っている俺の太腿をぽんぽんと叩いてきた。
「仕方ねえな。テメェが即興で歌いやがれ」
とんでもないことを言い出した幼女に、俺は当然ながら弱気な返答をしてしまう。
「そんな、曲なんて作れるわけ……」
その返答がお気に召さなかったらしい。幼女はその年齢らしからぬ鋭い目つきになると、俺に向かって手を伸ばした。
「かがめ」
「は?」
「いいからかがめ」
言うとおりに腰をかがめると、幼女は俺の胸倉を下からがしっと掴んで顔を近づけてきた。
「テメェは反抗心ってやつを覚えたことはねぇのか」
低い声で問われた内容に俺は肩を震わせる。
「抑圧は? 反発は? お前を抑えつける奴はいねぇのか?」
何が起こっているのか分からない。なんでこんなことを聞かれているのかも分からない。
だけど俺はその問いに感情を揺さぶられていた。
抑圧がないわけない。反発を覚えていないわけがない。この街はあまりにクソッタレで、音楽を聞いてる奴らも何も分かっちゃいない。
俺は自然と歯を食いしばっていた。
そんな俺の表情を見て満足したのか、幼女はにぃっと笑みを浮かべた。
「それを歌え。歌詞にしてメロディにしろ」
いつの間にか俺の中には、怒り狂う暴徒が住みついていた。全てを壊せ。煩わしいもの、抑圧するもの全てを!
「デタラメに歌え。俺が合わせる!」
幼女が大声を上げて手を横に薙ぐと、彼女の背中にスピーカーのホログラムが次々と浮かび上がった。
「歌え青年! ――今ある限りを!」
横道から躍り出て、マトンの目の前に立つ。
緊張で息は上がり、心臓ははち切れそうだ。
それでも抑えきれない高揚に、俺は自然と口の端を持ち上げていた。
最初はきっと真似事だ。尊敬するRuinsの歌詞を借りるなら、そして今あいつが叫んだ言葉を借りるなら、今ある限りを歌うしかない。
俺にできることは何だ。俺が歌いたいものは何だ。
大きく息を吸い込んで最初の音を発する。ここから始まるんだ。始めていくんだ。
見てろよ世界! 俺の音楽を奏でてやる!
「見ろ! お前の世界が崩れていく!」
「お前は狂った世界に気付いていない!」
背後で幼女がチープな伴奏を流し込んでくる。
目の前のマトンが銃器を取り出してこちらに向けてくる。
だけど怖くない。俺は俺の歌を歌うだけだ!
「俺を見ろ! この俺を!」
「この忌々しい世界に、この単色的な世界に!」
歌声とともにドラムがひときわ大きく響く。
迫ってきていたマトンの動きが止まる。回路らしき場所がバチバチと狂う音がする。
「俺はここにいる! ――俺はここにいるぞ!!」
短い、本当に短い、叫びにも似た音楽を歌い切ると、その直後にマトンがもんどりうって転がり始めた。マトンの下に格納されていた車輪がからからと回り、やがて動きを止めていく。
後奏らしきものが止まり、俺は上がってしまった息のまま脱力する。膝から崩れ落ちて、心臓の鼓動が収まるのを待つ。
まるで全力疾走をした後のように全身が疲れ果てていたが、内心は数年ぶりに爽やかな気分で満たされていた。
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