第172話まさか――あれは。
フローゼ姫の魔法で湖を作り始めて12日目。
最終日となる今日2回目の魔法をフローゼ姫が行使した時にそれはやってきました。
元々、皇国軍がやって来る目安を10日前後と読んでいた僕達は、湖を作りながらも東の方角に注意を向けていました。
いつもの様に森の木が土ごと消え去り、次の場所に歩き出した時に僕の気配察知に大勢の人と馬の足音が引っ掛かります。
僕がその事をフローゼ姫に話すと、
「ちっ、後少しだと言うのに――子猫ちゃんは敵が万一にでも穴に下りて進軍してきた時は例の作戦を決行してくれ。魔法を放つ場所は、前に決めた通りで頼む」
フローゼ姫の指示を受けて僕は見通しのいい街壁の上に登り、敵の動きを観察する事にします。フローゼ姫は皆にも知らせてくると言って神速を使い正門へと駆け出しました。
しばらくすると――。
以前貴族派の兵が鳴らした銅鑼が子爵城から鳴り響きます。
思ったよりも早くフローゼ姫が城に到着した様ですね。
僕が立っている壁の上からも既に蟻の群れの様に街道を黒く染め上げている集団が見えてきました。
ん?
おかしいですね。
攻城戦をするには防衛側の3倍の兵数を用意するのが普通ですが、一列に整列して進軍してくる皇国軍は一列行軍だから長く伸びてはいますがその数は思った以上に少ないです。あの数でどうやって城攻めを行おうというのでしょう。
先頭の兵が持つのは皇国旗でしょうか、羽が生えた馬の絵が刺繍された旗を掲げています。
その次に騎馬が100騎程度、その後ろを歩兵が足並みを揃えて歩いています。
さらにその後ろには黒塗りの質素な馬車が1台。
その後ろにもまた歩兵。
歩兵の後ろには輜重兵が手押し車を押しながら歩いています。
その後ろにはそれらを守る騎士が続いています。
本当に変な編成ですね……あんな少数で攻城戦を戦えるのでしょうか。
これならまだオードレイク伯爵軍の方が数の上では勝っていました。
既にサースドレイン側は準備が出来ていて、弓兵が街壁の上に並んでいます。
最もフローゼ姫が掘った穴のお蔭で子爵領の兵が密集しているのは、正門付近だけなんですけれどね。
兵の中には新たに平民から集められた者もおり、緊張した面持ちで行方を見守っています。
こちらの準備が全て整った時に漸く正門の正面。
細長い路地の先端に皇国旗を持った兵が到着しました。
皇国の兵達は次々に到着しますが、穴には近寄らず全員が揃うのを待っている様でした。そして――黒塗りの馬車が到着します。
兵達は統制された動きで一斉に馬車に乗る者に跪きます。
あれがこの軍の指揮官の様ですね。
子爵領軍の視線はその馬車に釘付けになっていると、横のドアが中から開かれそこから背の低い少年が降りてきます。
あの少年じゃないですよね――。
皆が訝しみ馬車から降りてきた少年の一挙手一投足を見つめていると、少年はドアの横に立ち90度のお辞儀をしました。
この世界ではお辞儀は一般的ではありません。
女性であればカーテシー、男性であれば精々30度の礼だけです。
子爵領軍の皆が小首を傾げる中、僕の心臓は早鐘をうちます。
そして最初に馬車から降りてきたのは、背の小さな金髪の少女でした。
それでも僕の心臓は激しく鼓動したままです。
金髪の少女は馬車から降りると赤い瞳で左右を見渡し、次いで視線をサースドレインに向けます。
一瞬、僕と目が合った気がしますが……。
この世界では瞳の色以外ごくありふれた外見の少女です。
僕は会った事は無いので多分、気のせいでしょう。
少女は腰を折る少年の隣に立ちますが、特に礼儀正しくカーテシーをする訳でもなく次に下りてくる人物を待っている様でした。
ドアの隙間から一瞬黒いドレスが顔を覗かせますが、直ぐに中に戻ってしまいました。何をやっているんでしょうね。
僕達がジッとそれを眺めていると、漆黒のドレス姿に右手に青の拡声器を持った女性が姿を現しました。その女性はやっぱこれよねぇ~と右手に持ったそれを先に下りた金髪の少女に見せびらかしています。
敵である僕達に聞こえない様に言っている様ですが、僕には聞こえていますよ!
それにしても驚きです。
この世界で黒髪の女性は初めて見ました。
しかも瞳の色は一般的な青系でも無く、翡翠色でもありません。
――黒髪に黒い瞳。
あれ……どうみてもお婆さんのお孫さんにそっくりです。
以前、お婆さんが孫の写真なの、私の若い頃にそっくりなのよ。と言って見せてくれた写真の人と似ています。
名前は確か――お婆さんが凪という名前で、お孫さんは渚。
僕の心臓が破裂しそうな勢いで高鳴っていると。
その女性は口元に拡声器をあてがい、声を発しました。
「旧アンドレアの残党。あたしが来たからには好きにはさせないわよ! 覚悟しなさい!」
普通拡声器を使っても、ここまで60mはありますから普通に内容が理解できる声など届きません。でもどんな魔法を使っているのか、魔法で増幅された大音響はサースドレインの街に収まらずに子爵城にまで届きました。
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