四日市東高校陸上競技部へようこそ!

(1)

 青春と言えば高校生、高校生と言えば青春だ。


 学生の区分はいくつかある。だがその中で一際『高校生』が眩い青春の光を放っていると感じるのは、おそらく俺だけじゃないはず。なぜかは知らないけれど。



 そうやってとりとめの無いことを考えていると、いつの間にか校長の話が終わった。ほとんどが右から左へ流れていったが、なんとなく拾ったありがたいお言葉は「晴れてこの学校の生徒です」「春から高校生です」「頑張ってください」の3つくらいだ。

 実際は10分も経っていないが、体感時間はその倍はあったように思う。校長の話が長いのはこの学校でも同じだったらしい。


 今年受験だったこともあり、ここの1年は「頑張れ」という言葉を一番聞いた気がする。どうやら俺の周りでこのワードが流行っているらしい。俺的流行語大賞2位受賞おめでとうございます。ちなみに1位は自分の名前である。


 まばらに起きた拍手は波及していき、やがて全校生徒が拍手する。俺もそれに乗り遅れないように、ぱちぱちと手を叩いた。

 正直、覚えているのが3カ所くらいの校長のあいさつに拍手する意味が分からないが、心にもない事を言ったりしたりするのは得意分野だ。そんな大人になりたくなかったなぁと、ついついため息が漏れてしまう。


 何故かステージの幕が下ろされているため、校長は下に用意された小さな演台の前で喋っていた。それは校長の話が終わると同時に、コロコロと隅の方に撤去されていく。それキャスター付きだったのか。キャスターがついていると、どれだけそれ以外が精緻に作られていても安っぽく見えてしまうのは俺だけだろうか。多分俺だけだな。



 今、体育館では始業式が行われている。


 正式な式典なだけあって、ちゃんと全学年の生徒が揃い、大人しく並んで座っていた。いや、待て。全員かどうかは分からない。もしかしたらサボっている生徒もいるかもしれないが、俺はまだ全員の顔を知らないからハッキリそうとは言えない。多分、これから知ることもないのだろう。


 昨日の入学式とは比べものにならないくらいのたくさんの生徒のおかげで、体育館の中は幾分か外よりも暑く感じられた。考えてみれば1000人近くがここに高密度で座っているので、当然といえばそうだ。


 知り合いがいないものかと首だけで辺りをぐるっと見回してみる。といっても座高がそんなに高いわけでもないので、見える範囲は限られていた。ぱっと見、誰も知人はいない。


 うちの高校の制服は県内でも評判が良く、言ってしまえば制服目当てで入学してくる子がいるほどだ。俺が着ているのは男子の制服だが、評判が良いのは女子の方。

 別に俺は制服でこの高校を選んだ訳ではないのでどうでも良いが、周りにずらーっと同じ服が並んでいると、ついつい自分の着こなしと見比べてしまう。


 水色のワイシャツに濃紺ストライプのネクタイを締め、灰色のブレザーに灰色のスラックス。女子はネクタイではなくリボンで、下は灰色のチェック柄スカートを穿いている。男女ともにボタンには細かい意匠があり、四日市よっかいちひがしの頭文字である『YH』が筆記体のような、達筆っぽい字で綴られている。だが、細かいので、1メートルも離れてしまえば何が書いてあるのか全く読めない。意味あるのだろうか、これ。


 そして、視線を落として自分の服を見下ろしてみる。朝、着てみて思った感想が『絶望的に似合わない』だ。

 大分前の試着の時も同じ様に思ったが、この短期間で急激に成長を期待した自分が間抜けだった。やっぱり、制服に着られている感じがする。

 ま、まぁ、別に制服で選んだわけじゃないし。何回言うねん。それに、着たばっかりだから似合ってないだけだし。これから成長していくし。誰に言い訳しとんねん。


 偏差値的には上の下くらいで、まあ普通よりは上かなというくらいである。だけど、俺個人は別に良い大学に入りたいという訳でもない。


 では、なんでこの高校に入ったかというと、なんとなくリセットしたかったからだ。人間関係とか、部活だとか、そういう諸々ひっくるめて。


 うちの中学からは、地理的な要因で四日市市の南に接する鈴鹿市の高校に進学する人が多かった。この学校には、俺を含め10人ほどしか来ていない。その中で俺と仲が良かった人と言えば、さらに少人数だ。


 周りには「ちょっと勉強したいから」と言えば、陸上を続けなくても許されるだろう、という期待もあった。小学3年生の時から、かれこれ6年くらい続けてきた陸上を案外すっきり辞めることが出来るかもしれない。

 文武両道を掲げながら何となく文に重きを置いている感じのこの高校なら、部活に入らなくても許されるだろうからだ。実際、全体の3割ほどは帰宅部として活動しているらしい。


 人間は古来より日の出から日の入までを活動時間としてきた。ならば、陽が出ているうちにさっさと帰って眠りの準備をすることが、人として真っ当な姿ではないだろうか。帰宅部に入ろうが、何も責められる謂れはない。異論は認めない。

