第26話

 程良く酔いが回り始めたさくらは、ビールジョッキを傾けながら、ふと大学生時代の思い出に馳せる。


 確かあの時は、八重樫くんに危ない所を助けて貰ったんだっけ。


 ◇


 大学の新入生歓迎会と称した飲み会に、人数合わせとして合コンに呼ばれたさくらは、他の女性達が次々と酒に酔い潰れていくのに対して、一人だけ平然と酒を煽り続けていた。


 そして一度、御手洗いに向かうために席を立ち再び戻ると、その間に席替えをしたのか、さくらの向かい側の席には八重樫が座っていた。


 だが、さくらは八重樫に興味を持つことはなく、その視線はテーブルに注がれていた。


 さくらの席のテーブルに置かれていたのは、席を立つ前に自身で注文していたウイスキーのグラス。


 そのグラスに手を伸ばしたときだった。


「飲まないでください」


 八重樫がさくらにだけ聞こえるような小さな声で、そう制したのだ。


 さくらは訝しげに八重樫を見つめる。


 いくら酒を飲んでも酔わないさくらに、もしかしたら八重樫は半ば辟易していたのかもしれない。


「すみません。さくらさん、酔ったみたいなので俺が送っていきます」


 グラスに手を伸ばすのを止め、そう思考していると唐突に八重樫が周りに宣言するように言い放つ。


 周りがざわつく。特に男達が八重樫に対してあからさまに舌打ちをしている光景が見えた。


「え? ちょっと待って──」


「行きましょう」


 八重樫は声を荒げている男達の文句を苦笑して聞き流しながら、さくらの腕を少し強引に引いて店の外に出る。


「何?」


 手を振りほどいたさくらは、理由も解らずに外に連れ出されたことに苛立ち、不機嫌な態度を隠そうともせずに、八重樫を見上げて語気を強めた。


「はぁ……。危なかった」


「は?」


「あ、急に連れ出してすみませんでした」


 何故か、ほっとしたような表情をしている八重樫に、さくらはますます怪訝に顔を歪める。


「駅まで送ります。理由はその道中で話します」


「…………」


「あ、安心してください! ちゃんと駅まで送り届けますから」


 別に八重樫が帰りがけに襲ってくるなど、さくらは毛頭考えてもいない。そんな度胸は一ミリもないように見えたからだ。


「じゃあ、お願いね」


「はい」


 そして八重樫は、宣言通りにさくらを無事に駅前まで送り届けたのだった。


 ◇


「さくらさん? どうかしました?」


 追憶から意識が戻ると、八重樫は心配げにさくらを見つめていた。


「うん? ちょっと、昔のことを思い出してたの。ほら、合コンのとき八重樫くんが助けてくれたでしょ?」


「ああ……。俺、あの時は内心すごい焦ってましたよ。これ、ちょっとヤバいなって」


 当時の八重樫がさくらを合コンから無理やりに連れ出した本当の理由は、さくらの酒に睡眠薬が盛られていたからだった。


 どうやら男達は、酒に酔った女性を持ち帰る計画を企てていたらしい。


 なのに、さくらだけはいくら酒を飲ませても酔う気配がなく、痺れを切らした男の一人が、さくらが御手洗いに席を立った瞬間を見計らい、酒に大量の睡眠薬を混ぜていたのを八重樫は、どうすることも出来ずに黙視していた。


 そして八重樫が苦肉の策として思い付いたのは、さくらを強引に合コンの場から引き剥がすことだった。


 もし、あの時。八重樫が強引にでも引き止めてくれていなければ、さくらは身の危険に犯されていたかもしれない。


 だから、さくらにとって八重樫は大切な恩人なのだ。


「もうこんな時間か……。さくらさん、そろそろ帰りましょうか。駅まで送っていきます」


 八重樫は自身の腕時計を眺めると、さくらに声を掛ける。飲み始めてから約二時間ほど時間が経過していた。


「そうだね」


 そして、さくらは何時も不思議に思うのだ。どうして、八重樫には彼女がいないのかと。


 こんなに紳士的で優しげな外見のイケメンなのに、実に勿体ない。


 もしかしたら、八重樫には長年想い続けている人がいるのかもしれない。だとしたら、さくらは全力で応援したいと、酔った脳内でそう思っていた。

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