アタッチメント!

緒川 公平

プロローグ

 「陸上って、何が面白いの?」

 陸上に携わった経験のある人なら、一度は聞かれたことのある質問ではないだろうか。

 だいたい「だって、ただ走るだけじゃん」とセットになっているのが定番だ。

 俺も、何度もこの質問をされてきた。


 その度に「面白いんやぞ」と、適当に笑って受け流してきた。

 だって、そんなこと分からないんだから。


 未だに、俺は、その答えを見つけられないでいる。


 △


 中学最後の大会である、中体連。

 正式名称は確か「中学体育連盟」だが、みんな略して中体連と呼んでいる。何で連盟が大会の名前として流用されているかは知らないけれど。

 これは県大会、東海大会を勝ち抜けば全国大会へ出場できることが出来る。いわゆる公式戦というやつだ。

 県内の陸上部がある中学が1カ所に集う、言わば陸上の祭典である。


 会場は県中部の伊勢市にある、県内で一番大きい競技場で行われる。ちなみに県内で唯一、電光掲示板が設置されている。都会の方ではこれくらいの規模の競技場は複数あるらしいが、ここは都会じゃないので贅沢は言えない。


 3年生はこれが終われば引退と言うこともあり、尚更に気合いが入っていた。その気合いは下級生にも伝播し、うちの中学の陸上部のゆるめな雰囲気とは打って変わり、幾ばくかの緊張感が漂っていた。まだ前日の荷詰めの段階なのに、こうも緊張していて疲れないのかなと思う。


 あらかた荷物を顧問の車に詰め終わった後、部長の南部なんぶから招集の令が下った。

 駆け足で集まり、自然と輪になる。うちの中学では伝統的にこういう集まり方になっている。

「みんな、準備ご苦労様。ええっと、先生からなんか言うように言われたんやけど、うん。ええっと……。」

 そういうなり、俯いてしまった。生真面目なのがこいつの部長たる由縁だが、それ故に融通が利かないのが部長らしくないところである。必死にううんと唸りながら言うことを考えている。


 見かねた南部の横にいる副部長の羽田はねだが、「まあ」と切り出した。それまで南部に集まっていた視線が、一斉に羽田に向く。

「俺ら3年にとっては最後の大会やし、悔いの残らん様に頑張ろ。1、2年はまだ来年あるわ、って思っとったらあかんぞ?中学なんて一瞬で終わるんやから。全力で、東海行けるように頑張れ。って事を言いたいんやろ?南部?」

 羽田はそう言って、南部にウインクを送る。どこの漫画とかアニメのシーンやねんと思うが、男の俺から見てもイケメンな羽田がこれをすると、普通に画になってしまうのが腹立たしい。普通に死ねば良いのにと思う。


 南部は小声で「すまん」と呟くと、

「今羽田が言ったとおりや。明日は朝早いし、帰ってしっかり休んでくれ。以上」

 南部は、それだけ言うとぱっと後ろに退いた。今まで輪の少し離れたところで立っていた、顧問の先生が話すためのスペースを空けたのだ。


 そのスペースに顧問がペコペコしながら入ると、輪をぐるっと一周見回してから微笑んで話し始めた。

「ありがとうございます南部君。集合時間と場所は前に配ったプリントの通りです。みんな、頑張ってくださいね」

 そう言うと、部員みんなは声を揃えて「はいっ」と返事する。

 俺は『最後のあいさつそれだけかい』とツッコんでいたら、返事し損ねてしまったのだった。


 先生は、陸上の経験がない新任の男性数学教師だった。しかもこの学校に配属されたのが今年の4月だったので、俺たち3年生とは4ヶ月ちょっとしか接していない。


 それでも、自車が軽自動車なので、試合や記録会の度に荷物がたくさん入る大きな車をわざわざレンタルしてくれたり、他校へ合同練習をお願いしに行ったりと、精力的に行動してくれていた。良い先生なんだろうなというのは、この短時間でも俺たちに伝わっていた。


 その後は、多分みんなすぐに帰ったと思う。帰り道では、みんな自転車に乗りながら、無言で帰っていたような気がする。何せもう1年近く昔だ、忘れていることも多い。


 大会本番の事は、今ではほとんど思い出せない。

 いや、正確に言うと、細かいことはほとんど思い出せない。


 俺が登録されていた競技は、100m走、幅跳び、4×100mリレーだった。


 幅跳びは、自己新が出たものの、東海進出はできなかった。


 100mは予選を突破したものの、準決勝でフライングにより失格となってしまった。


 残るはリレーのみ。メンバーは3年の俺、羽田、鹿島かしまの100m登録メンバー3人と、2年の田中だ。

 田中は、まだ2年生ながらも鹿島と0.02秒しか変わらないタイムをたたき出した、我が部期待のホープだ。真面目で責任感があり、俺たち3年の間では次のキャプテンに、と推す声が多い。なので、多分次のキャプテンになるんだろう。


 入念にアップした。普段はあまりやらないストレッチもした。バトンパスの練習もたくさんした。本番でも、うまく受けることができた。一生懸命走った。抜群のタイミングで渡すことができた。3走の俺は、アンカーの羽田に向かって懸命に声援を送った。


 結果は5位だった。

 無論、予選敗退だった。


 その後のダウンで、羽田と鹿島は泣いていた。田中も、申し訳なさそうにずっと俯いていた。多分、他の3年生も同じようにダウンで泣いたんだと思う。結局、うちの中学で東海大会に進めたのは0人だった。3年生はこれで全員引退だ。


 俺は泣かなかった。「泣くのが恥ずかしい」とか「悔しくなんて無い」とか「涙はもう涸れてしまった」とか、そんな中2くさい考えは、ちゃんと中学2年生に置いてきた。そういう理由じゃない。


 ちゃんと悔しかった。あれだけ練習したのに、それこそ吐くほど苦しい練習を乗り越えてきたのに。暑いときも寒いときも、文句を言いつつちゃんと練習してきたつもりだった。それが、全ての競技時間を合わせてもたった3分程で終わってしまうのか。

 羽田は俺と鹿島に、「高校でも続けような」と小さい声で呟いた。彼は既に泣いてはいなかったが、声が震えているのはすぐに分かった。

 鹿島はうん、うん、と頷いていた。

 俺は「あぁ」と、生返事しか返さなかった。返せなかった。


 俺はその時、既に知っていたのかもしれない。

 陸上が、どれほど残酷なものか。

 生まれ持った才能が無ければ、一生上に行くことは出来ないのだと。


 俺はその時、既に決意を持っていたのかもしれない。

 もう陸上は辞めようと。

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