 


 俺の停滞思考とは違い、式は滞りなく次の段階へと移行していく。

「えー、続きまして、部活動紹介に移りたいと思います。10分後から始めますので、それまでは休憩とします。えー、各部準備をお願いします」

 進行役である教頭がこう言うが否や、待ってましたとばかりに上級生が体育館から飛び出していった。紹介するためにユニフォームへ着替えたりだとか、何かと各部に準備があるのだろう。


 関係ない上級生はこれで帰りということで、俺たちの横に座っていた先輩達が一斉に立ち上がり、体育館から出て行くために動き始めた。


 それに伴い、一応式典ということもあり私語を慎んでいた上級生が、堰を切ったように騒がしくなる。


 対照的に、1年生は静かだった。

 理由は単純明快、仲良くなってないからだ。

 よく耳を澄ましてみると、周りでは小声で喋っているやつもいる。何の部活に入るかを話しているようだ。おおよそ同じ中学出身のやつだろう。初めてあった人とそんなに仲よさげに話せるわけない。初対面の人と明るく話せるとしたら、よっぽどのコミュ力の持ち主だ。そんなやつなかなかいない。


「なあ、なあ!宗川むねかわ君?」

「………?え?俺??」

「そやで。さっきから話しかけとるやん。あっ、宗川君であっとるよな?名前」

 …まさか、そんなやつが俺の近くにいるとは思わなかった。

 俺の斜め後ろに座っていた男子から、声をかけられている。


「……コミュ力モンスター」

「ん?コミュ力?なんて??」

 その男子は怪訝な顔をして、俺の瞳を覗き込んだ。


 あっ、またでてしまった。俺は昔から無意識に思ったことを口に出してしまう癖があるのだ。この癖は直さないと余計な揉め事の種になる、気がする。少なくとも俺が読んだ漫画はそうだった。今まで生きてきて、そんなイベントはなかったけれど。


「いや何でもないよ、合ってる。宗川むねかわ里司さとしだよ、よろしく。……ええっと、ごめん、前に会ったことあったっけ?」

「うわ、酷いなあ。昨日、1回通しで名前呼ばれたやんか」

 多分こいつが言ってるのは、昨日の入学式の後、教室で担任から出席番号順に点呼が行われたあの時のことだ。名前に間違いが無いかの確認のためなんだろうが、そんなので覚えるわけないだろ、本気で言ってんのかこいつ。大体初対面なのに馴れ馴れしいなこいつ。


 そう思ったが、どうやら本気で言ってるわけじゃないらしい。

「ごめんごめん冗談。俺は手島てしまはじめ、呼びやすいように好きに呼んでな。よろしくお願いします」

「こ、こちらこそよろしくお願いします」

 ご丁寧にどうも、と思っていると、手島は矢継ぎ早に話し始めた。

「そんでさムネ、どの部活に入るかもう決めた?」

「ちょ、ムネって何だよムネって」

「え、宗川だからムネやろ?あ、ごめん嫌やった?」

「嫌じゃないけど、初めてそんな呼び方されたからびっくりした」


 俺は名字をそのまま呼ばれることが多い。あだ名で呼ばれるのなんて小学校の『むねっちゃん』以来なので、忘れていた懐かしい感覚が蘇ってくる。あだ名をつけてもらうって、なんか親しみがあって良いよね……。


 じーんとそれを噛みしめていると、手島はこほんと咳払いをして、話を続ける。

「そんで改めて、ムネって部活どうするの?」

「帰宅部にしようと思ってる」

「へえ、そうなんや……」


 あっ、しまった。会話が終わってしまう。

 必死に次の会話を考える。だめだ、どうしよう、何を喋ったら良いか全然分からない。今更ながら、何も考えなくても自然に会話が出来る中学の同級生のありがたさを実感した。


 しかし、このコミュ力モンスターはけろっとした様子で話を続ける。

「ムネ、それはもったいないで。せっかく東高ひがしこうに入ったんやったら、何か部活入らんと」

「え、でも、帰宅部が3割いるらしいぞ?なのに、部活盛んなのか?」

 これのソースは、とある掲示板で在校生を自称する人が、俺の『部活に入りたくないんですが、帰宅部でも大丈夫でしょうか?』という質問に答えてくれたものだ。


「いやいや、それ受験控えた3年の話やろ?1年生はほとんど何かしら部活入るらしいで?」

 えぇぇ……。俺は改めて、ネットの情報は簡単に信用できないと思った。何が『体感的には3割ほど帰宅部はいます。安心して帰宅し、勉学に勤しみましょう』だ。ハル@在校生、てめぇ嘘教えやがって。許さないからな。


 手島は、なんだ君知らないのかい、みたいな顔をして話し始めた。こういうのを得意顔もしくはドヤ顔と言うのだろう。それにしても結構腹立つなこの顔、してしまわないように気をつけよう。

