2.組まれたシナリオ

 シズマはスラストと最後に交わした会話を思い出し、思わず身震いした。あの目は、確かにエストレに似ていた。


「あれがエストレの母親……?」


「一つ聞かせて欲しい。昨日、此処に来た時にあのお嬢ちゃんは「ACUAアクア」とかいうネットワークを使っていたな。あれは何だ?」


 マサフミの問いにシズマは答えようとして、しかし口をつぐむ。目の前にいる男を信用していいのかどうか、判断することが出来なかった。

 長年の付き合いだったアイスローズには、あっさりと裏切られた。昨日知り合ったばかりのマサフミを容易に信じるのはリスクが高い。

 葛藤するシズマを見て、マサフミはその理由を察したようだった。


「あんたの気持ちはわかるよ。俺が信用出来ないんだろう。あんたから上手にお話を聞きだして、小銭を稼ごうとするハイエナ野郎でない証拠はない。だが、俺が知っていることは、あんたにとって大きな糧となる」


「どうやってお前を信じろって言うんだ?」


「困ったことに、それは俺もわからないね。どこからかキンダースクールの指導員でも連れてくるか? 「カラス君、マサフミ君と仲良くしましょうね」って諭してくれるさ」


 マサフミは軽口を叩きながら、それでも引き下がろうとしなかった。


「これはな、カラス。俺の純粋な好意なんだよ。あるいはカンベ工房への敬意だ。あの天才の情熱を受け継いだ女が、最後に銃を託したのがあんたなんだ。となれば、熱狂的なファンとしては、惜しみなく投資するのが正解ってもんだろう?」


「それであんたは何を得るんだ? 頼んだ仕事は終わっただろう。思う存分、カラスを弄るという目標も達成した。俺に情報を与えて、一体何を得る?」


「別に何も」


 マサフミは真顔で言った後、ニィッと口角を吊り上げた。


「ファンってのは好きなアイドルがステージでキラキラ輝くことを是とするんだ。ステージから降りて握手してくれることなんか望まないし、そんなことをされたら興醒めだ」


「あんたは俺が舞台でダンスするのを望んでるのか」


「それを見て拍手喝采するのを望んでるのさ」


 シズマは相手の笑みと、ヤニで黄ばんだ歯を見つめていたが、やがて自らも同じように笑った。


「俺に不利益が起きれば、カラス弐号の経歴に傷がつく。あんたはそれが嫌なんだな?」


「その通り。美しい銃は美しい経歴を持つべきだ」


「あんたじゃなく、あんたの情熱を信じてやるよ。イオリ、お前もこっちに来い。俺だけじゃACUAの説明をきちんと出来るか自信がない」


 手招きされたイオリは、シズマの隣に腰を下ろした。態度はいつも通り不遜に見えるが、体の前に抱え込んだ端末が、無意識の防御を示している。十四歳の少年には刺激の強い一幕であったことは明らかだが、シズマはそれについてのフォローはしなかった。


「間違っていたら補足しろ。ただし冗長なのは駄目だ。わかるな?」


「無知な人に専門用語を並べるなんて愚行、僕がするわけないだろ?」


「その調子だ、クソガキ」


 イオリの補足を加えながらACUAの概要を伝えると、マサフミは顎に手を当てて考え込んだ。やがて眉間を摘まみながら、呻くような声を出す。


「なるほど。……なるほど、なるほど」


「何だ? あんたの欲しい情報じゃなかったか?」


「いや、あまりに出来すぎた話で困惑していただけだ。噂話を広めるネットワーク、か」


 マサフミは細い鋭い目で虚空を睨みつけながら、訥々と話し出した。


「カラスの噂を俺が聞いたのは、数ヶ月前のことだ。それまで正直、レーヴァンの噂は聞いても、あんたの噂は聞かなかった。恐らく、その噂は恣意的に流されたものだ」


「そうだね。僕もそう思うよ」


 イオリが同意を示す。細い指がシズマを指さし、一度クルリと回った。


「エストレがACUAの操作を始めた少し後に、殺し屋カラスの噂は流れた。でもエストレが流したんじゃない。だって彼女はあんたを一昨日探し当てたんだ」


「じゃあ……スラストが?」


 シズマの問いに答える前に、イオリはマサフミの方に視線を向けた。


「スラストが子供を産んだ噂はいつ流れたの?」


「十八年前だ」


「もしかしたら彼女はその時に、自分の噂話が流れているのを知ったのかもね。そしてその裏側にあるACUAにも気が付いていた。エストレのことが単なる噂話、都市伝説で終わっていたのは、彼女がACUAに注視して、必要以上に自分たちの情報が流れないようにしていたから、かも」


 でも、とイオリはまるで悪戯好きの子供が種明かしをするような、どこか無邪気な声を出した。 


「エストレの身に危険が迫っているのを気付いて、彼女はあんたカラスの噂を流したんだ」


「何のために」


「エストレが自分でそれを見つけるために」


「直接教えればよかっただろう?」


 イオリは首を左右に振った。


「それじゃダメなんだ。だってそれだけじゃ、あんたの銃を直す奴も、あんたの窮地を救うオギノさんも、僕も絡めとれない」


「……絡めとる?」


 シズマはイオリの言葉を繰り返し、そして頭の中でいくつかの事実を羅列した。

 エストレの目的、イオリの才能、レーヴァンの所属、フィルの執念。それらがまるで、誂えたパズルのように次々と組み合わさっていく。

 記憶の中で女技術者が歯車を動かしていた映像が鮮明に蘇る。


「小さな歯車が……大きな歯車を……。そういうことか」


「エストレの母親は、自分が死ぬのを覚悟の上で噂をバラまいたんだ。ヒューテック・ビリンズに喧嘩を売れば、レーヴァンが出てくる。レーヴァンを殺したいほど憎んでいるオギノさんの店にオジサンたちを導くには、最低でも一度、カラス弐号を手放さなきゃいけない」


「だから、俺の噂を流してコーノを捉えた」


「勿論、メンテナンスしたばかりの銃じゃ無意味だ。だからスラストは数か月前から姿をくらましたんだよ。あんたが仕事を受けた時に、誰かにメンテナンスを依頼しなきゃいけなくなるように」


「あの女アンドロイドのところに俺たちが行くのも、その後お前に会ったのも、全部スラストのシナリオってわけか。お前はあのアンドロイドと懇意だったし、ヒューテック・ビリンズに用事がある」


「まんまと釣られた。素晴らしいギャンブラーだよ。噂話と確率的思考だけで、ACUAの管理者である僕まですくいあげたんだからね。オギノさんの店のことだって、その人が流したんだろう。オジサンが食いつくようにね」


 心の底からの感嘆を零したイオリは、溜息をついてから両手を胸の前で組んだ。


「こうなると、一つ不可解なことがあるんだ」


「アイスローズ」


 言葉の続きをマサフミが横から奪い取った。


「本当に彼女は裏切り者だろうか。坊ちゃんはそう言いたいわけだ」


「その通り。でも僕の台詞取らないでくれる?」


 口を尖らせるイオリに、マサフミは肩を竦めた。


「そりゃ失敬。だが、その答えが来たようだからな」


 蒸気パイプの先が、二人の間を示す。それを追うようにシズマが入口を振り返ると、一つのシルエットがそこに佇んでいた。

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