「東高は県内でも随一の部活数を誇る高校なんやで。何でも、前校長の個性を伸ばすって方針で、最低2人で部活を作れるようになったらしい。今では40を超える数があるらしいで。俺も先輩から聞いたって話を又聞きしただけやで、本当か知らんけど。やで、今からの部活紹介楽しみなんやぁ!どんな部活があるんやろ」

 手島は一気に言い切ると、手をギュッと握りしめ、目をキラキラさせた。純粋にこれほど高校生活を楽しみにしているのが羨ましいなぁ、と思った。


 それにしてもだ。

「そんなに部活があるとは知らなかったな」

「俺も知らへんかった。けど、そんだけ盛んなら、やっぱり最初は部活に入っとった方が友達作れるやろなあ」

 そう言うと、手島はそれまでの体育座りから足を崩し、あぐらを組んで、後ろに手をついた姿勢になった。いい加減腰が痛くなってきたのだろう。周りをちらっと見ると、楽な姿勢で座っている生徒が多かったので、なんだ良いのかと俺もあぐらを組む。


 何故か手島はニヤニヤしながらこちらを見ていた。俺には『どうしますか旦那ァ』とでも言い出しそうな悪い笑みに見えた。

「……なんでそんなにニヤニヤしてるんだよ手島」

「いや、宗川君が部活に入ってなくても友達たくさんできるくらいのコミュ力の持ち主なんやったら話は別やけどな?同じ中学のやつ、この組に何人おるん?」

「2人かな、両方女子やし、喋ったことも数回しかないけど」

「そりゃ、同性の友達作るのに時間掛かるかもなぁ、1ヶ月くらいかかるんちゃう?」


 1ヶ月。それは高校生にとっては絶望的に長い時間だ。何せ高校生活は36ヶ月しかないのである。短く儚い青春の期間に、1ヶ月という空白の時間を作るのは、あまりに惜しい気がした。


「て、手島君は俺の友達になってくれないのかな?」

 我ながら、ものすごい恥ずかしい事を言ってる気がする。いや、気がするじゃなくて普通に恥ずかしい。友達になろう宣言とか、小学校低学年の時に言った以来だ。

「いや、もちろん友達やに」

 手島はあっけらかんと答えた。こいつ、よく恥ずかしげも無くこんな事言えるなと感心していると、手島は「けど」と付け加えた。

「俺も部活に入ったら、飯とか部活のみんなで食うようになるかもしれへんし。教室におらんようになるかもなあ」


 ぼっち飯。一人でご飯を食べること。友達が用事でいないときや、休んでいるときにしょうがなく一人で食べる特例を除き、友達が存在しないぼっちが行う行為。大変つらい。(俺調べ)


 それだけは何とかして避けなければいけない。ちなみに、こういうのをランチメイト症候群と言うらしい。


「そうなのか、そうだよな。何か俺も部活に入ろうかな」

 考えてみれば、別にずっと部活に入ってなきゃいけない訳でもない。友達だけ作ってあとはやめればいい。それに、俺の高校生活を出会ったばかりの手島に左右されるというこの状況も、何となく嫌だった。

「それがいいに、折角の高校生活なんやしさ」

 手島はそうだとばかりにこくこくとと頷いていた。


 入学前の俺の決意が早くも崩れてしまった様な気がするが、まだ終わってない。別に運動部に入らなければ良いのだ。そうだ、新しく何か始めれば良いんだ!文化部に入ろう。運動はもう十分したはずだ。それに今運動しても、どうせ社会人になったら絶対動かないし。意味がない。うん。


 降って湧いたような新しい決意を抱くと同時に、教頭がマイクで喋り始める。

「えー、静かにしてください。今から、部活動紹介を始めます。えー、まずソウキョク部からお願いします」


 ソウキョク部とは何ぞや。俺が知らないスポーツか何かかな?

「ソウキョク」を脳内で必死に漢字変換していると、今まで下ろされていたステージの幕が上がった。そこには、きれいな着物を着た15人ほどの女子生徒が、それぞれ大きな木製の何かの側に座っていた。

 丁寧に座礼をすると、木のに手を掛けた。何かを始める所作らしい。

 よく目をこらして見てみると、糸が張ってあるのが微かに見えた。

 ……なるほど、お琴だったか。

 部活の名前を紹介するめくりには、毛筆で『箏曲そうきょく部』と書かれていた。


 これは後で知ったことなのだが、うちの高校の箏曲部は全国大会にも出場している、結構な強豪校らしかった。

 そんなことはつゆ知らずとも、演奏曲目である有名な桜の曲は心地よくて力強く体育館に響き渡り、俺は目をつぶって音に意識を任せた。


 周りから小声で「上手いねー」とか「着物綺麗だねー」という雑談が聞こえてくる。うるせぇ、演奏中に会話すんな。お前らの会話中に演奏流すぞ。

 聞こえてくる耳障りな音をカットし、演奏に集中する。こんなに和やかな気分になったのは久しぶりかもしれない。


 あぁ、俺、箏曲部に入ろうかな……。

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